15.聖女の問いとその答え
開店前の店に現れて、まさかの大量注文。それでも女店主は、要望に応えてくれた。
テーブルに用意された食事は、実に賑やか。籠一杯のライ麦パンや、鍋ごと置かれた豆のスープ。塊で焼かれた猪の肉と、大皿にこんもり盛られた葉物野菜。そして、大きなマグになみなみ注がれたエール。
とても一人分とは思えない量の朝食だ。
しかしながら、それに対するフレアの食べっぷりというのも見事なものだった。
「―――日々の恵みに感謝します。私たちに、神の御加護を」
祈りを捧げると、早速パンを手に取り千切ってスープに浸しては口に入れる。続いて肉をナイフとフォークで小さく切り取って、器用に野菜で包んでまた口の中に収める。そして時々スープを一掬いして上品に飲み、エールをぐいと呷った。
そのペースたるや。細身の身体のどこに収まっているのか不思議なほどに、彼女は勢いよく且つ行儀良く目の前の食事を平らげていく。その圧倒的なまでの食事風景には、向かいに腰を下ろした女店主も舌を巻いているようだった。
ただフレアからすれば、自身の食事量は別に驚くべきことでもない。魔法を使うには、それだけ体内の力が要るのだ。使う魔法の規模や範囲にもよるが、激しい運動に匹敵する場合もある。そんな魔法を繰り返し使えば、魔法人としての歴史が長い名家クリストンの娘と言えど力は枯渇する。そうなったら、相応の食事を取って補充する必要がある。別に不思議なことではない。
しかし、あまり奇異の目を向けられるというのも気分が良くない。やや恥じらいつつちろと視線を向けると、それで伝わったのか女店主は適当に話を振ってくる。
「あんた、神教徒なんだね」
「ええ、そうです」
「うちの客にそんな行儀良いのは見たこと無いけど……、多いのかね」
首を捻る女店主に、フレアが応えられることは無かった。
何しろ、これまでにほとんど家を出たことが無い。歴史的な神教の広まりを知識として知ってはいても、現状についてはからっきしだ。
それに、彼女は龍姿派の人間である。神教には神の御姿を人間とする人姿派と、龍とする龍姿派とがあり、純人王国では専ら人姿派が主流なのだ。しかしフレアは魔法王国で主流の龍姿派であるので、その彼女が他宗派の動静に詳しいはずもなかった。ただそうかと言ってここで龍姿派であることを明かしても、恐らく面倒が増えるだけだ。余計なことは言わないのが正解だろう。
故にフレアは、話を本題へ持っていく。
「―――ところで、アルバートのことなんですが」
言うと、女店主の表情が険しくなる。彼女もアルバートとの間で一波乱あったのかもしれない。
「『リンド・アルバート』という男を知りませんか? 黒の癖っ毛頭で長い襟巻をしていて、あと左手と腰の剣に布を巻き付けた……」
彼女の過去に安易に触れることも憚られたので、フレアは単刀直入に尋ね人の話を持ち出す。特徴を挙げ連ねたが、フレア自身は会ったことが無く人伝の情報だ。少々心許無いが、王都ではこの説明で該当する人物の情報を得られたので、恐らく間違っていないはずだ。
やや緊張した面持ちで答えを待つフレアに対して、女店主ははあと疲れた様子で息を吐き出す。
「……名前は知らないけど、そういう風貌の男なら昨日来たよ」
「本当ですか!? いつ頃!? どこへ向かいましたか!?」
がたと席を立ち身を乗り出すフレアを視線で掛け直させ、女店主は頬杖ついて静かに答えた。
「昨日の夕方頃だよ。北の街道の魔物を討伐する依頼を受けてたし、北へ行く用があったんじゃないかね」
「依頼? アルバートが……?」
「ああ。討伐して報告に来た。珍しいこともあるもんさね」
怪訝な顔をするフレアに、女店主も同意する。
アルバートが動くのは、基本的に自分たちに利する時だけ。国民の、況して中流以下の人々のために動くことは無いというのがフレアの認識であり、街の人々の認識でもあるらしい。その認識に基づいて、女店主は語る。
「まァ、北へ行く序でだっただけかもしれないけど……。ただ、だったとしても色々とおかしかったよ。あの偽英雄は」
後半の言葉には、やや戸惑いも交じっているようだった。その辺りの見解も気にならないではないが、しかし取り敢えず聞きたかったことは聞けた。
フレアはあっという間に食事を皆平らげて、最後にエールをぐっと呷る。そして、すぐに席を立った。
「疑念は、会って確かめます。食事と情報、ありがとうございました」
