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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第4章 境界の街に架かる大橋を渡って
50/106

50.魔女と魔法と退魔の力

 ぎっと慎重にリンドが開いた扉の外は、想像していた以上に静かだった。

 境界の大橋が架かる中央から少し離れているせいもあるが、人影が全く見られず活動する音も聞こえない。ただ石の建物の間をびゅうと吹き抜ける風の音だけが、耳に届いてきた。

 天候は曇り。日も昇り始めた朝だが、薄曇りの空模様のせいで通りを照らす光は弱々しい。


 そんな静かで少々暗い街の中を、アリアは冷たい風を切って進むリンドに続いて歩いた。

 その間、会話は無い。

 彼はただ黙々と境界の大橋に向かって足を進め、彼女はその背を後ろから見守りながら追った。


 街の中心部が近づいてきたところで、ようやくアリアはその沈黙を破って口を開いた。


「―――何人か、見張りが付いているみたいね」


 感じた気配を確認するように口にすると、彼も「ああ」と同意した。

 そして大通りに出る手前のところで、リンドは足を止めてその先を窺う。アリアもそれに従った。


 境界を結ぶ石橋の傍に立つ鎖帷子(くさりかたびら)小札鎧(こざねよろい)を身に纏った魔法王国兵の数は、十人。

 さらに橋を渡ったその先にも、恐らく同数の純人王国兵の姿が見えた。


「どうするの?」


 アリアは問いかける。

 街の門とは違い、境界の大橋は原則渡ることが許されていない。仮にアルバートであることを誤魔化せたとしても、穏便に橋の通行許可をもらうことは難しい。それは彼女の推測ではなく、実体験なのだ。


