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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第2.5章 王都から旅立つ者たちへ
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27.使用人が見守る出立の儀

 出立(しゅったつ)の儀。

 魔法王討伐の旅に出る者を送り出すアルバート王家伝統の儀式……らしい。サーシャは今回初めて目にするので、詳しいことはよく知らなかった。この城に連れて来られた一年後にもギルト王の弟が旅立ったが、しかし当時の彼女が参列できるはずもなく、また精神的にもまだ不安定でそれどころでは無かったのだ。

 無論のこと、今も家へ帰りたいという気持ちはある。だが、ただ駄々捏ねたところで許されないことが理解できないほどに、もうサーシャは子供でない。じっとその時を待ちながら、彼女はその想いを胸の奥に仕舞い込んでいた。


 頭を下げる権力者たちのその後方で、サーシャもまた礼儀正しく平伏して儀式の始まりを待つ。そんな彼女の頭の先の方で、ギルト王は謁見の間を歩む。

 視線を向けずとも、彼女はその存在を感じ取ることができた。ルイスの酒場に現れたあの日と同じ、全く衰えを感じない威圧感。重々しくゆっくりとした足音が、静かな広間に響き渡る。

 やがてその足音が止み、ギルト王が王座に腰掛ける音が聞こえる。それを待ってから、周囲に合わせるようにサーシャは上体を折ったままそっと顔だけ上げた。


 王座には、ギルト王が座している。白いローブを身に纏い、首からは赤い宝珠を下げ、頭には王冠を載せていた。その容貌は、ほとんど「あの日」見たものと変わらない。ただ一点、髪の色だけが黒色から白色に変わっていた。しかしそのことは(むし)ろ、彼をさらに(うつつ)離れした存在に見せているように思える。髪や衣の白の中で、瞳の黒が異様なまでに際立っていた。

 王座の後方には、王妃シエナとその第二子で継承順位第一位の王子アルトの姿もある。白髪交じりの黒髪を腰にかけてまで長く伸ばしているシエナ王妃は暗い表情で顔を俯け、アルトも硬い表情でリンドを見つめている。厳粛な式ではあるのだろうが、その態度には違和感があった。そこにはリンドが「傷の英雄」であることが関係しているのかもしれない。


 アルトは次男だが、二歳年上の長男リンドが左の掌の黒龍の印に傷を持って生まれた「忌み子」であるために、その王位継承順位が入れ替わっていた。今回のリンドの旅立ちも、その継承順位を返すためのものだ。魔法王を討伐した者は王位継承順位を上げることが通例になっている。彼もそれを成して、継承順位第一位の座を取ろうというわけだ。……表向きには。

 ただ実際のところ、リンドが目指すものは王位で無い。そうサーシャは聞かされていた。彼は「この世界を終わらせる」と言うのだ。―――実に彼らしい、と彼女は思う。

 サーシャはもう十年以上も、リンドに仕えている。だから彼の考え方も、大凡(おおよそ)理解しているつもりだ。

 彼は、この不条理を生み出している力を消し去る方法を探すつもりなのだ。


 サーシャだけが知るリンドの思惑を余所に、出立の儀は始まろうとしていた。


「……一人、足りないようだが」


 ギルト王が、目線を動かすことも無く言う。それに、レイドが溜息交じりに答えた。


「気にしないでくれ。長男(あれ)はまた、クリストンの娘のところにでも行っているのだろう」

「困りますな」


 とそこに、別のところから声が上がる。

 クリストン家の当主グレイ・クリストンだ。白髪の交じる茶髪に気苦労と老化を感じさせるが、その深い皺の刻まれた顔は凛々しく眼光も鋭い。かつてギルト王とたった二人で魔法王討伐を成したと聞いているが、紅色のローブを身に纏ったその立ち姿を見ればそれも納得がいく。


「クリストン如きが口を挟むでない!」


 レイドが一喝するが、グレイは全く怯まない。


「いいえ。これはクリストンの未来に関わることなので、言わせて頂く。現在クリストン家の次代を担えるのは我が娘フレア唯一人。そのフレアに何かあってからでは遅いのです。貴殿らにも不利益なはずだ」


