34.偽英雄と先代の討伐者
雨降る日暮れ頃の境界の街を、リンドたちは歩んでいく。
門衛から聞いた砦の場所は、すぐに分かった。街の中心部に見える一つだけ出っ張った高い建物だ。
大河を挟んだ向かい側―――恐らく魔法王国側にも、同じような高い建物が見える。相対する二つの砦は、互いにその強さを顕示せんと背伸びする純人と魔法人の姿を象徴しているようだった。
人の姿が見られない陰った石敷きの冷たい通りを抜けていくと、その先に境界の大河が見えてくる。街の中心部だ。
大河に近づくほどに、その荒れた川がざぶざぶいう音と戦線を奏でる音とが大きくなっていく。リンドは徐々に歩調を緩め、大河沿いの大通りに出る手前のところでその足を止めた。彼のすぐ後ろを歩いていたニーナたちも、それに倣う。
建物の陰から大通りの先を窺うと、荒れる大河の上に架かる大きな石橋が見えた。
「あんなところを通らなきゃいけないの……?」
その橋上で小札鎧や鎖帷子を身に纏った兵士たちが剣をぶつけ合っているのを見て、フレアがぼやいた。黒い鎧の純人王国軍と赤い鎧の魔法王国軍が激突しているのは、両国を結ぶ王国東部でたった一つの橋の上。そして魔法王国に入るためには、リンドたちもそこを通るしかないのだ。
戦いは、大きく二つに分かれていた。前線で剣を振るう者たちと、その後方から矢を射るものたちだ。内、魔法王国軍の後方部隊には、横一列に並んで赤く輝く右手を差し伸べる者たちの姿もある。
「氷結!」
彼らが高らかに叫ぶ綺麗に揃った声で、純人王国軍兵士たちの足が鈍る。
すると魔法を謳った彼らは、ざっと後方へ数歩退く。それと同時に、その間を抜けて別の兵士たちが前へ出た。
「燃焼!」
間髪を容れずに、また揃った詠唱が行われた。
第一陣が魔法を放つ間に第二陣が次の魔法を綴り、交代して第二陣が詠唱する間に第一陣がまた魔法を準備する。単純な戦法だが、間を取らずに連続で魔法を放てる利点は大きい。純人相手には効果的な作戦と言えるだろう。
純人相手には。
魔法人たちが呼んだ火炎は純人王国軍を焼くかに思われたが、しかし立所に消失した。
「退魔の力……!」
傍らでフレアが呟く。
リンドの方も、その力を放った男の存在を捉える。
純人王国軍の後方で、白い鎧を身に纏った黒髪の男。頬の一筋の傷跡と顎髭を蓄えた精悍な中年の彼の周りの兵士たちは、まるで戦いを忘れたかのようにぴたと動きを止めていた。
その男こそが、ダート・アルバート。リンドの前に先代の魔法王を討った男だ。
ダートはその戦場の中で、つまらなそうに前方の戦闘を見下ろしていた。
しかし不意に、その目がこちらを向く。目が合った―――と思った瞬間に、その口の端が僅かばかり持ち上がったように見えた。
直後、ダートはすぐにその目を魔法王国軍の方へと戻す。
そして、高らかに叫んだ。
「―――悪魔に服従する者ども! 聞け! 今日はここまでにしておこう!」
その声に応じて純人王国の兵士たちが退き、それに合わせて魔法王国の兵士たちも橋上から自国の領域へと戻って行く。こうした形で停戦するのは珍しくないのだろう。
そんな彼らに向けて、ダートはさらに言葉を継ぐ。
「近く、十三度目の『悪魔狩り』がリンド・アルバートによって行われる! 王の首を守りたくば、精々その矮小な牙を研いでおくことだ!」
彼の言葉に、魔法王国軍がざわつく。
リンドもまた、はあと思わず溜息を漏らした。
そんなリンドの隣で、フレアが怪訝な顔をした。
「何言ってるの、あの男は? あれじゃわざわざ敵の守り堅くさせるだけじゃない」
「だから、それが目的なんだろ」
とリンドは、面倒臭そうに頭を掻きながら言う。
「―――俺への嫌がらせだ」
*
戦いは決着を見ることなく、双方が砦へ退く形で一時的に止まった。
恐らくこれまでもそうして幾度となく、勝者も無い戦闘が繰り返されてきたのだろう。
一進一退を繰り返し、ただ増えるのは犠牲だけ。
そんな不毛な戦いの指揮を現在執っているのが、ダート・アルバート。国王補佐の長男レイドと国王の次男ギルトに続く三男で、即ちリンドの叔父にあたる人物だ。
たった二人で素早く立ち回って魔法王の首を取ったギルト王とは違い、彼は数百の兵団を率いた大規模戦闘によって魔法王城を攻め落とした指揮の才の持ち主である。境界の街での防衛戦の将としては適任と言えるだろう。もっとも当人は、それを不満に思っているようだが。
