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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第3章 境界の街を目指した彼らは
36/106

36.偽英雄と少女と雨の夜

 降り(しき)る小雨は、今日も変わらず。

 その雨の中、リンドたちは純人王国の東端を目指して旧街道を歩んでいた。


 幸いにして、境界の街は予定通りに出発することができた。

 二つの懸念が解消されたからだ。


 一つは、純人王国軍を指揮するダート・アルバートによる監禁。

 魔女アリアを捕えるために、ダートはリンドたちを拘束しようとした。

 しかし思いの(ほか)早くアリアが動き、結果ダートはリンドたちへの興味を失った。その後フレアが多少騒いだものの、彼の目が再びこちらを向くことは無かった。

 無論のこと、魔法王国についての情報も得られなかった。しかしこれは想定の範囲内だ。リンドは(はな)から、アルバートの支援を期待していなかった。先に言葉にした通り「情報を提供しないと言うなら、それで良い。自分の目で確かめるだけだ」。特に問題は無い。


 懸念は、もう一つあった。ニーナの拒絶だ。

 彼女は最初から、アニーを家まで送り届けることに反対していた。それでも「東の境界の街で情報を得る」という名目をもってそこまでは来た。しかし境界の街から先に、もう名目は無い。目的は「アニーを送ること」それのみだ。

 故に、ニーナからの反発はあった。

 これも想定の範囲内ではあったが、しかしこちらはすっきり解決というわけにいかなかった。先に伝えた通り「行きたくないなら、行かなくていい。境界の街で待っていろ」と繰り返すと、彼女は渋々ながら承諾してついてきた。問題無い―――とは言い難いが、共に境界の街を出ることができただけマシと言ったところだろうか。


 そうして境界の街から東方へ出発して、四日目。日没が近づき辺りが暗闇に呑まれ始めた頃になって、リンドたちはようやくその町―――港町に行き着いた。


「何、あれ……」


 フレアが、半ば呆れ交じりの声を漏らす。「あれ」とは町の門のことだろう。

 その門は木造の小さなもので、他の町に比べて明らかに「質素」で「簡素」なものだった。しかも、門衛の姿も見られない。

 有り体に言って粗末なのは、その門だけに留まらない。町を囲う壁も厚めの不揃いな木板を寄せ集めただけもので、高さはリンドよりも頭一つ高いくらいしかない。縄張りを(おか)さねば襲ってくることは無いが、その気になれば小型の魔物でも突破できてしまうだろう。相手が魔法人であれば(いわん)やだ。襲撃に耐えられる見込みは無い。

 その外観からだけでも、港町という町の現状を感じ取ることができた。


 港町は、その名の通り海を挟んだ他国との交易によって栄えていた町だ。海の向こうの国に最も近いために交易は常にこの町で行われ、町はその利益を独占することができたという。

 しかし魔法王国との戦争が長引く中で、交易相手国はやがて海を渡って来なくなった。港町側には海を渡れるだけの船を造る技術は無く、その結果交易という発展の一本柱に頼り切っていた町は、衰退の一途を辿ることになった。

 町人の多くが職を失い財を失い、その心も荒んだ。益を生まなくなった町からアルバートが離れると、彼らは自分たちの生活を守るために互いの財を奪い合うようになっていった。港町は、事実上の無法地帯と化したのだ。

