46.剣士と前王の娘
兵士の報告を受けて、ラークはすぐに動き出す。
百人程度の前王軍の進撃。それだけであれば、ラークが動くまでもない。
だが、その前王軍の中に金髪の少女がいるというもう一つの情報については、彼自身の目で確かめる必要があった。
「『聖歌隊』はもう動いているか?」
「門に集めているところです」
兵士の返答に頷いて満足だと示すと、ラークはその次の指示を出す。
「こちらから謳う。『義の詩始め』からやってくれ。その先は隊に任せる」
魔法王国軍特有の部隊「聖歌隊」は、後方から魔法攻撃を行う他に戦闘前の詩の掛け合いも行う。
目的は敵方の戦意を奪って戦闘を避けたり、味方の士気を高めたりすることにある。
例えば、「義の詩」はその名の通り自軍の義を主張する詩だ。無論、相手方もそれに詩を返してくるので、それにまた適当な詩を返す。そうしてどちらかが沈黙するまで続けるのだ。
この謳い合いで勝れば、自分たちに義があるのだと兵士たちの士気は高揚する。逆に負ければ迷いが生じるというわけだ。
「魔法」という詩を謳い続ける中で生まれた、魔法王国独特の文化だった。
詩の指示をすると、兵士は「承知しました」と応じる。
その彼に、ラークはもう一言付け足す。
「俺もすぐ行く。それまでは詩で繋いでくれ。こちらからの先制攻撃は無しだ」
「はい」
彼の声に応じて、兵士はすぐに駆け足で現場へと向かっていった。
ラークも次の手を考えながら、兵士の後を追って歩む。
すると、その背に声を掛けられた。
「ラーク、私も行かせて」
振り返れば、サラが強い眼差しでこちらを見つめている。
しかしラークは、首を横に振った。
「ダメだ」
「私だって詩を謳えるの! 知ってるでしょう?」
と彼女は訴えてくる。
「私も力になりたいの!」
だが、ラークの答えは変わらない。
確かに、彼女の声は一級品だ。聖歌隊に加わって共に謳うことも可能だろう。
しかしサラは、戦えない。
力を持たないのではなく、力を使わない。
そんな彼女が前線にいては、戦闘になった時に士気を落とすことになりかねないのだ。
ラークが再び頭を振ると、サラは諦めた様子で顔を俯けた。
そんな彼女を余所に、ラークは外と魔法王都とを繋ぐたった一つの門へと向かった。
王城を出ると、門が一つ。しかしそれは、王城と街とを繋ぐ門だ。
その門を抜けた先は、王都の街の第一区画。
傾斜のついた緩やかな曲線を描く街の中央通りを下っていくと、再び門に行き当たる。
そこも外へ繋がるものではない。街の第二区画へ続くものだ。
その第二区画の通りも下っていくと、今度は第三区画へと続く門。街は三つの区画に分かれているのだ。
そして第三区画を抜けていけば、ようやく外と繋がる門に辿り着ける。
王城を頂点に螺旋状に構成された都。それが魔法王都なのだ。
ラークも王城から街の各区画の通りを抜けて、魔法王都への入口となる門に向かった。
大きな門扉は木でできているが外側に鉄の薄い板を被せており、炎の魔法による攻撃を受けても容易に破られることは無い。
さらに門の両脇には高い壁と同じく石造りの塔が付いていて、門に近づく敵を小窓を通じて攻撃できるようになっている。
王都であり、また長きにわたって繰り返しアルバートに攻められてきた歴史を持つ街だ。自然、その造りは強固なものになっていた。
その堅牢な門が近づくと、四階層ある二つの塔の屋上を渡している露台の上で謳う聖歌隊の声がはっきりと聞こえてきた。
「―――龍神様が付いておられるなら、ソートリッジ王家は敗北しなかったはず! 即ちソートリッジの敗北は、新王を望む龍神様のご意思である! 故に義は我らに有り!」
「……続けられているようだな」
塔の屋上まで上がったラークは、聖歌隊の後方に控える先に指示を出した兵士に声を掛ける。すると彼も頷きを返してきた。
「はい。今ので三往復目です」
「三往復か……」
とラークは腕を組む。
「向こうも当然詩を準備してるか。三往復もすれば、もうどちらで終わっても士気への影響は大きくないだろうな」
「時は稼げましたが……、次はどうされますか」
「そうだな……。そう言えば、さっきの報告にあった―――」
ラークが問いかけた時、敵方の詩が耳に届いてくる。
「我らは敗北してなどいない! 龍神様は我らにソートリッジの姫を残して下さった! 即ち、これは我らに課された試練なのだ! そしてこの試練を乗り越えた時、ソートリッジ王家は復活する! 義は、未だ我らに有り!」
その言葉に、思わずラークは露台の端まで駆けてその向こう側を見下ろす。
するとその視線の先―――ソートリッジ王家の旗を掲げる集団の中から、一人の少女が先頭に出てきた。
金の髪を頭の両側で束ねた十五歳くらいの小柄な少女。小札鎧や鎖帷子を着た周囲の大人たちとは違って、彼女は皮でできたドレスのようなものを身に纏っていた。