 静かながら強い響きを持ったグレイの言葉に、レイドはただ睨みを返すのみだった。そこに、彼らのやり取りを前にしていたギルト王から言葉が向けられる。


「確かにあの利かん坊は勝手に過ぎるところがある。よく躾けておけ」

「……分かっている」


 言われて、レイドはまたはあと溜息吐きながらそれに応じた。

 話が済むと、レイドは仕切り直すようにふうと長く息を吐き出してから、王座の向かって左隣に立つ。そして宣言した。


「―――ではこれより、リンド・アルバートの出立の儀を執り行う」


 その声に、しかし当のリンドは相変わらず絨毯の上に座り込んで、ギルト王を見据えている。対して、ギルト王も彼を見返していた。

 レイドが言葉を継ぐ。


「まずギルト・アルバート純人王国国王より、お言葉を頂く。リンド・アルバート、心して聞くように」


 そう言ってその懐から蛇腹折りされた古そうな紙を取り出し、ギルト王に渡す。それを受け取って開いたギルト王は、視線を落としてそこに書かれた文言を読み始めた。


「……今この国は、かつて無い危機に瀕している」


 その言葉は、如何にも王国史初期を思わせるものだった。


「魔法王国によって我が純人王国は脅かされ、その土地も人民も王権も奪われようとしている。(しか)れば、今(なんじ)リンド・アルバートに魔法王討伐の任を……」


 とそこで、ギルト王は不意に言葉を切った。そして怪訝な様子を見せるレイドをよそに、その目をリンドに向ける。


「―――リンド、」


 その呼びかけに、彼が目を合わせる。それを待ってから、ギルト王は重々しく口を開いた。


「……覚悟はできているのだろうな?」


 威圧感のある問いかけだった。問いの形をとっていながら、相手に自由な答えを許さないような強い響き。

 しかしそれに対して、リンドは平生と変わらない淡々とした口調で答える。


「当然だ」


 その答えを聞いたギルト王は、ちらと困惑しているレイドに視線を向ける。


「『退魔剣(たいまけん)』をここに」

「待ってくれ、ギルト。段取りが違う―――」

「早くしろ」


 兄の訴えを無視して、彼は一方的に命令する。それで止む無く、レイドは王座後方―――シエナ王妃たちの方へ歩んで傍らに置かれた箱を開き、中から白の装飾の剣を取る。それが魔法王討伐に出る者に受け継がれてきた「退魔剣」であるらしい。

 しかし特別な力があるわけではなく、伝統的に用いられている武具というだけだ。リンドは確か、十三人目。これまで十二人ものアルバートが長きにわたり振るってきた剣というわけだ。手入れはされているだろうが、その経年にサーシャは若干の不安を覚える。


 少なくとも側だけは美しさを保っているそれをレイドから受け取ったギルト王は、視線をリンドに戻す。

 そして、その剣をリンドに向かって放った。がちゃんと音立てて彼の前に転がった剣を見て、レイドの顔が青褪めたのが見えた。


「覚悟があると言うなら、今ここで示してみろ」


 とギルト王は言う。そしてその目を、別の方へ向けた。


「ゼノ。お前が相手をしろ」

「は……?」


 突然声を向けられたゼノは、困惑した様子で声を漏らす。そして、様子を窺うようにレイドの方をちらちらと見た。


「で、ですが、儀式の途中では……?」

「やれ」


 とギルト王は命令する。その隣で、レイドがはあと溜息を吐いていた。


「リンドを打ち負かせたのなら、お前の望みを一つ叶えよう」


 ギルト王がそう付け加えると、ゼノの顔色が変わる。


「望み……? 何でも、でございますか?」

「ああ、何でも構わん」


 ギルト王が答えると、彼の口元がにやと歪んだ。その内心は、想像が付く。

 ゼノという人物は、地位的欲求が強い人間であるとサーシャは見ている。彼はギルト王の直系ではないし、レイドの息子の中でも次男であるため、歯痒い思いをしてきたのだろう。故に、己の地位を高めることに固執している。

 今も、恐らく兄に取って代わってレイド同様国王補佐の座に就くことの確約を得ようとでも思ったのだろう。


「―――承知しました」


 ギルト王に応えて、ゼノは背中の大剣を抜き、広間の中央へ歩む。その先で、リンドも退魔剣を取って立ち上がった。


「早く剣を抜け、リンド」


 ゼノが大剣を両手で構えて、急かす。しかしリンドは、剣身を鞘から抜かない。そのまま右手で構えた。

 それを見て、ゼノが怒りを露わにした。


「私を馬鹿にしているのか……!?」

「別に」


 と言うリンドに、ゼノが襲いかかった。


「『傷の英雄』が私を軽んじるなッ!」


 一気に間合いを詰め、ゼノは大剣を斜めに振り下ろす。

 リンドはそれを後方に跳んで(かわ)した。しかしゼノは透かさず一歩大きく踏み込んで、振り下ろした剣を今度は振り上げる。体格の割に、ゼノの動きは機敏だった。


 斬撃をリンドは剣で受け止めるが、力勝負ではゼノに分がある。リンドの身体は、そのまま広間の壁際まで撥ね飛ばされた。そちらに控えていた権力者たちがさっと列を崩してその場を離れる。床に膝を突いたままのサーシャを除いて。


