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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第3章 境界の街を目指した彼らは
33/106

33.偽英雄と境界

 宿場町を出て、三日経った。

 リンドたちは鍛冶町を通過して、次の通過点に向かって旧街道を東に歩んでいた。平坦な草原に石敷きの道が続く景色は、王国北部でも変わらない。魔物獣が生息の拠点としている小さな森がぽつぽつと見える遠景も同じだった。


 相変わらず雨は降り続いていた。出し惜しみするかのようにしとしとさらさらと小さな雨粒を絶え間無く撒き続ける灰の雨雲は、未だ広く天に蔓延(はびこ)っている。

 お陰で、時間の感覚が掴みにくい。昼夜の区別が付かないということは無いが、明るくなってからの日の進みが分からないので歩を止める判断が難しかった。リンドには。

 だが、彼女は違っていた。


「―――リンドさん。日が傾き始めましたけど、間に合いますか?」


 隣を歩くニーナの声に、リンドはうんと頷く。


「大丈夫、予定通りだ」


 ニーナは、この天候の中でも太陽の動きを感覚的に捉えられるらしい。

 曰く、「ずっと部屋の中で一日を数えてたから」。

 五年前に売られるまでのおよそ八年間、彼女は部屋に入る僅かな陽光を観察しながら時を数え続けて、その光覚(こうかく)律動(りつどう)が身体に刻み込まれているらしい。


 その一事を取っても、彼女の過去は余りにも壮絶だ。

 未だニーナについてリンドが知っていることは少ないが、それでも彼女がリンドやフレアよりも確実に「生きてきた」ことは間違い無かった。


「……何ですか?」


 思わずまじまじと見ていると、ニーナがくりっと小首を傾げる。


「―――いや、」


 と言って、リンドはその右手で彼女の頭をぽんと優しく叩いた。


「ありがとう」

「……なんですか」


 今度は、穏やかな笑みの交じる声。

 それにリンドは、黙ってまたぽんぽんと頭を叩いて応じた。


 穏やかな時間。

 だが、いつまでもそうしていられる旅でも無い。

 小動物のようにリンドの掌に頭を擦りつけていたニーナが、ぴくと反応する。

 そしてその目が、すっと鋭いものに変わった。


「―――来ます。魔物ですね」


 リンドが感知するのは、その少し後だ。


「……ああ。第二か、或いは第一世代かもしれない。―――フレア、」


 とリンドは後方を振り向く。

 そこにはフレアと、一時同行しているアニーの姿がある。

 フレアの左肩には、今も布が巻かれている。ひとまず傷口は閉じたがまた開いても困るので、念のために今は魔法布(まほうふ)を巻いていた。こういう時、いつでも清潔な布を作れるのは非常に便利だ。リンドの傍ではいつ消えてもおかしくないために使いづらいのが残念だが。


「アニーを頼む」


 リンドが声を掛けると、フレアは頷く。


「分かってる。任せて」


 言って、彼女はアニーを傍に引き寄せる。


「離れないでね」

「……」


 対してアニーは居心地悪そうにそっぽを向きながらも、それに従った。

 三日前には「子供扱いするな」と騒いでいたし、フレアが魔法人であることを知って戸惑いも見せていた。しかし今は、大分彼女に心を許したらしい。「偽英雄」のリンドのことはさて置かれているが、フレアの言うことには大人しく従っていた。

 ニーナが煽らなければ、だが。


「そうですよ。足引っ張らないように気を付けて下さいね」

「うるさい! 俺は守ってくれなんて言って無いっ!」

「じゃ、一人で魔物倒してみますか? あっという間に死ぬのがオチでしょうけど」

「俺だって戦える!」


 言葉をぶつけ合い出す二人に、リンドはふうと溜息を吐きフレアは仲裁に入る。


「ニーナ、()めなさいよ! アニー君も、傍にいて!」


 腕をまわしてアニーをぐいと引き寄せながら、彼女は声を上げる。

 その声は、リンドの方にも飛んできた。


「リンドも! 何か言ってよ!」

「……」


 それに思わず肩を竦ませて、リンドは前を向く。

 そして視線を向けることなく、ニーナに告げた。


「ニーナ、来るぞ。喧嘩は後にしろ」

「はあい」

「後も駄目!」

「離せっ! 近いんだよ!」


 後方で叫ぶフレアと(もが)くアニーを尻目に、リンドは剣を抜く。隣でニーナもナイフを引き抜いた。

 二人が前方へ視線を向けると、その先の小さな森からにゅっと太い枝が突き出てくる。

 否、それは(つの)だ。

 大きな太い角を揺らして森から出てきたのは、大型の鹿。その高さは、角を除いてもリンドより高い。彼が知る鹿の大きさの規格を、明らかに超えていた。


「『ケリュネイア』……。第一世代だな」

「へえ、運が良いですね!」

「悪いだろ……」


 溜息交じりに呟くリンドを余所に、ニーナが先行する。


 三人での戦闘も、何とか板に付いてきた。

 敵を察知し先行するニーナは、相手が弱ければ先手を取って一気に制圧する。ただ今回のようにそれなりに強い相手に対しては、その注意を引きながら周囲を跳び回る。致命傷にならずともその手のナイフで引っ掻き回し、時に蹴付けながら周りを素早く駆け回るのだ。

