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救出

 地下へ行くにはエレベーターと階段がある。地下一階で止まっているエレベーターは、さすがに危険過ぎるので使えない。階段の方は入り口のドアにカギが掛かっていた。


 スポーツバックから2本の金属棒を取り出して繋ぎ、1メートル強の長さにする。棒の端にある太い部分には、シリンダー錠に使われるキーの差し込み部分が、棒に対して垂直に固定されている。

 この差し込み部分は、工作機械の刃の部分にも使われる超硬合金の削り出しだ。溝はあるが歯の刻みは無いので、鍵穴に差し込んでも普通では回せない。


 俺がてこの原理で強引に鍵穴を回すと、ベキベキと音を立てて錠が回転した。ノブを回すとドアは開いたが、何かがドアの裏に置いてあるようで少ししか開かない。渾身の力でドアの隙間を広げた俺は、そこから中に潜り込んで再びドアを閉めた。


 思った通りそこには荷物が積み上げてあった。ドア裏のサムターンには機械的に固定する器具が付いていたので、例えカギがあってもこのドアは開けられない。つまりこの場所は物置として使われている。階段を使った地下への侵入は警戒されていないはずだ。


 導火線の長い爆竹の音がまだ散発的に続いていて、足音をひそめる必要はない。俺がそう思いながら階段を降りると、何処からかうめき声が聞こえる。見下ろすと階段の下に縛られた男が倒れていた。うめき声は口に貼られたガムテープのせいだった。


 ゴーグルとマスクを着けた俺を見て縛られていた男は目を見開いた。俺は小延かもしれないと思ったが、近付いて確認すると別人だった。なぜ縛られているのか聞いておいた方がいいだろう。

 俺は催涙スプレーを出して男の顔面に向けた。


「今から口のテープをはがす。騒いだらスプレーの中身をお前にかける。そうすればお前は何時間も苦しむことになる。失明するかもしれない。分かったら首を縦に振れ」


 男が首を振ったので俺はガムテープをはがした。


「ち……、ち、くそ。……何もんだお前」

「質問に答えるのはお前だ。どうしてこんなところで縛られている?」

「……」

「そうか」

「待てっ! ……船見にやられたんだ」


 その名はさっきも聞いた。二宮たちをここへ連れてきた人物だ。


「何故縛られた」

「俺が連れてきたガキから話を聞こうとしたら、いきなりやられたんだ」

「話を聞こうとした? ここでか?」

「そうだ」


 二宮をこんなところに連れてきて、縛られるようなことをしようとしたわけか。俺の中で有罪が確定した。


「そのガキはどうなった」

「船見が元の部屋に戻しただろ」

「ケガはさせていないんだな」

「指一本触れてねえよ」

「このすぐばれる状況で嘘をつくのか。自分の身が可愛くはないようだな」

「指一本ってことはないが触ったのは顔ぐらいだ。本当だって」


 言葉の調子から二宮にケガはさせていないと俺は判断した。話を聞き終わった俺が男の股間を思い切り踏むと、靴底で何かが潰れる感触があった。

 男は人間には出せない声を出すと、白目をむいて悶絶した。帰りにも通ることを考えて、その体を階段の下に移動させた。階段から外に出るドアに鍵は掛かっていなかった。


 ビル用の共通設備と駐車場を除けば、地下にあるのは3室だけだ。通路に出ると俺はスプレー缶のピンを次々に抜いて足元に並べ、そのまましばらく反応を待った。どの部屋も気密性のあるドアではないから、催涙ガスは隙間から部屋の中へ侵入していくだろう。

 通路の先を曲がったここから見えない場所にエレベーターがある。そこに誰かがいればすぐにガスの影響を受けるはずだが、物音は聞こえなかった。待ち伏せはなかったようで、地下にいる全員が部屋の中にいるのだろう。


 しばらくすると咳き込む声が聞こえてきた。ドアの1つが開いて男が出てきたが、濃いガスを吸ってさらにひどく咳き込んだ。そのままうずくまって動けなくなる。俺はその男の体をつかむと部屋に投げ込んだ。

 銃声は聞こえなかったので、その後に続いて部屋に入りすぐにドアを閉めた。中には他に2人の男がいた。ドアの近くにいた方は流れ込んだガスで目を開けられず咳き込むだけの状態だ。


