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説得 - 二宮透花

 あたしが目的のビルに着いてすぐ、小延さんもその場に現れた。


「湊河さんは? 後から来るのか?」

「店長さんは来ない。あたしたちだけ」

「どういうことだ?」

「覚悟はできてるって言いましたよね?」

「ああ」

「だったらここで待っていて。後1時間したら、あたしの頼んだ人がここに来るから」

「頼んだ人?」

「この世からあたしたちを消してくれる人。たぶん暴力団の人だと思う」


 小延さんは困惑していた。この説明じゃ分からないとあたしも思う。


「臓器売買って聞いたことがあります? 違法なんだけど、内臓とかを欲しがっている人に売る仕事をしている人がいるの」

「内臓? ……待ってくれ。どうしていきなりそんな話に――」


 説明を聞いた小延さんはさらに混乱したようだった。あたしは小延さんが落ち着くのを待った。


「……つまり、僕を殺すだけじゃなく内臓を売った金も欲しいということなのか? 湊河がそう言ったのか? 湊河はどうしてここにいないんだ」

「店長さんはこのことを知らない。店長さんに知られないためにあたしがこうしたの」

「意味が分からない。何を考えてるんだ?」

「あなたを店長さんには会わせない。店長さんはあなたを殺したら自分も死ぬつもりだから」

「つまり君が勝手に僕を呼び出したのか。……湊河が僕と心中するつもりだって? 一体どんな理由で?」

「店長さんにとってどんな理由があっても人殺しは人殺しなのよ。それが店長さんがあなたを殺す理由で、あなたを殺した自分も殺す理由なの」


 小延さんが何かを言おうとしたのであたしは待った。だけど、しばらく待っても小延さんの口から言葉は出なかった。


「あたしは店長さんにあなたを殺させない。だから代わりに殺してくれる人を探して――」

「それで暴力団と臓器売買なのか? 僕が勝手に死ねばそれで済む話だろ」


 小延さんはそう言った。あたしはその言葉に首を振った。


「店長さんは家族を助けられなかったことでずっと自分を責めてきたの。それだけ大切な存在だった。小延さんも見たでしょう。あの動画の店長さんは自分を大切に思えなくなってた」

「僕が死んでも、それで終わりにならないのか」

「家族のために小延さんを殺すっていう、その目的が無くなってしまったら――」

「……僕は生きていて、行方不明になっただけってことにしたいんだな」


 大きく息を吐いた小延さんの表情からいらだちが消えた。


「ああ、分かったよ。覚悟はできてるって言ったからな」

「……ありがとう」

「ここで待ってたらいいんだろ。だったら君はもう帰れ」

「それはダメ」

「逃げたりしないから。……せめて少し離れた場所にいろ」

「あたしも連れて行ってもらうの。だからダメ」

「……はあ? ……また分からなくなってきたよ。何で君まで?」

「あたしたちは駆け落ちをするの。小延さんだけがいなくなったら店長さんは必死になって探すでしょう。納得するまで探し続けても見つからなかったら、店長さんは小延さんが死んだと思うかもしれない。小延さんが自分のしたことですごくショックを受けてたことは、安西先輩に聞けば分かるから」


 あたしが何度も何度も考えて出した答えを説明する。


「でも、駆け落ちするって手紙を残して2人でいなくなったら店長さんも死んだとは思わないでしょう? 小延さんがどこかで幸せに暮らしている可能性があるなら、店長さんはまだ死ねない」

「……そんな理由で?」


 唖然とした顔で小延さんは言った。あたしは大きくうなずいた。


「それは……君の考え過ぎじゃないのか」

「考え過ぎじゃなかったら? あたしはもう目を開けてくれなくなった店長さんに、こんなはずじゃなかったって言えばいいの?」

「その程度の理由で君は死ねるのか」

「店長さんのおかげであたしには大切な人がたくさんいる。それを知っている店長さんなら、あたしがそんな理由のために死ぬとは思わない。だからこそあたしに騙されてしまう」

「……」

「あたしは小延さんを死なせようとしている。店長さんが許せない人殺しになるの。だからあたしはもう店長さんに会えない。店長さんに会う資格がない未来なら、小延さんの言うその程度のことのために使ってもいい」


 あたしがそう言うと、小延さんは複雑な表情であたしを見た。あたしは小延さんの顔を真っ直ぐに見返した。


「……だったら、……僕が嫌だといったら君はどうするんだ? 僕がここから逃げ出したら?」


 それは考えていなかった。だから素直にそう言った。


「それは考えてなかった」

「……何で考えないんだよ! バカか君は!」


 小延さんは怒鳴ったけど、怒っているようには見えなかった。

 