 彼女の敏捷(びんしょう)な動きに翻弄され、敵―――ケリュネイアは頭を振りながら地団太を踏む。


 次は、リンドの出番だ。

 彼の役は、ニーナが振り回す相手に効果的な一撃を入れること。相手の注意がニーナに向いている間に、確実に効くやり方を考え実行する。今回の場合、ニーナのナイフの入りを見るに容易に両断したり貫いたりはできないだろう。そうなると、やるべきは足を止めること。ケリュネイアの長く太い脚を落とすことはできないが、やりようはある。ニーナの一閃が入った傷口だ。リンドはそこへ向かって狙い澄ました剣先を、全力で突き入れる。

 剣がその刃の半分近くまでずぶりと沈み込み、ケリュネイアは悲鳴を上げて体勢を崩した。


 そこで今度は、フレアに出番が回ってくる。

 リンドやニーナが先行している間に魔法を準備する彼女は、リンドが相手の動きを止めた時を見計らってそれを発動させる。


落石(ローシック)!」


 フレアの声に応じて、ケリュネイアの頭上に大きな岩石が出現する。その大岩は、存在に気付いて顔を上げたがために角を避けてしまった大鹿の顔面を直撃した。

 さらに岩石は、顔から二本の角の間に転がってそこへ挟まる。そしてその重量がケリュネイアの頭を振り回し、太い首を有らぬ方向へ捻った。ごぎと首の骨が()し折れる鈍い音がして、直後ケリュネイアの巨体が傾く。


「うわ、危なっ……!」


 その大きな体が倒れてきて、ニーナが慌てて跳び退く。

 ずんと派手な音立てて地面に伏すと、それきりケリュネイアは動かなくなった。

 リンドたちの勝利だ。


「―――ちょっと危なかったんですけど」


 ニーナがちろっとフレアに視線を向けて文句を言う。


「って言うか、いつもみたいに焼けば良かったじゃないですか。『ヒーネ』でしたっけ? あれで」

「『フィーレ』よ」


 とフレアが呆れ交じりの息を吐く。


「炎じゃ、この雨ですぐ消えちゃうでしょう。―――それに魔法は作るものを想像する感覚が大事だから、余裕がある時に他の魔法も試しておきたいのよ。今回はちゃんと狙い通りになってたわ」

「私を押し潰す狙いだったんですか……悪いなァ」

「違う! 角に引っ掛けて首を折ることよ!」


 引き気味のニーナに、フレアが反論する。


「大体、あんたなら避けるか蹴飛ばすかできるじゃない」

「あんなの蹴っ飛ばしたら足折れますよ。私を何だと思ってるんです?」

「『裏街の喧嘩娘』でしょう?」

「そうですよ。喧嘩娘は岩を蹴っ飛ばしたりしません」


 言い合う二人を眺めながら、リンドは独り()つ。


「……俺に向かって倒れたら、どうするつもりだったんだ」


 しかし文句をつけ合っていても仕方が無い。リンドはいっそ愉快に見えるくらいに言葉を投げ合っている二人の間に割って入った。


「下らないこと言ってないで、行くぞ」

「分かってる!」

「はあい」


 言うと二人は存外素直に応じて、彼の傍へと集合する。アニーも渋々の体だが、しっかりフレアにくっついてきていた。

 傍へ寄ってくると、ニーナが問うてくる。


「リンドさん、大鹿(あれ)どうします? 食べる?」

「食えるか」


 と言ってから、しかしリンドは首を捻る。


「……食えるか?」

「食べなくていいから!」


 フレアが止めに入ってくる。


「大体そんなの解体してたら、夜になっちゃうわよ!」

「―――それもそうだな」


 そう応じて、リンドは諦める。

 フレアのお陰で明日の飯にも困るということは無くなったが、そのフレアが大食(たいしょく)なので余裕があるとは言えない。そのため、ついタダ飯のネタには食いつきがちなのだ。

 それが、純人王国の王位継承順位第二位に位置する王子の現在の有様だった。

 それは扨置(さてお)き。


 未だケリュネイアに執心のニーナを引き剝がし、その大鹿を前に固まっているアニーと彼に声を掛けるフレアを引き連れて、リンドはまた歩き出す。

 若干の足止めを食ったが、目的地は確実に近づいていた。

 その証拠に、眼前に大河が見えてくる。


「あー、川だ。これが『境界の大河』ですか?」


 隣を歩くニーナの問いに、リンドは頷く。

 それが、純人王国と魔法王国との境界線になっている川だ。その上流を辿れば西の境界の町に、下流を辿れば東の境界の街に行き着く。


「何か、(にご)ってるわね。水量も多いみたいだし……」


 後背でフレアが呟く。

 元の姿を見たことは無いが、薄土色に濁りざぶざぶと波立つ大河は、恐らく普段の姿では無いだろう。それほど起伏のある土地でも無いので流れも激しくないはずだが、行き場を失った増水が川縁(かわべり)をばしばし打つので流れも荒く見えた。長雨の影響が現れているようだった。


