19.聖女と鍛冶士の依頼
「まあ、取り敢えず食ってくれ」
そう言って、グルードはテーブルの上に料理を並べる。
その態度からは、慎重さが窺えた。
机上に用意された食事は、フレアの食欲をそそった。
中央の大皿にこんがりと焼かれた鳥肉。一緒に野菜が添えられている。そして傍の籠には、平たい形のパンが積まれていた。
「ではでは―――」
「ちょっと待って」
パンに手を伸ばそうとしたニーナを、フレアは呼び止める。
気になっていたことを伝えるためだ。
「食事の前には、神様にお祈りした方が良いわよ」
「えー……」
露骨に嫌そうな顔をされたが、彼女は構わず続ける。
「あんた真面な教育受けられてないんでしょう? 色々学ぼうってことなら、神教も身に付けておくといいわ。神様のご加護も受けられるし、育ちも良く見える」
「でも、育ち良いリンドさんはもう食べてますよ」
それを聞いて隣を見やれば、リンドがくいとエールを呷っている。
「ちょっと! 私の話聞いてた!?」
言うと、彼はこちらを見て首を捻る。
「うん? 俺もか」
「そうに決まってるでしょ! あんたがそんなだから、その子もだらしなくなっちゃうのよ!」
文句を付けると、リンドは面倒臭そうに息を吐いた。
「神なんていないし、加護なんてない」
「いるしあるわよ!」
「なら、お前は熱心に祈って加護を得たことがあるのか?」
ちろとリンドの視線がこちらを向く。
「お前の叔父は、殺されてもまた教会で蘇ったのか?」
「それは……」
聖典の一節だ。曰く、「神の加護を受けた者は、死しても教会にて再びその生を受ける」。
彼は聖典に目を通しているらしい。
返す言葉に迷っているうちに、リンドは告げる。
「宗教は乞い願うためのものじゃない。誓い律するためのものだ」
「……」
信者でない人間から、信仰を説かれてしまった。しかも見当外れということも無いので、言い返すのも難しい。
「お前の信仰するしないはお前の自由だが、俺やニーナも自由であるべきだ。そして俺はやらない」
言葉に詰まっているフレアに、リンドはここぞとばかりに言って話を締め括る。
「あのー、」
と、そこでニーナが声を上げた。
「もう何でもいいから食べません? 料理冷めちゃう」
「……それもそうだな」
「あと神サマじゃなくて、作ってくれたおじさんにもお礼言うべきじゃないですかね?」
「……そうね」
そうしてリンドとフレアとを黙らせたニーナは、改めて口を開く。
「―――ではでは、いただきまーす!」
「……」
そんな彼女を前にして、フレアとリンドは互いに顔を見合わせる。
そして、声を揃えた。
「―――いただきます」
その一連のやりとりを見守っていたグルードは、ふっと笑みを溢す。
「こりゃ、お譲ちゃんに一本取られたな」
そしてはむはむパンに齧り付くニーナに、「こうするんだ」と言って食べ方を示す。平たいパンを二つ折りにし、そこへ野菜を入れ切り取った肉を差し込んで、一緒に食べる。
「それぞれ食っても良いけどな。三つ揃うと、もっと美味いんだ」
そう言って、グルードは笑った。
各々食事に手を付け始めると、すぐにリンドが口を開いた。
「―――それで、依頼の内容は?」
問いかけられて、ようやくグルードはそれを語った。
「……息子の救出を頼みたい」
「救出……!?」
「攫われでもしたんですか?」
驚くフレアに対し、ニーナがいつも通りの調子で問う。それにグルードはこくりと頷いた。
「昨日の朝、一緒に買い出しに行った時にいなくなったんだ。名前はルーマス。六歳だ。知り合いにも声掛けて探したんだが、見つからなかった。……そして家へ戻ったら、これが入口に差し込まれていた」
言って、彼は一枚の紙片を机上に置く。
そこにはごく簡潔に、「二日後 北地区 金貨五枚」とだけ記されている。
「これって、身代金の要求……!?」
「金貨って、銅貨何枚分でしたっけ」
「二百四十枚」
慄くフレアに対し、ニーナとリンドは相変わらずの調子で言葉を交わしている。
そんな二人をじろと睨んでいると、グルードがまた言葉を継ぐ。
「金を出して事が済むのならまだ良いが、その保証も無いからな……」