 奥にいた男の方は、咳は止まらないものの入ってきた俺をその目で見ていた。その男に向けて、俺はバッグから出した予備のガスマスクを投げた。男は少し迷ったが、そのマスクを拾って口につけた。咳が治まると男は言った。


「何の用だ?」

「作戦中の2人は何処だ? 無事だろうな?」

「誰のことだ?」

「大学生ぐらいに見える男と、中学生ぐらいの女だ」


 こう言っておけば、後で二宮が報復を受ける可能性が少しは低くなる。これだけ大騒ぎになった事件に関わったのが普通の女子高生だとは思い難いだろう。あのふざけた遺書もどきも、でたらめな内容だと考えるかも知れない。


「お前の仲間か? ……ガキにしちゃあ変に落ち着いていて、頭がおかしいんじゃないかと思ってたが」

「何処にいるか教えれば俺はすぐにここを出て行く。ここにはこの3人しかいないようだな。教えたくないなら、警察が駆けつけるまでお前らを見張っててもいいぞ」

「警察? ……何モンだ、お前ら」

「ここで待っていた方がいいんだな?」

「……隣のカギがかかった部屋だ」

「カギは?」

「藤沢が、そこの男が持ってたはずだ」

「部屋には他に誰かいるのか」

「いや」


 俺はその言葉を聞くと相手に近付いていった。いきなり突き出したナイフを、匕首じゃないんだなと思いながら、防刃グローブをはめた手で払い飛ばした。渡したガスマスクをはぎ取って、その顔に催涙スプレーをかける。男は怒号を上げてうずくまった。

 悶えている藤沢に近付くと、その腹を蹴り上げて動かなくさせた。体を探ってカギを取り出す。最初に投げ込んだ男の顔に、念のため催涙スプレーをかけてから部屋を出た。


 隣の部屋まで行ってドアに耳を当てた。男と若い女の咳き込む声が聞こえた。2人しかいないようだ。鍵を開けてドアを大きく開き、念のため数秒待ってから部屋に入ってドアを閉める。


 二宮を見つけた。

 二宮は生きていた。


 体の動きにどこかを痛めているような様子はなかった。咳き込んでいる以外は無事なようだ。


「大丈夫か、二宮」


 駆け寄ってガスマスクを着けさせ、目に予備のゴーグルをかけた。


「……店長さん?」

「そうだ、俺だ。目は見えるか?」


 二宮は俺に力いっぱいしがみついた。まるで俺を逃がすまいとするかのようだった。俺も二宮を抱きしめ返した。


 間違いなく、生きている二宮が俺の腕の中にいた。

 俺はその暖かさをしっかりと感じた。

 あの事故の時と違って俺は無力ではなかった。

 俺の中の深い部分で、何かが少しずつ溶けていくのを感じた。


 しばらく待つと、二宮はゴーグルの中で目をはっきりと開けられるようになった。涙はまだ止まっていないが待っている時間はない。


「ゴフッ、ゴッ、ゴフッ」


 横から聞こえる咳の声がうるさくなってきた。心の準備をしながら振り向くと小延智也がいた。小延の目は閉じたままで、涙が流れている。手で抑えた口からは咳が漏れ続けている。

 予想したほど激しい殺意は湧いてこなかった。この状況ならいつでも殺せる。その安心感からだろうか。


 その時、二宮が抱き付いたまま俺の体を小延から離そうとするよう押し始めた。


「二宮」

「ダメ! 小延さんを殺したらダメ!」

「俺が小延を殺そうとする理由は知っているんだな。……それでもお前は止めるのか?」

「小延さんを殺したら、店長さんも――」


 二宮は言葉を詰まらせ、その体は細かく震えていた。二宮がこんな無茶をした理由を俺はおおよそ気付いていた。それでも、二宮から直に聞いた言葉は俺の心を揺さぶった。


「二宮。今は殺さない。……俺の家族に誓う。小延にこれを着けてやれ」


 そう言いながら、スポーツバッグから出した3セット目のゴーグルとガスマスクを二宮に渡した。それを受け取った二宮はしばらく俺の顔を見つめ、振り返るとそれらを小延に着けてやった。


