12.大男の失ったものと残ったもの
ラウルは一人、旧都へ向かった。
旧都に行けば、「彼女」がいる。そう思ったことも、無いでは無かった。だが、ラウルの方から会いに行く気は無かった。恐ろしかったのだ。快活だった彼女の別人のような姿を目の当たりにすることが。故に、旧都で彼が彼女と顔を合わせることは無かった。
旧都に辿り着いたラウルは、広い街の中を駆けずり回って鍛冶仕事ができる場所を探した。めぼしい施設を見つけては、その管理者に頼み込んだ。そうしてやっとの思いで使わせてもらえることになったのは、街外れの小さな店。しかも、使えるのは一部だけ。店は他の職人との共同利用だった。
立地は悪い。実家の鍛冶屋ほどの良い道具も、揃ってはいない。それでも、全てを自分の裁量で回していく生活はラウルにとって新鮮で、存外楽しいものだった。
大稼ぎするでもなく、然りとて金に困ることもなく、彼はその小さな店で五年ほどの時を過ごした。
そんなある日のこと。いつも通りに訪ねてきた馴染みの商人は、ほくほく笑顔を浮かべていた。
「ラウルさん、今日は良い素材入ったんだ」
そう言って、彼はその鉄素材をラウルに示した。
「……へえ。これは良い」
思わずラウルも、感嘆の息を漏らす。純度が高い鉄の素材は、旧都では手に入りにくいものだ。しかしそれ故に、目の前の素材は当然値が張るはず。
「とても俺なんかが手を出せる代物じゃねェな」
彼が溜息交じりに言うと、商人は首を横に振る。
「いやいや。あんたでも手が届くもんだから、ここに持ってきたんじゃねえか」
そう応えて商人が提示した額は、確かにラウルでも手を出せるくらいの価格だった。どころか、普段買っている素材よりも安いくらいだ。
「……なんかやべェとこから仕入れたりしてねェだろうな?」
思わず訝しむ視線を向けると、彼はにやりと笑む。
「やべぇはやべぇが、出元はアルバート王家さ」
「王家?」
「ああ。どうやらそこで管理していた鉄を、一気に放出したみたいなんだ」
王家で取り扱っていた鉄素材。アルバート王家そのものに対する印象は最悪だが、そこで使われている鉄であれば半端ものということはあるまい。しかも、安値で放出されている。利益を出すのに、これほどの好条件は無いだろう。
ラウルは、決断した。
「よし。それ有りったけ俺に回せ。買ってやる」
「おお! 毎度あり!」
ラウルと商人とは、互いににやりと不敵な笑みを浮かべて商談を成立させた。
ラウルの読みは、当たった。純度の高い鉄素材は立派なナイフや剣に仕上がり、日常生活に用いる街の人々や魔物討伐に明け暮れる傭兵たちに次々と売れていった。
さらに、噂を聞きつけた「純人教団」も密かに訪れるようになった。魔法や退魔の力を拒絶する彼らは王家アルバートの打倒を目論み、日々戦いに備えた武具を集めていたのだ。そんな彼らにとってラウルの安くて仕上がりの良い剣は非常に都合が良かったようで、沢山の注文が入るようになった。
ラウルは鍛冶屋として、見事に成功を収めたのだ。―――そのはずだったのだ。
風向きは、急に変わった。
きっかけは、一つの事件。旧都にて、偽英雄と純人教団とが衝突した。結果は偽英雄の圧勝。教団の兵士たちは惨敗し、大きな被害を被ることとなった。
それ自体は、別に驚くようなことでもない。アルバートには「退魔の力」があるのだ。正面からぶつかっていったところで、身動きを封じられて嬲り殺されるのが落ちだ。結果は大方の予想通りだったと言っていい。
ところが、その「負け方」に問題があった。退魔の力を受けた彼らの多くが、武器を失ったというのだ。曰く、「剣が幻のように消失した」と。
ラウルはそのことを、ぼろぼろの身体を引き摺って怒鳴り込んできた教団の一人から聞いて知った。
「騙しやがったなッ!」
と、彼は開口一番にそう言った。しかし当然、ラウルは何も知らない。それが後に「魔法素材」と呼ばれるようになるものであることなど、彼は知らなかった。彼もまた、騙されていた人間の一人だったのだ。
だが、そこで剣を買った人々にそんな言い訳が通用するはずもなく、ラウルは毎日のように押し掛ける人々から罵声を浴びて返金を求められ、遂には店から追い出されてしまった。
逃げて。逃げて。熱りが冷める頃には、ラウルの心根もすっかり冷え込んでしまっていた。追いやられるようにして、或いはまた自ら人々から距離を取るようにして辿り着いた街の片隅に彼は再び古びた小さな鍛冶場を得たが、その目にかつてのような希望の輝きは無かった。
奪われたものを取り戻すためには、どうすれば良いか。それだけを考え、そのために他者をどうして欺くかを考え、そしてかつての思い出を穢した。
面割り。いつかに彼らと彼女と笑い合った遊び。その箱に鉄屑を詰め込み、騙した裏街の住人たちの欲望に塗れた金を集めた。
「―――こんな下らないことしてるんだ? 格好悪」
遠くで誰かの呟きが、重く響いた。
