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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第3章 境界の街を目指した彼らは
42/106

42.偽英雄と仲間たち(後編)

 一繋ぎの簡易な布服への着替えを済ませたリンドたちは、宿の地下にある食堂で夕食を取ることにした。

 今日宿を取っている客はリンドたちだけなのか、地下に他の客の姿は無い。


「何か、わくわくしますね!」


 丸テーブルのリンドの向かいの席に着いたニーナは、やや興奮した様子だった。地下空間というのが珍しいのだろう。それはリンドも同じだ。


「ああ、他の町では見たことが無いな」

「―――別に、地上と変わらないじゃない」


 とそこに、フレアが不機嫌そうな声を向けてくる。まだ先の事故のことを根に持っているらしい。


「地下は珍しいだろ」


 そこへ宿の主人もやってきて、声を掛けてきた。


「ここは前線が近いから、いつ戦闘に巻き込まれてもおかしくないんだ。この間も近くで急に爆発があったんだが、そういう時に地下(ここ)へ引っ込んでいれば、家諸共吹っ飛ばされることはないってわけだ」

「ふうん……。あ、もしかして看板が無いのも、戦闘と関係あるんですか?」


 ニーナが問うと、男はうんと頷く。


「店なんてのは、真っ先に狙われるからな。ここじゃ看板は皆出してない。看板出したところで、お前らみたいに立ち寄ってくれる新しい客もほとんどいないしな。基本は既存の客とその紹介客で稼がせてもらってる」


 そう答えてから、彼は「ところで」と話を転じた。


「注文は?」

「エールを……いや、林檎酒はあるか?」


 とリンドは、いつもと違う注文をする。今夜くらいは、多少贅沢をしても良いだろう。

 しかしフレアは、そこへ一声添えた。


「すみません、一つはエールで」

「林檎酒とエールな、了解。食いものはどうする?」

「任せる」


 と答えてから、リンドもまた言い添える。


「―――パンと肉とスープで最安値になるようにしてくれ。できるか?」

「大分縛ってくるな……」


 宿の主人は呆れ顔で言う。だが「分かった」と応えて奥の調理スペースに向かった。


「―――呑まなくていいのか?」


 フレアに問うと、彼女はこくりと頷く。


「明日は大変なんだから、呑んでなんかいられないわ」

「明日が大変だから、今日呑むんだろ」


 言っても、フレアは首を横に振った。

 彼女が要らないと言うなら、無理に呑ませても仕方がない。大人しく引き下がると、そこに林檎酒とエールが先に運ばれてきた。

 ひとまず、それで乾杯する。


「これからの旅に、幸運を」


 リンドが言うと、フレアが少し可笑しそうにくすっと息を漏らす。


「あんた神様は信じないんじゃなかったの?」

「別に神に乞うたわけじゃない」


 とそんな彼女にちろっと視線を流して、リンドは言葉を継ぐ。


「自分たちで取りに行くって宣言だ」

「何でも()いじゃないですか!」


 そこにニーナが割って入り、「乾杯(かんぱーい)!」とその手のマグを突き上げる。それに続いてリンドとフレアもマグを掲げ、三人で互いにそれをこつんとぶつけ合わせた。

 それからマグの中身をくいと呷ると、林檎の酸味ある香りが鼻孔を(くすぐ)り、甘味が舌と喉を潤す。久々に味わう林檎酒はやはり美味だった。

 一方でニーナは「うーん? エールと全然変わんない」と首を傾げている。さらにフレアの方を見やれば、手に取ったマグを呷るか置くかで迷っている。


「乾杯は呑むまでが儀式だ」


 とそんな彼女にリンドは言う。


「祈りなら、食事が来てからすれば良いだろ」

「う、うん、そうよね……」


 それでも若干の躊躇があったが、やがてフレアもエールをくいと呷る。


「美味しい……!」


 と彼女は呟く。エールでも味の差を感じられるらしい。こんな場所だが、少なくとも置いている酒は良いもののようだ。

 くぴくぴマグを傾けるフレアを見ながら、リンドもまた林檎酒を呷る。そうしていると、今度はニーナが別の話を始めた。


「そう言えばさっき宿のおじさんが言ってた爆発って、『魔女』さんがやったっていうアレですかね?」


 ダートの砦に監禁されかかった時に、突然起きた爆発。現場にいた兵士は、それを「魔女」がやったと言っていた。

 恐らくその通りなのだろう。多勢に囲まれても物ともせずに蹴散らす。そんな彼女の姿を、リンドは容易に想像できた。


 ニーナが口にしたその話に、フレアが幾分かむすっとした不機嫌顔になる。彼女の話題は避けたい様子に見えた。

 しかし意外にも、そのフレアの口から話が広げられる。


「リンドは、アリアと結構親しかったんでしょ? ……その、どういう関係だったの?」


 前にも向けられたその質問に対して、リンドは改めて考えながらそれを口に出す。


「『幼馴染』ではあるが言葉ほど馴染みがあったわけじゃないし、『友人』と言うには気心知れてない。『知人』と言うほど浅い関係では無いが、『恋人』と呼ぶような情愛ある関係でも無い……」


