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理由 - 小延智也

 僕の祖父は店を持たない料理人だった。すごく豪快な人で、話してくれる昔話は僕にはできそうもないことばかりだった。遊びに行くといろんな料理を作ってくれた。その料理はもちろん美味しかったけど、作るところを見ているのも楽しかった。


 父は誰でも知ってるような上場企業の役員だ。亡くなった祖母の苦労を見てきたこともあって、祖父とはあまり仲が良くなかった。

 僕は本当は祖父と同じ料理人になりたかったが父にはそのことを言わなかった。父に言われるまま勉強をして難関と言われる中高一貫校に進学した。でも料理の道に進みたいという気持ちは強くなるばかりだった。


 僕は毎週のように祖父の家を訪ねて料理の修業をさせてもらった。祖父は料理に関しては厳しくて、僕が修業を始めてから何年も僕を褒めることは無かった。高校に進む頃になってようやく、たまにだけど僕を褒めてくれるようになった。料理には勉強では得られない喜びがあった。


 高1の時に祖父が突然倒れた。病院のベッドから起きれなくなった祖父は自分の料理道具を僕に譲ると言ってくれた。祖父がそれをどれだけ大切にしていたか知っている僕にとって、これまでの人生で最も嬉しい言葉だった。

 僕は祖父が亡くなった後に調理師になりたいと思っていることを父に伝えた。父は聞く耳も無く反対した。僕はその時に初めて父の言葉に逆らった。


 僕は勉強するのが苦痛になった。受験勉強はする意味がないと思うようになっていた。父と口論になる日が増えて、当然のように成績は下がった。

 ある日家に帰ると祖父から譲られた料理道具が無くなっていた。母は何も知らず、父は3日間の出張に出たばかりだった。父は電話に出ず、僕はじりじりしながら父の帰りを待った。

 帰った父に家に火をつけるとまで言って問い詰めると、業者に頼んで捨てたと言われた。連絡先を聞き出して電話をした僕に、業者はすでに処分したと言った。


 僕の怒りはこれまでの経験を遥かに超えるほど大きく膨れ上がった。喚き、叫んで、家中のものを壊していった。玄関に有った父が大切にしている車のカギをつかむと、その車に乗って家を飛び出した。この車を完全に壊してやろうと思った。

 乗っている自分ごとだ。父は僕が有名校に進んだことを自分の手柄のように言っていたから、それを無駄にしてやろうと思った。


 どうすれば完全に壊せるかと考えた時、ときどき通る事故多発のカーブが頭に浮かんだ。あの高さの崖から落ちれば原型も残らないほど壊せるだろう。僕はアクセルを踏んでその山道に向かった。

 途中で何度が他の車とぶつかりそうになった。実際にどこかをぶつけたこともあったが、僕はどうせ死ぬんだから構わないと思った。


 山道の下りに入って僕はそれまで以上にアクセルを踏んだ。そしていよいよ目的のカーブに近づき、僕はアクセルを全開まで踏み込んだ。車がガードレールに突き当たる直前に突然他の車が現れた。

 大きな衝撃と共にエアバッグが膨らんで何も見えなくなった。エアバッグが萎んで周りを見れる状態になった時、ぶつかったはずの車は何処にも無かった。


 崖から落ちた。僕が落とした。この高さじゃ助からない。

 僕は自分のしたことが怖くなった。

 人を殺したのだ。


 まず手が震えて、それが全身に広がっていった。この場所にいるのが耐えられないほど怖かった。車のエンジンはかかったままだった。僕は片方だけライトのついた車でその場を逃げ出した。


