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不浄のアルバ  作者: 北郷 信羅
第2章 鍛冶町に溢れる愛の形は
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16.聖女と偽英雄

 フレアが魔法の発動準備を整えると、相手も状況を理解したようだった。

 リンドは、傍にいた少女に声をかける。


「ニーナ、下がれ」

「何でですか。あんな女―――」

「いいから」


 有無を言わせない彼の声に、ニーナと呼ばれた彼女も渋々と後方に距離を取る。

 それを確認したフレアは、既に呪文の綴りを終えていた。あとは、唱えるのみ。


燃焼(フィーレ)!」


 フレアの詠唱で、リンドを囲うように火炎が上がり彼の身を焼こうと襲いかかる。しかし、その火は一瞬にして掻き消される。


 リンドの左手を中心に、仄暗い球体状の空間が広がる。びりびりいう、不快な雑音も鳴り響く。

 その空間こそが、退魔の力。その領域へ入ってしまえば、魔法によって生み出されたあらゆるものはたちまち消失してしまう。その上、空間内では強烈な恐怖に襲われる。今もぎりぎり領域内に取り込まれたフレアの脳裏を、言い知れぬ強い恐怖が駆け巡っている。

 幸い……と言うべきか、彼女はその力をこれまでにも何度か経験してきているため、身体の硬直は無い。距離も予め十分に取っていたので、後ろに跳び退くことで力の影響外に出ることができた。


 一方リンドの後方に控えていた少女ニーナも退魔の力に巻き込まれたようで、ぐっと胸元を押さえて苦しそうにしている。それを知ってか知らずか、リンドはすぐに力を解いた。

 しかし、魔法が通じないという状況は変わっていない。退魔の力を攻略しなければ、リンド・アルバートを屈服させることはできない。


「―――どういうつもりだ」


 彼が問うてくる。やや不快感を覗かせるその顔を、フレアも睨み返した。


「あんたが進言してくれないなら、あんたの言葉でギルト王が動かないなら、―――あんたの命で私がギルト王と交渉するわ」

「俺の命?」

「そうよ」


 フレアが首肯すると、対するリンドは首を横に振った。


「それも無駄だ。俺の命じゃ、クリストン解放の対価としては不十分だ」

「やってみなきゃ分からないでしょう!」


 言い返しながら、フレアは次の綴りを完成させる。


氷結(イーシェ)!」


 右手を高く掲げて、叫ぶ。

 声に応じて、大きな氷の塊がリンドの頭上高くに現れる。すぐに気付いて天を仰いだ彼は、再び退魔の力を発動させた。

 しかし氷塊がその領域に落ちる前に、フレアは次の手を打つ。


燃焼(フィーレ)!」


 彼女の放った一言(いちごん)が炎となって、氷塊を一気に溶かす。それは爆発的に白い霧となって広がり、リンドの力が及ぶ領域の外を囲んだ。


 彼の視界から、フレアの姿は隠されている。あとは、死角から仕掛けるのみ。

 フレアは腰に括りつけてある小さな短剣を引き抜いて、リンドの後背側から退魔の力の領域内に突っ込む。直後にずんと強い恐怖が頭と身体に伸し掛かってくるが、足は止めない。できる限りの最速で駆け、リンドの脚を狙う。


 しかし、リンドは腰に差した剣の柄頭(つかがしら)に手を掛け、鞘を撥ね上げただけでフレアの剣撃を弾く。こと剣術に関して、魔法王と戦うことを想定して訓練してきているリンドと真面(まとも)に教わってすらいないフレアとでは当然大きな実力差がある。


 それでも、フレアとしては退けない。やるしかないのだ。ここで諦めてしまえば、クリストンはこれからもアルバートの呪縛に囚われ続けることになる。


「―――そんなこと、受け入れられるわけないっ!」


 フレアは短剣を握り直し、再びリンドに向かって右に左に振り薙ぐ。だがそれを、彼は身の(こな)しだけで(かわ)す。剣を抜くことすらしない。フレアの一直線の突きも手の払いで逸らし、次の瞬間には握りの下から柄頭を拳で打ち抜いて彼女の手から短剣を撥ねた。


