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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第3章 境界の街を目指した彼らは
37/106

37.偽英雄と繋がらない家族

 幾分か明るくなった空は未だ雲に覆われ、しとしと雨を降らせていた。

 そんな雨空の下、港町の門前でフレアが口にした言葉に、リンドは立ち上がって首を捻った。


「家が無かったって、どういうことだ」


 それに対して、フレアは説明を補足する。


「アニー君の家があるはずの場所に、別の家が建ってたのよ。それでそこの住人に話を聞いたら『空き家だったから潰した』って……。信じられる!?」

「―――まァ、そういうこともあるでしょうね」


 不意に傍から淡々とした声がして、見やれば目を覚ましたらしいニーナが座り込んだままフレアを見上げていた。


「あの家はもうボロボロでしたし、そんな家を長く空けてたらこの町の場合潰されても文句言えないですよ。―――ボロボロにしたの私ですけど」

「そんな……!」


 とフレアは憤るが、ニーナはそれ以上何も言わずに口を閉ざす。

 それを見て、今度はリンドが口を開いた。


「アニーは、今どうしてる」

「取り敢えず今は、宿に一緒にいる」


 と答えたフレアは、さらに言葉を継いだ。


「このまま放り出すわけにはいかないし、家族を見つけてあげたい」

「家族?」


 その言葉に、リンドは眉根を寄せる。


「あいつの両親は死んだはずだろ」


 言うとフレアは「うん」と答えて、しかしさらに言葉を続けた。


「実はさっき話した住人のところに、アニー君を訪ねてきた人がいたらしいの。それでアニー君がいないって分かったら『彼が来たらバリスタの家を訪ねてくれと伝えてくれ』って話したらしいわ」


 フレアの言葉に、ニーナがぴくりと反応する。


「まだ他にもバリスタは残ってたんだ……」


 ぽつりと、そう呟くのが聞こえた。

 そんな彼女を尻目に、リンドはふむと腕を組む。


「親族がいたんだな」

「多分」


 と答えて、フレアはリンドの様子を窺うように見た。


「だから今日は、そのバリスタの家を探そうと思うんだけど……」


 承認を求めるような口ぶりだが、別にリンドは自分が全権を握っているつもりは無い。それに、彼も同じ考えを持っていた。故に頷きを返す。


「行ってみよう」


 返事してから、リンドは未だ座ったままのニーナを見下ろす。


「お前はどうする」


 問うと、彼女は視線をこちらへ向けずに答える。


「私は行きません」

「ニーナ……」


 とそれにフレアが咎めるような声を向ける。


「こんなところに座り込んでても―――」

「でも、」


 とそこで彼女の声を遮って、ニーナは言い添えた。


「まァ、気が向いたら行きますよ」

「分かった」


 とリンドはそれに応じる。きっと彼女なりに考えた前向きな言葉だ。ならば、彼女のことは自分の意思で踏み込むまで待ってやるべきだろう。

 ニーナを門の前に残し、リンドはフレアを伴って港町に入った。


 *


 港町は、案外広い。海沿いの土地に広がる領域の大きさは、リンドがこれまでに通ってきた主要な町とさほど変わらない。

 ただそこに建つ家々は、外観から受けた印象通りのものだった。町へ入ってすぐの南北に伸びる主要な通り沿いでさえ、大きさも作りも傷み具合もばらばらな木造建築が並ぶ。その並びも整っておらず、中には通りにはみ出している家もある。お陰で本来直線であったはずの大通りはぐねぐねと曲がりくねって見えた。


 リンドは雨でやや泥濘(ぬかる)み人も(まば)らなその道を、フレアとアニーを引き連れ歩んでいた。


 宿に迎えに行くと、アニーは背を丸めて寝台の片隅で膝を抱えていた。自分の生家が勝手に潰されていたのだ。ショックは大きいに違いない。

 今も俯いていて元気は無いが、それでもしっかりとリンドについてきている。隣にはフレアもついているし、心配無いだろう。


 家を失ったアニーのためにリンドができることは、彼を訪ねてきた者が話した「バリスタの家」を探し出すことだ。しかし、一軒一軒尋ねて回るわけにもいかない。前述した通り、港町は存外広く家の数も多いのだ。