 リンドは、サーシャのすぐ傍で着地する。それから、ちらと一瞬彼女と目を合わせたように見えた。何か意思のやり取りができるではない、互いの存在を認識するだけの刹那的な視線の交錯。そこに恐らく意味は無い。サーシャもただ見守るだけだ。それしか出来ないのだから。


 リンドはサーシャから離れつつ、ゼノからも距離を取ったまま広間の脇を歩む。

 そこに、ゼノが猛進してくる。同時に、リンドも繰る足を速めた。

 ゼノが真っ直ぐにリンドを見据え、大剣を薙ぐ。それはリンドの腕を斬り落とす勢いで振られ、―――そしてごんと鈍い音を立てて止まった。


 大剣は石柱にその一部を()り込ませていた。ゼノの動きが一瞬止まる。その隙に、リンドが右手の剣を引き即座に振り下ろす。その一撃はゼノが咄嗟に上げた太い腕を打った。

 さらにリンドは素早く振り下ろした剣を握り直して、ゼノの横を抜けると同時に空いた脇腹に一撃を入れた。


 そうして広間の中央へ戻ったリンドは、その退魔剣を腰に差す。


「何をしている!」


 とゼノが叫んだ。


「まだ終わっていないぞッ!」


 しかしリンドは、再び剣を抜くことをしない。


「いや、終わった」


 と一方的に決着を宣言する。


「腕を落とし腹を裂いた。俺の勝ちだ」

「あの程度の斬撃で私の腕は落とせぬぞ!」


 としかしゼノは反論する。


「胴も鎧を叩いていた! 勝負はついておらぬッ!」


 そして、彼はギルト王に抗議する。


「王よ! リンドの裁定は間違っております! 勝負の遣り直しをお命じ下さい!」


 その声に、しかしギルト王はゼノの方を見ずに、ただ冷淡な目をリンドに向けていた。


「その程度の覚悟か。―――下らない」


 とギルト王は、冷たく言い放つ。


「それではお前は何も成し得ない。遠からず路傍に転がることになるだろう」

「やってみなきゃ分からない」


 とリンドが返すと、彼はふうと冷めた様子で息を吐き出した。そして告げる。


「ならば、もう話すことは何も無い。今すぐに出て行け」

「そのつもりだ」


 そう返すと、リンドは踵を返してさっさと謁見の間を去っていく。

 唐突に終わった儀式に、どよどよと広間はざわめく。その中でサーシャは、静々と立ち上がって王座に一礼すると、リンドを追って広間を後にした。


 *


 サーシャが謁見の間を出ると、そこでリンドが待っていた。彼はサーシャが出てくると、開口一番に言う。


「準備する。控室で良いよな?」

「はい」


 とサーシャは答えて、リンドを先導して東の廊下を歩いた。

 歩きながら、後背の彼に向かって訊いてみる。


「……あれで、よろしかったのですか?」

「何が」


 即座に問いが返ってくる。だがそれは、分かっていてはぐらかしている時の言い方だ。

 それでも敢えて、彼女は問いかける。


「お父様と、あのような別れ方をして」

「お前の両親を斬った男だぞ」


 またすぐに言葉が返ってくる。しかしサーシャは、落ち着いた声音を崩さない。


「ですが、あなたのお父様です」

「……」


 今度は、言葉が返ってこない。そんな彼に、サーシャは続けた。


「両親とちゃんとお別れできないと後悔すること、私はよく知っていますから」

「―――お前は、強いな」

「え?」


 振り返ると、彼は視線をこちらに向けず、床に落としていた。


「何で、そんなに強いんだ?」


 言われて、サーシャはまた前を向く。


「……私は、強くないですよ」


 そう答えた。


「弱いから……出来ることが少ないから、それを頑張っているだけです」


 それが、彼の問いに対する答えになっているのかは分からない。ただ彼は「そうか」と言った。そして、サーシャの問いに答える。


「挨拶なら、あれで十分だ。お互い言うべきことは言った」

「……そうですか」


 納得はしないが、理解はした。それで、サーシャはその話を終わりにした。

■登場人物(キャラクターデザイン:たたた たた様)


【ギルト・アルバート】

挿絵(By みてみん)

純人王国国王。国王になる以前にルイスの酒場を訪れ、サーシャを王城へ連れ去った。合理主義者で、無駄な慣習は嫌っているらしい。


【シエナ・アルバート】

挿絵(By みてみん)

ギルトの妻で、即ち王妃。リンドとアルトの母だが、リンドに対しては壁を作っている様子。


【アルト・アルバート】

挿絵(By みてみん)

ギルトの第二子だが、兄リンドが「忌み子」のため王位継承順位第一位の座についている王子。十六歳。母シエナと同じく、リンドに対して良い感情を持っていない様子。


【グレイ・クリストン】

挿絵(By みてみん)

純人王国唯一の魔法人の家の当主。かつてギルトと共に、たった二人で魔法王討伐を成したらしい。

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