 山を下りたところで車のタイヤが溝に落ちた。動かせなくなった車を残して、僕は小学校の頃に一番の友人だった子の家へ向かった。

 僕の頭は混乱していた。何の関連もないことが頭の中に次々と浮かんだ。そのまま僕は歩き続け、2時間ほどかけて目的の家に着いた。


 友人は僕の異常な様子を見て何があったのかと聞いてきた。僕は震えるだけで何も言えなかった。しばらくして少しだけ落ち着いた僕は、事故を起こしたことを彼に話した。

 ぶつけた車のことは言わなかった。事故の後に一度もその車を見ていなかった僕は、それが現実だったのか自信を持てなくなっていた。


 僕は友人に同行してもらって警察に行った。事故から4時間近く経っていた。警察の人と話をした時、もしかしてという気持ちでぶつけたかもしれない車について話した。

 その時はそんな車は無かったと言われたが、念のため警察が事故現場に落ちていた部品を調べると、その中から明らかに父の車とは違う部品が見つかった。


 崖から落ちた車の中で、3人が亡くなっていた。湊河和貴、湊河香苗、湊河貴幸。それが僕が死なせた人の名前だった。


 父が雇った弁護士の人は僕に法廷で有利になる方法を色々と説明したが、僕は取調室でも法廷でも自分の記憶にあることを全て正直に話した。3人の死はわずかな時間も僕の頭から離れることがなく、僕に嘘を言わせなかった。


 僕が事故を起こした時、巻き込まれて誰かが死んでも構わないと思っていたか? そう質問された僕は『はい』と答えた。僕は自分のしたことを後悔しているが、それは事故を起こした後でだ。

 僕の答えは『未必の故意』を認めるということであり、事件は事故ではなく殺人として扱われることになる。弁護士は何度も発言を撤回するように言ったが、僕は最後までその発言を変えなかった。


 これだけの事故になった最も大きな原因は僕のスピードの出し過ぎだ。被害者の車がなかったら、僕の車は最初の予定通りにガードレールを破って崖の下へ落ちていただろう。


 僕の言葉が否定されたこともあった。事故の証言で僕は相手の車がヘッドライトを点けず対向車線を走っていたと説明した。僕の記憶は間違いなくそうだったが、判決では僕の車は追突したことになった。

 そのことに納得のいかない気持ちは少しあったが、僕がしたことに比べれば些細なことだった。もしかすると事故のショックで記憶が曖昧になっているのかもしれない。


 唯一僕の気持ちを軽くしたのが、被害者の遺族である湊河貴弘さんが書いてくれた減刑嘆願書だった。僕の罪に許しを与えられるのはその人しかいなかった。面会に来た父も湊河さんには感謝していた。


 父は僕に昔の話をした。祖父の身勝手な行動が家族を困窮させていたことや、祖母が苦労の中で死んだこと。父が奨学金をもらって難関大学を卒業し、今の企業に就職して家族を貧困から抜け出させたこと。全てに納得したわけではないが、僕の父に対するわだかまりは少しだけ軽くなった。


 裁判が結審して僕の刑期は4年に決まった。それはあくまで法律上の話で、4年経てば僕の罪がなくなるわけじゃない。僕はこれから一生この罪と向き合って生きることになる。




 少年刑務所での刑務作業として僕は調理担当になった。職員による簡単なテストで僕の包丁捌きが認められたからだ。所内では悪質なイジメも行われているようだが、調理場はその例外らしい。環境からのストレスは高校に通学していた時の方が強いぐらいで、罪を償っているという実感はあまりなかった。


 人を殺したことに対する罪悪感の方が遥かに苦しかった。刑務所にいなければもっと自暴自棄になっていただろう。日常のささいなことで気持ちが和んだとき、すぐにそんな気持ちになる資格があるのかと責める自分が現れた。誰にも笑顔を見せず、打ち解けた話もしなかった。


 受刑中のある日、僕の事件についての記事を読んだという男に会った。その記事によると、事故時には飲酒していた父親で運転していて、酔って対向車線にはみ出したところで僕の車にぶつかった。

 運転者に重大な過失があれば支払われる保険金は大幅に減額される。 捜査ミスで被害者の救命に失敗した警察が、遺族と取引してその事実を隠ぺいした。


 その話は、追突ではなく対向車との衝突だったという僕だけが知っている事実と一致した。それが本当なら被害者の死は僕だけの責任じゃない。被害者や警察にも責任があったということだ。