 武器が手を離れて、フレアは慌ててリンドから距離をとる。

 横目で短剣の位置を確認すると、それはさほど遠くない退魔の空間の縁にあった。一駆けで取り戻せる位置だ。

 フレアは次いで、リンドの様子を窺う。短剣には目もくれず、彼はただこちらを見据えていた。フレアを見ているようで、もっと遠くを見ているようにも見える。何か思案しているようだった。


 今のうちだ、とフレアは短剣の方へと駆ける。

 そしてそれを手に取ろうとした、―――その刹那。白い霧がぶわと裂け、同時に目の前にあった短剣が消えた。

 蹴り飛ばされたのだ。突然現れた少女によって。


「ニーナ」


 リンドの制するような声が飛ぶが、少女は既に拳を作ってそれを引き切っている。


「何よ、邪魔しないで―――」


 言いかけたフレアの身体に、強い衝撃が走った。その腹に、少女の拳が入ったのだ。

 次の瞬間、フレアの身体が宙を舞う。何が起きたのか分からないまま、彼女は旧街道を転げその外の草原まで撥ね飛ばされた。


「……」


 想定外の展開に、フレアは暫し転がったその格好のまま放心する。あちこち打ち付け身体中が痛むが、それが気にならないくらいに彼女は目の前の状況に混乱していた。


「ニーナ……」


 と、視界の向こうでリンドが(たしな)めるような声を出す。それに対してニーナの方は、ふんと荒い息を吐く。


「大丈夫ですよ。聞こえてました。だからちゃんと手は抜いたじゃないですか」


 手は抜いたと、彼女は確かにそう言った。

 その言葉にフレアは戦慄する。目の前の少女は手抜きの拳を打つだけで自分より大きな人間を撥ね飛ばせると、そう言ったのだ。


「何なの……あんた」


 痛む身体を起こして近づいてきたニーナに問うと、彼女は小首を傾げる。


「うーん、何なのと言われましても。私はリンドさんやあなたみたいに肩書き持ってるわけじゃないですし……。強いて言えば、裏街の喧嘩娘とか?」

「何だそれ」


 リンドが呆れ交じりの声を出す。しかしフレアにしてみれば、揶揄(からか)われているようにしか思えない。


「馬鹿にしないで! ちゃんと答えなさいよっ!」

「別に馬鹿にしては……いるか」


 とニーナは呟き、思い出したようにリンドをちろっと睨む。


「そうですよ、こんな雑魚相手に何でリンドさん手加減するんですか! 『女に手は出せない』とか言うんなら、私に任せてくれれば一瞬で終わらせたのに……ってあれ? 私普通に一発貰ったような……?」

