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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第3章 境界の街を目指した彼らは
41/106

41.偽英雄と仲間たち(前編)

 突然強まった雨に、リンドたちはその足を急がせた。

 港町を出てから三日間は、これまでと変わらずしとしとと小雨が降り続いていた。

 しかし四日目の今日、日没も迫る頃になって急に雨脚が強まった。まるで天上の桶に大穴でも空いたかの如く、叩きつけるような強雨。


 幸いだったのは、もう街が目前だったことだろう。

 境界の街。再びそこへ足を踏み入れる。

 今度はただの休息点でない。魔法王国へ突入する、その入口となる。


 このまま夜闇に紛れて突入する方法もあったが、ここまでの道中の疲れを引き摺って敵地に踏み込むのは危険だろう。()してこの大雨に打たれながら進めば、敵に出会(でくわ)す前に消耗してしまう。


 そんなわけで、三人はひとまず宿を取って休むことにした。……しかしながら、この境界の街のどこにそれがあるのかは分からない。

 無骨な石の街並みには、看板が全く見られない。しかも辺りは暗くなる一方で大雨も降っているために、視界も利かなくなってきている。

 故にリンドは街の門で雨宿りしつつ、その門衛の男に問うた。


「この街に宿はあるか?」


 すると男は、つい先ほど確認したばかりのリンドの左手を見て怪訝そうな声を出す。


「砦には行かれないのですか?」

「……ああ、」


 とリンドは頷きを返す。


「あそこには行きたくない」


 砦に行けばまた部屋を借りられるかもしれないが、それは憚られた。端的に言って、ダートと関わりたくなかったのだ。その考えは他の二人も同じようで、宿をどうするかという議題が起こった際にも誰も砦を提案しなかった。


「もしかして、また私たちを連れて来るように言われているんですか」


 嫌そうに問うフレアに対し、門衛は(かぶり)を振る。


「いいえ、何も」

「なら()いんですけど……。ダート・アルバートには私たちが来たこと、伝えないで下さい」


 フレアが念押しすると、門衛の男は困ったように「はあ……」と曖昧に応える。ダートに仕える兵として、その意に背くことができないのは当然のことだろう。

 これ以上そのことで彼を困らせても悪いので、リンドはもう一度問う。


「宿は無いか?」

「ございます」


 と彼は、その問いにはすぐ明確に答えた。


「武器商人たちや兵の護送をしてきた人々が泊まる宿になりますが」


 「兵の護送」とは少々変わった表現だが、先の鍛冶町の事件を思えば納得がいく。ここで言う「兵」とは罪人のことなのだろう。商人の他にそうした罪人を連れて来る人々も、境界の街を訪れることがあるというわけだ。


「その宿はどこにあるんだ?」


 訊くと門衛は、すぐにぴっと街の中を指差す。


「そこの通りを北に進んだ先の、西側の最初の角の建物です」


 説明ははっきりとしている。しかしながら、彼が指し示す「そこ」は雨と迫る夜闇とでぼんやりとしか見えない。つまり、それなりに距離があって遠い。

 普段であれば「遠い」などと形容するほどの距離では無いが、この雨の中を行かねばならないと考えると躊躇(ためら)いも生じる。雨を遮ってくれるものは一切無いのだ。


「……」


 思わず、黙ったまま天を仰いでしまった。隣でフレアも顔を(しか)めている。

 既に強まった雨を幾分か浴びているわけだが、目の前の通りを進むとなるとこれはもう全身ずぶ濡れになることを覚悟するしかない。

 城暮らしの王子と屋敷暮らしの箱入り娘が嫌そうに空を見上げていると、その横を外暮らしに慣れた少女が駆けて行く。


「リンドさん、早く行きましょう! ―――わぁーっ!」


 声を上げながら強雨の中をぱしゃぱしゃ走り抜けて行くニーナは、どこか楽しそうだった。暗澹(あんたん)たる曇天から落ちる打つ者を浸食しそうな雨も、そんな彼女の身体に当たると軽やかに弾けていくように見えた。

