30.使用人の役目
無事に街での買い物も終え、サーシャの慌ただしい一日にも終わりが近づいていた。
太陽が西に落ちてから、ようやく屋敷に当主グレイが帰ってきた。ギルト王やレイドが進めている魔法に関する研究を手伝わされていると聞いたことはあるが、大分酷使されているようだった。
どんな研究かは知らないが、魔法の研究にクリストンの存在は欠かせないのだろう。純人王国唯一の魔法人の一族だ。その存在は貴重と言える。
しかしながらそのクリストンにも現在魔法人は三人しかいないということを、サーシャは彼らの夕食の場で知った。
「サーシャです。よろしくお願い致します」
共に食事の配膳を行った二人の使用人も見守る中で改めて自己紹介した彼女に、グレイは和やかに応じる。
「よろしく。私はグレイだよ」
その姿は、出立の儀で見た威圧感の強い男の姿とは重ならない。
「家族を紹介しよう」
と言って、グレイは柔らかな物腰で彼女にクリストン家の人々を紹介してくれた。
夕食の席に着いているのは、グレイの他に五人。
先にサーシャに廊下掃除を頼んだ、グレイの妻。
魔法素材を生成していた、彼の妹。それに、妹の夫と弟の妻。弟は、二年前にレイドに殺されたと言う。
そして、グレイの娘。名はフレア。次女だが、長女が消息を絶っているため事実上の次期当主という扱いになっているらしい。
以上が、現在のクリストン家の家族構成だった。つまり、魔法人の血を持つのはグレイとその妹、そしてフレアの三人だけなのだ。
「―――君は、リンド・アルバートに仕えていたんだよね?」
家族全員の紹介を済ませると、グレイはサーシャに問うてくる。
「はい」
と答えると、グレイは柔和な表情で一つ頷く。
「そうか。ありがとう。これからよろしく頼むよ」
その「ありがとう」が、何に対するものなのかは判然としない。逆に言えば、はっきりさせられないことだ。
だからサーシャは、ただ「はい」と深く頭を下げて、それに応じた。
グレイが話を終えると、クリストン家の夕餉が始まる。
クリストン家では、食事の前に祈りを捧げるらしい。彼らは信心深い神教徒のようだった。神というものを信じないリンドがこの場にいれば、面倒臭そうな顔をするに違いない。サーシャは内心でそんなことを思って、苦笑する。
神への感謝を述べた後に、グレイたちは静かに各々食事に手を付け始めた。サーシャを含めた使用人たちが作った料理は豪勢……とは言えないが、肉料理を中心に量だけはある。
魔法人は魔法を使うために、その身の内に蓄えた力を消費するらしい。運動するのと変わらないのだ。詳しいことはサーシャには分からないが、要するに沢山魔法を使うためには沢山食べないといけないということだろう。食事の時間は、クリストンにとって大切な時間ということだ。
給仕のため傍に控えて彼らの食事風景を見ていると、やはりグレイとその妹の食べる量が多い。しかし一方で、娘のフレアはあまり食が進んでいないように見えた。やや俯き加減の彼女は、何か考え事をしているようだった。
それにグレイも気付いたようで、彼女に声をかける。
「フレア? 大丈夫か?」
「え? ―――あ、うん!」
はっと我に返ったような様子で、フレアは頷く。そして自分に活を入れるように頬をぱちぱち両手で軽く叩くと、これまでの分を取り返すかの如く料理を平らげていく。
そんな彼女の姿に何か思う所でもあるのか、グレイはふうと溜息交じりの息を吐いていた。
やがてクリストンの人々の夕食が済むと、使用人たちはそれを片づけて自分たちも食事を取る。
新入りの加入初日ということで、細やかな夕食の場はサーシャの歓迎会の様相を呈していた。
「サーシャさんって、歳幾つ?」
「二十です」
「え、若い! 若いなァ!」
「髪綺麗よねぇ。両親も金髪なの?」
「いえ、父も母も茶髪でした」
「じゃあサーシャさんが特別なんだぁ。いいなぁ、私も金色が良かったなぁ……」
容赦ない質問攻めに微苦笑を浮かべながらも、サーシャはその一つ一つに丁寧に応対する。生真面目な性格の彼女は、問いかけられれば適当に返すことも出来なかった。
そうして一問一答していると、不意に使用人の一人のぼやく声が耳に入った。
「あーあ。今日はもうこのまま寝ちゃいたいなァ……」
「あんたはダメでしょ。夜の見回りがあるんだから」
周りから注意されて、彼女は「分かってるわよォ」と返す。
「でもさ、これまでクリストンが勝手に抜け出そうとしたことなんて無いじゃない? あの人たちだって、アルバートには逆らえないのよ」
「二年前に亡くなったあの方は? ほら、グレイ様の弟の……。あの方はアルバートに反抗しようとして殺されたって、私聞いたわよ?」
「えー、そうなのォ?」
やや話が逸れ出したところで、サーシャは透かさず静かに挙手した。
