SOUFFLER
この話は、日を空けずに投稿した方が良いかもしれない、と思い、明日の投稿分を本日2回目として投稿します。
仕事が終わり、職場のシェフたちの変な誤解も解けぬままに帰宅すると、兄の姿があった。
「ルネ兄!」
エメが驚いて駆け寄ると、ルネは記憶より幾分げっそりした顔で振り返った。
そして何故か、ベッドに旅行鞄を広げ、荷物を詰めているところのようだった。
「な、何してんの?」
そう尋ねるエメに向けられたルネの表情には、いつもの彼の明るい馬鹿っぽさみたいなものが全くなかった。
「悪いな、ちょっと予定変更。侯爵家の屋敷で住み込みで働くことにしたわ!」
へへへ、と笑っているものの、ルネの目も口元も笑えていなかった。
ただ事じゃないと思ったエメは、外套も脱がずにルネに座るように促すと、自分もその横に腰かける。
「兄さん、何があったのよ」
エメがルネのことを呼ぶ時は、大抵呼び捨てか「ルネ兄」なのだが、今夜の兄の姿にその気安さを忘れた。
「大丈夫、家賃は半分持つからさ」
「分かってるくせに、話を逸らさないで」
やたらとへらへらしようとする兄。
「はぁ……。ノワーお得意の人生相談か」
少し棘のある物言いにも引っ掛かる。しかし、彼が好きでそんな風に言っているのではないことは、十分分かっていた。余計に心配だ。
「相談だって受け付けるし、言葉のごみ箱にでもなるから、話してみて……」
兄の背中を撫でてやりたい。しかし、何故かそう出来なかった。
「ごみ箱って……」
そう苦笑して、兄はどこか諦めたように、ぽつりぽつりと語り出した。
妹に、どう話すべきか迷ったものの、ありのままを語ることにした。
どうやら婚約に至った経緯についての噂は本当だということ。オドレイ様本人が認めたということ。自分が愛を告白したこと。そしてオドレイも同じ気持ちだったこと。しかし、それ以来自分の顔を見る度に彼女が泣いてしまうこと。その理由を語ってはくれないこと。
言葉に詰まりながら、言葉を選びながら語る自分の話を、妹は変わらぬ冷静な表情で聞いていた。
特にショックを受けた様子も、驚いたり悲しんだりする様子もなく、ただ傍らで聞いていた。
話すことはこれまでだ、という無言が続き、ノワーが口を開く。
「それで、どうして住み込みなの?」
「お嬢様が、心配だから。少しでも側に居たい」
「……でも、顔合わせる度に泣かれちゃうんでしょう?」
オドレイが泣くほど俺の顔を見るのが辛いなら、俺は彼女に会わない方が良いのかもしれない。でも、そうやって俺が彼女から離れる理由を、オドレイが正しく理解してくれるとも思えなかった。だから、俺は嫌がられても彼女の側を離れまいと思うのだ。
「正しく理解……。ねぇ、兄さん。私たちオドレイお嬢様の気持ち、正しく理解してあげられてるのかな……」
ノワーの問いかけに、一瞬自分のことを責める言葉かと思ったが、そうではない。単純に疑問に思ったらしい。
「兄さんには悪いけど、十年も顔を合わせてなかった人のこと、一途に思っていられる? 二度と会えないかもしれないのに」
しかし、彼女は自分にあの青いペンダントを見せてくれたではないか。幼い日に俺が渡した、あのペンダントを。そう言えば、ノワーは眉を寄せた。
「それはそうかもしれないけど、綺麗な初恋の想い出の象徴ってだけかもしれないじゃない」
妹の言葉はルネの心を抉った。
「おい!」
「いや、怒らないで聞いて! そうだとしてもおかしくないじゃない。現に私だって初恋の人はいたし、デイジーの花を見ては思い出したりしたけど、好きかと聞かれたら疑問だわ」
いきなりノワーの初恋の話になり、ぎょっとする。
「やめて、今はお前に初恋なんてあったのか? とか驚く所じゃないから」
そう言って妹は、俺の目をじっと見つめる。奥の奥まで見ようとしているかのような、真っ黒な瞳に少し腰が引ける。
「エミール公爵子息を想っていた可能性は?」
何を馬鹿なことを言っているんだ。この妹は。
俺はそうやって、いつもの調子を取り戻して笑ってやろうかと思った。
エミール・ド・モンタンは悪人で、オドレイは被害者なのだ。彼女が公爵子息を好きだったら、こんなことには……、
『……弱ってるところなんて、見せたくなかったのに』
弱っていたのは、意に沿わぬ婚約をしてしまったから……。
『エミールの言う通り、私の純潔は奪われたわ』
そう無理やりに純潔を奪われたんだ……。
『だから、貴方には会いたくなかった……』
きっと自分の事を想っていてくれた。だから……。
「兄さん、ガスパール様はこの件について、何ておっしゃっているの?」
「そりゃ……」
言いかけて、この数日の間に彼に会っていないことを思い出す。アルフレッド様にもカミーユ様にもお会いしたしフルーヴ侯爵様にも挨拶した。
しかし、奥様とガスパール様には会っていないんじゃないか。
ああ、確かに会っていない……。しかし、だからと言って何が変わると言うのだろう……。
「次の定休日、私オドレイお嬢様に会ってお話ししたい」
ノワーの言葉に、出来なくもないだろうと考える。
しかし妹の考えは分からなかった。
「お嬢様と、侯爵様に相談してみるよ……。でも、何のために?」
「ルネ兄を守るために」
即答したノワーの真っ黒い瞳は、一体何を見据えているのだろう。彼女に分かっていることに、気づくことが出来ない自分に腹立つ。
「ルネ兄、傷つく覚悟はしておいた方が良いと思うよ」
ノワーの不吉な忠告に、結局のところ、妹は相談相手にも言葉のごみ箱にもなってくれなかったことを知る。
俺は嫌われることを覚悟で、率直に意見を言ってくる妹を憎たらしいと思うのと同時に、「何があっても味方だ」と言わんばかり表情に胸がいっぱいになった。思わずその黒い頭をくしゃくしゃと撫でる。
すると妹は驚いたようにして、「お父さんと、ロジェ兄と同じ撫で方だ!」と叫んだ。
「お前って、本当にひどい妹だよな」
「初めから言ってたでしょう? きっちり、オドレイお嬢様に振られて諦めろって」
「はぁ!? あれ本気だったのかよ」
「私はいつでも本気よ。本気でお兄様のことを想って言ってるんじゃないの」
「だから、俺たちは血の繋がりがないとは言え、兄妹なんだから……」
現実逃避のような軽口の応酬と共に、王都の夜は更けていった。
ここら辺の話は早めに決着をつけた方が、読んでくださっている方々に誠実なのかもしれないですね。本日2回目の投稿によって、少しでも嫌な気分が紛れますように。