そのダートは境界の防衛戦に区切りをつけると、砦に戻った。リンドたちも彼の後に続く。
第三階層まである砦の最上階まで行くと、そこには王城の謁見の間を小さくしたような指揮者の部屋があった。ダートはその部屋へリンドたちを招くと、謁見の間における王座の位置にある椅子に腰掛けてこちらを見下ろす。
「―――随分な寄合だな、リンド。祭りに遊びにでも行くのか?」
「何ですかあのおじさん? 殴っても良いですか?」
「止めとけ」
隣から袖を引いてくるニーナを制してから、リンドはダートに言葉を返す。
「どんな宴に呼ばれても平らげられる顔触れだ」
「……それ、私のことを揶揄してるわけじゃないわよね?」
「違う」
もう一方の隣からちろっと視線を向けて来るフレアには、じとっと視線を返した。
ダートも、リンドの言葉に返すことなくその視線をフレアに向ける。
「お前がフレア・クリストンか。―――やはりどこか姉と似ているな」
その声に、フレアがきっと鋭くダートを睨む。
「……姉の話は、止めてもらえますか」
言葉を向けられ、ダートはふっと嘲笑する。
「―――そうか。あの『魔女』は、家族からも疎まれているのだな」
「家族を放って出て行った人のことなんて、もう私には関係ありません」
とフレアは断じて、すぐに話を転じた。
「それより、私たちは魔法王国の現状について聞きたいんです。最近に魔法王国に行っていて今も最前線に立つあなたなら、情勢に詳しいはずですよね?」
その問い掛けに対して、ダートは腕組してやや間を取った。
それから、静かに口を開く。
「……それに関して、私から提案がある。そのためにお前たちを呼んだのだ」
「どういうことですか……?」
と問うフレアの方は見ずに、ダートはその視線をリンドに向けてくる。
「―――私は、お前の魔法王討伐を支援しようと考えている」
「え……!?」
隣でフレアが驚きの交じった声を漏らすが、リンドは反応を返さない。
黙ったまま、彼の次の言葉を待つ。
「魔法王国の状況は、変わった。いや、私が変えたと言っていい。だからこそ、お前に伝えられることがある。それに必要であれば、ここの兵も貸そう」
「―――見返りは?」
ダートが中々口にしないそれを、リンドは先んじて言った。
「それであんたは、何を対価として俺に求める?」
本当にただ支援をするつもりであるならば、魔法人たちを煽るようなことはしないはずだ。
しかしそれをやったということは、支援を必要とするように下地を作りたかったのだろう。
リンドが問うと、ダートは静かに口の端を持ち上げた。
「……いや何、大した話では無い。ただお前が王になった時、私を王都に呼び戻してくれれば良いのだ」
「そして俺は、あんたの言う通りに国を統治するってわけか」
リンドが向けた言葉に、ダートは怪しげに笑んだまま答えを返さない。
それが答えなのだろう。
「―――冗談じゃないわ!」
とフレアが声を上げた。
「それじゃ今と何も変わらないじゃない!」
「変わる」
ダートの低い声が飛んで、フレアの肩がびくと弾んだ。
彼はフレアを―――否、そのもっと先を鋭い眼光で見据えていた。
「ギルトがしているのは、ただの現状維持に過ぎない。これまでの王もそうだ。だから私が落とした魔法王城も捨て置いて無駄にしてしまった。―――だが私は違う。私ならば兵を総動員して魔法王国から境界の街を……その先を、奪い取ることができる」
「……一軍の将らしい意見だな」
とリンドは呟く。そしてさらに言葉を継いだ。
「だが王じゃない」
その声にダートがじろりと視線を向けてくるが、リンドは気にしない。いつも通りの淡々とした口調で言う。
「魔法王国の衰退で民に起こるのは、アルバートへの反感だけだ。アルバートの存在を守るためには、魔法人の脅威が必要なんだ」
言うと、射抜くような視線をこちらへ向けていたダートが、はっと呆れの交じった笑いを吐き出した。
「ギルトに反発してきた小僧も、結局あいつに倣うのか」
その声にリンドは、静かに言葉を返す。
「……違うな。俺は同じ道を歩まないために、あの男を見てきたんだ」
そしてさっさと話に区切りをつけた。
「俺はギルトに与しない。不満を民にぶつけるようなあんたにもだ」
分かっていたことだが、ルーマスの両親を殺したのは間違いなくこの男だ。
リンドはこの場で彼と言葉を交わして、それを確信した。