 よって、まずはここに暮らす人々から情報を集めるのが近道だろう。そして効率良く情報を集めるなら、やはり酒場に行くのが良かろう。

 そう結論し、リンドは後背を振り向く。


「酒場は見かけたか?」


 ひとまずフレアに問うと、彼女は首を横に振る。


「見てないと思う。―――アニー君、知ってる?」


 彼女が問いを向けても、彼は下を向いたままだった。

 しかし、小さい声ながら答えは返ってくる。


「……この通り沿いに一つ、あと海沿いに一つはあったと思う」

「―――それなら、海沿いの方に行こう」


 とリンドは即決して、その足を東の海の方へと向けた。

 そんな彼についてくるフレアが、怪訝そうに問うてくる。


「何でそっちなの? 大通り沿いの方が近いと思うけど……」

「まだ朝方だからな」


 とそれにリンドは答える。


「表に面した真っ当な酒場だと、まだ開店してない可能性がある。それに裏手の方が、この時間でも呑んでる人間が多そうだからな」

「……なるほど」


 フレアを納得させると、リンドは一路海沿いの酒場へと向かった。

 酒場はアニーの案内もあったので、すぐに見つかった。今は使われていない船着き場が見える、そのすぐ傍だ。


 港町は他の町と違って、四方を壁で囲っていない。海に面する一方が解放されている。船を迎えるためだったのだろうが、海に陸に上がって来られるような魔物はいないのだろうか。

 考えながら、リンドはその景色を眺める。王都も南の海沿いに位置し王城から海は見えるのだが、こんなにも近くに見ることは初めてだった。潮風の香りや波が浜を打ち付ける音には、思わず気を引かれる。天候が良ければ、もっとその美しさを間近に感じることができただろう。


 海沿いの酒場も、それを売りにしているに違いない。木造の建物の外にもテーブルや椅子がいくつか出されている。

 比較的大きな店構えからして、昔は繁盛していたのだろう。交易が盛んな頃には、その相手国にとってここが玄関口であり表通りだったはずなのだ。

 しかし今、その活気は失われてしまっている。酒場の建物も海風に晒されて大分痛んでおり、もはや手入れされていないことが窺えた。


 そんな酒場の入口付近のテーブルには、中年の男が二人着いていた。麻の簡易な服装からしてあまり良い身分では無さそうだ。或いはここに来るまでにすれ違った人々の身なりから察するに、これが今の港町の標準なのかもしれないが。


 この悪天候の中、屋根があるとは言え外で呑むとは珍しい……と思いながら酒場の入口に近づくと「閉店」の札が掛かっていた。裏手の酒場も、流石(さすが)にまだ開いていないようだ。