*
ラウルの意識は、裏街の湿気った酒場に戻ってきた。
鼻に付く酸味の強い匂いは、目覚めたばかりの彼の頭をずきずきと刺激した。灯りの無い暗い天井は、それでもまだはっきりと見える。日はまだ、完全には没していないらしい。
そんな雨漏りでもしそうな古い天井と一緒に、見たくも無い中年の男の顔が視界に入ってくる。
「大丈夫か?」
ラウルをやや心配そうに見下ろす薄い髭の男。その顔に向かって、思い切り毒を吐く。
「―――寝起きに髭のおやじの顔なんて見せられたら、気分が悪くなる」
言うと、その男―――マストロはいくらか安堵したように息を吐いて言葉を返してくる。
「何だ、エレナにでも起こしてもらいたかったか? お前はあいつのこと好きだったからなぁ……」
「もうババァになってるだろ。若い女にしてくれ」
言って、身体を起こす。全身ずきずきと痛みはするが、動かせないということは無さそうだ。
身を起こしたラウルは、周囲をぐるりと見回す。酒場には、二人の他に誰もいなかった。店主も無く集いたい奴が適当に集って酒を飲む場所だ。別に不思議は無い、が。
「……あの子供は」
問うと、マストロは苦み走った顔で店の入口の方を見やる。
「偽英雄が来て、連れて行った」
「偽英雄が? よく殺されなかったな。俺もお前も」
「あの嬢ちゃんにしか興味が無かったみたいだ。あの娘気絶させると、それ抱えてすぐ出て行った」
「そうか。……あの化け物が気絶、か」
少女と正面からぶつかり合ったラウルは、彼女がどれだけの存在か分かっている。その彼女を伸したというのだから、やはり偽英雄の力は計り知れない。
「まあ、その偽英雄の幼女趣味に救われたな」
「あの娘も、酷い目に遭って無けりゃいいが……」
彼女を心配するマストロに、思わずラウルはへっと吐き捨てる。
「あれは子供の姿してるが別もんだ。心配するだけ馬鹿らしい」
話を打ち切って、ラウルはよろよろと立ち上がる。それから、―――それから次にどうしたものかと立ち尽くした。
目の前には、叩き潰された木箱と散乱する鉄屑。ナイフも無ければ、金も―――。とそこでラウルは、懐にまだ重みが残っていることに気付いた。そこにある袋を取り出してみれば、中には彼の金が一枚も減ることなく残っている。
ラウルは、傍で様子を窺っているマストロの方を見やる。
「……何だコレ。お情けか?」
「はあ?」
しかしマストロは、何言ってるんだとばかりに眉根を寄せる。だがそれでは、説明がつかない。
ラウルは負けたのだ。敗北者である以上、全てを失っても文句は言えない。裏街はそういう場所だ。なのにそこには、確かに金が残されている。
「あいつが盗り忘れた? いや、盗り損ねたのか……?」
ぶつぶつ呟いていると、マストロもその異変に気付いたようで怪訝な顔をする。
「金、残ってるのか? ―――おかしいな、確かにあの嬢ちゃんはその袋に手ェ突っ込んでたが」
つまり、盗り忘れたでも盗り損ねたでもなく、見逃したということになる。
「……何がしてェんだ、あの子供は」
「まあいいじゃねえか。これで取り敢えずのところは、食いっぱぐれずに済むんだ」
マストロはそう言って、ラウルの背を叩く。
それから、やや低い声でこう継いだ。
「―――やり直せるってことだからな」
「……」
言葉を返さないラウルに、彼はさらに言い募る。
「もう、こんな面割り遊びは終わりにするんだ。いいな?」
それに「分かってる」と返そうとして、―――しかし口を開いてもその言葉は出てこなかった。代わりに、別の言葉が転び出る。
「……面割り遊びは、やめられねェな」
「はあ!? 何言ってやがる! お前まだ懲りて―――」
「あれは子供にとっちゃどうしようもなく高ぶる遊びだ。多分、鍛冶町でなくても」
言って、ラウルは潰れてしまった木箱の破片に目を向ける。
「金ができたら旧都で流行らせるのも、悪くねェ」
「……」
マストロからの応答は、無かった。不審に思って見やれば、彼は呆気にとられた様子でこちらを見ている。
何か文句あるか、と睨んでやるとようやく我に返ったようで、彼はふっと顔を綻ばせる。
「―――いや、悪くない。まあ、『鍛冶町発祥』って文句は外せないけどな」
「ンなこたァ、どうでもいいんだよ」
素っ気無く返しても、マストロは嬉しそうに見えた。
「いや、重要だ。―――よし、そうと決まればルイスの酒場で計画を立てよう」
「帰らなくていいのかよ」
「帰り道に魔物が出たらしいから、すぐには帰れねぇ。酒場には依頼出しに行くし、そのついでだ」
言葉を交わしながら、二人はその薄暗い空間を後にする。
店の外に出ても、街を囲う石壁の影の下ではやはり仄暗い。それでも天を仰げば、赤みがかった空が見えた。
空はどこにいても見上げられる。大通りであろうと裏街であろうと。鍛冶町でも同じだった。
ふと蘇った記憶に、思わず呟く。
「……そういえば、もうすぐ打ち出祭りだな」