 それでリンドとフレアも、いつの間にか彼女を追って雨の中へ出ていた。


 *


 ―――とは言え、濡れるものは濡れる。

 門衛に教えられた比較的大きな石造りの建物へと駆け込んだリンドたちの身体からは、ひたひたと雨水が滴っていた。


「……酷い有様だな」


 と、それを中にいた中年の男が迎える。


「宿屋で合ってるよな?」


 念のため確認すると、男は頷いた。


「ああ。看板は出してないが、宿屋で合ってるよ」


 それを聞いて、ひとまずほっと息を吐く。これで間違っていたら、また雨の中を駆けずり回ることになってしまうところだ。


「―――取り敢えず、何か身体を拭くものを貸してくれないか?」

勿論(もちろん)。そんな状態のままうろうろされたら堪ったもんじゃない」


 リンドの求めに、宿の主人は苦笑いしながらそう返す。そしてすぐに乾いた麻布を棚から引き出して、リンドたちに渡してくれた。


「ひとまずは床に滴らない程度に身体拭いてから、部屋に入ってくれ。そしたら着替えだな。要るだろ?」

「ああ、頼む」


 と答えながら、リンドは早速身体に付いた水滴を大雑把に布で拭う。麻布は水の吸いが良くないが、乾いているし十分役には立つ。

 そうして簡単に滴る雨水を拭き取ると、リンドは腰に下げた袋をがさがさ弄る。


「一泊いくらだ?」


 問うと、宿の主人はその右手の指を四本立てて見せる。


「ベッド四つの一部屋で、銅貨四枚」

「一人銅貨一枚? 馬鹿に安いな。食事は」


 すぐに確認すると、男はふっと苦笑して床を指差す。


「この地下(した)で出してる。別料金だから好きに頼んでくんな」

「……安くは済まなそうだな」


 客が多くない街であり、宿も多くない街なのだろう。故に泊まらねばならない客を部屋代の安さで引き込み、後出しの食事代でがっぽり取るというわけだ。

 リンドたちにしても、この場面で節約のために食事量を減らすわけにもいかない。ここはまんまと術中に嵌まってやるしかあるまい。


「分かった。一部屋取る」


 言って宿の主人の傍のテーブルに銅貨を四枚置くと、彼はやや不満げに念押ししてくる。


「……一部屋で良いのか?」

「ああ、それで問題無い―――」


 と返そうとすると、不意にその袖をくいと引かれる。そこでそちらをちらと見やれば、フレアが布を胸に抱きながら何やらもじもじと言い辛そうにしていた。


「―――その、今夜は別にしない? 何て言うか、あんたに廊下出ててもらうのも悪いし……」


 言われて、リンドはその目を瞬く。


「どうして俺が外に出てなきゃいけないんだ」


 するとフレアの方は、驚いた様子で目を見開く。


「出ててよ! 着替えらんないじゃない!」

「別に()いじゃないですか」


 とそこにニーナが割って入ってくる。


「って言うか、嫌ならフレアさんが廊下に出て着替えれば―――」

「できるわけないでしょ!?」


 とフレアが顔を真っ赤にして声を上げる。そして「なるほど」と手を打ったリンドをじろと睨んでから、さらに言葉を継ぐ。


「―――それに着替えた後も、その……薄着で男性と一緒に寝るのは落ち着かないのよ」


 しかしニーナは、はっと鼻で笑う。


「薄着ィ? えーでも、フレアさんスカート脱いで寝てたこともあるじゃないですか」

「それはあんたの悪戯のせいでしょうが!」


 とそれにフレアが食って掛かる。


「そのことは私まだ許してないわよ!?」


 しかしその声を無視して、ニーナはやれやれとばかりに首を横に振る。


「大体『一緒に寝る』って言ったって、一緒の部屋ってだけじゃないですか。それだけのことで……あれ? それとも一緒のベッドに寝るつもり?」

「違う! 断じて違うっ!」


 言い合う二人を前に、リンドも声を上げる。


「俺にまだ誰かと目合(まぐわ)うつもりは無いぞ。俺が身体を交えるのは―――」

「それはもう何度も聞いた!」


 とそれにフレアが即座に返す。

 ぎゃあぎゃあ騒ぐリンドたちを前に、宿の主人は半ば呆れた様子でしかししっかりもう一押ししてくる。


「そんなに揉めるんなら、やっぱりここは二部屋取って―――」

「いや、一部屋だ」


 だがそれでも、リンドは譲らなかった。特に今夜は譲りたくなかった。


「今夜は、三人一緒に過ごしたいんだ」


 言うと、フレアは不満げながらも口を噤む。一方のニーナは始めから変わらない笑顔でうんうん頷いていた。

 魔法王国に入れば、町の中でも落ち着いて休息を取れるか分からない。そもそも、町に入れるかどうかも分からないのだ。

 故にリンドは魔王王国への突入前夜である今を、三人で過ごしたいと思っていたのだ。


 そんな彼の思いが伝わったのかフレアはもう何も言わず、それで話が纏まった。

 リンドはこちらもやや不満げな宿の主人にテーブルの上の銅貨四枚を改めて示すと、もう一度身体を軽く拭って着替えを受け取り二階の部屋へ上がった。


 取った部屋は広くなかったが、手前側と奥側に二つずつ設置されたベッドの質は悪くないようだった。門衛が真っ先に挙げた宿だ。この街では一番よく使われている場所なのかもしれない。

 リンドに先んじて部屋にてててと駆け込んだニーナは、獣のように頭を震わせて髪に残った水滴を払う。それを見てリンドは、呆れ交じりの声を向けた。


「おい、それじゃ下で拭いた意味が無い」

「えー。でもこっちの方が早いですし……」


 言ってから、彼女ははたと何か思いついた様子でリンドにすり寄ってくる。


「じゃあリンドさんが拭いて下さい」

「どうして俺が―――」

「良いじゃないですか。早く早く、風邪を引いちゃいますよ!」


 その(はしゃ)ぎっぷりからは風邪を引く姿を全く想像できないので、リンドは部屋の手前側のベッドの一方に腰を下ろして言葉を返す。


「風邪って言うなら、俺も早く身体拭かないと引きそうなんだが……」


 ぼやきながら取り敢えず上だけ脱いで、手早く布で水分を拭う。

 しかしそれを聞いていなかったのか聞かなかったのかニーナは態度を変えず、にんまり笑って彼に麻布を押しつけてきた。

 それで止む無くリンドは自分の布を頭に乗せて、彼女の分の布を受け取る。そしてその布で黒髪をわしわし擦ってやると、彼女は「わーっ」と嬉しそうな悲鳴を上げた。

 時にリンドやフレアよりもしっかりしたところを見せるニーナだが、こういう時は本当に子供のように甘えてくる。それはまるで、これまで受けてこなかった愛情を取り返そうとするかのようだった。