その少女のことを、ラークは知っている。十年近く傍に仕えて世話をしてきた相手なのだ。
姿を現した金髪の少女に見覚えがあるのは、ラークだけでは無い。故に、塔の兵たちの一部からざわざわと良くない揺らぎの音が起こる。
それに気付いたラークは、すぐに聖歌隊に指示を飛ばした。
「詩締めしてくれ」
「はい!」
謳い合いは、ここまでだ。
これ以上続けると、こちらに不利に働く可能性がある。
彼はさらに、聖歌隊の後ろに控えていた兵士にも声を掛けた。
「全員武器と魔法を構えた状態で待機させてくれ。俺の指示があるまでは攻撃するな」
「どちらへ?」
兵士の問いに、ラークは露台の外の方へ視線を向ける。
「下へ下りて、直接話してくる」
「それは危険です!」
「いや、問題無い」
諌めようと声を上げる兵士に対して、ラークは落ち着いた声音で返す。
「迂闊に俺を殺せば、門からの一斉攻撃で全滅するのは向こうの方だ。それくらい相手も分かっている。恐らく、向こうに本気で戦闘をする気は無い」
「ですが……」
「心配要らない。お前たちがしっかり臨戦態勢を見せていてくれればな」
言い聞かせると、兵士は渋々ながら「はい……」と返事した。それを聞いてから、ラークは露台を後にする。
それから塔を最下まで下りて、大きな門の脇の小さな門衛用の出入口から外へ出た。
ラークが門から出てくると、その先に固まっている集団が剣を抜き弓矢を向けてくる。さらにその後方では、紅い光を漏らす右手を差し向けている者もいた。
そして、彼らの先頭に立つ少女は鋭い眼光でこちらを睨んでいた。
ミネア・ソートリッジ。間違い無く、先代の魔法王の娘にしてソートリッジ王家最後の生き残りだ。
「……ミネア様、」
彼女との距離はまだ幾らか残して、ラークは静かに口を開く。
「どうかお引き取り下さい。そしてもう、ここに来てはなりません」
「―――聞くものか」
「は……?」
呟くようなその声を聞き取ろうと、ラークは彼女の元へ歩み寄る。
すると同時に、ミネアもラークに向かって駆け出した。そして間を詰めると、素早く懐から短剣を抜いて振り薙いできた。
反射的に一歩退いてそれを躱すと、彼女はさらにもう一方の手にも隠していた短剣を取ってもう一閃する。
その手首を掴んで止めると、ミネアはきっとこちらを睨み据えた。
「燃焼ッ!」
彼女の力を知っているラークは、その声が上がる寸前に彼女の手首を離して横に跳ぶ。直後にその脇を炎が駆けていった。
そちらへ意識を向けていると、すぐにまた声が上がる。
「氷結!」
それに対して再び身を躱すが、想定以上に大きく広がった氷結がラークの左足を止める。
そこへミネアが立て続けに声を張り上げた。
「製鉄!」
詠唱に応じてラークの頭上に幾つもの刃が現れ、落ちてくる。
対するラークはすぐに腰の剣を右手で引き抜いて、刃を撥ね退ける。動きに無駄は無い。ロイド家はソートリッジを傍で守ってきた騎士の一族だ。魔法王国随一と言っても過言は無い剣使いの家に生まれた彼にとって、この程度を捌くことは難しくなかった。
だが、ミネアはさらに詠唱を重ねてくる。
「燃焼っ!」
綴り無しで魔法を使う力。それがソートリッジ王家に受け継がれてきた「特別」で、彼らが長く王位を守ってこられたのもこの力によるところが大きかった。
だが、ラークも魔法人だ。
迫る炎に向かって、彼は剣を握った右手を差し向ける。
「湧水」
刃を打ち払うと同時に、その人差し指で綴った魔法だ。
ラークの右手の先から現れた大量の水は、寸でのところで炎を消し去る。と同時に、熱せられた湯が氷に降りかかって彼の足を自由にした。
「ぐッ……!」
とミネアが歯噛みしてラークに向かい二本の短剣を振るってくるが、打ち合いになればラークに負けは無い。
一薙ぎで彼女の右の短剣を、もう一薙ぎで左の短剣をその手から撥ね上げた。
そしてさらに次の瞬間には、その剣を彼女の胸に向けて差し向ける。
「―――お引き取り下さい」
とラークは繰り返して、その剣を引く。
その彼を、ミネアは憎しみの籠もった目で睨め付けていた。
「裏切り者の言葉など、聞くものか……!」
しかしラークはそれに、冷静な言葉を返す。
「裏切っておられるのは貴女の方です、ミネア様。貴女のお母様は、ミネア様に平穏に暮らしてほしいと願っておられました。前王軍に担ぎ上げられて王都へ戻ってくるなど―――」
「母様を殺したお前が母様を語るなッ!」
ミネアの怒声に、ラークはぐっと言葉を詰まらせる。
しかし、彼女と対話することは止めない。
「……確かに、私は貴女のお母様を手に掛けました。ですが、あの方のご意思を確かにお聞きして、今もそれを胸に刻んでここに立っております」
言うと、彼女は表情を悲嘆に歪める。
「そんなに慕ってるなら、どうして母様を殺した……!?」
