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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第2章 鍛冶町に溢れる愛の形は
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22.聖女と偽英雄の共闘

 賑わう祭日も、気付けば日暮れが近づいていた。

 フレアとリンドは、鍛冶町東部にある祭りとは縁遠い鍛冶屋組合の倉庫の一つを訪れていた。ニーナがオリバーをつけて辿り着いたと言うのが、鍛冶士グルードの話にも出てきたこの倉庫だったのだ。


 関係者以外は立ち寄ることも無い静かな通りに並ぶ石造りの倉庫は全部で五つあり、内フレアたちの前に建つそれは非常用の素材を確保しておくために用いられているらしい。故に人の出入りは他の倉庫に比べると少ないという話をグルードから聞いた。

 倉庫内部は二階建てになっているらしい。盗難を防ぐため一階に窓は無く、二階にも小さな鎧戸が一つあるだけ。換気の際には入口の戸と二階の小窓を開け放して空気の流れを作るとのことだった。

 よって、入口の戸を開かない限りは中の様子を窺うことができない。


「―――それで、これからどうするの?」


 フレアが問うと、リンドは剣の鞘を腰に括りつけている布紐を解きながら答える。


「二人が事を済ませる間に、こっちもけりをつける」

「けりつけるって……、相手が何人いるかも分からないじゃない。―――しかもあんたソレで戦うんでしょ?」


 彼女はリンドが右手に握る鞘に収まったままの剣に視線を向けながら言う。安易に殺傷しない心意気は見事だが、恐らく本気で殺しにくる相手に手加減などして果たして無事でいられるのだろうか。

 退魔の力だって、恐らく使わない気だろう。その意思に共感はできるが、同時に彼は自分の力をあまりに縛り過ぎているように思えてならない。そのことでフレアは一抹の不安を感じていた。

 しかし当の本人はそうした懸念を持っていないようで、普段通りの淡々とした口調で返事する。


「問題無い。お前のことは、俺がちゃんと守る」


 言って、彼は倉庫の入口へ向かって歩んでいく。


「あんたの心配をしてんのよ……」


 思わず顔を逸らして呟いた声は、きっと彼には届いていまい。

 そんな彼はフレアを置いて、一人倉庫の扉の前に立つ。


「ねえ、何か作戦とか―――」


 彼女が問う間は無かった。リンドが眼前の扉をがんと思い切り蹴飛ばしたのだ。

 大きな音を響かせて、木製の倉庫の戸が軋む。鍵は掛けられているが、何度もがんがん蹴りつけられればその扉も徐々に内に向かって湾曲していく。

 グルードに鍵は借りなかった。貰ったのは、蹴破る許可だけ。リンド曰く「無計画な風の方が都合が良い」のだそうだ。連絡はちゃんと回っているようで、入口をがしがし音立てて蹴るリンドを止めに来る者は無い。


 リンドの容赦の無い蹴り込みに遂に倉庫の戸がへし折れ、ぎいと頼りなさげな音を立てて開く。折れた扉の一部は倉庫内に飛び、中に溜まった(ほこり)を外へぶわと吐き出させた。

 しかし、中からの反応は無い。不気味なほどに静かだ。本来の倉庫であれば、その状態こそ正常と言えるわけだが。


「場所間違えた―――ってことは無いわよね……?」


 入口に立ったままのリンドに歩み寄りながら、フレアは思わず疑念を口にする。リンドの様子を見る限り、彼の視界の中にも違和感は無いようだった。もっとも薄暗い上に(うずたか)く素材が入った木箱が積まれている倉庫では、入口からその全容を見渡すことなどできないだろうが。


 すると、リンドが入口傍の小さな木箱をがんと蹴り上げる。蹴飛ばされた木箱は奥に積まれた木箱にぶつかって、その高い壁の一角をがらがらと崩した。派手な音が響き、埃が舞い上がる。