「……もう」


 とそんなリンドたちの横を、不満げに口を尖らせたフレアが通る。

 そして通り際に、リンドをじろりと睨んできた。


「絶対にこっち見ないでよ」

「分かってる」


 と返すと、彼女はまだぶつぶつ言いながら奥のベッドの方へと歩いていった。

 それから暫くして、恐らく上衣の前を合わせる布紐をするりと解く音が耳に入ってくる。続く衣擦(きぬず)れの音も気になって、つい意識がそちらに向いてしまう。

 それを誤魔化すように、リンドは目の前の黒髪をがしがし布で拭うことに集中する。それで結果、ニーナのしっとりとした濡れ髪についた水滴は大分拭い去れた。少々乱れてしまってはいるが。


「―――よし」


 と達成感と共に呟くと、彼女は「ありがとうございます」と言って跳ねた髪をくしくしと手で梳いて整える。

 それから、そそくさと腰紐を解く。


「じゃあ次は、身体を―――」

「自分でやれ」


 リンドが面倒臭そうに言うと、彼女は「えー」と不服そうに声を漏らした。しかし彼がさっさと自分の身体を拭き始めると諦めた様子で隣のベッドへ行き、ぐいぐい自分で身体を拭う。そしてすぐに着替えの布服に袖を通した。しっかり拭えているのか若干怪しいが、口出しすると面倒そうなのでリンドは黙って自分のことに集中する。

 するとニーナがててとやってきて、リンドの前でくるりと一回転する。


「見て下さい! これ何か懐かしい着心地です!」


 言われて見れば、一繋ぎの頭と腕を通すだけの衣を身に纏った彼女の姿は、初めて会った時のそれと少し重なる気がした。


「確かにお前が前着てたのと似てるな。素材は間違いなくこっちの方が良いが」

「一言余計です」


 と文句をつけてから、ニーナはその衣の裾を持って令嬢のように一礼して見せる。

 もっともその服に令嬢らしさは無いし一礼もぎこちない真似事なので、全く様にはなっていないのだが。

 しかし彼女はやり切った顔で、訊いてくる。


「どうですか? 似合ってますか?」

「似合って無いことも無い、と思う」


 思ったままにそう答えると、ニーナはやれやれといった風に息を吐き出す。


「似合ってる、で良いんですよ。そんなんじゃ、使用人さんに嫌われてしまいますよ?」


 茶化すようにそう言われて、リンドは頭を掻くしかない。


「……そうだな」


 自分は変わって無い、とリンドは思う。旅立ってから高々三十日弱だ。そう劇的に変わるはずも無い。

 だがそれでも、目の前の少女は確実に変わってきているとリンドは感じる。子供の成長は早い―――などと達観するほど十八歳の青年リンドは老け込んでいないが、しかし一方で彼は既に様々なものに囚われていた。

 何れそれらを受け入れ或いは捨てねば、きっとリンドに成長は無い。だがそんな時が来るのだろうか……と今のリンドはどこか他人事のように考えていた。


 そんなことを思う彼を余所に、少女ニーナは服の具合を確かめるようにぴょんぴょん跳び回り、そしてリンドの横を駆け抜けて行く。

 そうしてその内、置いて行かれてしまいそうだ。そんなことを思って、リンドはその背の方へ走り行くニーナを目で追った。


 するとその視界の先に、目映いばかりの白い背中が映った。薄暗い部屋の中でも、まるで光を放っているかのように白く浮かび上がる(なま)めかしい背中。

 その背を流れ落ちるしっとりと湿った赤茶の髪も、艶めいていた。


「……リンド!?」


 思わずその背に目を奪われていて、彼女の顔がこちらを向いたことに気付くのが遅れてしまった。

 リンドを見るその顔は、明らかに引き攣っている。


(わざ)とじゃない」


 と、リンドは一応釈明を試みてみる。


「ニーナを目で追ってただけだ」

「え、私?」


 不意に名が出てきたことに、ニーナが小首を傾げる。

 本当のことなのだが、実に言い訳がましい。


「言い訳するなぁっ!」


 とずばりリンドの内心を言い当てて、フレアが真っ赤な顔で枕を投げつけてくる。

 背を向けた体勢からでも、彼女の投擲(とうてき)のコントロールは良い。枕は正確に、リンドの顔面を捉えた。


 やはり自分は変わって無い、とリンドは思う。

 今度も命中した枕は思いの外硬く、彼はそれが当たった額を(さす)りながらすごすごと着替えを済ませた。

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