 彼女の問いに、しかしリンドは答えずに一人中央の通りへ飛び出した。

 そして、一気に橋へ向かって駆ける。

 強行突破というわけだ。


「何だ!?」

「おいあれっ……、この間のアルバートじゃないか!?」


 魔法王国兵たちが気づき、即座に剣や弓を構える。

 さらに武器を取ったその右手の人差し指で、魔法を綴った。


燃焼(フィーレ)!」


 ばらばらに上がる詠唱の声と同時に、燃え上がる火炎。

 しかしそれは、リンドが差し伸ばした左手によって掻き消された。


「やはりアルバート……!」


 魔法が通じないと分かると、弓を構えた兵士が矢を放つ。それをリンドが横に跳んで(かわ)すと、そこへ剣を握った兵が斬りかかる。

 だが兵士が振り下ろした剣を、リンドは後退せずその場で身を避けて擦れ擦れのところで躱した。

 そうして兵士との間合いを詰めると、彼はすぐその左手を兵士の喉元に向かって打ち据えた。


「ぐッ―――!」


 兵士の表情が苦痛に歪む。そしてびくとその身を弾ませて一歩退くと、兵士はそのまま恐怖に硬直した。

 至近距離で退魔の力を受けたためだろう。


 しかしながら、リンドは渋い顔をしていた。

 その口が「駄目か」と動いたように見えた。


 そこへ、他の兵士たちが斬りかかってくる。

 複数の斬撃に対して、さすがにリンドも後方へ跳んで距離を取った。

 退魔の力も解かれ、アリアにとっては良いタイミングだ。


「……っ!?」


 突然立ち現れた氷塊に首から下を制限され、兵士たちは驚愕する。

 一方のリンドは、不満そうにこちらを振り向いた。


「手を出すなと、言ったはずだが」

「ごめんなさいね」


 と、アリアは口だけで詫びる。

 それから言葉を継いだ。


「けれど、ここで時間は掛けられないわ。ダートおじ様が出てくると面倒よ」


 言いながら、まだ不服そうなリンドと身動きが取れない魔法王国兵たちの横を通り抜ける。そして境界の大橋を渡り始めた。

 橋の下の大河は、もう大分落ち着いてきている。


「訓練なら、他でやって頂戴」


 声を向けると、返事こそ無かったが後に続く彼の足音が聞こえてきた。

 それを耳に捉えつつ、アリアは前方を塞ぐ純人王国兵たちの方へと意識を向けた。


「魔女だ! ダート様に報告を―――」


 言いかけた兵士の口は、氷で塞ぐ。

 砦に向かって駆け出した伝令役は、その足を鉄の刃で釘付けにする。

 突っ込んできた兵の剣の一振りは風で逸らして躱し、後ろに任せる。


 その後方から駆けてきたリンドは、左手に握った折れた退魔剣で兵士の剣を跳ね返す。

 がんと勢いよく振り薙がれたその一閃は力強く、兵士の手から剣を撥ね上げた。


 リンドはさらに、剣の柄頭で怯んだ兵士の鳩尾付近を打ち据える。

 兵士は小札鎧(こざねよろい)を着ているため、その一打そのものに大した効果は無い。

 しかし直後にずんと発動された退魔の力が、至近距離で兵士の精神を揺する。


「ッ……!」


 兵士は声も上げられずに、どさと腰を抜かしたように尻餅をついた。


「―――駄目か」


 とリンドがそう言ったのが、今度ははっきりと聞こえた。

 そこへ、他の純人王国兵たちが襲い掛かってくる。

 退魔の力で彼らにかけた魔法も解けてしまったのだ。


「リンド、折角の足止めが台無しよ」


 言いながら、アリアは再度彼らの足を氷漬けにして止める。


「もう少し気を遣ってもらえないかしら」

「お前に気遣いなんて要らないだろ。便利な魔法も使えるみたいだし……。何なんだ、それ」

「その話は後にしましょう」


 と彼の問いには答えずに、アリアは橋を渡り切って純人王国兵たちの横をさっと抜けた。


「取り合えずあなたの言葉は、私への信頼と取っておくわね」

「大体合ってる」


 リンドもそう返しながら、石橋を駆け抜けて純人王国に入った。

 その彼に、アリアは問う。


「西で()いのよね?」


 それに、リンドは「ああ」と頷く。


「鍛治町に行く」


 その声にアリアも承知の頷きを返した。

 そしてそのまま、街の通りを走って進む。

 街の中心部から早々に外れ、南の門に向かって駆ける。


 その純人王国側の門にも門衛が数人立っているが、アリアたちの敵ではない。

 真っ直ぐに突っ込んでいったリンドが、槍の一突きを躱して一気に間合いを詰める。そしてその左手に握った剣を勢いよく振り薙いだ。

 びゅっと風を切る音が鳴る。


 刃の短い退魔剣は、門衛の鎧を掠めただけだった。

 だが瞬間、門衛の身体がびくと弾む。そして直後、彼は意識を失った様子でその場にどさと崩れ落ちた。さらにリンドを囲んだ他の兵士たちも、つられるようにしてふらつき片膝を突く。

 それが、彼の考える「より強い退魔の力」の形なのかもしれない。


「さすがね。上達が早いわ」


 アリアは膝を突いた兵士たちの足を氷結させてから、リンドに声を掛ける。

 しかし彼は素気無(すげな)い。


「一回成功しただけだ」


 淡々とそう返して、さっさと門を抜けていく。

 アリアは肩を竦めて、それに続いた。


 東の境界の街を出ると、そこから西方へ向かって歩いた。

 境界の大河に沿って整備された道は、先日までの長雨でまだ少し泥濘(ぬかる)んでいる。石敷の旧街道と比べると、やや歩きづらい。


 泥が跳ねないように足運びに気を付けて歩いていると、隣から声を掛けられた。


「―――それで、さっきのあれは何なんだ?」

「あれって?」


 とアリアは、いつも通りに(とぼ)けてみせる。

 すると面倒臭そうな視線を向けられた。


「その分かってて訊くの、鬱陶(うっとう)しい」

「あなたこそ、人が分かっている前提で話すのはやめた方が良いわ」


 平生(へいぜい)と変わらない微笑を浮かべたまま返すと、リンドは痛いところを突かれた様子で外方(そっぽ)を向く。

 自覚か経験があるのかもしれない。アリアはともかくとして、彼の仲間たちは苦労したことだろう。


「……それより、」


 とリンドは、強引に話を先へ進めた。


「あの魔法は何だ? 綴りも詠唱も無かったみたいだが。―――そういえば、エールを出した時もそうだったな」

「何って、あなたが今言った通りのものよ」


 とアリアは簡潔に答える。


「そもそも要らないのよ、魔法を使うには綴りも詠唱もね。ただ規則として、必要ということにしているだけ」

「……何でも有りだな」


 リンドは半ば呆れた様子で呟く。

 それから、はたと思い出したように言葉を継いだ。


「そう言えば、フレアも無綴無唱(むていむしょう)の魔法を使ったことがあったな。クリストンにはそういう力が生来備わっているのか?」

「そういう言い方をするなら、魔法王国のソートリッジ王家がそれね。あの一族は代々魔法に綴りを必要としないらしいわ。王家として長く君臨していたのも、その力によるところが大きいのではないかしら」

「―――向こうも結局、力か」


 呟くリンドは、少々落胆しているように見えた。

 「退魔の力」という特有の力で国を支配するアルバートと違って、魔法王国は皆が魔法を使える。故に魔法王には、人々を統べる才覚が受け継がれていると期待していたのかもしれない。


 だが結局、強い者が世を統べるとアリアは考える。

 圧倒的な力を前に、反発する者は多くない。その強者がたった一人人々の上に立ち、他の優劣を認めない。それが、彼女が目指す世界の在り方だ。


 それは扨措(さてお)き。

 アリアは、リンドの質問に答えた。


「―――クリストンには、そういう生来の力は無いわ。フレア(あの子)(たまたま)やってのけたのが最初よ」


 言いながら、彼女は思わず呆れの交じった息を吐き出してしまう。


「あの子がやったのを目の当たりにしたから、私は確信を持って調べることができたの。……あの子は天才よ」

「お前が言うのか」


 リンドがじとと視線を向けてくるが、おかしなことを述べている認識はアリアに無い。


「私は、考えて考えて道筋をつけなければ出来ないの。でもあの子は、感覚的にそこへ到達できてしまうことがあるのよ。私からしたら、フレアの方が余程天才だと思うわ」


 フレアはアリアを追いかけているつもりのようだが、時にそれが逆転していたことに彼女は気づいていまい。

 そのことはアリアにとって時に歯痒(はがゆ)く、また少々苛立たしくもあった。結局フレアの前でそんな感情を見せることなく、アリアは「完璧な姉」として家を去ることになったわけだが。


