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SERRER

「無事で帰れると思うな」

 地を這うように低く冷たい声。

「きっちりしごいてやる。覚悟しろ」

 騎士たちの刺すような視線。


 両手に縄をかけられて、騎士の詰所から牢に移される……、赤毛の男。


「っさわんなよ!」

 暴れる男は、騎士たちに取り押さえられ、その大きな体がずるずると引きずられていく。


 ここは店や下宿のある地区にある騎士の詰所。私は自分が首を絞めた男が連れて行かれる様子を見ながら、早く家に帰りたいと欠伸をかみ殺していた。

「チュテレールさん、長くお引止めして申し訳ありませんでした」

 そう言うのは、赤毛の男を倒した後で声をかけてきた騎士のお兄さん。

「いえ……。もう、帰れますか?」

「ええ、帰って頂いて結構です。送っていきますよ」

「ああ、じゃあ、お言葉に甘えて」


 やっと家に帰れる。


 あの、赤毛の男は私を襲う気だったらしい。王都で出現している強姦魔と特徴が似ているということで尋問されて、自ら吐いたのだ。危なかった。

 おかげで、と言っちゃなんだが、殺人未遂で現行犯逮捕されることはなく、強姦魔を撃退した善良な市民として、家に帰して貰えることになったのである。

 引っ越して早々、こんな災難に遭うとは……。


「でも、危ない真似は良くないですよ。それから明るいうちに帰るか、誰かに送ってもらうように」

「はい。気を付けます」


 爽やかな騎士のお兄さんに家まで送ってもらい、ようやく帰って来れた私は、家で待っているはずの兄に、今夜のことをどうやって伝えようか、憂鬱になった。


「た、ただいまー。……あれ?」

 しかし帰ってきた部屋は、しんと静まり、兄の姿はどこにもない。

「……なんだ」

 ソファに腰かけ、部屋を見渡す。

 怒られないのは良いけれど、それよりも一人は寂しい。


 夜が更けても、結局兄は帰らぬままだった。






 フルーヴ侯爵は、新しい執事について、頭を悩ませていた。

 ルネ・チュテレール。古くからの友人である、セザールの息子で、あのロジェ君と比べても、優秀だと評判の次男坊である。彼を雇ってほしいと手紙が来た時は、ちょうどオドレイの婚約が決まり、娘を守るための人員を手に入れたかったから、迷わず採用したのだが……。


「父上、今よろしいですか?」

「入れ」


 扉が開き、長男のアルフレッドと、次男のカミーユが入ってくる。

「オドレイの様子はどうです?」

 アルフレッドがいきなり核心をつく。

 そう。問題というのは、あのルネ・チュテレールが家に来た昨日を境に、オドレイが泣き臥せっているということなのだ。そして、その側にはルネの姿がある。

 私の険しい顔に、何か察する二人の息子たち。


「そうなると、公爵子息の言い分は真実かもしれません」

 それは、エミールとオドレイが通じてしまったということか。苦々しい顔の息子を見て、なぜそんなことを言うのか尋ねれば、息子も何故か驚いていた。

「父上、ご承知の上で彼を採用したのではないのですか?」

「何を?」

「それは……、」

 アルフレッドが言いかねているところを、隣に控えていたカミーユが変わらぬ冷たい表情で言う。

「妹の想い人が、あのルネ・チュテレールだということです」

 そんな、まさか!