「あんたね……。後で怒られるわよ……」


 呆れ交じりの声を向けると、彼は別のことを言った。


「あのオリバーとかいう男がここに入ったのは見えたんだ。出なきゃ火でも入れて(いぶ)せば出てくるだろ」


 リンドらしからぬ乱暴な物言いだ。しかしだからこそ、フレアには理解できる。

 彼が既に火を放ち煽っていることを。

 その火が相手に点くまでには、そう時間は掛からなかった。


「お(にー)さん、火遊びは良くないなァ」


 フレアの位置からでは、薄暗いリンドの背中の向こう側にその姿を見ることはできない。それでも、その声が誰のものであるかは十分に理解できた。


「何、つけてきたのここまで? 趣味が悪いよ」

「あんたがいかにも金持ちそうに見えたからな」


 とリンドが淡々と応える。


「北の区画じゃ、その恰好は目立つぞ」

「お互い様だろ、そりゃ」


 と彼―――オリバーは言葉を返してくる。


「―――それで、俺から金目のもん奪おうってか? (ひで)ェな、おい」

「こんなところに潜んでるんだ。どうせあんたもアコギな稼ぎ方してるんだろ」


 リンドの声に、向こうから言葉は返ってこない。代わりに、ふっと息を漏らす音が聞こえた。姿は見えないが、キザったらしく肩を竦めているに違いない。

 その沈黙に何となく不気味なものを感じて、フレアは透かさずその胸の前で十字を切った。

 すると再び、オリバーの声が耳に届いてくる。


「……大体合ってる。正解だよ、(にー)ちゃん」


 その声は静かながら、よく通る凄みのある声だった。


「―――ただな、俺に突っ掛かったのは間違いだぜ。うちは、個人の物取りとは違うんだから」


 彼がそう言うのとほぼ同時に、倉庫の中が突然ざわつき出した。

 不意にリンドが、後方―――倉庫の外へと跳び退く。


「フレア!」


 その呼び声に含まれる意が「避けろ」なのか「守れ」なのかは分からない。ただそこでフレアが取れる行動は、既に一つに定まっていた。


氷結(イーシェ)!」


 フレアの詠唱で、リンドと倉庫の入口との間に氷の壁が即座に完成する。と同時に、その壁にがつがつと何かがぶつかる音がした。恐らくは矢だ。フレアの作った氷壁は、リンドを弓矢の射撃から守ったのだ。


 適切な判断。そのはずだ。―――しかしよく考えてみれば、フレアにはリンドを援護しないという選択肢もあるはずだった。この状況を利用してリンドを追い詰めれば、或いは彼を人質にギルト王と交渉するという当初の目的を果たすこともできるかもしれない。

 しかしフレアは、すぐにその選択肢を捨てた。彼女にとってリンドという人間は、既に忌むべきアルバートの内に無かった。


「これで、良かったのよね?」


 フレアが問いかけると、リンドは首を捻る。何ぞ不満でもあるのか訊こうとすると、それよりも早く号令がかかった。


「開けっ!」


 その声に、リンドが眉を(ひそ)める。


「……使われたか」

「どういう意味?」


 言葉を向けると、リンドはくいと倉庫前の氷壁を顎で示す。


「あれは俺らを守るだけで済まなかったってことだ」


 倉庫前にフレアが立てた壁は、逆にそこから出てくる男たちの姿も隠していた。出所を叩く戦法を自ら封じさせられた形だ。


「私の失敗……?」

「そうは言って無い。―――相手が思いの(ほか)厄介かもしれないって話だ」


 言葉を交わしている内に、倉庫の外に荒くれ者たちが展開する。数は十。皆弓を構え腰には短剣を携えている。

 そして、彼らの後からぬっと姿を現したのがオリバーだ。彼の指揮の下で、男たちはその弓に矢を(つが)える。


「あれ、防ぎ続けられるか?」


 リンドの問いに、フレアはふんと息を吐く。


「当然でしょ」


 そしてすぐに、その指先で呪文を綴り始める。氷壁では不十分。もっと堅く―――。


「やれ!」


 オリバーが掛け声した時には、既に準備が整っていた。相手の声とほぼ同時にフレアは(うた)う。


製鉄(イローネ)!」


 その言でフレアたちの前面には鉄の壁が出現し、十の矢をがんと弾いた。


「これで()いんでしょ?」


 問うと、彼は「ああ」と答える。しかしその身は、既に鉄壁の向こう側を窺っていた。


「ここで持ち堪えられるな?」

「できると思うけど……あんたはどうすんのよ」

「斬り込む」


 と彼は端的に答えると、勢いよく壁の向こうへ飛び出した。―――その手の剣を、未だ鞘の中に収めたまま。


「何が『斬り込む』よ……」


 思わず呟きながら、フレアもそちらを窺う。壁から飛び出したリンドに向かって、オリバーとその他半数が武器を短剣に持ち替え襲い掛かっていた。一方で残りの半数は未だ弓を構え、こちらへ向けてまた矢を番えていた。フレアは慌てて壁の陰に身を隠す。直後、がんがんと再び矢が鉄壁にぶつかり音を立てた。