 さてどうしたものかと考えていると、傍のテーブルから声が聞こえて来る。


「―――だから、ホントに俺は見たんだって!」

「馬鹿、そんなわけねェだろ?」


 店の開店を待っていると見られる男二人は、何やら言い合っていた。

 その一方が、うっとりとした顔で話す。


「そこの海を渡って来たんだ。亜麻の衣羽織った美人な姉ちゃんでさァ、茶の髪はさらさらだし目は凪いだ海みてェに静かで、―――あれはきっと女神ってやつだな」

「お前……、到頭(とうとう)おかしくなっちまったか」

「―――少し、いいか」


 と、そんな彼らにリンドは声を掛ける。

 すると男たちは、訝しげな視線をこちらへ向けてきた。


「なんだ? ―――あっ、もしかして兄ちゃんも女神サマ見たのか!?」


 その一人に問われて、リンドは思わず頬を掻く。


「……まあ、多分見たことはある」

「ホントか!」


 とそれに彼は嬉しそうな反応を返す。


「綺麗だったよなァ。あれは間違いなく女神―――」

「女神というより、死神に近い気がするが……」


 ぼそりと呟くと、男はそれも拾って言葉を返してくる。


「あー確かに。あんな()に迫られたら、俺ァ一発で昇天しちまうよ!」

「……そういう意味では無いんだが」


 リンドは呟くが、これ以上その話をしていても意味が無い。

 話題を転換した。


「―――ところで、バリスタと言う家がどこにあるか知らないか?」


 問うと、男たちは顔を見合わせる。


「バリスタ? ―――って、あのバリスタのことか?」

「あぁそうか、ここに長く暮らしてる奴しかもう知らねェんだな」


 その口ぶりから、知っていることは間違いなさそうだった。


「バリスタって、有名な家柄なのですか?」


 歩み寄ってきたフレアが問うと、男たちは「おお」と声を上げる。


「綺麗な姉ちゃんだなァ」

「だなァ」

「……あの、聞いてるんですけど」


 フレアがじとっと睨むような視線を向けると、彼らは「すまんすまん」と笑って誤魔化す。悪い連中では無さそうだ。


「バリスタってのは、ここが交易で盛んだった時にその中心になって取引してた商人の家さ」


 と男の一人が説明する。


「今じゃ表だってその名を聞くことも無くなったが、それでも当時の実績から港町の中じゃ一番信用されてる商人だよ」


 その言葉に、目を見開いて一番驚いていたのはアニーのようだった。何も知らされない内に、両親を失ってしまったらしい。

 そんな彼を尻目に、リンドは男たちに再度訊く。


「そのバリスタ家は、どこにあるんだ?」

「町の中心付近にある―――ほら、三角の屋根が突き出てるあれだよ」


 男の指差す先を目で追えば、確かに周りの家々よりも少し大きな建物の突き出た屋根が見えた。港町一の信頼を得ている商人の家と言う話は、嘘では無いようだ。

 リンドは男たちに礼を言って、早速その場所へと向かう。

 その背に、男たちの声が掛けられた。


「―――最後に一つ、聞いてもいいかい?」


 振り向くと、その一人が真剣な顔でリンドたちを見据えていた。


「その子は二人の子供なのか? 一体いくつの時の子供だ!?」

「違います! 私たちのこ……子供じゃ、ありませんっ!」


 ふざけた大人たちに顔を真っ赤にして答えているフレアを余所に、リンドは呆れ交じりの息を吐いてさっさとその場を立ち去った。


 教えてもらった家までは、それほど遠くない。リンドはすたすたとその足を前へ進める。

 そのすぐ後ろでは、フレアがぶつぶつ文句を言っていた。


「何よあの人たちは……! そんなわけないのに!」

「からかわれただけだろ」

「分かってるわよ!」


 指摘すると、何故か怒られてしまった。その理不尽に、リンドはむっと口を尖らせる。


「別に気にすること無いだろ。言われたからって今の俺たちの関係が変わるわけじゃないんだ。俺とお前はまだそういう関係じゃない。何か問題あるか?」

「無いけど。―――え、『まだ』って何?」


 と食い付いてくるフレアを無視して、リンドは黙って前を歩いて行く。そうしている内に、周囲と比べて大きなその家が見える通りに出た。


「―――着いた」

「ねえちょっと、『まだ』ってどういう意味?」


 尚も食い下がるフレアに、リンドはちろっと視線を向ける。


「静かに」

「……」


 不満げながらもフレアが口を噤んだのを確認してから、リンドはその家の戸をこんこんと叩いた。

 しばらく待つと、扉越しに女の声が聞こえてくる。


「―――どちら様でしょうか」

「リンドという者だ」


 と彼は答える。


「アニー・バリスタを連れてきた」


 要件を伝えると、扉の向こうから「えっ」と声が漏らされた。それから、がちゃと扉が開かれる。

 顔を出した中年の女は扉の前に立つリンドを見、その後背に立つフレアを見、そしてさらにその後ろから顔を覗かせるアニーを見た。そうしてそれがアニーだと認識したらしく、彼女は「ああ……!」と言ってその両手を合わせた。