「―――あの、でしたら今夜は私が代わりに見回りを致します」
「え、いいの?」
と当の彼女は声を弾ませるが、周りの使用人たちがそれを窘める。
「こらこら、サーシャさん今日来たばっかりじゃない。それなのに行成り夜まで働かせちゃ可哀相でしょうが」
しかしその声に、サーシャは頭を振る。
「いえ、来たばかりだからこそ、早く仕事に慣れたいんです」
言うと件の使用人は「良い娘ねェ……!」と涙を拭う演技をして、結局代わってくれた。
*
少々姦しい歓迎会の一時を過ごしたサーシャは、夜の見回りに出ていた。
しかし「見回り」だと言うのに、彼女に命じられたのは灯りを持って屋敷の玄関広間で入口の扉前に立っていることだった。
隣には、ここへ来た時に彼女を案内してくれた長身で黒髪の女の使用人の姿がある。見回りは二人で行い、一人が入口前に立ってもう一人が屋敷内を回ると聞いたのだが……。
「……あの、中は見回らないのですか?」
訊いてみると、その使用人はくあと欠伸しながら答える。
「どうせ出入口はここだけなんだから、ここに立ってればいいのよ」
「でも、それでは二人いる意味が―――」
「こうして話せるでしょ?」
としたり顔で言う彼女を見て、サーシャはあははと苦笑いするしかない。
掃除の具合を見た時にも感じたことだが、やはりここの使用人の仕事はお世辞にも良いとは言えない。
サーシャとしては気がかりもあったので、思い切って声を上げてみることにした。
「私、中を見回ってきても良いですか?」
「……真面目なのね」
と呆れ交じりの声を出す使用人に、サーシャは首を横に振って見せる。
「折角ですし、夜のお屋敷を歩きたいんです」
言うと、彼女は「そう」と言って扉に寄り掛かる。
「ならどうぞ。クリストンの方たちを起こさないようにね」
「はい」
とそれに返事して、サーシャは玄関広間の奥の扉を開いた。
気になっていること。
まず、クリストンの人たちは、黙ってアルバートに従うような人たちだろうか。
グレイを始め、彼ら彼女らには王家の横暴に屈しない気高さのようなものを感じる。フレアなどは、特にそうした反骨精神が強い印象だ。そんな彼らが、大人しくアルバートに従っているとは思えなかった。
次に、「出入口を押さえておけば良い」という先の使用人の言葉。それが引っ掛かった。
確かに外に繋がる扉としては、正面のそれしかない。だが窓だってあるし、黙って従うようには思えないという最初の考えも相俟って、彼らはどこか他に出入口を持っているのではないかと思えた。「これまで抜け出したことが無い」のでは無くて、「これまで気が付かなかった」のではないだろうか。
もっともサーシャは、それを見つけ出して糾弾しようと思っているわけではない。
このままでは、何も伝えられずに擦れ違ってしまうかもしれないと思ったのだ。
サーシャは中庭を囲う暗い廊下を抜けて、その先の階段を上がる。―――と、そこでばったりグレイと遭遇した。
彼は一瞬驚く様子を見せたが、相手がサーシャと分かると小さな声で問うてくる。
「―――もう一人は?」
「正面口の所に立っています」
彼女が答えるとグレイは「そうか」と息を吐いてから、サーシャに頭を下げた。
「昼間は妻が試すようなことを言ったようですまなかった。だが、私たちは自由に動けなくてね。君ならと思って託したんだと思う。許してくれ」
「いえ、そんな……お気になさらないで下さい」
とサーシャが頭を振ると、彼はさらに礼を言った。
「フレアを救ってくれて、ありがとう」
「お力になれたのなら、良かったです」
彼女が応えると、グレイはふっと笑む。
「……リンド君のことは、前から気にかけていてね。その彼から君のことを頼まれてから、会うのを楽しみにしていたんだよ」
「私には、リンド様のような力は何もございませんが……」
言うと、グレイは首を横に振る。そしてサーシャの目を、真っ直ぐに見た。
「思った通りの素敵なお嬢さんで、安心したよ」
それを聞いて、彼女も思わず笑みを漏らした。
リンドの存在を認めてくれる人がいることが嬉しかったし、またサーシャがその従者として相応しいと認められた気がした。
一時の会話を終えると、グレイは「おやすみ」と言って自室へ戻って行く。その声に「おやすみなさいませ」と返して見送ると、サーシャは作業部屋から二手に分かれる廊下の一方を奥まで進んだ。そして廊下の端で、静かに時を待った。
グレイはどこへ行っていたのか。彼女には、何となく分かる気がした。何故なら、恐らくサーシャは今彼と共通する思いを抱いていると思うからだ。
サーシャがそのことを思ってふうと息を吐いていると、不意にきいと扉が開く音が静寂の中に響いてくる。しかしサーシャの視界に、開く扉は無い。戸が開かれたのは、彼女の予想通り反対側の廊下だ。