 盗賊など暗部で生きる者たちの間では今、「自由の町」とも呼ばれているらしい。「自由」とはよく言ったものだ。

 純人王国の東の果ては、自由の果てでもあった。


「門衛も無くて、この町大丈夫なのかしら……」

「まあ少なくとも、俺たちには好都合だけどな」


 門の周辺をきょろきょろ見回しながら呟くフレアに、リンドは言葉を返す。面倒な掌の印の確認は不要というわけだ。

 言うとフレアは「それはそうだけど……」と複雑そうな顔をした。そんな彼女を余所に、リンドは門をぎっと押して中へ入る。

 ところが今度も、すんなりと入ることはできなかった。


「……ニーナ?」


 フレアの声に振り返れば、門の前でニーナが立ち止まっている。


「行くぞ」


 と声を掛けても、その足は動かない。代わりに、その小さな口が動いた。


「―――私は、ここで待ってます」


 凍て付いた表情で下を向きながら彼女が吐いたその言葉に、フレアが声を返す。


「何言ってるのよ。もうすぐ夜よ。少なくとも今日はこの町に泊まらないと―――」

「分かってます」


 とニーナがその声を遮る。そしてさらに言葉を継いだ。


「だから、フレアさんたちは宿に泊まってください。明日町を出る時にここで合流しましょう」

「あんたここで夜を明かすつもり!?」


 驚くフレアに対し、ニーナは肩を竦めて見せる。


「フレアさんと違って、外で寝るのには慣れてますから」

「だからって……」


 と着地点の定まっていないらしい言葉を吐いてから、フレアはリンドの方をちらと見る。それでリンドは、ふうと溜息を吐き出した。


「―――分かった。お前の好きにすればいい」

「ちょっとリンド……!」

「ただ、一つ条件がある」


 言うと、ニーナも視線を上げてこちらを見る。その彼女と視線を合わせて、彼は告げた。


「俺も、ここに残る」


 その言葉に彼女の冷めた目が一時見開かれ、そしてぱちぱちと二、三度瞬かれた。


「えっ、リンド本気……?」


 フレアも驚く様子を見せるが、それに対してリンドは特に表情を変えることなく頷きを返す。


「ああ。悪いが、アニーはお前が送ってやってくれ」

「う、うん。それは良いけど……」


 と応じてから、フレアはバツが悪そうに項垂れて上目遣いにこちらを見る。


「……でも、私は付き合えないわよ?」

「構わない。お前は宿に泊まればいい。―――あまり高いのは無しで」

「分かってるわよ!」


 念のため言い添えるとフレアは噛み付いてきたが、すぐにそれを収めて「……じゃあ、行くから」と小さな声で言った。そして、アニーの手を引く。


「アニー君、行こう」

「子供扱いすんなっ」


 とその手は払うものの、アニーも大人しくフレアについていった。この中で最もアニーから信頼を得ているのはフレアのはずであるし、彼女に任せておけば問題無いだろう。

 リンドは彼女らを見送ると、門の脇に寄り掛かってぺたんと座り込むニーナの近くに同じように腰を下ろした。


「……冷たいな」


 門には、今はもう存在しない番兵の日除け雨除けのための小さな屋根がついている。故に小雨に濡れることは無いが、しかし座った土の地面は思いの外ひんやりと尻を冷やした。


「リンドさんも慣れてないんですから、今からでも中入った方がいいですよ」


 横からニーナが呟くように言う。


「風邪引いたら魔法王を討つどころじゃ―――っくしゅ!」

「お前もな」


 決まりが悪そうに鼻を啜るニーナを尻目に、リンドは首の襟巻を緩める。


「ほら、来い。首を温めると良いらしいぞ」


 誘うが、彼女はふいと顔を背けた。


「ダメです。私はそんなもので誤魔化されません」

「何言ってるんだ」


 呆れ交じりの声を漏らすリンドを余所に、ニーナは懐を弄る。そして薄汚れた麻布を取り出すと、それを首に巻き付けた。見覚えのあるその布は大した長さも幅も無く、首に巻いたところであまり効果は無さそうだった。


