APPAREIL
どうして皆、夕食の席で発表したがるんだろう。
「俺、王都に出て、修業してくる!」
しかし、ロジェ兄さんの時と違って、皆の反応は薄かった。これには、逆にルネが驚いている。冬は従業員もあまり出てこないし、一緒に食事をするのは、寮に住んでいる三人だけ。その三人も、父も母も、ロジェもセリアさんも、ルネの発表に、さほど関心を示さなかった。
私も驚いて、ルネ兄と顔を見合わせる。
どうしてこんなにあっさりしてるんだ。
「フルーヴ侯爵には、手紙を出しておいたから、荷物をまとめ次第発ちなさい」
父セザールは、ナイフとフォークを動かしながら、何てことないように言う。
一瞬、何を言われているのかわからないルネだったが、意味が分かると口をあんぐりと開けた。
「新聞見たから、時間の問題だと思ったのよ」
そう呆れたように言うのは母。ロジェも頷いており、セリアさん含め他の大人たちも訳知り顔だ。
「ルネは往生際が悪いから、絶対諦めきれないだろう、って」
母ジュリアの目は、父に向けられる。しかし父は何も言わずに食べ進める。
「それからね、エメも支度して、お兄ちゃんと一緒に王都に行きなさい」
「はい?」
いきなり自分の話になり、私は間抜けな声を上げる。
「王都の友人の店で、菓子担当の料理人を探してるみたいだから、あんた面接受けに行きなさい」
「え!? どうして? そんないきなり……」
動揺する私に、母はその厳しい緑の瞳を細める。
「エメ、あんたこの六年で、ずいぶん成長した。本当は十五から働かせるはずが、ちっちゃな時から火傷させて苦労しただろう。見習い見習い、って言ったけど、随分立派になった」
母に褒められるなんて、滅多にないことだ。話の流れが読めなくて、戸惑う私を安心させるように、母は微笑んだ。
「大海原に漕ぎ出す準備が出来たんだよ」
何を言われているのか、分からない。
「ここからは、自分で航路を見出すんだ。私やジャンがそうして来たようにね」
ずっとここで、菓子を作って皆を笑顔に出来れば良いと思っていた。ここで初めてのコックコートの袖に腕を通すことになるんだと。
「私から教えたことじゃ、私を超えることはない。先代も、そう言って私を送り出してくれた。今度は私があんたを送る番だ」
「母さん……」
「早く一人前になって、私を引退させておくれ」
引退したいだなんて、露ほども思っていないだろう母の言葉に、私は弟子としてその愛に応えるべきなのだと知る。
「……大きくなって、戻ります」
こうして、私とルネは、それぞれ十五、二十歳の冬に王都へ旅立ったのである。
揺れる馬車の中。何度目かの吐き気に襲われ、馬車を止めさせ、草原で用を済ます。
口の中が気持ち悪いが、道端にミントの葉を見つけ、私はそれを口の中に放り込むと、再び馬車に乗り込んだ。
「大丈夫か?」
ルネの気遣わしげな声に、私はうなずく。
王都に向かう馬車の中。私と兄は不安で胸を一杯にして、ただ流れていく景色をぼんやり眺めていた。
もう王都が近いのだろうか。段々増えていく民家に、私は早くも緊張した。
「なんか、してやられたって感じだよな」
兄の言葉に、父と母の顔を思いだす。息子と娘をいっぺんに送り出すその表情は、私には何を考えているのか分からなかったけど、愉快そうじゃないのは確かだった。でも、扉を開いてくれたのは、両親なのだ。
「そうだね」
私は短く答えると、修業先のことを思った。一体、どんな店だろう……。私で通用するのだろうか。母の友人だという店のシェフ。きっと厳しい人だろう……。
「おい、起きろ。起きろエメ・ノワー」
肩を揺すられて、目を覚ます。いつの間にか寝ていたらしい。どれくらい眠っていたんだろうか。ずいぶん外が騒がしい。
目の前の兄の瞳が、爛々と輝いている。
「到着したぞ!」
私は起き上がって、兄に手を引かれながら馬車を降りた。規則正しく敷き詰められた石畳に立つ。ずっと座っていたからか、少しよろける私の腕を「あぶない!」と言って兄が掴む。
まだはっきりしない頭で、辺りをキョロキョロ見回すと、全く別世界と思えるような光景が広がっていた。
「う、うわぁ……」
街を行く人々は、皆ホテルの宿泊客たちのように豪華な衣装を身にまとっており、帽子に付いた羽飾りが、そこかしこで揺れている。道端では、花売りや飴売りの姿。そして、新聞を読みながら座っている紳士の靴を磨く人々。様々な職業の人が入り乱れる中、路上で大きな声を張り上げている男性は、
「今夜が初演! あのデルフィーヌ・ブラン主演の新作、『愛を売った女』は今夜八時から! ほら、お兄さん買ってって!」
