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贖罪 - 小延智也

 僕はまた二宮と会い、想像もしなかった体験をすることになった。

 臓器売買をするような男たちにその商品として扱われるのは、正直に言ってすごく恐ろしかった。情けない言動をしなかったのは、動じていない二宮に対する意地があったからだ。




 連れて行かれた部屋に閉じ込められた後、不快な印象の男に二宮が1人で呼び出された。その前にこの部屋に入ってきて、二宮をじろじろと見ていた奴だ。二宮が出て行くとすぐに、僕は彼女を1人で行かせたことを後悔した。


 さっきの男の勝手な行動じゃないのか。ドアの横にあるボタンを押して人を呼び、彼女が無事か確認しようとした。しばらく待っても誰も来ない。何度押してみても同じだった。


 僕はその状況に自分でも驚くほど焦った。ドアを思い切り蹴ってみた。蹴ることで人を呼べるほど大きな音がするかと思ったが、ドアの素材は金属ではなく鈍い音がしただけだった。

 もっと大きな音を立てようとして、僕は畳んだパイプ椅子で思い切りドアを殴った。殴られたドアより殴った椅子の方が大きな音を立てた。他にできることもなくて、僕は椅子でひたすらドアを殴り続けた。




 疲れて腕が上がらなくなった頃、ドアが開いて二宮と背広の男が入ってきた。最初の印象と違って背広の男は僕に親切だった。背広の男は一度部屋を出て、数分後に代わりの椅子を持って戻ってきた。

 何故か背広の男はドアから入った所で立ち止まった。椅子を受け取るため僕の方から彼のところへ行くと、彼は僕に小さな声で言った。


「すみません。貴方に質問をしてもよろしいでしょうか」


 それにつられて僕も小声になった。


「何を?」

「ここに来るという話ですが、今朝になって初めてあの人から頼まれたというのは本当でしょうか?」

「ああ、そうだ」

「それほど急に、死んで欲しいとあの人に言われた。貴方はどうしてそんな無茶な話を受けられたのですか?」

「勘違いしないでくれ」

「はい?」

「確かに頼まれはしたが、ここに来ることを決めたのは僕自身の意思だ」


 背広の男は僕の言葉を聞くと目を伏せた。そして僕を見ないまま話を続けた。


「……本当にそうでしょうか? あなたにとっては突然のことだった。今はそう思っているだけではありませんか?」


 その言い方に僕は思わずむっとした。僕が彼女に騙されているとでも言いたいのか。


「それが真実だ。ここに来ることが突然決まっただけで、本当のことを言えば僕はその前から死ぬつもりだった」

「……前から死ぬつもりだった? あの人に会う前からですか?」

「2回目に会った時だ。言っておくが、彼女とは関係のない事でだからな」

「関係がない?」

「……全く関係がないわけじゃないが、彼女に何か言われて死のうと思ったんじゃない。むしろ彼女は僕が死ぬのを止めようとしたんだ」

「……ご自分の言葉をおかしいと思われませんか?」

「どうして彼女のせいにしようとするんだ」

「貴方こそ、そんなにあの人のことが大切ですか」

「やめてくれ。そういうことじゃないんだ」

「好意を持っていることも認めないんですか。貴方は」

「彼女には好きな人がいる。僕が会うよりずっと前からだ。彼女がどれだけその人を好きなのか僕は良く知っている」


 背広の男は顔を上げて僕を見た。ひどく疲れた顔をしていた。


「あの人は……、どうすれば他人をここまで……」

「あまり詳しいことは言えないんだ。変だと思ったのならそのせいだ」

「……それでご自分に説明できるのですね。よくわかりました。ありがとうございます」

「質問は終わりか?」

「はい。それとお伝えいただけますか。私があの人の服に――」


 そこまで言って背広の男は言葉を止めた。


「いえ、結構です。どうせお見通しでしょうから」


 背広の男は、僕も二宮も見ることなく部屋を出て行った。




 それから長い時間が経ち、覚悟していたはずの心が揺らいできた。二宮が一緒でなければ取り乱していたかもしれない。彼女には自分のみっともない姿を見せたくなかった。


「怖くないのか」

「あのドアから入ってこなければ大丈夫」

「そりゃそうだろうが――」

「大丈夫。きっとここまでは来れないから」


 こんな状況でも、彼女が心配しているのは湊河のことだった。大丈夫と言いながらもドアから目を離さない彼女の横顔は美しかった。運命を共にしていることが僕の彼女に対する親近感を強くした。

