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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第2章 鍛冶町に溢れる愛の形は
25/106

25.聖女が知った本当の事

「気にしなくていいんだぞ」


 食事を一段落させて席を立ったリンドに、グルードが声を掛ける。しかし彼は、首を横に振った。


「……邪魔した」


 言って、マストロに続いて階下へ下りて行く。フレアとニーナも、それに続いて席を立った。


「―――あ、そうだ」


 とそこでニーナが何事か思い出したように声を上げた。そして、腰に携えていたナイフを手に取る。


「忘れるとこでした。これ返しますね。結局使わなかったけど、ありがとうございました」


 ニーナがナイフを差し出すと、―――しかしグルードはそれを受け取らなかった。


「旅をするのに何も持ってないって言うから渡したんだ。大切に使ってくれ」

「え、でも私お金持ってませんよ……?」

「お譲ちゃんに()るって言ったんだ。依頼の報酬だ。受け取ってくれ」


 珍しく戸惑うニーナに、グルードはそう言ってくれる。それでも彼女は落ち着かなそうにそわそわして、ちらと不安げにフレアを見上げた。そんな彼女は彼女らしくないが、他方で年相応の子供らしさを感じて思わず微笑んでしまう。


「いいんじゃない。有難く頂戴したら?」


 言ってやると、ニーナは視線を手元のナイフに落として、それから再びグルードを見上げる。

 その顔は、ぱあと華やいでいた。


「ありがとうございますっ!」


 ぺこっと頭を下げると、嬉しそうに小さくぴょんこぴょんこ跳ねる。その様は、見ているとこちらまで嬉しくなってきてしまうくらいだった。もしかすると、彼女はこれまでにそうした贈り物を貰うということがあまり無かったのかもしれない。

 その手に握っているのがナイフでなければ、も少し微笑ましい光景なのだが。

 そんなことを思いつつ、フレアもグルードに感謝の意を伝えた。


「ありがとうございます」

「感謝するのは、こっちの方だよ」


 と彼は返してくる。


「君らの分も何かあれば良かったんだが、生憎(あいにく)具合の()いのが無くってな……」

「いえ! とんでもないです」


 フレアは慌てて声を上げる。このままだと、際限無く甘えてしまいそうだった。


「お気持ちだけで十分です」


 言うとグルードは「そうか……」と呟いて、それでようやく収まりがついたように息を吐く。


「―――まァ、何か困ったことがあればまた寄ってくれ。打つくらいしか能がない人間だが、きっと役に立ってみせるよ」

「ええ。是非また寄らせて頂きます」


 フレアは令嬢らしく淑やかに一礼すると、ぱたぱたルーマスと手を振り合っているニーナと共に鍛冶屋マークスを後にした。


 *


 鍛冶屋を出ると、外はもう日が没して大分暗い。陽光の温かみは遠く、さっと吹く風は火照ったフレアの身体をすっと冷やした。

 フレアたちが出てくるのを待っていたマストロとリンドは、彼女らが姿を現すとマストロを先頭に歩き出した。互いに、言葉を発することは無い。


「リンドさん! これ貰っちゃいました!」


 早速ニーナがその手のナイフをふりふり報告すると、彼は「良かった」と口にする。


「お前の武器をどうするかと思ってたが、―――これですぐにでも次の町へ向かえる」


 その台詞(せりふ)はニーナの話に対する反応だったが、しかし彼女に向けられたものでは無さそうだった。

 他方で先導するマストロも、ちらとニーナのナイフを見てぽつりと呟くのが聞こえた。


「……何を考えてんだ、あいつは」


 そのマストロに案内された酒場は、鍛冶屋マークスからほど近かった。大通りを挟んで向かい側の路地へ入り、その先の角を一つ曲がったそこにある石造りの建物。

 看板は掛かっているが、鎧戸が閉ざされたその小さな酒場は開店しているように見えない。


「……あの、休みなのではないですか?」


 フレアが言っても、マストロは反応を返さない。そのまま店の入り口まで行くと、ぎっとその戸を押し開けた。

 案の定、店の中は灯も入っておらず薄暗く人気が無かった。店主の姿も無い。

 しかしマストロは構わず奥の木製のテーブルの所まで行くと、そこに並ぶマグを取って傍に置かれた酒樽に歩む。


「自分で()め」


 言って、彼は自分の分をマグに注ぐ。


「え……?」


 と困惑するフレアに、彼は説明を補足する。


「酒を呑みたい奴が好きなだけ金を払って呑む。店主は時々その金で店に酒を入れる。―――そういう店なんだよ」

「へぇ……面白いですね!」


 ニーナは興味深そうに言って店内を眺めているが、フレアには理解できそうにない。


「それは、大丈夫なんですか? その、色々……」


 治安や衛生など、気になることはいくつかあった。

 それに対してマストロは、ふうと疲れた息を吐き出しながら答える。


「あんたみたいな()いとこのお嬢さんからすれば、ロクでもなく見えるかもな。―――けど下々の人間も、底辺なりに規則持って暮らしてる。できねェ奴は輪から弾く。そうして案外成ってるんだ」