静かな足音は廊下を進み、階段を下りて行く。それを追って、サーシャも足音を忍んで廊下を階段まで歩む。そしてそこで耳を澄ますと、階下へ下りた足音はそのまま正面の出入口の方へ向かっているようだった。
サーシャの中に、不安と焦りが起こる。
裏口は存在しないのか。このまま正面口へ進むのだとすれば、当然そこに立つ使用人とばったり出くわすことになってしまう。
サーシャは、足早に階段を下りる。そして足音が聞こえた廊下の一方へ行くと、その先で音の主がこちらを振り返って固まっていた。
サーシャは、そんな彼女に先に声を掛ける。
「フレア様、このまま正面口から出られるおつもりですか?」
問うと彼女―――フレアは、ふいと顔を背ける。
厚手の白の上衣と赤のスカート。膝までを覆う長いブーツ。腰には短剣と道具が入った袋―――。
少し夜風に当たりに行く、という格好でないことは明らかだった。
「……あんたには関係無いでしょ」
と言う彼女に、サーシャは問いを重ねる。
「リンド様を追われるのですよね?」
言うと、彼女の身体がぴくと反応する。嘘を吐くのは苦手らしい。
彼女自身も誤魔化せないと悟ったのか、ぐっと歯噛みすると睨むようにこちらを見る。その瞳は、憎悪の炎に赤々と燃えていた。
「邪魔をしないで。止めようとするなら、容赦しない―――」
「リンド様は黒髪で、少し癖毛の方です」
サーシャが唐突にそれを言うと、フレアは訝しげな顔をする。しかし気にせずに、サーシャは続ける。
「旅立つ際には街の職人風の服を着ていかれました。首元には長い襟巻をしてらっしゃいます。剣と……あと左手に布を巻き付けているのも特徴です」
その説明に、フレアは呆気にとられていた。
しかしサーシャは、至って真面目だ。真面目に彼女を導こうとしている。
「正面には、使用人がおります。他の道はありますか?」
問うと彼女は我に返って、しかしやや戸惑った様子で頷く。
「ええ……」
「では、行ってらっしゃいませ」
言って、頭を下げる。そんな彼女の行動に困惑しながらも、フレアはまた歩き出した。
そして廊下の角に差しかかったところで、もう一度サーシャの方をちらと窺う。
そんなフレアに、サーシャはもう一言だけ告げた。
「あの方は、違います」
そう伝えて、訝しげな表情のまま去り行く彼女を笑顔で見送った。
その一言で十分だと、サーシャは思う。
リンド・アルバートという人間のことを長々語る時間は無かったし、例えどれだけ力説したとしても、言葉の上での彼の存在にフレアはきっと納得しない。
会うしかないのだ、彼女が彼を知るには。そしてそれが、きっと彼女の救いになるとサーシャは信じている。リンドには面倒事を押しつけた形だが、それでもサーシャは彼に彼女を救って欲しいと願わずにはいられなかった。
フレアを見送ったサーシャは、彼女が消えた先が気になって廊下の先へ歩む。正面口からではないとすれば他に考えられるのは―――。
としかしその角を曲がったところで、彼女の足はぴたと止まった。
「聞いちゃった」
そこに立っていたのは、ラナ・アルバート。傍らには、正面口に立っているはずの使用人の姿もある。
ラナはつかつかとサーシャに歩み寄りながら、不気味な笑みを浮かべる。
「あんたがクリストンに行っちゃうって聞いてたからさ。私寂しくって、こっちの使用人に様子窺わせてたんだ。―――そしたら早速動いちゃうんだもん」
言いながらサーシャのすぐ前まで迫ってきたラナは、彼女の胸に顔を埋める。
「あぁ、本当に綺麗で良い匂い……。お人形さんみたい」
「フレア様は、どうされたのですか?」
真っ直ぐに前を見つめたままサーシャが問うと、ラナは肩を竦めて見せる。
「知らない。あんなのどうでもいいもの」
「……無事に出られたのですね」
と、サーシャはほっと安堵の息を吐く。ごく自然に、その顔には微笑みまで浮かんでいた。
そんな彼女に、ラナは呆れの交じった視線を向ける。
「何で笑ってるの? あんた今、絶体絶命なのよ?」
「どうしてでしょう……分かりません」
その問いに、彼女は安らかな笑みを浮かべたまま言う。
だが、その胸の内で思った。
きっと、自分の役目をちゃんと果たせたからだろう。
リンドとフレアを送り出す。それがきっと、彼女の果たすべき役割だったのだ。
だから、これで間違っていない。
「……まァ、いいや」
とラナが、ふっと息を吐く。そして、その腰の剣をすらと静かに引き抜く。
薄暗い廊下でも使用人が持つ灯火の微かな光を反射して、その剣はぎらついていた。
「悪いことをしたお人形さんには、罰を与えないとね」
そう口にするラナに髪を引かれ座らされたサーシャは、灯りをふっと吹き消して傍らに置く。そして、その両手の指を絡ませ瞑目し、祈った。
リンド・アルバートとその仲間たちの旅路に、幸運を―――。




