切迫
俺が知らない間に進んでいた状況を、把握しておく必要がある。終わることのない心の葛藤に疲労していた俺だったが、そのために園田弁護士と連絡をとった。
「どうして小延が出所したことを言わなかった。俺が死んで不要になった金が、あんたの手に入らなくなるぞ」
「そんな胸糞の悪い金は要らんよ。用はそれだけかね」
「……どうしてだ。小延の父親から金を貰ったのか?」
「いや。逆に貰った礼金を返したよ。私の例の嘘はもう彼に告白した。最後に忠告しておこう。君はもう少し自分の影響力を理解した方がいい」
そう言って、園田弁護士は電話を切った。
しばらくして玄関のチャイムが鳴った。今は雑事にかまけたくない。俺がそのチャイムを無視すると、チャイムは続けさまに何度も鳴らされた。
仕方なく玄関まで行ってドアを開けると、そこに立っていたのは二宮の父親、二宮良治だった。その強い意志のこもった眼光を見て、俺は気圧されそうになった。息を切らせ、ひどく焦った様子だった。
「娘は! 透花はいるかね!?」
二宮の行方が分からない? その言葉は俺の危機感に火を点け、失っていた気力を甦えらせた。
「ここには来ていない。二宮がどうかしたのか?」
「……これを読んでみてくれ」
渡されたのは、二宮が書いた手紙だった。
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おとうさん、ごめんなさい。
あたしは今から小延智也さんと一緒に家を出ます。
小延さんは最近お会いした人です。
彼は交通事故で人を死なせてしまい、3年間刑務所に入っていました。
そしてそのことをとても後悔していました。
その話を聞いた時、あたしは彩花のことを考えました。
彩花を死なせてしまったことで、あたしもずっと苦しい思いをしてきました。
だからあたしは小延さんの力になりたいと思いました。
料理が得意だと聞いたあたしは彼を働かせてくれるように店長さんにお願いしました。
でも店長さんはそれを断りました。
あたしはそれが信じられなくて店長さんを責めました。
でも断られて当然でした。
小延さんが死なせたのは店長さんの家族でした。
その後で安西さんから、事故の時に店長さんがどれほど苦しんだかを聞きました。
あたしと小延さんがしたことは許されないことでした。
もうここにはいられません。
あたしは家を出て、だれにも見つからない場所を探します。
そしてそこで小延さんと暮らします。
あたしたちを探さないでください。
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……二宮が小延智也と一緒にどこかへ行ってしまった。俺はどうしたらいいんだろう。
小延を殺すことは俺にとって確定したことだ。だから俺は、これから小延を探さなくてはいけない。探して、見つけて、それからどうするんだ? 二宮の目の前で小延を殺すのか?
小延を殺された二宮はどうするだろう。悲しんで後を追うのか、それとも俺を殺して殺人犯になるのか。いすれにしても、その時に俺は二宮を助けてやれない。
どうしてこんなことになったんだ? 小延にはそれほど二宮を引き付ける何かがあったのか。父親や、母親や、友だちはどうするんだ。
長い間その関係に苦しんできた相手にようやく心を開くことができて、あれほどの喜びを俺に見せていた。それなのに、その人たちを捨てるような真似が彼女にできるのか?
「どう思われますか?」
「おかしい……」
「おかしいというのは?」
「二宮はこんな風に、自分の都合で周りの人間を切り捨てて、どこかに行ってしまうようなやつじゃない」
「あなたに申し訳ないことをしたから。そう書いてありますが」
「あいつは苦しいことから逃げるやつじゃない。今までだって黙って耐えてきたんだ」
「そうですか……」
二宮良治はため息をつき、それから俺の顔をじっと見つめた。
「だったらこの手紙は、あなたが透花に書かせたものじゃないんですね」
二宮良治の言っていることが分からなかった。俺は彼の顔を見ながら次の言葉を待った。
「本当に違うようですね。安心しました。……湊河さん、私はね、あなたが小延さんを殺した後で、それを隠蔽するために透花にこの手紙を書かせた。そう思ったんですよ。透花がこんな嘘の手紙を書く理由が、あなたのためということ以外に思いつかなかったので」
「……嘘?」
「小延智也というのが何者かは知りませんが、その人物に透花が惹かれて、なんてことはありえません。透花が慕っているのは湊河さん、あなた以外にいません」
二宮良治の俺に対する評価は、思っていた以上に高かったようだ。彼の主張は俺にとって誇らしい話だが、それを鵜呑みにはできなかった。
「いくら親でも、娘の気持ちが全て分かるわけじゃないだろう。こんなことは言われたくないだろうが、つい最近まで二宮は、あんたと心を通じ合えずに苦しんでいたんだ」
俺の言葉を聞いた二宮良治は、寂しげな笑みを見せた。
「前にも言いましたが、私は湊河さんに感謝しています」
唐突にそう言われて、俺はその意図が分からなかった。
「私はずっと怖かったんです。あの子がいつか居なくなってしまうんじゃないかと。妹の彩花が事故で死んでから、透花は何もかもを諦めるようになりました。友だちと一緒に何かを楽しんだり、自分が興味を持つことを大切にしたり、そんなことをしなくなった。学校から帰ると、ただ家の用事を済ませるだけだった。いつか自分自身を諦めてしまうんじゃないかと、そんな考えが頭から消えなかった」
その時の苦しみが甦ったかのように、彼はその手を握りしめた。
「彩花が死んだ時と同じ思いを、また繰り返したくない。透花に何かあっても傷つかない自分でいたい。そんな風に考えるようになっていました。父親としてだけでなく、人間として失格ですね」