と道行く人に、舞台のチケットを売っている。
そして、道の両脇にドーンと立ち並ぶ、城とまでは言わないが、大きなお屋敷の数々。
「ノワ、早く、下宿に行くぞ」
いつの間にか荷物を馬車から降ろしていた兄が、呆然と立ち尽くす私の頭を叩いて先を行く。
兄が叩いた扉は、馬車を降りてすぐ目の前の大きなお屋敷だった。
「え? ここ?」
「住所は合ってるから、ここだろ? すみませーん!」
そう言って兄が扉を再び叩く。
ややあって、その扉が開かれると、どこか見覚えのある金髪碧眼の年若い紳士が現れた。
「君たちは?」
眉を寄せ尋ねる彼に、ルネ兄が胸ポケットからロジェ兄さんから預かった手紙を渡す。
「僕たち、ロジェ・チュテレールの弟と妹です。兄の紹介で、こちらに下宿させてもらうことになってるはずなんですけど……」
紳士は、私たちの顔を見比べて、何も言わずに手紙を読み始める。なんか感じ悪い。それは兄も同じだったようで。私の顔を見て眉を上げた。
手紙を読み終わったらしい紳士は、先ほどまでの警戒心丸出しの態度を改めると、ルネに右手を差し出した。
「ようこそ。この屋敷の主の、アルフレッド・ド・フルーヴだ」
彼の自己紹介に、私も兄もぎょっとした。フルーヴって、あのフルーヴ侯爵家のことでしょうか。
扉をくぐると中庭があり、そこを抜けると、やっと玄関にたどり着く。まずは居間に通されて、私たちは、アルフレッド・ド・フルーヴ様、つまりはオドレイのお兄さんと対峙していた。
「ルネ君だな。久しぶり。といっても覚えていないか」
「いえ、良く覚えています。アルフレッド様とカミーユ様は、兄に良くして頂いているようでしたから」
ルネの言葉に、ふふ、と笑うアルフレッド。
「良くしてもらったのは、僕らの方だよ。ロジェは頭の回る奴だったから、学生時代は良く相談に乗ってもらったりね」
人の悪い笑みを浮かべるアルフレッド様に、それがどの手の相談だったのかは……。いや考えるのは止めておこう
座っているだけで威圧感のあるアルフレッド様は、確か兄より二歳年上の二十九歳のはず。近衛隊所属と聞いている。
「それで、君、オドレイに惚れてるって?」
ガタン、と音を立てて、兄がテーブルの脚に膝をぶつける。立ち上がろうとしたが、できなかったらしい。
「落ち着いて。僕は何も邪魔立てしようなんて気はないんだ。むしろ君を歓迎するよ」
両手を広げて愉快そうに笑うアルフレッド様に、私は再びぎょっとした。なんか、この人、苦手。
何考えてるか分からない笑顔で、彼は話を続けた。
「実は、オドレイの婚約者、エミール・ド・モンタンは、公爵家の息子でね、精霊使いの家柄じゃないんだよ」
アルフレッド様の話によると、魔法を使うことの出来る精霊使いの家は全部で七つ。七家、またその分家を含めて、精霊使いの血の流出を避けるために、古くから限られた家だけで婚姻を結んできた。しかし、王都でも有名な美少女であったオドレイお嬢様は、まだ年頃になる前の十歳前後から評判になり、顔をベールで隠す前に、公爵子息のエミール・ド・モンタンに見初められてしまったのだという。
「今までは、のらりくらりと婚約話を揉み消して来たんだが……」
アルフレッドの渋い顔に、ルネが食いつく。
「どうして、今になって、婚約が成立したんですか?」
待ってましたと言わんばかりに、アルフレッド様が黒く笑う。
「奴、オドレイと婚前交渉してしまったから、責任を取るとか言い出してね」
ガタン、と再び兄が立ち上がろうとして失敗する。
「オドレイに限って、そんなはずないと思うんだ。しかし中には舞踏会で口づけを交わしている二人を見た、なんて言い出す馬鹿もいてね。それで評判に傷がつくのは、妹のほうだろう?」
貴族らしい話になり、兄も私も黙り込む。しかし、隣に座る兄の肩が怒りでふるふると震えているのが分かった。相当怒っているだろう。しかし私は、アルフレッド様がこの話を兄にして、何を企んでいるのかの方が心配だった。
「……許せません。僕がオドレイお嬢様の側に居る限り、その阿呆に指一本触れさせることはないでしょう」
兄の返事に満足げに笑うアルフレッド様の目に、きらりと光るものを見てとって、私は恐ろしく感じた。
つい、アルフレッド様を睨み付けてしまう私に気付いたのか、彼が「おや?」という顔で私を見返す。
「君は……、ああ。ロジェの言っていた妹君か」
彼の言葉に含む所を感じ、私は返事をせぬまま相手の目を見返すだけだった。
「妹には本当の幸せを掴んでほしい。どこの兄貴も、そう思っているものだよ」
そのアルフレッド様の言葉は、本当のことを言っているように聞こえた。