簡単に礼を言って、店を後にする。
去り際、奥に掛けたままの女店主が呟くように言った。
「……もしかすると、あんたが追っかけてるそれは違うのかもしれないよ」
それはフレアの中で一つの記憶と結びつき、耳に残った。
*
ルイスの酒場を出て、大通りを北へ。フレアはそのまま、北門を出て鍛冶町へ向かおうと思っていた。
リンド・アルバートは昨日の夕刻に北への道を開いた。だとすれば、既に旧都を発っている可能性がある。もしそうでなかったとしても、王国一の規模を誇る旧都を探し回るというのは効率が悪い。それよりも北の一本道を先回りして、鍛冶町の入口で待ち構えた方が確実なはずだ。
それが、フレアの出した結論だった。
方針を決めたら、あとは行動するのみ。フレアは足早に賑わう大通りを抜けていく。
その間、知らず別のことを考えていた。酒場で別れ際、女店主に言われた言葉。彼女は「違うかもしれない」と、そう言っていた。
同じことを、フレアは家を出る際にも聞いていた。アルバートによって家を出ることを禁じられていた彼女が、密やかに家を抜け出そうとした数日前。フレアはその姿を、一人の使用人に目撃されてしまった。「使用人」と言っても正確には「クリストンの家で働くアルバートの使用人」であり、彼ら彼女らはアルバートの代わりにクリストンを監視する役をも担っている存在なのだ。
家を出ようとしたフレアが出くわしてしまったその使用人は、あまり見ない美しい金色の髪の若い女だった。名前は、確か「サーシャ」といった。屋敷に来たばかりの新人だったので、どんな人物なのかは知らない。
ただ、アルバートの監視役として来たはずの彼女は、なぜかフレアのことを見逃してくれた。旅立つフレアに剰えリンド・アルバートの特徴まで教えてくれたのだ。
そして彼女は、最後にこう言った。「あの方は、違います」と。
一体何が「違う」のか、何一つ具体的なことは分からない。
フレアがその意味について考えた時に、思い当たる節が無いではない。リンド・アルバートには一つの「曰く」があることを彼女は知っている。これから相見え言葉を交わす際にも、その話で揺さぶってみるつもりだ。―――だが、それが使用人や女店主が言った言葉の意味なのかは判然としない。彼女たちは、フレアに何を伝えたかったのだろう。
つい深い思考にのめっていると、不意にその顔に強い風が吹きつける。頭巾を剥ぎ彼女の赤みがかった長い茶髪を舞わせるその風は、北門を抜けて旧都よりもずっと広大な外の世界に出たことを知らせるものだった。
視界に広がる草原。北東方向に見える森林。北に向かって伸びる石敷の旧街道。
街道のずっと先に小さく見える石壁が、恐らく鍛冶町。その距離はいつぞやに家で見た地図が正確であれば、王都から旧都までとそれほど変わらないはずだ。街道脇の方には休息地も見られるので、よほど足止めを食わなければ魔物獣と夜を過ごすことも避けられる。
街道上には、二つほど人影も見られる。早々と旧都を出た人たちもいるようだった。フレアは頭巾を被り直して、遠くに見えるその影を追うようにして足早に旧街道を歩き出した。
しかし、その頭上で太陽が頂点まで昇り切った頃になって、彼女の表情は険しくなる。前を歩く人影に徐々に追いつき、その姿をはっきりと捉えられるようになってきたからだ。
黒の癖っ毛頭。長い襟巻。左手と腰の剣に巻かれた布。人影の一つに、使用人から教えられた特徴の全てが一致する。それでフレアは、その足をさらに早く繰った。
近づく人影のもう一方にも、何となく見覚えがある。黒髪を頭の後ろで結った青い衣の小柄な少女。どこで見たかとフレアが記憶を探っていると、不意に少女がちらとこちらを窺う。その顔を見て、ぴんときた。昨日の夕方に旧都に入った時にぶつかったあの少女だ。
少女は徐々に近づいていくフレアの様子を確認し、それから隣を歩く男の方を見上げて何事か話した。対して男は少女の方を向かないので、何か反応を返したのか分からない。
だが、唐突にその足が止まる。そして男は、フレアの方へ身体ごと向き直った。少女の方もそれに倣う。
振り向き様、男の口が小さく動く。
「アリア―――、では無いか」
「あんな人と一緒にしないで」
不意に呟かれた名に、思わず言い返す。立ち止まって待ち構える彼に対して、フレアもおよそ五歩分の距離を残したまま足を止めた。
そうして、妙な距離感で暫し見合うだけの時が流れる。