「それは―――、止むを得なかったのです」
嘆く彼女の姿を前に、ラークは苦々しく言葉を吐くしかない。
できることなら、母子一緒に逃がしてやりたかった。だがそれでは、「革命」の成功を示せなかったのだ。
ラークがぐっとその両の手を握り締めていると、ミネアの後方に立つ男たちが声を上げた。
「―――ミネア様、彼と話しても無駄です。通告を」
しかしその声に先に反応したのは、ラークの方だ。
ぎろりと、言葉を発した男の方を睨み据える。
「貴様ら、ミネア様を義の象徴に担ぎ上げるのはやめろ。貴様らの私欲のために使っていい御方では無いぞ……!」
彼の鋭い眼光に男は怯むが、また別の男が声を上げて反論する。
「ミネア様を王城から追い出した人間が言っても説得力に欠けるな。それに我々は、強制しているわけではない。ミネア様が望まれたことだ」
「貴様らがそのように誘ったのだろう! 大概にしないと今すぐその首を―――」
「ラーク、黙れ」
声を荒げたラークを、ミネアの静かな声が制した。
彼女は、冷たい視線をラークに向けてくる。
「今日ここに来たのは、宣戦布告のためだ」
「ミネア様、そのようなことをお母様は―――」
「私は!」
とミネアは、ラークの声を断ち切る様にして叫んだ。
そして、また静かに凍て付いたような言葉を吐く。
「―――私の代で、ソートリッジの王家としての長い歴史を終わらせるわけにはいかない。これは私の意志だ。例え母様が望んでおられなくても、私は戦う」
「ミネア様……」
とラークは声を出すが、続く言葉が無い。
ミネア・ソートリッジに、王家から解放されてほしかった。それは彼女の母の死に際の言葉でもあるし、ラークの願いでもあった。
だが、彼女はそれを取り戻そうとしている。長い王家の歴史は、彼女を捕えて離さないのだ。
言葉を失って項垂れるラークに、ミネアは告げる。
「次に私がここへ来る時には、全軍をもって王城を攻め落とす。私に刃向かう者は全て排除する。―――だから、」
と言って、彼女はラークの頬に手を伸ばした。
彼女の小さな白い手は、儚げだ。
「だからラーク、私の元に来い」
「……」
その言葉に、ラークは一時逡巡する。
だが、すぐに思い直してそれを口にした。
「できません」
はっきりと告げると、彼女は一瞬寂しそうな顔をした。
しかしすぐにそれを打ち消して、ふうと息を吐き出す。
「そうか。―――だが時間はある。もしも気が変わったら、私が次に来る時にその意を示してくれ」
言って踵を返すと、ミネアは前王軍の者たちと共に去っていく。
ラークはそれを、ただ見送ることしかできなかった。
「……」
彼女らが見えなくなるまでその姿を見つめていたが、ラークはふうと息を吐き出すと身を翻して門の方へと戻る。前王軍が本気で攻めてくるとなれば、こちらも相応の準備をする必要がある。
考えながら門を抜けて王都の中へ戻ると、そこへ連絡の兵が駆けてきた。
息を切らして向かってきた兵士に、ラークは声を掛ける。
「どうした。急ぎか」
「はい……。早めにお耳に入れておきたく……」
呼吸を整えながら、兵士は周囲を気にするように見る。
街の人々は家に入っており、兵たちはまだ露台の上にいる。近くには二人の他に誰もいなかった。
それを確認してから、兵士はそれでも声を潜めて報告した。
「―――マーシャル様が、負傷されたようです」
「何……!?」
目を見開いたラークは、同じように周囲を確認する。
迂闊に聞かせると要らぬ動揺を招きかねない。
「程度は」
「命に別状は無いとのことですが、今王都へ向けて戻ってきているところのようです」
「そうか……」
一先ずは安堵する。
ラークは、次いで状況を確認する。
「アルバートはどうなった」
「それは分かりません。伝書には深手を負わせたとありますが、生死の確認は取れていないようです」
兵士の報告に、ラークは顎に手をやり考える。
深手を負ったのであれば、少なくとも直近に攻め入られる心配は無さそうだ。
それに同程度の怪我であれば、回復速度は恐らくマーシャルの方が早い。アルバートが再び攻めてくるとしても、立て直すことはできるだろう。
―――とそこまで考えてから、ラークははあと疲れた息を吐き出す。
課題は山積みだ。
「……しかし、やはりアルバートの力は侮れないな」
呟くと、兵士が急に「あっ」と声を上げた。
「い、いえ! マーシャル様の怪我は、『魔女』に負わされたとのことです」
「何だと……!?」
とラークは、再び目を丸くした。
「魔女」と言えば、アルバートも手を焼かされているというクリストンの魔法人のことだろう。
「何故このタイミングに……」
頭痛がしてくるようで、思わず顳顬に手をやってしまう。
前王軍にアルバート、そして魔女―――。
迫るいくつもの危機に、まだ若き指揮者は大きく溜息を吐かざるを得なかった。