「それで、あの目立つ舞台で協力者を探してたのか」
リンドが言うと、彼は頷く。
「力のある人間を探し出すには、打って付けの場所だったからな」
「この町じゃ、おじさんが一番強いみたいですけど」
ニーナの声に、グルードは苦笑する。
「腕力だけだよ。―――だが、君らは違うだろう?」
言葉を向けられて、ニーナはむふんと胸を反らす。一方でリンドは何も答えず食事を続けていた。
「犯人に心当たりはあるんですか?」
フレアが問うと、グルードは「恐らく」と言って腕を組んだ。
「『純人教団』だと思う」
「純人教団?」
ニーナが首を傾げる。
「それって、このお姉さんが信じてるっていう―――」
「あんな過激派と一緒にしないで!」
とフレアは即座に返した。
「純人教団は魔法とか退魔の力を持った人間を抹殺しようとしてる狂った純人至上主義者たちの集まりよ!」
「―――そうなんですか?」
フレアの感情的な物言いが信用できなかったのか、ニーナはリンドに確認を取る。
それに対して彼は、物静かに食事を続けながら答えた。
「間違ってはいない。―――ただ『抹殺』とかいう行動に出るのは、一部だと思うが」
その答えに、グルードもうんと頷いた。
「教団には思想を強制された子供や、資金提供を強制された大人もいると聞いたことがある」
「今回みたいに子供を攫って、か」
「ああ、だから疑わしい。それに以前は主に旧都で活動していたらしいが、最近はこの町でその噂を聞くようになってたから……」
リンドにそう応じたグルードだったが、不意にふうと溜息を吐く。
「―――もっとも、俺が調べた限りでは確証を得られなかったんだが」
「証拠は無い、か」
それに答える代わりに項垂れるグルードを尻目に、リンドはエールをぐいと呷る。
しかし、グルードはすぐに背筋を伸ばした。そして、リンドを真っ直ぐに見据える。
「頼む。息子を助けてくれ」
そう言って、テーブルに擦り付けんばかりに頭を下げた。
「相方も旧都へ出てて、もう他に頼る当てが無いんだ……!」
「あ、頭を上げてください……!」
言いながら、フレアはリンドをちらと窺う。
すると彼は、静かに席を立つ。
「……急ぐ旅だからな」
と彼は言う。そして、がばと顔を上げたグルードに告げた。
「だから、さっさと片を付ける」
「―――ありがとう!」
再び頭を下げるグルードを前にして、フレアもほっと胸を撫で下ろす。これまでの行動から見て彼が断わることは無いだろうと思っていたが、それにしても意地が悪い言い方だ。―――恐らく、当人にその自覚は無いのだろうが。
「報酬については目的が達成されれば―――」
「報酬なら、もう貰った」
「……え?」
ぽかんとするグルードを残して、リンドはさっさと部屋の階段を下りて行く。
それに関して、フレアにも異論は無かった。
「待って、私まだ食べ切ってない!」
部屋の階段を下りて行くリンドを呼び止め、フレアは急いで食事を済ませる。ニーナが呆れ交じりの視線を向けてくるが、気にしない。
「あなたもう、リンドさんより余っ程食べてるじゃないですか……。おじさんの分残してくださいよ?」
「分かってる! 今食べてるので最後よ!」
言い返してそれを平らげ、席を立つ。
「ありがとうございました。美味しかったです」
「……本当に、食事だけで良いのか?」
未だ唖然としているグルードに、フレアはうんと頷く。
「少なくとも私とあの男は、頂いたお食事分働かなくちゃ罰が当たりますから」
そう返して、フレアは手を振るニーナと共に部屋を後にした。
*
鍛冶屋マークスを出ると、リンドは祭りに沸く昼下がりの南西通りを再び広場に向かって歩く。
「行く当てがあるの?」
「一応」
追いかけて聞いてみれば、やや曖昧な返答だ。
「目的地がはっきりしてないなら、酒場に行きましょ。そこで情報収集を―――」
「それは無駄だ」
「何でよ」
「酒場は情報交換の場だから」
「はあ?」
フレアが眉根を寄せると、彼はちろと視線を向けてくる。
「グルードが調べて分からなかったって言ってたろ。それで酒場に行ってない訳が無い。だから、俺たちは別の場所を当ってみるべきだ」