 自分の罪悪感が軽くなるその話を僕は受け入れた。今になって思えばおかしな点もあったのに、その話は僕にとって真実になった。湊河貴弘が僕の減刑嘆願書を書いたのも過剰な刑期を減らすためだろうと考えた。


 金のために家族に対する警察の罪を見逃した湊河貴弘は、僕にとって軽蔑すべき人間となった。




 僕が仮釈放される日が来た。出所した僕はまず保護司の所へ連れて行かれてその話を聞いた。保護観察中は月に2回、保護司に会いにここへ来なくてはいけない。

 僕はそれから湊河貴弘に会いに行くと思っていたが、父は僕を連れてそのまま自宅に戻った。僕はそのことについて父に何も言わなかったが、内心では例の記事が正しかったことを確信していた。そう考えないと、あれほど感謝していた父の行動としては不自然だった。


 自由な行動を許された僕は料理人としての仕事を探した。父も僕のその行動に口を挟まなかった。保護司から紹介された職場は素人に近い従業員を求めていた。僕の料理人としての腕を確認した調理責任者に、ここで働くのはもったいないと言われた。


 僕がその小さな店で働きたいと思ったのは、そこで食べた料理が祖父を思い出させたからだ。店主は僕が仮釈放中だと聞いてもその表情を変えなかった。僕が指示通りに食材の下ごしらえを済ませると、店主は僕に次の日から店へ来るように言った。

 店主のこだわりで、その店の営業日は週に3日だった。




 その店主と同じように僕の経歴を聞いても動じなかった1人が安西友翔だ。安西は色々と顔の広い男で、僕が出頭した時につき合ってくれた友人もその一人だった。その友人が彼を僕に紹介した。


 B級グルメ系のイベントに関わっていた安西は、そのイベントに備えて調理スタッフを探していた。出場する店の中には、従業員が少なくて当日の客を捌ききれないところがある。友人が保証してくれたこともあって、仕上げに近いところを担当させてもらった。自分の腕を生かせる仕事は楽しかった。


 その後も安西は色々な場で僕に料理の機会を与えてくれた。僕はいつの間にか安西にすっかり気を許していた。




 真実は僕を完璧なまでに叩き潰した。安西が言った通りに僕はクズだった。弁解する余地は何もなかった。だけど僕の自己嫌悪はそれほど長く続かなかった。唾棄すべき僕を、湊河が殺してくれるのだ。


 二宮に勧められて、今は人気がない祖父の住んでいた家に行った。僕はそこで湊河を待ったが、彼はすぐには現れなかった。夜が更ける前に父から僕に電話がかかってきた。

 仮釈放中の身で消息を絶つのはまずい。騒ぎになると困るため、僕は一度自宅に戻ることにいた。僕は湊河に協力したかったが、彼がどう行動するつもりなのかは分からない。


 僕は湊河に対する感謝の印として遺書ともいえる手紙を書いた。読んだ人が、その身勝手さに憤慨するような内容の手紙だ。湊河の刑を軽くするのに役立つだろう。


 手紙の通り、同じ内容で3通を書いた僕はその1通を貸金庫に預けようとした。しかし銀行に行って話をすると、僕は貸金庫が簡単に借りれないものだということを教えられた。僕は仕方なくその手紙を駅のコインロッカーに入れた。封筒の裏に名前と電話番号を書いたので、数日放置すれば家に連絡が行くだろう。


 準備が済んで湊河からの仕掛けを待っていた僕に電話がかかってきた。


「小延さん、あたしです。お話があるんですが――」

「二宮。余計な説明はいらない。覚悟ならできている」

「……そうですか。分かりました。明日の朝6時に、久野駅から南へ500メートルほど行ったところにある北区第3ビルという建物に来てください。地図はメールで送ります。それと、スマホとか身元の分かるものは持って来ないでください」


 そう言われて、手紙を持って行くのはやめた。手紙に1つは自分で持つと書いていたが、僕はそれを書き直さなかった。貸金庫の件ですでに記述と違う行動をしていたことと、ロッカーの手紙を回収してまた元に戻すには時間がなかったからだ。

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