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GLACE

 暖炉の前の椅子に腰かけ、木の枝に刺したマシュマロを焼く。つい最近できた新作で、表面を焼くことによって、中がとろける不思議な菓子。もちろん、そのまま食べても美味である。私の得意なメレンゲに、ゼラチンを混ぜてみた所、面白い食感の菓子が出来たのだ。お茶うけになりそうだ、とジャンも褒めてくれた。

 冬は客が少ない。こうしてゆっくりとした時間を楽しむことができる。私は、熱いマシュマロを頬張りながら、贅沢な時間を過ごしていた。


「エメ、僕にも頂戴」

「あ、ロジェ兄さん、おかえりなさい」


 頭の雪を払い、外套を干す兄のために、熱いお茶とマシュマロを刺した枝を用意する。

 鼻をすする兄に、カップを手渡すと、彼は柔らかく微笑んだ。


 ロジェ兄さんが王都から帰ってきて、五年。今年二十七歳になる兄さんは、このペントハウスの階下に居を構え、セリアさんと結婚した。

 浮気の一つもせずに帰ってきた兄さんは、その美貌に拍車をかけ、町の女性をすべて虜にするほどの男前になった。そして、群がる町娘たちを押しのけて、彼に抱きついたのがセリアお姉さん。四年間、「兄さんに捨てられた」などと陰口をたたかれては、反撃し続けていた彼女。やっと帰ってきた恋人に、周りを憚ることなく抱きついたセリアお姉さんは、とても幸せそうで、誰も邪魔出来なかったと言う話だ。


「セリアさんは?」

 私が聞くと、兄さんは腰かけながら首を横に振った。

「母さんと一緒に買い物行ってる」

 セリアさんと、母はとても仲が良い。性格が似てるんだと思う。同じような女性をパートナーに選んだ父と兄は、なんだか最近とても仲が良くなった。前は変に他人行儀なところがあったけど。

「あれ、ルネは?」

 ロジェ兄さんの問いに、私も首を横に振って答えた。

「ルビー・ベルガモットとデート」

「ルビー・ベルガモット? ああ、あの女王蜂(クイーン・ビー)か。ルネもずいぶん好みが変わったなぁ」


 そう。私の兄ルネ・チュテレールは、あろうことか、かの有名な仕立て屋の次女、ルビー・ベルガモットと湖でスケート遊びに出かけたのだ。

「よりによって、ルビーとデートに行くなんて。自慢げなルビーの顔が目に浮かぶわ」

 私の不満げな声に、ロジェ兄さんが愉快そうに笑った。

「笑いごとじゃないんだから!」

 すると、ごめんごめんと謝りながらも、まだ笑う兄。

「でも、エメだって烏姫(プリンセス・クロウ)って呼ばれてるんだろう?」

「なんで兄さんがそれを知ってるの?」

 私は驚いてロジェ兄を見つめた。

「有名な話だよ。ベルガモットの女王蜂と、チュテレールの烏姫。どっちも綺麗だけど怖いって」

「やめてよ。だいたい烏姫って何よ。そんなの存在しないし」

 確かに最近、町でそう噂されているのは知っている。そしてその名を聞くたびに、気分が悪くなるのだった。


 そう呼ばれるようになったきっかけは、六年前、ルビーに嫌味を言ったこと。年上でいじめっ子のルビーに、真正面から立ち向かった、なんて一時英雄扱いだった。でもそれが気に食わなかったらしい、ルビー陣営は、学校に行くたびに、というか町に出るたびに、何かと突っかかってくるようになった。その度に撃退していたら、ルビー・ベルガモットの対抗馬にさせられてしまった、というわけである。


「ルネがカラスだってからかった時は、泣くほど喜んでたのに」

 意地悪が過ぎるぞ、と目で訴えると、ロジェ兄さんはやっと笑うのをやめてくれた。

「それにしても、この数年で本当にエメは美人さんになったな」

 今度は褒めてどうするつもりだ。

「今に男を手玉にとる悪女に……」

「ならない!」

 まったく。王都から帰ってきてから、兄さんは良く冗談を言うようになった。

「もうマシュマロあげないからね!」

「ごめん、エメ。それだけは!」

 私は、兄の目の前で、最後のマシュマロを美味しく食べると、嘆く兄を置いて部屋を後にした。





 私はすることもなくて、厨房に来た。暇だから、道具の手入れでもしようかと。

 やっと、十五歳だ。

 シャトー・ド・ラ・ダームに来て十年。母に弟子入りして六年。見習い期間を終えて、本当にパティシエとして働くことができる年齢になった。

 初めのうちは、本当に雑用ばかりだった。私よりも六歳年上の後輩が出来るまでは、とにかく食材の良しあしを見極める力と舌を養った。ケーキだけじゃなく、料理の勉強もした。

 銅鍋を磨く腕には、赤黒い痕がいくつかある。揚げ物の担当になり、何度も失敗して出来た火傷だ。飴細工の練習は、それこそ火傷の危険と隣り合わせ。間違えれば、腕の火傷のような可愛いもんじゃない。

 分厚くなった手の皮は、年頃の女の子の理想とは異なるだろう。しかし、私にとっては勲章のように思えた。


 一皮剥けたかのようにきれいになった鍋に満足し、一休みする。

 外はしんしんと雪が降り積もり、世界の全ての音が凍ったかのように静かだった。

 ルネは今頃、転びそうになるルビーの手をとってやっているのだろうか。学校を卒業してからも、何かとうるさいルビー・ベルガモットにはうんざりしている。

 女王蜂と烏姫

 烏のお姫様じゃ、みっともない。

 胸のペンダントが熱くなる。元気を出せと励ましてくれているようだ。

「ジュール様……」

 あれから、彼には一度も会っていない。全部夢だったんじゃないかと思えるくらい。祝賀会の度に、暇を見つけてはあの日ぶつかった廊下に立ってみるが、毎年誰も現れないのだ。宿泊客リストに、ジュール・ド・リベルテの名が載ることはない。その度に、私はため息を吐くのであった。