 その筋合いが全くないと分かっているが、僕はこれほど一途に彼女に思われている湊河が妬ましかった。




 突然、階上から唸るような大きな音が響いた。コンクリートの床を通して聞いているせいか、何の音なのかは分からなかった。しばらくすると音は小さくなったが、完全に消えはしなかった。


「何だろう?」


 僕の問いかけに彼女は何も言わなかったが、初めて不安そうな表情を見せた。


 続いて鼻に刺激臭を感じるようになった。だんだん喉への刺激が強くなっていって、咳が出そうになる。目にもチクチクとした刺激を感じていた。彼女が先に咳き込み始め、僕もつられるように咳をした。


 ドアの鍵を開けようとする音がして、すぐに勢いよくドアが開かれた。喉と目への刺激が一気に強くなって、僕は目を開けられなくなった。咳も止まらなくなった僕は全く無防備な状態だった。そこに誰かの足音が近付いてきた。


 自分の咳の合間に、二宮と侵入した者の会話が聞こえた。驚いたことに現れたのは湊河だった。僕はそのことに理由もなく感動してしまった。

 湊河は僕を無視して彼女の心配をしていた。二宮に話しかける声には深い安堵の色があった。ここで僕を殺したとしても彼女を残して死んだりはしないだろう。




 僕たちは階段やエレベーターから降りてくる人々に紛れてビルの外に出た。ビルの周りに集まった野次馬の中に、僕たちをここに連れてきたあの背広の男がいた。 その周りには暴力団の関係者らしい数人の男たちもいた。背広の男は視線をこちらに向けていて、明らかに僕たちに気付いている様子だった。


 僕はいざとなれば二宮の盾になるつもりだった。しかしその時、急に野次馬たちが騒ぎ始めた。湊河はその騒ぎに乗じてそこを離れようとした。暴力団たちは意外なほどあっさりとオレたちを見逃した。




 湊河に続いて僕は屋上へ続く非常階段を駆け上がった。彼女を背負っているにも関わらず、先行する湊河は僕を引き離していく。このまま僕が逃げたらどうするんだろうか。

 まあそんなことをしても、彼女を降ろせば余裕で追いつかれるだろう。ところで『今は殺さない』の『今』は、まだ継続中なんだろうか。


 たった6階分を駆け上っただけで僕の脚はふらついていた。屋内への階段がある小部屋の壁にもたれて座り込んだ僕は、彼女と湊河がどうしているかを確認した。湊河から渡されたスマホで彼女は誰かと通話していた。やがて電話を切った彼女に湊河が話しかけた。


「父親にどれだけ心配をかけたのか、よく分かっただろう。父親だけじゃない。お前のママや友だちも悲しませるところだった。もちろん俺も心配した」

「……ごめんなさい」

「今回のことは二宮が俺のことを思ってしたことだ。それは分かっている。しかし、いくらなんでも度が過ぎている。二宮の父親は害があるものを二宮に近づけたりしない。二宮が俺のために無茶をするなら、俺は二宮にとって害があるものだ」

「……」

「俺だって同じ気持ちだ。俺がいることで二宮が危険になるなら、俺はもう二宮には会えない」


 湊河の言葉を聞いている内に僕は怒りがこみ上げてきた。彼女がどんな思いで自分の身を投げ出すような真似をしたのか、それが分かっているからだ。


「……なくても、いい」

「……二宮?」

「会えなくてもいい。店長さんがいなくなるより、会えなくなる方がいい!」


 彼女は子供のように泣いていた。死に面した場所でも超然としていた彼女が、今は頼りない普通の女の子に見えた。


「二宮。俺が言ってる『会えなくなる』は、目を合わさないとか話をしないとかじゃないぞ。お前と会うことのない場所に行くってことだ。二宮にとってはいなくなるのと同じことだ」

「違う! 全然違う! 店長さんがこの世からいなくなってしまうのと、ただあたしには会えないだけなのとは、あたしにとって正反対なぐらい違う!」

「どこが違うんだ? 俺はお前に何もできない。お前は俺から何も得られない。俺が本当にこの世からいなくなってもお前には分からない。どういう違いがあると言うんだ!」


 彼女の必死さは僕にも伝わってきた。湊河の話す言葉も感情的になってきた。しばらく2人はにらみ合いを続けた。


「店長さんはあたしのことを心配してくれたのよね」

「そうだ」

「あたしが死んだら嫌なのよね」

「当然だ」

「……だったら、もし店長さんが死んだらあたしも死ぬ。それが事故だろうと何だろうと」


 その途端に湊河の表情から怒りが消え、困惑している表情になった。今日彼女がしたことを考えれば、その言葉を笑い飛ばすことなどできるはずがない。


「かまわないでしょ? その時には、もう店長さんは死んでいるんだから。店長さんにはもう何の関係もないんだから」

「落ち着け、二宮。……確かに俺には関係がないかもしれないが、父親や母親や友だちは間違いなく悲しむぞ。二宮の妹が死んだ時に二宮の家族全員が辛い思いをしたようにだ。それでもいいのか?」