「これ、『境界の大橋』は大丈夫なのかしら……?」

「橋が落ちることは無いだろ」


 とリンドは、フレアの懸念に意見する。


「……俺たちが呑まれることはあっても」

「やめてよ!」


 冗談のつもりで言ったのだが、本気で怒られてしまった。リンドの場合表情があまり変わらないので、こういう時冗談に受け取られないらしい。

 リンドは肩を竦めながら、川沿いの砂利道へ入る。

 石敷きの旧街道は、ここまで。大河にぶつかって途切れているのだ。(かつ)て―――魔法史の始め頃には石橋が架かっていて、大河を跨いで境界の街まで真っ直ぐに道が続いていたらしいが、川が境界線になったことで橋は落とされてしまった。現在この大河を渡す橋は、境界の街にあるそれ唯一つというわけだ。

 故にリンドたちも他の旅人と同じように、そこから川に沿って作られた若干足場の悪い新街道を使って回り道する他無かった。


 *


 川を跨いで真っ直ぐ進めば一日で着く距離だったが、川沿いを迂回(うかい)したため二日かかってしまった。そうしてようやく日暮れ頃に、リンドたちはその街まで行き着いた。変わらず雨は降り続いているので、茜空が見えるでもなくニーナの感覚頼みな情報なのだが。

 境界の街。魔法王国との境界線になっている大河が中心部を流れ、一つの街の中に両国が存在する特殊な街。西側にも同じ状況の町が存在するが、東側のこの街の方が規模は大きい。

 リンドたちはここから魔法王国へ入る。―――が、まずはアニーを送り届けるため、さらに東の港町まで行く必要がある。故に今回は、一時的な休息地点だ。


 頑強そうな石壁で囲われた街の入口には、もちろん門衛の男が立っている。その身は小札鎧(こざねよろい)で固められていて、他の町の門衛よりも強そうな印象だった。

 門衛の姿を確認して、リンドはその左手の布を取る。またこの布のことで押し問答するのは、面倒なだけで時間の無駄だ。


「両の掌を示して下さい」


 落ち着いた声音で言われ、リンドたちはその掌を彼に見せる。

 リンドの左の掌には黒い龍印と傷、フレアの右手には赤い龍印が確かに刻まれていた。

 しかしその男に、これまでの門衛のような動揺は無い。


「リンド・アルバート様ですね」


 と冷静に対応する。


「ああ」


 リンドが応じると、門衛はすぐに門を開く。

 そして言った。


「ダート・アルバート様が、あなたとの会談を希望されております」

「……会談?」


 と訝しげに言葉を返すリンドに対して、相手は「はい」と応じるだけだ。具体的なことは何も言わない。或いは、彼も何も知らないのかもしれない。

 門衛は詳しい説明をすることなく、話を先に進めた。


「ダート様は現在境界の大橋にて戦線の指揮を取っておられますので、先に砦に入ってお待ち下さい。砦は大橋の延長線上にある一番高い建物です。案内は必要ですか?」

「いや、」


 とリンドは首を横に振る。


「勝手に行くからいい」


 言って、頭を下げる門衛の横を通り抜けた。


 街は、異様な雰囲気に包まれていた。

 石造りの角ばった建物が立ち並ぶその街は魔法王国側も含めれば最大規模なのだが、人影が無いため広いだけに余計に寒々しい印象を受ける。数多く整然と並ぶ建物には、果たして人が暮らしているのだろうか。戦闘が頻発するこの街では、迂闊に外も出歩けないはずだ。そんな街で暮らしているのは、恐らくここへ送り込まれた兵士や罪人くらいのものだろう。


 街の隅の方では人の姿も声も聞かれないが、中心部の方からはざわざわとした騒ぎの音が耳に届いてくる。同時に、金属がぶつかり合う音や爆発音も聞き取れた。それは街の入口付近だと大分減衰している音だったが、静寂に包まれた街の端にはよく響いて今も正に戦闘が起こっていることを知らせていた。


「ダートって、あんたの前に先代の魔法王を討ったアルバートなのよね? ―――リンドがここへ来ることを知っていたのかしら?」


 首を傾げるフレアの前を歩きながら、リンドもまた首を捻った。


「さあな、分からない。『会談』ってのは、ロクでも無さそうで正直気乗りしないが……」


 言って頭を掻くが、しかし逃げるわけにもいかない。


「こっちも聞きたいことはあるし、取り敢えず行ってみるか」


 そう考えを纏めて、リンドはその足を街の中心部に向かって進めた。

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