 考えても、中々彼女との関係性を表現するのに適切な言葉が見つからなかった。


「好敵手―――とも言えないな。そう呼ぶには圧倒的に俺の力が足りてない」

「そんなに魔女さん強いんですか?」


 問うてくるニーナに、リンドは頷きを返す。


「強い。昔からずっと強い女だった。だから俺は……、そうか」


 とそこでリンドは、思いついた言葉を口にする。


「あいつは俺の『憧れ』だったんだ。憧れて、その背を追おうとしていた」

「していた?」


 とニーナが小首を傾げる。


「今は違うんですか?」

「違う」


 リンドははっきりとそう答える。


「あいつと俺は、目指しているものが違うんだ。だからもう、俺はあいつの背を追わない。自分で自分の道を進む。そう旅立つ時に決めたんだ」


 それをリンドは、自身に言い聞かせるように言った。


「あんたが目指すのは『この世界を終わらせること』だっけ」


 フレアが呟くように言う。その目は過去を思い返すように、どこか遠くを見ていた。


「うん」


 とリンドは首肯する。


「そのために魔法王に会う。会って、魔法について話を聞いてみたい」

「魔法王って、どんな人なんですか?」


 ニーナの問いに、リンドは肩を竦める。


「それをダートから聞きたかったんだが……」


 しかし、それを言っても仕方がない。

 リンドは思い直して、ニーナに言葉を向ける。


「―――俺が知っているのは、魔法王も純人王国(こっち)と同じで『ソートリッジ』っていう王家の人間が代々継承しているってことくらいだな」

「ソートリッジ?」

「クリストンと同じ、魔法原書(まほうげんしょ)を持つ歴史の長い魔法人の家ね」


 フレアがすかさず言った。「クリストンと同じ」の部分を強調しながら。それにニーナは「はあ……そうですか」と鬱陶しそうに相槌を返す。

 そしてやや強引に話題を転換した。


「あーそうだ、ところで魔女さんは『目指しているものが違う』って話でしたけど、魔女さんは何を目指してるんですか?」


 問われ、リンドは十年前に彼女から聞いた言葉を思い返す。


「アリアが目指すのは、『世界を手に入れること』だ。―――俺とは、絶対に折り合えない」

「世界を手に入れるって……、何か童話の悪役みたいですね」


 半ば呆れた様子で言うニーナに対して、リンドも肩を竦めた。


「そうだな。まあ、俺の話に合わせてそう言ったんだと思うが、―――ただ、丸切(まるき)りの法螺(ほら)だとも思えない」


 彼女が話を合わせるために嘘を吐くような人間でないことを、リンドはよく知っているのだ。


「だから何れは、あいつともぶつかることになると思う。そうなるとすれば、魔法王以上に厄介な相手かもしれない」


 リンドは思わず顳顬(こめかみ)を押さえてしまうが、対してニーナはむんと胸を張る。


「大丈夫ですよ! 魔女だって何だって、私がいれば楽勝です!」

「それは頼もしいな」


 半ば呆れ交じりに言って、リンドは酒を呷る。もう半分は本気で向けた言葉だった。

 リンド一人だったならば、魔法王や魔女には太刀打ちできないだろう。だが今の彼には、二人の頼もしい仲間がいるのだ。

 三人ならば、或いはアリアでも超えることができるかもしれない。リンドは今、本気でそんなことを思った。


 言葉を交わしている内に、料理が運ばれてくる。注文通りライ麦パンと鹿の肉料理、そして芋と豆のスープだ。……注文通り最安なのかは分からないが。

 早速食べようと中央の籠に入ったパンに手を伸ばすと、それを横から掻っ攫われた。むっとしてその手を目で追えば、フレアがパンを手に取って勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「私のよ!」