 私は、一歩外に出て降り積もった雪の表面をすくう。舌の上で、すっとなくなり喉を潤す。触れたと思ったら、もうなくなっている、幻のような……。風に揺れる黒髪が脳裏によぎり、私はそれを振り払うように頭を振った。


 そうだ、この雪の口溶けを菓子で再現できないだろうか。


 私は思いついたことを実行することで、感傷的な気持ちをどこかへ追い払おうとした。

 まずは牛乳と生クリームを手に取る。砂糖と卵黄を加えて加熱。別のボウルでメレンゲを作って合わせれば、とろみのあるカスタードソースのようなものが出来上がる。それをボウルごと雪の中に埋め、大きめの皿で蓋をすれば、あとは待つだけ。

 カチンコチンに固まったミルクより、ちょっと混ぜてあげたほうが、雪のようなスッとした口どけになるのではないか、という仮説を立てて、時々蓋を開けて、混ぜてみる。


「おとぎ話の王子でも……」

 混ぜながら、つい歌ってしまう。あれ、この先はなんだっけ?


「お。ノワ、何作ってんの?」

 振り返ると、雪の積もったニット帽をかぶり、鼻を赤くしたルネ兄の姿があった。ちっ。デート帰りか。

「ん? たぶん、アイスクリーム」

「たぶん? お前って時々変な言葉使いするよな。気を付けたほうが良いぞ」

 真面目な顔でそう言われ、少々腹が立つ。

「変なのはルネの方でしょ。ルビー・ベルガモットとデートなんて、頭が変になっちゃったんじゃないの?」

 私の不機嫌な声に、兄は目を丸くする。そして、何かに気付いたように、ニタニタ笑い始めた。

「エメ・ノワー、もしかして嫉妬か? いやいや、いくら血が繋がってないからって、兄さんは……」

 ふざける兄の頭を殴り、兄はバフン、と雪の中に倒れこむ。やりすぎた、と思い兄を起こそうと近寄れば、何故か泣きそうな兄の顔があった。

「そんなに痛かった?」

「ちげぇよ」

 のっそりと、兄が上半身だけ起こす。

 私は、アイスクリームのボウルを持って、兄の側に腰を下ろした。お尻が冷たいけど、どうだっていい。

「ルビー・ベルガモットにいじめられた?」

「ちげぇよ。俺、結構人気なんだぜ? ルビーから誘ってきたんだし、何でいじめられなきゃいけないんだよ」

 そう笑う兄の横顔は、どこか元気がなくて、私はただ彼の言葉を待った。顔を手で覆い、何かを拭うように乱暴に顔を撫でると、兄はそのまま俯いた。

「ちょっと、試してみただけだよ……。町一番の美人なら、どうにかなるかもって」

 兄が、ルビーを町で一番と言ったことを、咎めはしない。事実だから。でも、何を試したと言うんだろう。

「朝刊、見たか?」

「うん。読んだけど……」

 私の言葉に首を横に振る兄。

「ラピスのじゃなくて、全国版」

「あ、読んでない」


「出てたんだよ。……オドレイお嬢様が、婚約したって」 


 兄の口から出てきたのは、遠い昔に出会った、花の妖精のように愛らしかった少女の名前。

 オドレイ・ド・フルーヴ、フルーヴ侯爵令嬢だ。


 私は、彼女の名前を聞いて、「ああ」と納得した。まさか、兄が九年も彼女を想っているとは知らなかった。でも、ここで、この泣きそうな顔の兄が、彼女の婚約話を持ち出したことで、すべてを察したのだった。

「兄さん……」

「ばっかだろ。もうずっと会ってないんだぜ? 普通、十五くらいで恋人とか作ってさ、俺の年じゃ結婚とかして……」

 うまくいかなかったんだ。きっと。

 私は、兄がルビーで何を試したのか、分かる気がした。オドレイへの想いを、断ち切れるような、そういう何かを求めていたんだ。

「馬鹿なんかじゃないよ」

 私の言葉に、振り返る兄。情けない顔で、いつもの自信たっぷりな様子なんてどこにもなくて。このホテルで、オドレイを待ち続けていた兄。

「そんなに大事にしていたもの、捨てないで……」

 兄の肩に手を置く。


「ルネ兄は、普通じゃないもん。きっちり、オドレイお嬢様に振られるまで、諦められない男でしょ?」

「……ノワ」


 兄は、空を見上げて、歯を食いしばると、肩に置いた私の手を力強く握った。

「……どうして振られる前提なんだよ」

「ふふ、馬鹿兄貴」

「おい!」

 怒ったような顔で、振り返った兄の口に、スプーンを突っ込む。

 口の中に入ったそれに驚く兄。どうやら上手くいったらしい。私は、悪戯が成功したような気分で、にっこり笑って歌う。


 兄は私の歌を聞きながら、

「ふうん。じゃあ、俺は王子様以上の存在ってわけだな」

 と笑った。

「あ! それだよ、それ!」

 兄の言葉に歌詞の続きを思い出した私は、再び歌い始める。

「ノワ、奇妙な歌って以前に、お前歌下手だな」

「んな! 馬鹿兄貴!」


 舌の上でとろけてなくなるアイスクリームは、切ない恋の味だった――――




歌詞部分、ご指摘頂いたので確認し、まだ使えないようだったので訂正しました。すみません……

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