「それも俺のだろ」


 リンドは呆れながら呟く。

 それは彼の襟巻から切り取ったものだ。もうしばらく前―――彼女と初めて会った時に、怪我した手に巻いてやったものだ。


「まだ持ってたのか。もう怪我には使えないし、持ってても意味無いぞ」


 言うと、ニーナはそっぽ向いたままふるふると首を横に振る。


「そんなことないです。だって、初めて貰ったものだから」

「服だって買ってやったろ。髪を結ぶ紐だって―――」

「怪我を手当てしてもらったことなんて、無かったので」


 彼女の呟きに、リンドの言葉は止まってしまった。

 特別なことをしたつもりは無い。それなのに彼女は、それをまるで奇跡のように大切に抱いているのだ。


「……お前はもう少し、『普通』に慣れた方がいい」


 呟いて、それからもう一度彼女を手招く。


「分かった、別に取ったりしないからこっち来い」

「……」

「こんなことでお前の気持ちを誤魔化したりもしない。お前が納得しなきゃ、意味が無いんだから」


 言葉を重ねると、ようやく彼女はすすとこちらに寄ってきた。それでリンドは、自分の襟巻の輪の中に彼女の頭も通してやる。

 するとニーナは、ふーっと安堵するような息を吐いてリンドに身を預けて来た。


「―――リンドさんが残ってくれて、ホントは嬉しかった」

「知ってる」


 彼女の告白に、リンドはいつも通りの淡々とした口調で応じる。するとニーナは、ふにゃっと笑って「ですよね」と返した。

 そんな彼女に、リンドは(くだん)の話を向けてみる。


「―――アニー(あいつ)のこと、嫌いか」

「嫌いです」


 声音はいくらか明るくなったが、答えは変わらない。ニーナは即答した。


「どうして」

「私が売られた原因だからです」


 問えば、すぐに言葉が返ってくる。


「あの家にいたかったわけじゃないし結果リンドさんに会えましたけど……、人間じゃなく売り物になったあの瞬間だけは受け入れられません。許せません」

「その原因があいつだから、憎いのか」

「そうです」


 その回答を聞いて、リンドはふむと顎に手をやる。


「……それは、少し間違って無いか?」

「何が」


 ちろっとニーナの睨むような視線を受けて、しかしリンドはいつもの調子で話す。


「原因はお前の父親が息子を欲しがったことだろ。息子を欲しがって、愛人を作った。その結果としてアニーが生まれ、お前は売られた。―――アニーも結果だ」


 ちらと見やれば、彼女は口を尖らせ未だ納得がいかない様子だった。

 そんな彼女に視線を向けながら、リンドは言葉を継ぐ。


「アニーは家を選んで生まれてきたわけじゃない。()して、お前を(おとしい)れようと目論んで生まれてきたわけじゃない。『何にも悪くない』あいつを殺すことは、筋が通って無いと思う」


 以前に彼女から向けられた言葉を使って説くと、彼女は小首をくりっと傾げる。


「スジ?」

「お前流に言えば、『繋がってない』ってことだ」


 言って、リンドはニーナの背の中心線に触れる。彼女の小さな肩がぴくと跳ねた。


「背の骨も頭から尻まで繋がってるだろ。途中で切れていない。物事はそうあるべきなんだ。だが今のお前の考え方は、そうなっていないと思う。―――聞いてるか?」


 反応が無いので様子を窺うと、ニーナは頬を赤くして口に手を当てている。


「どうした」


 問うと、彼女は赤らんだ顔のまま半ば驚いた様子で囁く。


「今知ったんですけど……、私背中弱いみたいです」

「は?」

「背中(さす)られたら、びくってなりました」

「……」


 話の腰を折られて思わずじとっと視線を向けると、ニーナはへへと誤魔化すように笑う。


「ちゃんと話は聞いてましたよ。私の考えはスジが悪いんですよね?」

「通ってない」


 訂正を入れるが、応答は無い。

 それに応えずに、ニーナは小雨を降らせ続ける夜空を見上げていた。


「……分かってはいるんですよ。アレはただ生まれてきただけだって。―――でもその中にあの父親の血が入ってるって思うと、どうしようもなく憎くなってくるんです」

「別に、仲良くしろだなんて言うつもりはない」


 とそれにリンドは言葉を返す。


「―――ただ、憎い父親のためにこれ以上罪重ねて自分を穢すのはやめろ」

「……そうですね」


 とニーナは呟いただけだった。

 そしてそれ以上何も言わずに、ただリンドの身体に身を預けてきた。

 それでリンドも、黙ってそんな彼女の寄る辺になっていた。


 *


 腕に触れる、彼女の身体が温かい。

 彼女も、こちらの温もりを感じているのだろうか。

 ぼんやりする頭でそんなことを考えていたリンドは、その頭を振って覚醒させる。


 いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。

 辺りは幾分か明るくなったように感じる。相変わらずの曇天、相変わらずの雨降りなので、日の昇り具合は分からないのだが。時を示す鐘の音も耳に届かない。港町では鐘も打たないのかもしれない。

 隣を見やれば、ニーナもリンドに(もた)れ掛かってすやすや寝息を立てていた。こんなところで眠ってしまって、風邪でも引かなければいいが。

 そう思ったところで、リンドは自分たちの身体の上に毛布が掛かっていることに気付いた。


「……?」


 眉根を寄せて首を捻っていると、不意に門がきいと音立てて静かに開く。

 そちらを見やれば、見知った顔と目が合った。


「―――あ」


 思わず声を漏らした彼女―――フレアは、しまったと言わんばかりの顔で目を逸らす。

 そんな彼女に、リンドは声を掛けた。


「お前が、これ掛けてくれたのか」

「……まあ」


 と彼女は、そっぽ向いたまま答える。それから、まるで言い訳でもするように付け加える。


「あんたたちが風邪でも引いて無駄な足止めされるのは御免なのよ」

「だから時々見に来てくれたのか」

「時々ね。そんな頻繁には来てないけど」


 くしくし手で髪を梳きながら答える彼女に、リンドは礼を言う。


「ありがとう。お前はちゃんと寝られたのか」

「あんたたちよりかは、大分快適に過ごさせてもらったわ」


 素っ気無く言葉を返すフレアの頬は、ほんのりと赤らんでいた。

 そんな彼女の横顔を見ながら、リンドは話題を変える。


「―――ところで、アニーは無事帰れたのか」


 問うと、急に彼女の視線が地面に落ちた。

 そして彼女は、(かぶり)を振る。


「……ううん」


 表情が暗くなったフレアを怪訝に思って、リンドは問う。


「何があった」


 するとフレアは、こちらを向いてぽつりと漏らした。


「アニー君の家が、……無かったの」

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