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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第4章 境界の街に架かる大橋を渡って
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48.魔女の見解

 教会の地下室は、薄暗かった。

 空気を入れ替えるための小さな穴が地上の部屋に向かって複数穿(うが)たれてはいるが、基本曇り空が多いこの地域にあってはその地上も大して明るくないのだ。地下に入る光など微々たるものだった。

 しかしそうかと言って空気の循環が悪い地下で煌々(こうこう)と火を燃やすわけにもいかず、故に小さな獣脂蝋燭(ろうそく)の灯だけがこの地下室を弱々しく照らしていた。その臭いは少々鼻に付く。


「……どうしてだ」


 リンドがアリアに問いを返してくるまでには、やや間が空いた。

 彼女の言葉が予想外のものだったのかもしれない。

 或いは、その逆。図星を突いたのかもしれない。

 いずれにせよ、彼の耳には痛い言葉だろう。だがそれでも、(たと)え彼が耳を塞いだとしても、アリアは同じ言葉を繰り返すつもりだった。

 彼女たちを連れるのはもうやめなさい、と。


 問い返してきたリンドに対し、アリアはゆっくりとベッドから出てその傍の小さなテーブルに着く。

 そしてその向かいの席へ彼を誘った。


「座って。話をしましょう」


 しかし、リンドはその椅子に座らない。


「急いでるんだ。質問にだけ答えてくれ」

「食事もしていないでしょう。そんな状態では、すぐまた倒れてしまうわ」

「ここにいたら、余分に時間を食うだろ」


 言って部屋の出入口へ向かおうとする彼に、しかしアリアは冷静にまた言葉を向ける。


「私が今まで何をしていたのか……、気にならない?」


 そう口にすると、彼の動きがまたぴたと止まる。

 顔には出ないが、態度には感情が表れる。アリアが彼を可愛く思う瞬間だ。


「私、『あの日』に言ったことを今も忘れていないのよ」


 じとと嫌そうな視線をこちらへ向けるリンドに、彼女は駄目押しとばかりに付け加える。


 十年前、少女アリアは少年リンドに告げた。

 世界を手に入れる、と。

 それは「世界を終わらせる」という彼の願いとは両立し得ないことで、故に彼女と彼とはその日から対立する関係となった。

 よって、アリアが自身の願いのために起こした行動を、リンドは無視できないのだ。


「……」


 彼女が「どうする?」と首を傾げる仕草だけで問うと、リンドは黙ったまま渋々の体で席に着く。

 その態度から、十年経っても彼女の思い通りに動かされていることに対する悔しさがひしひしと感じられた。だからと言って、アリアに容赦する気など毛頭無いが。彼もそんなことは望んでいないだろう。