「それから2人ともこれに着替えろ。脱いだ服はこのバックに入れるんだ。二宮はこのウイッグもだ」


 二宮が着替えている間、俺は入り口を見張っていた。小延はまだ目を開けられない。小延の咳が治まるのを待ってから俺は2人に言った。


「ここから出る。ついてこい」


 そして俺たちは、入ってきた経路を逆に辿ってビルの入口まで戻った。その間、特にじゃまは入らなかった。1階のドアに耳を当てると、外からは大勢の人の声が聞こえた。おそらく階上から避難してきた人たちだろう。


 パーカーを脱いでドアから出ると、俺たちはすぐに人ごみに紛れてゴーグルとガスマスクを外した。近付いてくるパトカーのサイレンが聞こえた。


 ビルの外には、いかにもという格好の男たちが20人以上いた。見回すと黒塗りの車が何台か止まっている。本部から来た暴力担当の組員なのかもしれない。そうだとすると素手ではない可能性が高い。

 警察より先にこういう男たちが来るとは思わなかった。しかもこの数だ。彼らはビルから出る人々に目を光らせている。怪しいと思った人間に対しては、呼び止めて確認もしている。


 俺1人ならともかく、二宮を連れて強行突破は危険すぎる。彼女に単独でこの場を離れさせるべきか。だが男たちの中に彼女の顔を知る者がいるかもしれない。

 組員の中には冷静でない者も結構いた。この状況を屈辱だと感じているのだろう。現れた警察官に身を預けようとすると、犯人と見なされて彼らが無謀な行動に出るかもしれない。


 警察が現れたタイミングで俺が暴れて、男たちの注目を集めるしかないか。その隙に二宮を警察官の所へ行かせるとして、問題はどうやって彼女にその作戦を納得してもらうかだ。


「あっ! 店長さん!」


 見物客から大きな声が上がった。店の客だ。その周辺にも見覚えのある顔が何人かいた。口々に声を上げながら俺の方へ駆け寄ろうとする。

 するとそれに立ちふさがるように何人かの人影が現れた。俺に近付こうとする者とそれを妨げようとする者。両者の数はどんどん膨れ上がっていった。


「逃げてください!」

「何よ! ジャマするの?」

「デート中だぞ! こんなに大勢で押しかけて、迷惑だと思わないのか!?」


 暴力団らしい男たちは、状況を理解できずに戸惑っていた。


「何だ? 芸人か?」


 逃げてくれと言われた俺たちは、言葉通りにその場を逃げることにした。


「おい、お前ら――」

「よせ。面倒なことになる」


 暴力団の男たちは、いまいましそうな顔で俺たちに道を開けた。


 俺は数十メートル離れたビルの非常階段に2人を連れて行った。暴力団員をさらい出した時には、このビルの屋上で尋問をする予定だった。

 階段の周りは足がかりのない3メートルほどの高さの柵で囲まれている。その柵についた扉には鍵がかかっていない。2人と共に扉の中に入った俺は持参した大きな錠前でその扉に鍵をかけた。こうしておけば誰もこの上に昇った者がいるとは思わないだろう。


 俺は二宮を背負ってその階段を屋上まで昇った。小延の足音が遅れて後をついてくる。6階分を駆け上がった俺たちは、そこでようやく一息つくことができた。


 俺は二宮良治に電話をかけてそのスマホを二宮に渡した。父親と話している二宮の声は涙声になっていた。二宮は俺のために一度は全てをなげ打った。その二宮をこれ以上傷つけたくなかった。


 そう思った途端、俺の中の意思がまた俺を責め立て始めた。だがその力は小延が店を去ろうとした時ほど圧倒的ではなかった。俺に小延の死を避けようとする気持ちが残ったままでも、俺はその力にあっさりとは押し潰されなかった。


 俺が二宮を見つけてその体を抱きしめた時、俺は<俺の中の意思>に変化を感じた。二宮を助けたことで、自分に対する怒りが少しだけ弱まったように感じた。


 俺の中の意思が弱くなったのか。

 二宮がいることで俺が強くなったのか。

 それとも、その両方なのか。


 俺は心の中で、誰にも見えない闘いを続けた。

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