 言って、マストロはすっと手近な木の椅子に腰掛けた。


「好きな所に掛けな。……丁度よく貸し切りだ」


 言葉を向けられたリンドは、テーブルを挟んでマストロの正面に掛ける。フレアとニーナはその両脇に不揃いな椅子を寄せた。

 三人が座ると、マストロは静かに口を開く。


「……単刀直入に言う。もう(うち)には来ないでくれ」

「え? どうして―――」


 言いかけたフレアは、彼の鋭い視線を受けてその言葉を途切れさせる。


「俺は、旧都の酒場でお前らを見てたんだ」


 と、それはリンドとニーナに向けられた言葉のようだった。


「それで理由は十分だろ」


 その端的な説明で、しかしフレアは察する。

 旧都の酒場で何があったのかは知らないが、恐らくマストロはリンドの正体を知っているのだ。そうであるならば、彼がリンドを遠ざけようとするのも頷ける。

 そう思ったのだが、真横から低く声が上がった。


「足りません」


 ニーナは、睨むような目付きでマストロを見据えていた。


「リンドさんは悪いことしてません。悪いことしてないのにそんなこと言われるのは、納得いきません」

「ニーナ」


 とリンドが制するような声を出すが、彼女は退()かない。


酒場(あそこ)でリンドさんがやったことは全部演技です。だから私は今この人と一緒にいるんです。他の偽英雄と一緒にしないでください」

「……」


 ニーナの噛みつかんばかりの強い口調に、マストロはやや慄いた様子で額の汗をぐいと拭う。ニーナの力量を知っているなら、その反応は当然だろう。()して、隣にはアルバートもいるのだから。

 しかしそれでも、マストロは前言を撤回しなかった。


「グルードの話を信じれば、確かにリンド(そいつ)は違うのかもしれない。―――だがそれでも、あいつをアルバートとは接触させたくないんだ」

「……(わけ)を聞いても、よろしいですか?」


 フレアが声を向けると、彼はふうと長い溜息を吐く。あまり語りたくないのかもしれない。

 しかしそれは彼の中の心の準備でもあったようで、やがてマストロは口を開いた。


「……十一年前に、旧都の酒場で起きた事件を知っているか?」


 マストロの言葉に、リンドだけがぴくと反応した。


「『ルイス』って酒場で偽英雄が店主とその妻を斬って、一人娘を攫った事件だ。―――その妻が、俺とグルードの古い知り合いだったんだ」


 「ルイス」という単語には、フレアも覚えがあった。確か旧都でリンドの情報を得た酒場だ。

 一方ニーナも、それに聞き覚えがあったらしい。


「あぁ……、あの杖突いたおばさんがやってたとこですね」


 その声の音調はやけに低い。あまり()い思い出が無いのだろうか。

 しかし、その声にマストロが反応する。


「お前らエレナのとこに行ったのか……!?」

「用があって行ったんだが―――」


 とリンドが口を開く。


「伝える前に追い出された」

「……何てこった」


 マストロは嘆息する。そしてぎろとリンドを睨み据えた。


「あの日エレナは夫と娘とを一遍に失ったんだ! 自分も足を悪くして……。そんなあいつの前にアルバート(おまえ)が出たら、思い出したくない記憶蘇ってまた傷つくだろうがっ……!」

「……」


 瞑目し反応を返さないリンドを前にして、マストロはふうとまた息を吐き力無く項垂れた。


「あいつは家名も無かった底辺の俺を、グルードと引き合わせてくれた恩人なんだ。今俺がマストロ・マークスでいられるのも、あいつのお陰なんだ。だからこれ以上、エレナを傷つけないでくれ……」


 その声は、悲痛な響きを持っていた。何か慰めの言葉をかけたいところだが、フレアの中に適当な言葉が無いし、彼女がそれを言うこと自体適当でないだろう。

 それでフレアは、隣をちらと見やる。しかし彼は腕を組んで瞑目し、その格好のまま口を噤んでいる。

 ただ、その組まれた手は、強く腕を握り締めていた。

 その彼に声を掛けようとすると、その前にマストロが低い声のまま言葉を向けてきた。


「……グルードも、同じだ。十一年前のあの日傷ついたエレナを前にして、あいつは激しく後悔していた。どうして助けてやれなかったんだって。今でこそああして落ち着いてるが、もしまたアルバートに会いでもしたら―――」