「知らないで招き入れたのですか。妹が想っているだけではありません。彼もまた、オドレイを愛しているんです。……なんて、惨いことを」

 抑揚のない声で、そう責めるカミーユ。

 アルフレッドは、手で顔を覆っている。

「妹の幸せを思うと、公爵家に嫁がせるべきではないのは明らか。しかし、このタイミングで誠に愛する男と再会してしまうなど……」

 オドレイが臥せってしまうわけだ。娘に愛する男がいるとは思わなかった。シャトー・ド・ラ・ダームに行きたいと強請られ続けた意味も今なら分かる。

「私のせいか……」

 ただでさえ参っているだろうオドレイに、とどめを刺したようなもの。エミールに身体を開いてしまった、とあっては……。


「彼と妹が、突拍子もないことを考えなければ良いのだが」

 暗いアルフレッドの声に、最悪の事態を想像してしまう。

「そうはさせまい……。どんな手を使っても……」




 しかし、侯爵は知らない。退室した二人の息子たちが、一体何を思って訪れたのか。

「これで父の心配はしなくて済む」

「ああ。やっと本番だな」

 何よりも妹の幸せを考える兄たちは、覚悟を決めた男の顔で、それぞれの道を歩み始めた。








 兄が帰らなかったことが心配だが、侯爵家の執事ともなれば珍しいことではないのかも。エメはそう考えるようにして、火の元と戸締りを確認すると、心細いまま店に向かった。


「おはようございます」


 今日も早めに店に来たが、まだシェフはいない。

 代わりに居たのは、先輩デセール担当のサミュエルだった。

「おはよう。早いね」

「いえ……。サミュエルさんこそ、早いんですね」

 彼は私に気が付くと、作業の手を止めて振り返った。その表情は無表情のままだけれど、かけてくれた言葉にほっとする。

 作業台を見れば、等間隔に絞り出された黄色い生地。

「もしかして……」

「うん。作ってみた。君のシューのように、きれいに膨らむかは分からないけどね」

 サミュエルさんは、昨日の私のプチフールを見て、シュー生地づくりに挑戦しているようだった。昨日の私の作業をじっと観察して、次の日には実際に作れるなんて。この人、きっと才能のある人なんだろうな。

「昨日のコース料理を華麗に締めくくった、なんてフロアの人間が言っていたよ。シェフも気に入っていたみたいだしね」

「光栄です。シャトーの定番プチフールとして出していたものなんです」

「そうか……。随分と優秀なパティシエが居るんだね」

 ジャン先生の顔がよぎる。確かに、彼が優秀だったのだ。私はおまけのような前世の記憶を使って、新しい菓子を思いついたかのようにしていただけ。シューもマカロンも、アイスクリームも。


 私の独自性は、一体どこにあるのだろうか……。


「ええ、私の師匠でもある人です。抽象的なイメージも、実現させてしまう素晴らしい人です」

 そう言った私の言葉に、頷いてくれるサミュエルさん。

「僕にとってのシェフも、そんな存在だよ。正直言うと、デセール担当は希望じゃないんだ」

「そうなんですか?」

「うん。たまたま人がいなかったから、僕があてがわれただけでね。しかし、昨日みたいなの見ると、面白いかもな、って思ってしまうよ」

 声色も表情も変化はないけれど、昨日が信じられないほどに、彼は饒舌であった。

「田舎で店を出せるように、もう少しここで、君と頑張ってみるのも悪くない」

 彼はまるで私のおかげとでも言いたげに、こちらを見て言うが、私は過ぎた言葉に恐縮するだけだった。


「デセールは、僕と君の二人だろう? 今後は、二人で案を出し合って、シェフに提案するようにしないか?」


 サミュエルさんの申し出は、出勤二日目の新人には滅多にないチャンスだ。一瞬、本気かどうか疑ってしまう。


「た、対等な立場で、ということですか?」

「もちろん。君は菓子に強い。僕はこの店に強い。タッグを組もう」


 本気の言葉だったようだ。彼の無表情が、少し好戦的なものになったのを感じて、私はやっと実感が湧いた。


「是非! よろしくお願いいたします!」


 サミュエルさんという人に恵まれたことで、このグラン・メゾンという店での私の立場が確立されることとなった。

 与えられたチャンス。そして、戦わなければならない、前世の自分。オリジナリティあふれる作品を作ることを決意し、私はサミュエルさんと固く握手した。







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