リンドの言うことは尤もだった。
ただ、フレアにはその「別の場所」が思い当たらない。グルードが当っていなさそうなその場所が。
「その心当たりが、あんたにはあるってこと?」
問うと、リンドは頷く。しかし、答えることなくさっさと先へ行ってしまう。
「ねえ、どこに―――」
問いかけようとする彼女に、彼は人差し指を立てて応じる。それで仕方無く、彼女は黙って彼に付いて行った。
中央広場まで行くと、リンドはそこからさらに路地を通って北の区画へ入った。
東西に抜ける大通りより北の区画には、大きな通りが無い。従って祭日であっても、この町の北部に南部のような賑わいは感じられなかった。
人の姿が無いこともない。今し方入った細い通りにも、地面にへたりこんで酒を呷っている老人や、甘く囁き合いながら連れ立って歩く若い男女、大声で何やら言い合っている中年の男らなどの姿が見られた。もっとも何れも身なりは良くなく、中流より下の暮らし向きを感じさせる。フレアにとって、あまり居心地の良い場所では無かった。
しかしそんな通りを、リンドはどこかを目指して進んでいく。
そうして暫く歩いていたかと思うと、不意にくるりとこちらへ振り返った。
「……何よ」
ぶつかりそうになって立ち止まったフレアがじとと見返すと、リンドは視線を別の方へ向ける。
「―――あそこだ」
「……?」
彼の視線を追うと、そこには無骨な石造の建物がある。しかし特別看板が出ているわけでもなく、何かの店という感じはしない。
「あれが、何なの?」
「恐らく娼家だ」
「しょーか?」
耳慣れない単語に、フレアは首を傾げる。
一方でニーナの方は、納得したように頷いた。
「ああ、あの二人組の女の方は娼婦だったんですね。だから追ってたんですか」
「うん。ここならあの真面目そうな鍛冶士は来てないだろうし、転び出た情報を持っている娼婦がいるかもしれない」
「確かに。骨抜きにした序でに抜いた情報があるかもしれませんね」
二人の会話は成立しているようだが、フレアはそこに付いて行けていなかった。
「待ってよ。しょーかって、何?」
問うと、リンドが目を瞬かせる。隣でニーナも、呆れ交じりの息を吐いていた。
「あー、流石良いとこのお嬢サマですね……」
「馬鹿にしてないで教えなさいよ!」
じろと睨むと、ニーナは肩を竦める。
「娼家は娼婦の仕事場ですよ」
「それじゃ分かんない。そのしょーふっていうのは、何する人たちなの?」
「何って……ご奉仕、ですかね」
「ご奉仕? それって使用人の仕事じゃない」
言うと、ニーナはリンドを見上げる。
「そうなんですか?」
「違う」
と、リンドが即座に否定した。
「うちの使用人は性的な奉仕なんてしない」
「性的……?」
それでようやく、フレアも合点がいった。
「な……、そ、そんなことしてお金を稼いでいる女がいるっていうの!? 汚らわしい……!」
かっと頭に血が上り思わず声を荒げると、ニーナが首を捻る。
「得意を生かして稼いでるだけじゃないですか。別におかしくないと思いますけど」
「だっ、だからってそんな不純な―――!」
「……それに、」
と、そこでニーナの声はやや低く響く。
「皆があなたみたいに、何もしなくても生きていけるわけじゃないんで」
「わ、私だって何もしてないわけじゃ……」
言い返すものの、フレアの言葉は途中で途切れてしまった。
恐らく命懸けで生きてきた目の前の少女に対して、配慮を欠いた発言だったのは事実だ。
フレアが口を噤むと、それを待っていたようにリンドが口を開く。
「分かったら、行くぞ」
「え、いや……」
理解はしたが、しかしそれでも中へ入ることは憚られた。
フレアが躊躇っていると、その横をニーナがてこてこ通り抜けて行く。
「行きましょうリンドさん」
「……」
ニーナの声に彼はちらとフレアの様子を窺うが、すぐにニーナを追って歩き出す。
「そこで待っててくれ」
「えっ? ちょっと待って―――」
フレアが足を止めているうちに、リンドとニーナは娼家の中へと消えて行った。