「そのことだって、死んでしまった店長さんには関係ないでしょう。どうして気にするの? 店長さんだって、自分が死んだ後にあたしがどんな……、どんな気持ちになるかなんて関係ないんでしょう!」


 力のこもった彼女の視線を湊河は受け止め切れないようだった。その表情が目まぐるしく変わる。湊河の心の中に葛藤があることは僕にも読み取れた。


「店長さんはあたしに、大切な人たちが悲しむから死ぬなって言う。でもあたしがどんなに辛い思いをしようと、店長さんは死んでしまう。あたしが店長さんにとって大切な人じゃないから?」

「……」

「店長さんは家族を助けられなかったから死のうとしてる。それなのに、店長さんを助けられないあたしに生きろって言うの?」

「二宮、俺は――」

「本当は分かってる。……あたしと店長さんは違うってこと。店長さんはあたしに言葉で言えないほどのことをしてくれたのに、あたしはそんな店長さんにただ甘えてただけ。……店長さん、あたしにもう少しだけ時間を。そうしたら今度こそ――」

「いいんだ、二宮。その必要はない」


 二宮の表情が凍り付いた。それを見た湊河は慌てたように言葉を続けた。


「いや! そういう意味じゃないんだ。お前は気付いてなくても、もう俺に十分なものを与えてくれた。二宮は今の俺にとって一番大切な存在だ」


 こわばっていた二宮の表情がゆっくりとほぐれていった。僕が初めて見た穏やかな目で、湊河は二宮を見つめていた。




 そんな2人の声を聞きその表情を見ながら、僕は身の置き所がないという言葉の意味をこれ以上ないほど実感していた。

 2人はお互いを思って苦しい駆け引きをしている。この事態を引き起こした原因は間違いなく僕にある。僕がその責任を感じていたたまれない気持ちになったのなら当然だ。


 しかし僕がその時に感じていたのは、とんでもなく場違いな所に自分がいるという思いだった。

 今2人はお互いへの強い愛情をぶつけ合っている。お互いの命が懸かっているとはいえ、話している内容は一言でいうと痴話ゲンカだ。本当なら当人たち以外が聞くべきではない言葉を、今僕は聞いている。


 2人とも僕を殺して自分も死のうと考えていた。その意味で間違いなく僕は当事者だった。

 僕にとっても2人は最も重要な人物だ。だけどその僕がすぐ近くにいるのに、2人の関心は全く僕に向いていなかった。


 僕が今、何を感じているのかを他人に伝えるのは難しい。こんな複雑な状況を体験した人にしか分かってもらえないのかもしれない。文句を言える立場じゃないだろうと、ほとんどの人は僕を非難するだろう。


 殺されても仕方がないと思っている間でさえ、僕は僕自身にとって主役だった。もしかすると自己憐憫に浸る気持ちがあったのかもしれない。だけど今の僕は、僕自身から見ても価値を持たない存在に思えた。


 僕がよく理解している通り、二宮にとって湊河は自分の命よりも大切な存在だ。湊河も二宮を同じくらい大切に思っている。

 他人である僕にさえ、言葉だけでなく彼の表情や仕草から嫌というほど伝わってくる。もしかすると他人だからこそ本人たち以上に分かるのかもしれない。


 2人の強くて深いつながりは、彼らの特別な体験によって育てられたものだ。これから僕がどれだけ生きたとしても、この2人のように互いに思い思われる相手に出会えることはないだろう。その考えに僕はひどく打ちのめされた気分だった。




 やがて大きく息をついた湊河は、再び力を取り戻した目で僕の方を見た。


「小延智也」


 湊河は僕と視線を合わせてから僕の名前を呼んだ。満たされた彼に比べて、僕は全く取るに足りない存在だ。そんな思いが僕の中に生まれていた。


「事故の時に何があったのかを俺に話してくれ。それより前の出来事も含めて、関係があると思うことを全て」

「あんたは僕が殺したいほど憎いんだろ。僕はその理由もよく知っている。そんな相手から何を聞きたいんだ? 自分に都合のいい話しかしないかもしれないのに」

「そういうことも含めて、俺は小延智也という人間を判断したいんだ」


 僕は彼の言葉から全てを勝ち取った者の余裕を感じた。だけど僕にはそれを僻むほどの気力もなかった。僕は父の車で暴走したその理由から話し始めた。

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