「落ち着きなさい。急ぐ意味が無いわ」


 正面に掛けたリンドに、彼女は静かに声を向ける。


「駄目ならとっくに死んでいるし、そうでないなら自分たちでもう次の行動を起こしているはずよ。―――あなたは彼女たちのこと、信じていないの?」

「信じてる」


 とリンドはすぐ言葉を返すが、その視線は天井のさらにその向こう側へ向いていた。


「ただ、」

「『ただ』は無いの。信じるか信じないかの、二択だけ」


 ぴしゃりとアリアは言う。


「要するに、あなたはあの子たちの力を信じられなくていつも守ってるのでしょう? でもそれなら、彼女たちはあなたにとってただの荷物よ。違う?」

「違う。あいつらは……」

「利き手で剣も振れていないようだけれど?」


 アリアが言葉を向けると、リンドは彼女から視線を逸らす。

 リンドは左利き(・・・)なのだ。


「右でも振れる。そういう訓練は昔からしてきた。お前も知ってるだろ」

「意図せず退魔の力が発動しないようによね。もちろん知っているけれど、でも魔法王国に乗り込む段になっても右を使っていたのは、彼女たちが傍にいたからでしょう?」

「……」


 間髪入れずに言葉を返すと、彼は苦々しく言葉を詰まらせる。

 それでも、まだ絞り出すように抵抗を続けた。


「俺の目的は、魔法人を制圧することじゃない。魔法王と会って、話ができれば―――」

「話ができれば、相手も分かってくれる? 戦う力が無くても、大丈夫?」


 問えば、リンドは黙ったままこちらを見返す。

 肯定も否定も無い。当たらずと(いえど)も遠からずといったところだろう。

 しかしそうであるならば、アリアはまた一つ告げねばならない。


「でも、実際話を聞いてもらうこともできなかったわよね?」


 言うと、リンドは怪訝そうな様子を見せた。


「……お前は、未来も視えるのか?」

「まさか。私にも視えるのは今と過去だけよ」


 とアリアは肩を竦めて見せる。


「―――だから、過去の話をしてる」

「過去? 俺はまだ魔法王国に行ったことなんて―――」

「マーシャル・イージスが、今の魔法王よ」


 アリアがそれを伝えても、彼の怪訝な様子は変わらなかった。


「王家はソートリッジだろ? イージス家なんて聞いたことが無い」

「そのソートリッジ王家が、倒されたのよ。つい二年ほど前にね」


 そう言って、彼女はさらに指折りながら補足する。


「今からおよそ二十年前に、ギルトおじ様が魔法王を討った。その十年後には、ダートおじ様も。短い間隔だし、しかもダートおじ様は魔法王以外にも多くの魔法人を殺した。王家の人間も含めて、ね」


 淡々と話すアリアに対して、リンドはただじっと話を聞いていた。

 父や叔父の犯した(・・・)功績に、彼が今何を思っているのか。

 それを正確に察することは、アリアにも難しい。


「そして二年前。弱体化したソートリッジ王家に止めを刺したのは、王家を良く思っていなかった同じ魔法人たち。その中心人物の一人が、マーシャル・イージスだった。―――というのが、私が最近に魔法王国へ行って知った情報よ」

「……」


 アリアが話を終えても、リンドは黙ったままだった。

 そんな彼に、アリアは問いかける。


「ソートリッジに魔法のことを詳しく聞くつもりだったのでしょう。これから、どうするの?」


 問うても、彼は暫く口を開かなかった。

 考えるような間が空いて、それからリンドは静かに声を出す。


「……ソートリッジはいなくても、魔法王都の王城には魔法に関する資料が残っているはずだ」

「なら、目的地は変わらないのね」


 言うと、彼はこくりと頷く。

 それを確認してから、アリアは話を戻した。


「そうなると、もう一度マーシャル・イージスとは戦うことになるわね。―――今度は『荷物』を降ろして行った方が良いんじゃないかしら」


 そう言葉を向けると、しかし彼はすぐに首を横に振った。


「あいつらの力は要る。……だから、俺があいつらを荷物にしないようになる」

「……そう」


 ぎゅっと握り締められた彼の左手を見て、アリアは静かに言う。

 彼の中で決意が固まったのであれば、もうこちらから口出しすることは無かった。


 それでアリアは、話題を転換した。


「ひとまず、食事しましょうか」


 言って席を立つと、アリアは部屋の片隅にある大きな木製の樽の蓋を外す。そして中から、塩漬けの猪肉を取り出した。


「この教会の保存食よ。あなたが眠っている間も頂いていたの」

「勝手に入って、(あまつさ)え保存食まで盗み食いというのは気が引けるな……」


 呟くリンドに対して、しかしアリアは(かぶり)を振る。


「大丈夫、神父様は私たちがここにいることを知っているわ。私たちが訳ありと承知の上で、(かくま)って下さったのよ。―――神教も、案外悪くないでしょう?」


 そう話を向けると、彼は「そうだな」と少々ばつが悪そうに応じた。神教の儀礼に煩わしさを感じる類いの人間だ。その信徒に助けられれば決まりも悪かろう。

 そんな彼を余所に、アリアは塩漬け肉をテーブルに出しながら言葉を継ぐ。


「念のために地下への入口は魔法で完全に塞いでいるわ。上からは地下があることも分からない。道を開くには魔法で床に穴を穿つか退魔の力を使うしかない。だから、こちらから出るまでは気づかれないと思うわ」