 とそこまで言って、マストロは再びリンドに鋭い眼差しを向けた。


「だから、あいつにはもう会わないでくれ」

「……」


 それに対して、反論する声は無かった。

 そう言われてしまえば、リンドという個人の話は関係無い。アルバートの名それだけで、彼らを苦しめてしまうのだから。

 リンドが背負わされた名は、彼に重く伸し掛かっていた。


「……あんたの言うことは、分かった」


 不意に、リンドが口を開く。その声は、平生と変わらない淡々としたものだ。


「明日の朝には、ここを出る」

「……そうして貰えると有り難い」


 彼から視線を遠ざけ、マストロが言葉を返す。

 その声を待たず、リンドはがたと席を立った。それに合わせてフレアも椅子から腰を上げようとすると、彼がまた声を発する。


「ただ一つだけ、伝言を頼みたい」


 リンドの言葉に、マストロは視線を逸らしたまま応えない。それを肯定と取ってか、彼はその伝言を口にした。


「―――サーシャは生きている。必ず帰るから、それまであんたらは絶対に死ぬな」


 その言葉に、マストロがばっと顔を上げる。フレアもだった。

 「サーシャ」と言えば、家を抜け出すフレアを手助けしてくれたあの金髪の使用人だ。


「俺からは伝えられなかった。あんたが代わりに、上手く伝えてくれ」


 呆然とした顔のまま呼吸するのも忘れているようなマストロに、リンドはそれだけ言ってさっさと店の出口へ向かう。

 それに気付いて、マストロが慌てて声を上げた。


「サーシャちゃんは! あの子は元気なのか!?」


 その声に足を止めたリンドは、ちらと肩越しにマストロを振り返る。そして言った。


「もう子供じゃない。美人に育ってる。少し口煩(くちうるさ)い時もあるが、家族のように接してくれる。風邪はあまり引かない。母親が丈夫に産んだからだろうな」


 淡々と手短にそう答えると、リンドはまた前を向き店を出て行った。

 ニーナもすぐにその後を追って去る。フレアも続いて席を立ち、正面の椅子に座したままのマストロに目を向ける。

 彼は俯きその顔を両手で覆い、嗚咽(おえつ)を漏らしながら子供のように涙をぼろぼろ溢していた。


 マストロを残して酒場を出たフレアは、それを確認して歩き出すリンドに歩み寄って問う。


「あの話のこと、サーシャ……さんから聞いてたの?」

「いや、」


 とリンドは(かぶり)を振る。


「俺は酒場(そこ)にいたんだ」

「え……!?」


 目を丸くするフレアに、彼は訥々(とつとつ)と語った。


ギルト(父親)に連れられて、ルイスの酒場へ行った。父親はアルバートの在り方を俺に示した。―――俺はそれを、今も忘れていない。忘れられない」


 その目はいつになく鋭く夜闇を見据えていて、フレアは思わず息を呑む。

 そんな彼女に目を向けることも無く、リンドは言葉を継ぐ。


「あの日のことを、繰り返し繰り返し夢に見た。俺がサーシャとしてそこにいて、両親をアルバートに奪われる夢だ。……それをアリアは、『兆し』と言った」

「兆し……?」


 唐突に出てきた名前よりも言葉の意味が気になって、フレアは怪訝な顔で呟く。

 すると、不意に彼の顔がこちらを向く。


「……フレア。俺は嘘を言った」

「嘘?」

「俺の旅の目的は、魔法王を討つことじゃない」


 とリンドは言う。


「この世界を終わらせることなんだ。―――だから、俺は魔法王を討たないかもしれない」

「……」


 彼の言葉に、フレアは暫しその目をぱちぱち瞬かせていた。

 しかし、やがてふっと息を漏らす。


「クリストンが自由になるなら、それでも()いわ。やり方はあんたに任せる」


 彼に会ったばかりのフレアなら、今の言葉に激昂していたかもしれない。「世界を終わらせる」だなんて、穏やかな話ではない。

 だが、今のフレアなら分かる。普通、「世界を終わらせる」と「魔法王を討たない」は繋がらない。

 彼が終わらせようとしているのは、一部の人間の異常な力によってそれ以外の人々が翻弄される理不尽な世界なのだ。


 フレアの答えが意外だったのか、今度はリンドが目を瞬かせる。


「……良いのか? それを成すということは、クリストンからも魔法を取り上げるってことだ。安泰な暮らしはできないかも―――」

「リンド、」


 とフレアは彼の口に人差し指を当てて、その言葉を遮った。


「私が望むのは、クリストンの解放よ。保護じゃない。自由に生きたいの」


 そして彼の口を塞いだその手で、彼の首巻きをくいと引く。


「……だから、きっと辿り着くわよ。頼りにしてるんだからね?」


 言うと、それにリンドはこくりと強く頷きを返してくれた。


「ああ」

「私も! 忘れないで欲しいんですけど」


 そこに、ニーナが割って入ってくる。


「分かってるわよ。ニーナも頼りにしてる」

「ふふん。今の私は、前よりもっと強いですから!」


 言って、彼女は例のナイフをしゅっしゅっと振って見せた。それを、リンドが興味深そうに見つめる。


「……良さそうなナイフだな」

「いいでしょう? でも、私のです!」

「あんたの分は無いわよ」


 とフレアも隣から声を向ける。


「―――けど、困ったらいつでも寄ってくれって。力になるって。だから……」


 とそこまで話してその先に迷っていると、リンドの方が口を開く。


「ああ。―――頼もしいな」


 その刹那。彼の口元が、ほんの少し緩んだように見えた。

 フレアが瞬いたその後には、もういつもの無表情しか無かったが。


 そうして三人は、鍛冶町の夜を、打ち出祭りの夜を、ここにしかない一時を、語り合いながら歩いた。

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