「もうっ! 分断されてちゃ相手の思う壺なんじゃないの―――!?」

「出てきてくれて好都合だったよ」


 フレアの声と重なる様にして、リンドと剣を交えるオリバーの声が耳に入った。


「クリストンを自由にさせると厄介だからな」

「始めから分かってたみたいだな」


 荒くれ者たちに囲まれ剣を交えながらも、リンドの声は常と変わらない。その彼にオリバーが応えた。


娼家(あんなところ)如何(いか)にもなお嬢サマ一人なんて、怪し過ぎるだろ。しかも彼女、俺に刃向かおうとした。何かその手段があるんだと思ったね」


 フレアが魔法人―――クリストンであることは、娼家で最初に会った時点で勘付かれていたようだ。

 オリバーは、さらに言葉を継ぐ。


「それに君らの部屋を訪ねようとしたら、急に恐怖心を掻き立てるような感覚に襲われてさ。―――あれが『退魔の力』なんだろ?」


 リンドがアルバートであることも知れている。否、リンドがアルバートであると確証を得たからこそ、同行するフレアがクリストンであることも確信したのだろう。何れにせよ、既に二人とも素性は丸裸というわけだ。


「それで警戒してたのにつけられたのは(しゃく)だけど、君らと殺り合うことになる可能性は考えてた。だから今更驚くことなんて無いが、―――なァ、退魔の力を使わないのは何故だ? やっぱり彼女の魔法を無効化してしまうことを恐れてるのかな?」

「……」


 オリバーの問いに、リンドは答えない。答える気が無いのかもしれないし、また答えるだけの余裕が無いのかもしれない。何しろ数的に不利であるし、場数でも相手の方が上だ。その上リンドは剣を抜かない。斬れない長物では相手を倒すにも精密さが要るし、何より相手に抱かせる恐怖心が圧倒的に弱い。精神的にも不利な状況を生んでいるのだ。

 だが、それでもリンドは信念を曲げない。それで実際に男たちを次々に伸していくのだから恐ろしい。敵にはしたくない人間だ。


 自分も負けていられない―――とフレアが鉄壁の向こう側に目を向けると、弓を構えていたはずの男たちが短剣に持ち替えこちらへ駆けてきていた。

 ぎょっとしながらも、フレアは努めて冷静に素早く新たな魔法を構築する。


氷結(イーシェ)!」


 フレアの詠唱で、その傍まで接近してきていた彼らの足下から氷塊が発生する。すっと伸びた氷塊は男たちの腹の辺りを強打した。それで幸いにして、五人全員がフレアの目前でがくりと崩れ落ちる。

 フレアはふうと息を吐いて、その視線をもう一つの戦いの方へ向けた。


「あとは、あんただけよ……!」


 リンドと打ち合っているのは、もうオリバーただ一人だった。支援を考えるが、間を詰めて戦うオリバーだけを狙うのは()しものフレアでも難しい。彼女は瞬間に備えて右手に意識を集中したまま、二人の勝負を見守る。


流石(さすが)にアルバートだな。綺麗な剣術しやがる……」


 オリバーがぼやくように言う。


「技術じゃ、俺に勝ち目はねェな―――!」


 その言葉と同時に、オリバーが振り薙いだ短剣が空を切る。そしてまた、リンドの鞘に収まったままの剣が彼の腹を打ち据えていた。それで、オリバーの身体はふらと崩れる。

 しかし、その目はまだ鋭い眼光を放っていた。


「―――技術だけならな!」


 その声で、リンドがはっと剣を構え直す。フレアも地面にばんと手をつき顔を上げたオリバーを見て、―――背後の動きに気付いたのはその後だった。

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