 柄にもなく少し感情的になっていることを自覚して、アリアはふっと苦笑する。

 そして話題を変えた。


「―――ところでリンド、退魔の力を使って身体の方は大丈夫だったの?」


 問うと、彼は思い出したように左手で腹を(さす)る。


「特に問題無さそうだ。取り合えず、自分に向けなければ。―――ただ、大分疲れた」

「それは力を使い慣れていないせいね」


 とアリアは指摘する。


「退魔の力だって、対価無しに使えるわけでは無いわ。慣れていないと余分に体力を消耗するわよ。ただでさえ今のあなたは、目覚めたばかりで食事も(ろく)にとれていないのだから」

「ああ……、気を付ける」


 言いながら、彼はその左手を見下ろした。そして確かめるように、その手を握っては開く。

 アリアも興味深く、その彼の手を見つめた。


「単純に意志の強さだけではなくて、力の範囲を絞ることでも効力を高められそうね」

「さっきは無い剣先に力を集中させた、……つもりだ」


 まだ感覚が掴めていないのか、リンドはやや自信無さげにそう言う。

 だがその次の言葉には、強い意志が込められていた。


「これなら、俺も戦える」


 ぎゅっと握り締められた左拳を見つめながら、アリアは「そうね」と微笑んだ。


 *


 東の境界の街を出て、五日目。

 アリアは、朝を知らせる鐘の音で目を覚ました。

 町の人々が活動を始める気配も感じられた。


 そこは、鍛治町の東西通りに面した宿の二階にある一室。

 前日の日暮れ頃に町に到着したアリアたちは、この宿で休息を取っていた。


 隣のベッドを見やれば、リンドはまだ眠りこけている。

 すうすう寝息を立てている様はまるで子供のようで、アリアは思わず口元を綻ばせてしまう。

 そっとベッドに歩み寄って、その癖っ毛頭を優しく撫でる。

 すると、その目が薄く開かれる。しかし彼はすぐにぐるりと寝返りを打って、また寝息を立て始めてしまった。


「リンド、起きなさい。朝よ」


 声を掛けながら彼の肩をぽんぽんと軽く叩く。だがそれでも、ううんと曖昧な声が返ってくるばかりだ。

 それでアリアは、彼の耳元で(ささや)く。


「起きなさい。早く起きないと、―――何があっても知らないわよ?」


 言って、右手の人差し指から水滴を一滴彼の耳に落とした。瞬間、びくと肩が弾んで驚いた様子の顔がばっとこちらを向く。

 それからその驚きで見開かれた目は、じとと迷惑そうな薄目に変わった。


「あら、不細工な顔」

「誰のせいだ」


 指摘すると、即座に言葉を返された。しっかり覚醒したようだ。

 アリアは満足げに頷くと、開け放した窓から東西通りを見下ろした。石造りの街並みの西方を見やれば、南通りや南西通りと合流する広場も見える。


「活気がある町よね。朝から支度する人々の賑やかな気配を感じるわ」

「祭りの時ほどでは無いけどな」


 ベッドから這い出て寝癖をくしくし手で()かすリンドの声に、彼女は振り向く。


「ここのお祭りは……『打ち出祭り』だったかしら。お祭りの時に来たの?」

「ああ。ニーナが(はしゃ)いで大変だった」


 と彼は言うが、その声に先ほどアリアに向けたような迷惑そうな響きは無い。


「……まあ、その結果(くだん)の鍛冶士と知り合えたんだが」

「良かったじゃない」


 そう声を向けると、彼はこくりと頷く。

 しかし懸念もあるようで、少々渋い顔で言葉を吐いた。


「ただ、門前払いを食う可能性はある」

「どうして? 怒らせるようなことでもしたの?」

「いや、鍛冶士の方は喜ばせたんだが……」


 と言いながら、リンドは頭を掻く。


「相方の方が、な……」

「相方?」


 首を傾げて問うと、リンドはそれに答えず身支度を整える。


「とにかく、行くだけは行ってみる」


 呟くようにそう言って、彼は一人部屋を出ていく。

 アリアもその後を追いかけた。


 食事を済ませ、仕事始めの鐘と共に通りへ出ると、リンドは南西の大通りへ向かった。

 そして南西通りに面した老舗と見られる鍛冶屋の前で、その足を止めた。

 「マークス」という店らしい。入り口には、既に「開店」の札が掛かっている。


「……」


 リンドは、店の前でしばらく突っ立っていた。

 見かねて「入らないの?」と問うと、彼は長めに息を吸って吐いてしてから顔を上げる。


 そして意を決した真剣な面持ちで、その鍛冶屋の戸を開いた。

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