「―――俺に、何か用か」
先に口を開いたのは、男の方だった。対するフレアは、まず確認する。
「あんたが、リンド・アルバートよね?」
「……ああ。お前は?」
問い返され、彼女はその右の掌を突き出して見せる。
「フレア・クリストン」
その答えに、リンドが「なるほど」と呟いた。
「知り合いですか?」
隣の少女が男―――リンドに問う。
「知り合いなら名前を確認し合ったりしない」
少女にちらと視線を向けて、彼は答える。
「……ただ、クリストンのことなら知っている。魔法人で唯一、純人王国側についた一族だ」
「へぇ……」
少女は興味が無さそうに、適当な相槌を返す。
それに少々腹は立ったが、無視してフレアは話を先に進める。
「クリストンのことを知ってるなら、私が何を言いたいかも分かるでしょう」
言うと、リンドは腕組して考えるような仕草を見せた。
「クリストンの処遇を何とかしろ、か……」
「お父さんは王城で『魔法研究のため』だとかで毎日働かされてる。私たちも家に閉じ込められて毎日魔法素材を作らされてる。叔父さんは突然殺された。理由も『反抗しようとした』ってだけではっきりしない。それで今度は減った分を増やそうって私に男を充てがって……!」
煮え滾った怒りを、フレアは思い切り吐き出した。
「私たちは、アルバートの奴隷じゃないっ!」
「……」
腕組して瞑目している彼が、どれだけ聞いているのかは分からない。だがそれでも、フレアは声を張り上げる。
「しかも文句つけようにもギルト王には会えもしないし、唯一接触できる継承順位三位も色目使うばっかりでそもそも叔父のギルト王にどれだけ進言できるのか怪しい。―――その時に、あんたが魔法王討伐の旅に出るって話を聞いた」
落ち着き払ったリンドをじろりと睨み据えて、フレアは険のある声を向け続ける。
「ギルト王の長子で継承順位も第二位のあんたなら、色々もの申すことだってできるはずよね。だから私は―――」
「無理だ」
「……は?」
瞑目したまま彼が呟いた一言に、フレアは思わず間の抜けた声を漏らす。
そんな彼女に、リンドはようやくその目を開いてこちらへ向ける。
「俺に国王を動かすだけの権力は無い」
素っ気無く、淡々とした様子で彼は告げる。その態度が、フレアの怒りを増幅した。
「嘘を言うなッ!」
「嘘じゃない」
「嘘よッ! だってあんたは『傷の英雄』なのにそこにいるじゃない!」
フレアの知るリンドが他のアルバートと「違う」こと。
それを言うと、彼がぴくと反応する。
その反応をフレアは見逃さない。畳み掛けるように、言葉を重ねる。
「あんたが左手の印の上に傷を持って生まれた『忌み子』だって話は知ってるわ」
「……」
「なのにあんたは、今も継承順位第二位の座についてる。周りのアルバートからやっかまれても、あんたがそこにいるのは何故? ギルト王のお気に入りだからでしょ―――」
差し向けようとした言葉は、最後まで出し切れずに途切れてしまった。
リンドの視線が、フレアを射抜いたからだ。それは決して荒々しいものではなかったが、どこか底冷えするような冷淡さを感じてフレアは思わずびくと身を硬くしてしまう。
「……あの父親が何を考えてるのかなんて、俺には分からない」
と、リンドは静かに口を開く。
「ただ、単なる『お気に入り』って話じゃないことだけは確かだ。お気に入りって言うなら、長子の俺は今継承順位一位のはずだ」
しかし彼は継承順位第二位。確かに一位の座は、弟アルトに渡っている。
リンドは、なおも言葉を継ぐ。
「それに、俺はあの父親から褒め称されたことも無ければ、その意に反した言葉を受け入れられたこともない。―――だから、お前の望みを今の俺が伝えに行ったところで、何も変わらない」
「……」
淡々と告げられたその言葉は、フレアの心に冷たく響いた。
リンドがギルト王に進言しても、現状が変わることは無い。それは、フレアの旅立ちの意味を真っ向から否定するものだ。
お前が出てきたことには、何の意味も無い。そう言われた気がした。
「……あんたは、ギルト王に進言してくれないのね?」
項垂れながら、フレアは確認する。
「ああ。今戻っても、意味が無い」
それに、リンドは頷いた。
ならば、もうこの男との交渉はやめだ。
「そう……。それなら、別の手段を取らせてもらう」
言って、彼女はその右手で胸の前に十字を描く。
彼女の掌の紋様が、紅く輝きを放った。