「塞いだら神父が困るだろ……」

「許可は取ったわ。ちゃんとね」


 呆れ交じりの声を出すリンドに、アリアはいつも通りふふと微笑みを浮かべながら応える。

 それから、マグを取って彼の傍に置いた。


「エールも出しましょうか」

「いや。あまりここの食糧を食い荒らすのも悪い」


 彼は拒否するが、対してアリアは首を横に振る。


「違うわ。これは私から」


 言いながら、その右手を柔く握る。するとその手から赤い光が漏れるのと同時に、マグの中をすっとエールが満たした。

 その「奇跡」を前にして、リンドは目を瞬く。そして、若干引き気味にアリアを見た。


「何でもできるんだな……。これなら、食事にも困らないだろ」

「いいえ、そういうわけにはいかないわ」


 とそれをアリアは否定する。


「魔法で作る食物を私が食べても、その魔法を使うための力以上の栄養は得られないわ。魔法も世界の大原則からは外れられないの」


 説明している間、リンドはマグを取ってその中身を()めつ(すが)めつしていた。

 そしてアリアの説明が終わるのを待って、(おもむろ)に口を開く。


「―――飲んでも、退魔の力を使えば無くなってしまうしな」


 しかし、その(げん)はアリアの考えと少し違っていた。


「それはどうかしら」


 言うと、彼の怪訝そうな顔がこちらを向く。

 その彼に、アリアは自分のマグを取りながら静かに語った。


「退魔の力は、魔法で呼び出したものを消し去る力よね」

「……」


 リンドは、何も言葉を返さない。

 何を今さら、といった様子でただこちらを見返していた。

 しかしアリアは気にせず、淡々と言葉を紡ぐ。


「でも、例えばそのリンドのマグの中身が本物のエールだったとして、そこに私が魔法で作ったエールを注いだとしたら―――」


 とぷとアリアが注いだ少量のエールが、リンドの持つマグの中身を揺らした。


「それは、どちらのエールだと思う?」

「……」


 リンドは、何も言葉を返さない。

 しかし今度のそれは、真剣に考えている沈黙だった。


 やや間を置いて、彼は口を開く。


「……つまり、体内に取り込まれてしまえば、退魔の力でも消えないってことか?」

「その可能性がある、という話よ。今あなたの中を流れる血と同じく、ね」


 とアリアは答える。


「あなたたちを見て、私はそう思ったの」

「俺たち?」


 と首を捻るリンドを余所に、アリアはさらに言葉を継いだ。


「もっとも、より強い退魔の力であれば、強引に境界を引いて消し去ることができるのかもしれないけれど」

「より強い……」

「その辺りについては、昔から退魔の力を持っているあなたの方が分かるんじゃないかしら?」


 そう言ってちらと見やれば、リンドはその布が巻き付けられた左手を見下ろしていた。

 そして静かに息を吐くと、呟くようにただ「うん」と言った。

 それが「力について分かる」の意味なのか、はたまた「話に納得した」の意味なのかは分からない。


 ただ視線を上げたその彼の顔は、いくらか冴え冴えとして見えた。

 何か決意したような表情で、彼は出された食事を口に運ぶ。

 それから、今度は彼の方から話を振ってきた。


「……そういえば、お前が今まで何をしていたのかまだ聞いてない。どこにいたんだ?」


 問われて、アリアはその目を閉ざされた狭い空間のずっと向こう側へと向ける。


「外よ」

「そんなのは分かってる。具体的にどこに―――」

「島の外よ」


 彼女が言うと、リンドは言葉を途切れさせた。

 そしてやや驚いた様子で、別のことを問う。


「海の向こうに、行ったのか?」

「ええ」

「どうやって。純人王国に、海を渡っていけるような船は無いはずだが」

「小舟と風の魔法を使ってね。命懸けの船旅だったわ」


 その時の厳しさを思い返しながら、しかしその感情を全く表に出さずに、アリアは微笑を浮かべたまま言う。

 そして、その先に見たものを語った。

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