「神のお導きに感謝致します……!」

「連れてきたのは俺たちだけどな」

「余計なこと言わないの」


 冷静に指摘するリンドを、フレアがじろと睨む。それに肩を竦めて応じていると、女がはっと我に返った様子でこちらを見た。


「申し訳ございません。あなた方にも感謝申し上げます。さあどうぞ中へ……」


 彼女の招きに応じて、リンドたちはその家へ足を踏み入れた。

 中へ入ると、リンドたちは大きなテーブルのある広い部屋へ通された。恐らく、食事をする空間だろう。大きな四角いテーブルに並ぶ椅子の数は六つだ。

 リンドたちが席に着かされると、そこへ老齢の男女二人が慌ただしくやってきた。そして先ほどの女と一緒に、席に着く。

 全員が席に着くと、中年の女がリンドたちに頭を下げた。それに続いて、老齢の男女も頭を下げる。


「アニーを連れてきて頂き、ありがとうございます」

「いえ、そんな……」


 恐縮するフレアを余所に、リンドは気になったことを問う。


「どうして今になって探しに来た? そもそも、どうして切り離されてたんだ?」

「それは……その、事情がございまして」


 とそれに対して、女は老人たちの方を窺いながら曖昧に答える。


「リンド、人の家の事情にずかずか踏み込むのは―――」

「最初からこの家にいれば、問題は起こらなかったかもしれない。アニーにしても、ニーナにしてもだ」


 リンドが言うと、女が「ニーナ……!?」と反応を示した。


「ニーナのことをご存じなのですか!? 彼女は、生きているのですか!?」


 それにリンドが頷いて見せると、女は「何てこと……」と呟く。そしてバツが悪そうにこちらを見た。


「……子供たちのことを私たちが知った時、その両親は何者かに殺されていました。子供たちも消息不明だったので、二人も殺されたのだと思っていたのです」

「違うッ!」


 とそこにアニーが割って入る。


「そのニーナが、父さんたちを殺したんだっ!」

「え……!?」


 困惑する女に対して、リンドはちらとフレアに視線を送る。それに応じて、フレアがアニーを落ち着かせた。


「―――話がごちゃごちゃになっている」


 とリンドは溜息交じりに言う。そしてその目を、老齢の男の方へ向けた。恐らくこの場において一番地位の高い人間だ。


「順を追って話をしよう。まずはそちらの経緯が聞きたい」


 言うと、口を噤んでいた老人がふうと息を吐きだした。

 そして、静かに語り出す。


「……私には、二人の息子がいました。今は仕事に出ている長男と、そしてニーナやアニーの父親の次男の二人。長男は真面目な性格でよく働きますが次男の方は遊んでばかりで、私が勘当したんです」

「それでニーナたちはここと繋がらなかったわけか」


 リンドは呟く。


「外で息子を欲しがったのは、バリスタ家の次期当主を作って家に戻るため……ってとこかな」

「恐らくは」


 と老人は答える。


「長男には、今に至るまで子供ができていません。故に次男はそういうことを考えたのでしょう」


 彼の言葉に、中年の女が背を丸くして顔を俯ける。彼女が長男の妻というわけだ。子供ができないことで義父母に対して引け目を感じているのかもしれない。

 彼女の様子もちらと窺いながら、リンドは話を自分の中で纏めて口に出した。


「そして今になってアニーが生きていることを知ったあんたらは、その次期当主を引き取ろうとした……か」


 それでようやく状況を把握した彼は、ちらとアニーの方を見やる。


「良かったな。お前は立派な家柄の後継ぎだ」

「……」


 しかし、アニーの表情は明るくない。

 訝しげに彼に視線を向けていると、老人の方から声を掛けられた。


「あの、それでニーナが両親を殺したというのは……」

「本当だ」


 視線を老人の方へ戻して静かに答えると、彼らは息を呑む。


「あいつは両親に売られて、その復讐のために彼らを手に掛けた」

「そんな……」


 と呟く長男の妻の方を見て、リンドは問う。


「ニーナも引き取るか?」


 しかしその問いに、彼らはすぐに返答を寄越さなかった。

 リンドの想像を裏切ってはくれなかった。


「……あんたらが引き取らないなら、しばらくは俺の傍に置かせてもらう」


 リンドは溜息交じりの息と共に吐いて、席を立つ。


「取り敢えず、アニーは確かに送り届けたから―――」


 と、告げようとしたその時だった。


「アニー君っ!?」


 フレアが叫ぶ。

 しかしその声を聞き終えること無く、アニーは家を飛び出して行ってしまった。


 言葉を失った広い部屋の中は、痛いほどに静かだった。

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