「情報を提供しないと言うなら、それで良い。自分の目で確かめるだけだ」
リンドが告げると、ダートはつまらなそうにふうと息を吐いて椅子の背にぎっと深く身を預ける。
それから口を開いた。
「……なら仕方が無い。交渉は決裂だ」
そしてその場を後にしようとするリンドたちに告げる。
「休む部屋は与えてやる。後は好きにしろ」
「……」
リンドは、そんな彼を見返す。
そうして、しばし睨み合うだけの時間が過ぎる。その間、ダートの視線は一瞬たりとも揺らぐことが無かった。
それでリンドは、ふうと疲れた息を吐き出した。
「……分かった。今日はここで休ませてもらう」
言って、リンドはその部屋を後にする。
ニーナたちもそれに続いた。
兵士の一人に案内された部屋は、同じく最上階。四つの寝台が並ぶだけの小さな空間だった。客が入る場所では無いのだ。当然だろう。タダで泊まれるだけ有難いというものだ。
しかし、リンドはやや不機嫌そうに寝台に腰掛け、開け放した唯一つの窓から日没間際と思われる雨降る街を見下ろしていた。
「―――リンドさん? どうかしたんですか?」
向かいの寝台からニーナに呼び掛けられて、彼はちらと視線をそちらへ向ける。
「……面倒事に巻き込まれたなと思って」
「あー、分かります」
とそれにニーナがうんうん頷く。
「ホント面倒臭いですよね。助けてやったのに襲いかかってくるし、一人で帰れないし……」
「俺は送ってくれなんて言って無い!」
そこにアニーが鋭く声を飛ばしてくる。
距離を取るためニーナとは斜向かいの寝台にいるが、狭い部屋では大して意味が無い。
「勝手にこいつらが言い出したんだ!」
「あー、そうですよねー。大好きなフレアお姉さんに言われちゃったら、断れないですもんねー」
「ち……違う!」
頬を赤くして返答に遅れる様子を見るに、好いているのは間違い無さそうだった。
一方、件の「フレアお姉さん」はと言うと、リンドの斜向かいの寝台から二人の言い合いを見ていられずに割って入る。
「ニーナ! もういい加減突っかかるのは止めなさいよ!」
「―――何ですかその『もう解決した』みたいな言い方」
としかしニーナは引き下がらない。
「私は納得したわけじゃありませんよ? こんなゴミをわざわざ港町まで捨てに行くなんて時間の無駄ですよ。もうそこの川に捨てて先に進みましょうよ」
「俺はゴミなんかじゃないッ!」
とそれにアニーが激昂し、その手にナイフを取る。
それを見て、ニーナがにやと笑んだ。
「良いですよ。かかってきてくれれば、私は『仕方なく』あなたを殺れますから」
「もう止めてっ! 止めなさいッ!」
フレアが叫ぶ。
そして救いを求めるように、その目をリンドの方へと向けた。
「リンド、何とかしてよっ!」
「……」
リンドはそんな彼女をちらと見て、それからニーナとアニーとに視線を流した。
「……何を言い合おうが、お前らの勝手だ。好きにしろ」
「ちょっとリンド! それじゃあ―――」
「ただ、」
と言って、リンドはフレアの声を遮る。
「殺し合おうってなら、俺が力尽くで止める」
淡々とした平生と変わらない口調だが、今はそれが冷たく響いたかもしれない。
リンドの声に、ニーナもアニーも不満げながら口を噤んだ。
そんな彼女らを尻目に、リンドははあと息を吐き出す。
「……大体、『面倒事』ってのはアニーのことじゃない」
言って、また窓の外を見やる。
「ここに押し込められたことだ」
「押し込められた?」
とフレアが眉根を寄せながら繰り返す。
「……もしかして、さっきの提案に乗るまで外へ出さないつもり?」
「いや、多分そっちじゃない」
とリンドは答える。
「監禁したところで俺たちが提案に乗らないことくらい、あいつも分かってるはずだ」
「なら、他に何があるって言うのよ……?」
問われ、リンドは黙ったままフレアと視線を合わせ続ける。
その沈黙に、フレアが居心地悪そうに身を捩った。
「……何? ちょっと、―――そんなに見ないでよ」
彼女は肩に掛かる赤茶の髪をくしくし手で梳き、落ち着き無く視線を彷徨わせる。
だが、それがリンドの答えだった。
「お前だ。お前を餌にするつもりなんだ」
「え……エサ?」
ぽかんとする彼女に、リンドは補足する。
「お前を囲って、魔女を釣りたいんだ」
「は……?」
その言葉に、フレアは固まった。