「別に手が出せなかったわけじゃない。出さなかったんだ」


 納得いかない様子で首を捻るニーナに、リンドがそう返した。


「お前が出れば一瞬なのも分かってる。けどそれじゃ話も(ろく)に聞けない―――」

「ふざけるなッ!」


 とフレアは声を荒げた。


「あんたも私を馬鹿にしてッ! お前が出れば一瞬? 私はまだ戦えるわっ!」


 よろよろと立ち上がるフレアを見て、リンドはふうと面倒臭そうな息を吐き出す。


「別に馬鹿にしてるわけじゃないが……、お前は馬鹿か」

「はあ!?」

「魔法人は綴りと詠唱に時間が掛かるんだから、ニーナみたいなすばしこい接近戦が得意な相手とは相性悪いだろ。一人じゃ勝てないに決まってる」


 彼の言うことは、(もっと)もだ。しかしフレアも、そんなことを理解できないほど頭が悪いわけでは無い。


「仕方が無いじゃない! 一緒に行く人なんて誰もいなかったんだからっ!」


 半ば自棄(やけ)を起こして、リンドの胸倉を掴み上げる。


「でも、それでも私は行かなきゃいけなかったのよっ! でなければクリストンは―――」


 捲し立て、彼を激しく揺さぶる。


「ギルト王に進言なさいっ! それが駄目ならあんたの命で私が直接交渉する!」

「だから、それは有効じゃない」


 揺すられながらでも、リンドは変わらず淡々とした調子で言葉を返してくる。


「なら、何が有効だって言うのよっ!?」


 問うと、リンドは暫し考えるような間を取る。

 そして「何も無いじゃないか」とフレアが再び声を上げようとしたところで、その口を開いた。


「……この世界を、終わらせる」

「え?」

「いや、―――例えば、次の王にそれを実現させるのはどうだ」


 リンドは、そう提案してくる。


「次の王……って、アルト・アルバートのことを言ってるの?」

「違う、」


 とフレアの問いに、彼は首を横に振る。


「俺だ」

「はあ?」


 意味が分からず思わず声を漏らしたが、リンドは至って真面目な様子で言葉を継ぐ。


「俺は今、魔法王を抑えに行く旅の最中だ。知らないか? 魔法王を討った人間は、王位継承順位が上がるんだ」


 言われてフレアも、思い至る。

 聞いたことかある。

 現王を討っても次代が現れ魔法王国との戦いが繰り返される中で、アルバートでは魔法王の討伐を成した人物が王位に就くという伝統が生まれたんだとか。アルバートの中には、そうしてある種儀式化されたそれを「悪魔狩りの儀式」などと言う者もいるらしい。勝手に儀式に使われている魔法王国からすれば堪ったものではないだろう。

 果たしてどちらが「悪魔」なのだか、などと思ったことをフレアは覚えている。

 しかしリンドは今、それを利用しようと言っているのだ。


「俺が王になれば、クリストンを解放すると約束する」


 と、リンドは言う。しかし、(にわ)かには信じ難い。


「その言葉を、私に信じろって言うの?」


 胸倉を掴んだまま睨むような疑惑の視線を向けるフレアに、リンドは答える。


「そうするように、俺の旅について監視すればいい。もちろん魔法王の討伐には協力してもらうが」

「は?」

「えっ」


 フレアとニーナの声が重なった。


「私()ですよリンドさん! こんな女連れてくなら、カリュドン連れてった方がまだマシですよ!」

「純人王国側の魔法人はクリストンだけなんだ。連れて行けば、戦力になるはずだ」


 文句を垂れるニーナに、リンドは言い聞かせるように話す。しかしフレアも、納得したわけではない。


「―――仮にそれであんたが本当に次期国王の座に就くとして、クリストンが解放されるのは一体いつになるのよ」


 彼女は鋭い視線でリンドを射抜く。


「私、それほど気長じゃないわよ?」


 しかしリンドは、落ち着き払った様子で言葉を返してきた。


「それなら魔法王討伐の褒賞として、クリストンの解放を願い出ればいい。それで駄目なら俺が王になるまで待つしかないが、現時点では一番確実な方法だ」


 リンドの言は、一切揺るがない。はっきりと、そう断言する。

 それを確認して、フレアは考える。

 今ここでリンドを捕えて交渉するのが一番手っ取り早いが、確実性という意味では彼の言う通りかもしれない。ニーナという得体の知れない存在があるので、捕えること自体も難しい。

 だとすれば、一旦リンドの旅に同行するのも有りかもしれない。フレアとしても、それなら身の安全を確保しやすくなる。周囲から声を掛けられることは無くなるだろうし、目の前の二人だけ警戒すれば良いのだ。心配なのは家族だが、フレアに子を産ませることを急いだことから推測するに、クリストンを安易に殺すことはできないはずだ。


 考えを纏めたところで、フレアは決断する。

 リンドの胸倉を掴んでいた手を離す。

 そして、宣言した。


「分かったわ。あんたの旅に同行する。―――だから、」

「分かってる。クリストンの件は、必ず俺が何とかする」


 そう言葉を返したリンドはくるりと踵を返して、鍛冶町へ続く旧街道へと戻って行く。ニーナはまだ不服そうだったが、それ以上は何も言わない。べっとフレアに舌を出してから、リンドの後を追っていく。


 二人の背を見て、フレアもぼろぼろになった外套の汚れを払う。そうして服装を整えてから、二人を追って歩き出した。

 その先に、望む未来があると信じて。

■登場人物(キャラクターデザイン:たたた たた様)


【ニーナ】

挿絵(By みてみん)

リンドと行動を共にしている少女。人間離れした怪力を持つ。

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