11.大男の出会いと別れ
(キャラクターイラスト制作:たたた たた様)
少しばかり、時を遡る。
旧都の裏街。そこにある看板も無い古びた酒場の店内は、ざわめいていた。
そのざわめきの中心には、スキンヘッドの大男がいる。もう三十二になるそのみすぼらしい恰好の厳つい大男の名は、ラウル・マークス。彼はその三十二年間で、かつて無いほどの恐怖に襲われていた。その恐怖の対象は、正に今対峙している少女だ。
黒髪の小柄な少女は、ラウルが振り薙いだナイフをその右手で握り締めていた。ナイフは動かない。その勢いは、完全に殺されていた。右手からは血の雫が滴っているが、彼女は顔色一つ変えない。どころか、不敵に笑ってすらいた。
「いやァ、素手で戦ってる女の子相手にナイフなんて……ヒドイですねェ」
「女の子……?」
ラウルは、少女を睨みながら呟くように言う。
「『化け物』の間違いだろ……!」
「……そうかも、ですね」
言って、少女はぐいとその右手に握ったナイフを引く。身体が前へのめったラウルはすぐにナイフから手を離すが、もう遅い。少女の左拳が、既に彼の鳩尾付近に向けて放たれていた。
「―――ッ!」
ラウルが声を上げる暇は無い。ただ苦悶の表情を浮かべて、そのまま膝から崩れる。
薄れゆく意識の中で、彼は悟る。これは報いなのだと。
*
ラウルは、鍛冶町の出身だ。鍛冶が盛んなその町で老舗の鍛冶屋に生まれた彼は、恵まれていたと言って良いかもしれない。少なくとも、周囲はそう見ていたはずだ。
ただその家は、彼にとって必ずしも居心地の良い場所では無かった。ラウルは、長男では無かったのだ。長男はラウルより八歳年上で、その立場的にも家を継ぐ存在であったが、鍛冶の腕でもラウルより上回っていた。名実共に、兄は後継者に相応しい存在だったのだ。
そんな兄は人柄も良く、幼い頃から友人も多かった。中でも仲の良い男女二人の友人はしばしば家にも遊びに来ていたので、人と接するのが苦手なラウルも多少の面識はあった。
その輪にラウルを引き込んでくれたのは、快活な少女の方だった。ラウルはその日のことを、今も忘れていない。それは彼が七歳の時。年に一度の「打ち出祭り」の日だった。
「そんなところで、何してるの?」
家を訪ねてきた彼女らを部屋の奥から窺っていた少年ラウルに、当時十五歳の彼女はそう言って歩み寄ってきてくれた。
「……別に」
ふいと顔を背けて言うと、悪戯っぽい声が返ってくる。
「あーもしかして君、友達いないんだ?」
「違う、そういうんじゃ―――」
ややむっとしてそちらを睨むと、そこには明るい笑顔がある。思わずたじろいでいる内に、その腕が温かい手に掴まれる。
「一緒に行こ」
「いや、俺は……」
「皆で行った方が楽しいし。―――二人も良いでしょ?」
彼女は兄たちの許可を取り付けると、ラウルの手を引く。勢いに押されて、というか引っ張られて、ラウルは彼女たちと祝祭に沸く街へ出た。
毎年のことだ。鍛冶町に暮らす者なら皆毎年出掛けているだろうし、今更珍しいことも無い。だというのに、彼女の燥ぎ様はまるで幼い子供のようだった。八歳年下のラウル少年がそう思ってしまうくらいに、彼女は楽しげに街を歩んでいた。不思議だ。そうしているとその傍にいる兄たちも、いつの間にか普段見ないくらいに明るい笑顔を浮かべているのだ。
彼らの姿をやや困惑気味に眺めていると、少女がまたラウルの腕を引っ張る。
「ね、あれやらない?」
彼女が指差すのは、この祭りでお馴染みの遊びだった。
「面割り……」
「うん。やったことない?」
くりっと小首を傾げる少女に、ラウルは首を横に振って答える。
「あるよ。でも別に、やりたくないし―――」
「おじさん、それやらせて!」
大きく挙手して宣言する彼女に、ラウルは思わず呆れ交じりの息を吐く。拒否権は、無いらしい。
お金を払うと、店の男は小さな小槌を少女に渡してくれる。それで小さな木箱の蓋を叩き、蓋を割れれば中身を貰うことができるのだ。
「そんなので蓋割れるのかな」
「割れるとしても、俺らの力じゃ無理なんじゃねえの」
兄たちが議論する中で、少女はラウルに小槌を押しつけてくる。
「よろしくね」
「いや、俺は……。兄さんの方が、力強いし」
言っても、彼女はラウルに差し出した小槌を引っ込めない。
「ラウル、いいからやってみろよ」
兄からも言われ、止む無く彼はその手に小槌を取る。そして腕を高く上げて大きく振り被ると、箱に向かって勢いよく小槌を振り下ろした。
がつん、と。命中した木箱から音が響く。しかしその蓋が割れることは無い。―――というか、小槌は箱の蓋を打っていなかった。
小槌の頭部が、無くなっていたのだ。一同目を丸くして辺りを探すと、それはラウルの背後に落ちていた。振り被った時にすっぽ抜けてしまったらしい。
それを見た少女は、目をぱちくり瞬かせる。それから、ぷっと吹き出して大笑いした。釣られて、兄たちも笑い出す。
何がそんなに可笑しいのか。よく分からない。そんなラウル自身も笑っていたことには、後で気付いた。
そんな祭りの一時をきっかけにして、ラウルも彼らの輪の中に入るようになった。その後彼女は十八で旧都に嫁いだが、彼女と彼らの交流は続いた。
関係に変化が生じたのは、ラウルが二十一の時だ。旧都で暮らしていた彼女が偽英雄に襲われ、深い傷を負った。身体にも心にも。
彼女から明るい笑顔が失われると、その輝きの下に集っていたラウルと兄たちとの関係も薄らいだ。翌年鍛冶屋を継いだ兄は、以前にも増してその鍛冶の腕を熱心に磨くようになった。あまり笑わなくなり、ぴりぴりした空気を纏って懸命に仕事に励んでいた。理不尽に訪れる不幸には絶対に屈しないと、その背中は語っていた。
しかしそんな鍛冶屋は、もうラウルにとって息苦しいだけの空間になっていた。
「……俺ァ、家を出る」
ある時呟くように告げると、兄は怒りを露わにして迫ってきた。
「何言ってんだ! この鍛冶屋守っていくためにも、今は協力していかなきゃ―――」
「要らねェだろっ! 俺の力なんてお前には!」
ラウルも、思わず声を荒げる。
「俺よりお前のが優れてる、鍛冶も商売も!」
「そうだとしても、お前はうちに必要―――」
「冗談じゃねェ!」
眼光鋭く兄を睨み、思ったままの言葉を強い調子でぶつける。
「俺はお前に顎で使われて終わるなんてゴメンだッ……!」
それを聞いた兄が何を思ったのかは、分からない。反応を待つことなく、家を飛び出したからだ。
そしてそれが、ラウルにとって実家で過ごした最後の時間だった。
家を出た彼がどうしたのかと言えば、別に行く当てがあるわけでは無かった。何しろ、居心地の悪い家を抜け出したいという思いだけが先行してしまっていたのだから。寄る辺を無くしたラウルは鍛冶町に留まっていることも嫌で、一人旧都へ向かった。