「……一人二個だからな」


 念を押すように言うと、彼女は顔を(しか)める。


「ちょっとくらい譲りなさいよ! 私食べないと戦えないのよ!?」


 ずいとこちらに身体を傾けてリンドの太腿(ふともも)に手を掛け、間近で文句してくる。


「俺だって食うもん食わなけりゃ力が出ない」

「でも戦えるじゃない。私は戦えないの!」


 言葉を返せばぐいと襟元を引っ張られ、眼前でわあわあ騒がれる。

 その言動に若干の違和感を覚えると同時に、彼女の吐息に酸味のある甘い果実の香りを感じた。


「……お前、もしかして酔ってるのか?」


 問うと、彼女はぶんぶん大きく首を振る。


「酔ってないわ、全然っ! だって私エールよ。酔うわけないじゃない!」

「……」


 その態度が全てを物語っているが、リンドは一応宿の主人に訊いてみる。


「おい、こいつに何出した?」

「うん? 何って、林檎酒だろ?」


 案の定、彼はそう答える。


「こいつはエールって言っただろ」

「それはそこのお譲ちゃん用のものじゃなかったのか?」


 それを聞いて、ニーナが「えーっ」と声を漏らす。


「じゃあアレ、エールと変わらないんじゃなくてエールだったんですか!?」

「なんだ、お譲ちゃん用じゃなかったのか」

「……状況は分かった。もういい」


 悪怯(わるび)れる様子も無い宿の主人を、リンドは溜息交じりに下がらせる。確かにこちらの伝達も悪かったので、何も言えない。


「フレアさん返して下さい! それ私のです!」


 ニーナが無茶な注文をつけるが、それにフレアもむっとした顔で返す。


「あんたも私の呑んだんだから、お相子(あいこ)じゃない!」

「相子じゃないです! 私はいつものエールなんだから!」

(うるさ)いなぁ! 細かいこと気にしてると大きくなれないわよ!?」


 客観的には自身も相当煩いフレアが言う。

 対してニーナも憎まれ口を叩いた。


「確かにフレアさんは細かいこと気にしなくて良さそうなお家柄ですもんね。大きく育つはずですよ」

「どういう意味よ!?」


 とそれにフレアが食って掛かる。


「私だって苦労してきたわ! だから今ここにいるんじゃない!」

「あーはいはい、そうですねー」


 そこで話はぷっつり途切れ、ぷいと顔を背ける二人は黙々と食事する。

 明日からの戦いを前にこんなことで喧嘩とはロクでもない。リンドは頭を掻いて溜息吐きながら、どうしたものかと頭を悩ませた。

 しかし彼が口を開く前に、フレアがぽつりと呟く。


「―――でも、今は同じね」

「何がです?」


 ニーナが返すと、彼女はふっと破顔する。


「生まれも育ちも全然違ってるけど……、でも今はこうして一緒にご飯食べてるじゃない」


 言ってニーナを見つめ、フレアはさらに言葉を継いだ。


「私、ニーナのこと好き」


 対して真っ直ぐに目を向けられて少々怯んだニーナは、こそっと目を逸らしながら言葉を返す。


「……いや、私もフレアさんのこと嫌いではないですけど」


 それから誤魔化すように、リンドの方をぱっと見た。


「まあ、リンドさんの方が好きですけどね!」

「それは良かった」


 とリンドはほっと安堵の息を吐きながら言う。いつの間にやら、ニーナとフレアの関係は彼が思うよりずっと近しくなっていたらしい。とんだ杞憂だったわけだ。


 ニーナの言葉に、フレアも反応して声を上げる。


「私もよ! 私もリンドのこと―――、その、リンドのことは……」


 しかし、途中で言い淀む。

 それから、別のことを言った。


「―――リンドは、私のこと好き?」

「……」


 真っ直ぐに向けられるその目に、リンドもまた答えに窮した。

 適当に肯定することも否定することもできるだろう。だが、それは何となく憚られた。

 結局口を()いて出るのは、いつもの定型句だ。


「それを決めるのは、全部終わってからで―――」

「やだ、今答えてよ!」


 としかしフレアは詰め寄ってくる。

 ふいと顔を背けても、彼女の態度は変わらない。


「早く答えなさい!」

「……」


 黙っていると、フレアは酔ってとろんとした目をこちらへ向けたまま静かに告げた。


「……答えるまで、今夜は寝かせないから」


 艶のある台詞(せりふ)だが、じとっとこちらを()め付ける彼女から感じるのは恐怖の方が大きい。


「―――やっぱり、部屋分けた方が良かったな」

「ダメ。逃がさない」


 リンドのぼやきは、もちろん受け付けられなかった。

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