自嘲するその言葉が、俺には二宮良治の本心とは思えなかった。そう言う気持ちがなかったとはいわないが、彼が娘を愛していることは俺の目にも明らかだった。
「でも透花は変わりました。生きていることを楽しんでいます。あなたと一緒に居るときのことを、楽しそうに話してくれるんです。それはもう何度も何度も、私があなたに嫉妬してしまうほどにです。そんな透花を見たことで、私はようやく自分がどれほどあの子を大切に思っているかを知りました」
父親が語った二宮の話に、俺は自分でも意外なほど動揺した。思い返せば、二宮は俺に対して何度も好意を示してくれていた。俺はそれをなるべく軽いものに考えようとしていた。
先のない自分が彼女に対して責任を持つことを、俺は無意識に避けようとしていたのだろうか。
「わかった。あんたの言うことを信じよう。二宮には嘘をついてまで、家を出なくてはならない理由があった。だったら俺たちは、二宮を探し出してその理由を聞かなければいけない。二宮の行き先に心当たりは?」
「あの子はこの街から出たことがほとんどありません。ですから、これといって思い当たる場所もありません」
「そうか。……二宮の部屋に何か手掛かりはないかな。確かPCを持ってたはずだな」
「ええ。私が使っていた少し古い型のものですが」
「履歴を見れば、二宮が何を調べたのか分かるかもしれない」
「分かりました。家まで来てください」
俺と二宮良治が玄関を出て二宮の家に向かおうとした時、その目前で車が急ブレーキをかけて止まった。車に乗っていたのは小延の父親だった。彼は車から降りるとその場で俺に土下座した。その姿は前にも見たが、今回の小延の父親にはより切迫した心境を感じた。
「お願いします。息子を、智也を殺さないでください」
その言葉を聞いて、二宮良治は驚きを露わにした顔で俺を見た。さっきの憶測を考えると、このセリフはタイミングが悪すぎる。
「あなたに嘆願書をお願いした後も、私は人を雇ってあなたのことを調べさせていました。あなたが何人もの男とケンカをして重傷を負った時、わたしはあなたに息子を許す気がないことを察するようになりました。だから息子が出所した時も、あなたに会いに行かせませんでした」
計画はずっと前に破綻していて、俺はそれに気付いていなかったわけだ。だとすると、小延智也の目的は俺の前から姿を消すことか。一緒に二宮を連れて行ったのは、俺と二宮の関係を知ってそれを利用するためか。
だとすると、小延の父親がこの場に現れた理由は何だ?
「昨日帰ってから、息子はずっと思い詰めた顔をしていました。朝になって姿が見えなくなり、心配になった私が何度電話をかけても電源が切られたままでした。息子には悪いと思いましたが、部屋に入って中を調べました。すると机の引き出しに、こんな手紙が入っていました」
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僕は、僕の意思で、湊河貴弘に殺される。それをここに宣言する。
僕は人を殺した。車で人を殺した。
だけど僕はそれをただ運が悪かったからだと思っていた。
彼らが死んだせいで僕が刑務所に入ったのだと思っていた。
だけど刑務所を出て、事故のことを色々と知って、僕は自分の罪を理解した。
僕の罪は重かった。こんな罪を背負って生きているのは嫌だ。
僕の人生は失敗だった。こんな人生はもういらない。
自殺はしたくない。贖罪として死にたい。
僕を殺す役目は、贖罪という言葉に最も相応しい、湊河貴弘に任せたい。
でも僕を殺したことで湊河貴弘が罰を受けるのは困る。
その罰が重いほど僕の贖罪が不完全になる。
それは嫌だから、僕はこの遺書を残す。
湊河貴弘には一度会った。
事故で頭がおかしくなったと聞いていたけど、思ったよりまともな人間だった。
あれだと頼んでも殺してくれないかもしれない。
だから僕は、僕が殺した彼の家族を侮辱するつもりだ。
先日会った僕に何もしなかったことを、腰抜けだとののしってやる。
そうすれば、彼はきっと僕を殺してくれるだろう。
この遺書を書いても、湊河貴弘は無罪にならないだろう。
しかし軽い罪で復讐を果たすことができる。湊河貴弘も満足するだろう。
湊河貴弘がこの遺書を見つけて捨ててしまうと困るので、全部で3枚書いておく。
1枚は僕が持つ。もう1枚は自宅に置く。最後の1枚は貸金庫に預ける。
これならこの遺書が僕の意思で用意したものだとわかるだろう。
最後にもう一度書く。僕が殺されるのは僕の意思だ。
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自分勝手だとしか思えない内容だった。相手が殺してくれと言うならやめる。そんな気に俺は全くならなかった。小延の父親に知られたことで計画の変更は避けられないだろう。しかし俺の中に小延を殺さないという選択肢は存在しなかった。
しかし、どういうことだ? この手紙の内容は、明らかに二宮の手紙と矛盾している。小延の意思がこの手紙に書いてある通りなら、小延はすぐに俺に会おうとしたはずだ。しかし実際には、小延は俺のところには来なかった。
俺の名前をかたって誰かが小延を呼び出した。いや、誰かじゃない。二宮だ。二宮は小延と共に俺たちの前から姿を消すつもりだ。だがそれは、二宮の手紙に書かれていたように2人で暮らすためじゃない。
俺の頭に最悪の答えが浮かんだ。その答えは、俺の中に恐怖と焦燥感を生んだ。そしてそれは俺の心と体に力をみなぎらせた。
「小延さん、車を出してくれ。二宮さんは道の案内を」
戸惑う小延の父親を強引に運転席に座らせて、俺たちは二宮の家に向かった。