「たっだら今考えるんだな。僕は君の言うことを納得していない」


 どうするのが一番いいか、あたしはよく考えた。約束の時刻まではまだ間があった。


「だったらあなたはすぐに遠くへ逃げて。できれば日本の外へ。店長さんは日本で男と女の2人連れを探すはずだから」

「2人連れ? まさか……君は止めないつもりか?」

「あなたが店長さんに見つかったら、その時にあたしの死は無駄になる。そのことを忘れないで」


 あたしがそう言うと、小延さんはあたしから視線を逸らした。


「……そんなに湊河が大事なのか。そんなに他人を思えるものなのか? ……僕には分からない。本当に怖くないのか?」


 小延さんはあたしを見ずに、つぶやくようにそう言った。あたしが怖いと思っているのは、今ここに店長さんが現れることだ。




 結局、小延さんは逃げなかった。ちょうど約束の時刻になった時、会社員風の背広を着た男の人が声をかけてきた。


「メールの送り主は貴方たちですか」

「そうです」


 小延さんを見て話しかけた背広の人は、少し驚いた顔であたしを見た。あたしがまず答えたことが意外だったみたいだ。


「どうしてあんな古いアドレスにメールを?」

「知っているのがあのアドレスだけだったからです」

「メールに書いてあったのは、貴方たちお2人のことですね?」

「はい」

「全てと書いてありましたが、どういう意味でしょうか」

「そのままの意味です。そちらではいらない部分も責任をもって処分してください。それができないのなら、この話は無かったことにします」

「……ほう、なかなか面白いお話ですね。そちらの方も同じご意見でしょうか?」

「あ、ああ。……そうです」

「お話にふさわしい場所に移りましょうか。私の後についてきてください」


 そう言うと背広の人は、あたしたちに背を向けてロビーの出口へ歩いて行った。あたしが小延さんを見ると、彼はあわてたように背広の人の後を追って歩き出した。あたしもその後をついていった。


 ビルの外には黒い大きな車が停めてあった。背広の人は後席のドアを開けると、自分は車の反対側に回って助手席に乗り込んだ。小延さんは少し迷ってから、意を決したように開けられたドアから中へ入った。その後に続いて乗り込んだあたしが重いドアを閉めた。


「スマホや携帯は私に渡してください」


 そう言われたあたしは、初期化を済ませたスマホを渡した。


「僕は持ってきてない」


 受け取った背広の人は電源を切ったようだった。その後あたしたちは渡されたアイマスクを着けた。


 車は発進すると何度も右折や左折を繰り返しながら走った。もしかするとこれはドラマで見たように、尾行が無いか確認しているんだろうか。最後に短い坂を下りて車は止まった。


 車から降りる時もアイマスクは着けたままだった。少し歩いてから背後でドアの閉まる音がして、ようやくアイマスクが外された。見回すとビルの一室のようだったけど、何処にも窓は無かった。


 その部屋には4人の男の人がいて、奥の椅子にはラフな格好の中年の男の人が座っていた。背広の人はその横に立っている。中年の人は胸の前で指を組みながら、あたしたちに質問した。


「まず名前を聞こうか」

「言わなくてはいけませんか?」

「身元不明にしたいのか? 簡単に話は聞いたが、あんたらは直接金を受け取る気はないんだろ? その金は誰に渡せばいいんだ?」

「お金はいりません。その分、移植を受ける人が払う額を安くしてあげてください」

「……分かんないねえ。最近の子が考えることは。そっちの兄ちゃんも同じなのか」

「……そうだ」

「理由ぐらいは聞いておきたいな。後で面倒なことになるのは困るんだ」

「あたしたちがこうしないと、とても嫌なことが起こる人がいるの」

「その誰かさんに迷惑をかけたくないってことか。そういうことなら何処かに逃げればいいんじゃないのか? そういうやつは世の中にいっぱいいるぜ」

「行方不明の届けが出た人って、日本では95パーセントが見つかってるんですよ」

「ああ、そうかい。よく知ってるな。勉強になったよ」


 中年の人は、そう言いながら表情を柔らかくした。


「ヤケクソってわけじゃないようだな。迷惑をかけたくないから死ぬ……か。そんな理由で死ねるのは、俺らみたいな馬鹿だけだと思ってたよ」


 中年の人が背広の人に小さな声で何かを言った。


「それじゃあ、こっちにも色々と都合があるから、しばらく隣の部屋で待っててくれ。最近はこんな話も少なくなってね。いつまで待たせるかは分からない」


 あたしたちは背広の人に連れられて部屋を出た。アイマスクは着けさせられなかった。部屋の外は通路で、あたし達はその奥にある扉を開けて中に入った。


 さっきの部屋と同じように窓は無かった。壁や天井はコンクリートがむき出しで、床だけは樹脂のタイルで覆われていた。部屋の隅に洗面台の付いた屋外用の仮設トイレがあった。


「そこにあるパイプ椅子に座っていてください。食べ物や飲み物は後で持ってきます。何かご希望はありますか」

「特にありません」

「この部屋には鍵をかけておきます。トイレはそこの仮設トイレと洗面台を使ってください。蛇口の水は飲料水です。寝るときはそこにあるマットを床に敷いてください。毛布は後で持ってきます。何か用事があれば、例えばシャワーを浴びたいということなら入り口の横にあるボタンを押してください。何か質問は?」

「手術はいつするんだ?」

「先ほど言いました通り、それがいつになるのかは分かりません」

「じゃあ、今日になるかもしれないんだな?」

「国内では行わないでしょうね。どこの国で行うのかも今のところは分かりません」

「……」

「そちらの方は何かご質問がありませんか?」

「特にありません」


 無表情だった背広の人が、少しだけ口元を緩めた。


「私から質問をしてもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「このような場所で貴方のような方にお会いしたのは初めてです。何もかもを諦めて無気力になった人や心の壊れた人には何度かお会いしたことがありますが、貴方からは意志と知性が感じられます。死を恐ろしいと思わないのですか?」

「恐ろしいです。だからここに来たんです」

「失礼ですが、その言葉の意味が私には分かりかねます。禅問答でしょうか?」

「あたしが死ぬことは、一番恐ろしいことじゃありません」

「……そういうお考えの方ですか。初めてと言ったのは私の間違いでした。貴方を見ていると――」

「……」

「……いや、余計なことでしたね。質問に答えていただいたお礼として私にできる限りのことをしましょう。では、これで失礼します」

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