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決意 - 二宮透花

 ノーブルを出た時、あたしの心はグチャグチャになっていた。店長さんは小延さんを雇ってくれる。少しも疑わずにそう思っていた。店長さんに断わられて、その理由が事故で人を死なせたからだと言われた時、あたしは自分で驚くほどのショックを受けた。


 妹の優花が死んだのはあたしのせいだ。そのことをあたしは一生背負い続けなくてはならない。だからあたしは小延さんの辛さも分かった。それを乗り越える手助けをしたいと思った。

 罪を償った小延さんが許されないなら、償っていないあたしはなおさら許されない。だから店長さんが小延さんを雇わないと言った時、あたしはその言葉を取り消してもらおうとした。


「人に代わりはない。だから人を殺した罪は消せない。それが俺の考えだ」


 その言葉に、あたしは店長さんに否定されたと思った。人に代わりがないのなら、ユキさんの代わりができると思ったのも、あたしの思い上がりだった。

 あたしは店長さんの前から逃げ出した。でもその時にあたしが感じていたのは、まだ絶望じゃなかった。気付いていなかったあたしの過ちを安西先輩が教えてくれた。


 小延さんが死なせたのは店長さんの家族だった。


 それを聞くまであたしは、店長さんの言葉を本当には納得してなかった。あんなことを言う店長さんじゃない。そういう気持ちがまだあった。

 でも家族を死なせた人にその家族の思い出が詰まった店で働きたいと言われたら。店長さんの言葉は当然すぎるぐらい当然だった。


『こいつが何をしたのか、それを知っていて連れてきたのか? 俺がどう思うか考えたのか? こいつを雇うと本当にそう思ったのか!』


 店長さんがどんな気持ちでその言葉を言ったのか、今のあたしにはよく分かる。そんな言葉を店長さんに言わせたあたしを許せなかった。その言葉に込められていた気持ちにさえ、あたしは気付いていなかった。


 あたしはその店長さんに、店長さんなら許してくれるはずだと言った。あたしのその言葉に店長さんの顔から表情が消えた。店長さんはあの時、あたしを自分の心から切り捨てたんだろう。




 安西先輩が話した店長さんの体験は、耳を塞ぎたくなるひどいものだった。それでもあたしは聞かなくてはいけない。あたしが店長さんをどれほど傷つけたか、それを知らないとあたしは店長さんに償えない。


 店長さんはユキさんが死んだことで自分を責めていた。でも安西先輩の話を聞いたあたしには、その理由が全く分からなかった。店長さんは何も悪くなかった。普通の人にはできないほど、ユキさんを助けるために頑張った。それでも店長さんは自分を許せなかった。


 その後に見た動画には凄惨な光景が映っていた。店長さんが殴られたり蹴られたりする度に、あたしの口から悲鳴が漏れそうになった。でもあたしは目を背けずに見た。

 全てを見終わった時、あたしの体は手を動かすのもつらいほど疲れ切っていた。


 あれほど優しかった店長さんのどこに、これほどの怒りが隠れていたんだろう。こんな苦しみを抱えたまま、どうして他人(ひと)のことに心を砕けるんだろう。

 あたしは店長さんにとって他人じゃない存在になれていたんだろうか。でもさっきの裏切りで、あたしはその資格を失ってしまった。


 店長さんは小延さんに償いをさせるため、消せないと分かっている罪を自分自身も背負うつもりでいる。安西先輩はあたしに期待していたと言った。安西先輩はあたしにそれを止めて欲しかった。

 でも安西先輩は知らない。あたしにそんなことが出来る力はない。あたしはすでに店長さんに告げられていた。


『俺には絶対にしなくてはならないことがある』

『お前がどんなに辛い思いをするか分かっていても、俺は自分で決めたことを変えない』


 改めてその言葉を思い出した時、あたしの心に疑問が浮かんだ。店長さんはその罪を背負うだけで済ませるだろうか。店長さんは、どうにもできなかったユキさんの死に対してさえ自分を責めていた。


『お前が()()()()()()()()をするか』


 その言葉は、店長さんに聞いてからずっとあたしの胸に引っ掛かっていた。店長さんは大げさなことを言う人じゃない。あたしにとって一番辛い事は何だろう。頭に浮かんだのは彩花が死んだことだった。……死?


 それが何か分かった時、あたしの中にとんでもなく大きな衝撃が生まれた。さっきまであたしを苦しめていた感情は、その衝撃に吹き飛ばされた。

 そしてあたしは、自分の店長さんへの思いがどれほど強いものだったのかをはっきりと知った。


 店長さんが屋上から飛び降りた時、あたしは本気では心配していなかった。あたしにとって店長さんは何でも可能にする人で、飛び降りたぐらいで店長さんが死ぬとは思ってなかった。

 店長さんは大丈夫だと分かっているから自分で飛び降りた。そう分かっていても万が一ということはある。その恐れだけで、あたしは店長さんへの気持ちを凍り付かせていた。


 店長さんの過去を知ったことで、あたしははっきりと理解した。店長さんは、あたしが思い浮かべることさえ恐ろしい結末を選ぼうとしている。


 あたしは、その店長さんの意思を認めない。

 選ばせない。

 絶対に。

 たとえ、どんなことをしても。


 その決意はあたしの中に生まれると、あっという間にあたしの心を支配した。あたしが立ち向かおうとしているのは店長さんだ。あたしの全てを尽くしてじゃないと、そんなことはできない。

 あたしを押し潰そうとしていた絶望感は、その決意にあっさりと押し返された。心の一部に噛みついて痛みを与えるだけの存在になった。


 その心の一部は、あたしの店長さんに対する甘えだった。認めてもらいたい、嫌われたくない、そう店長さんに対して求める気持ちだ。それはいつの間にかとても大きくなっていて、さっきまでは自分の心そのものだと思っていた。

 噛まれた傷からは今も血が流れているけど、その痛みはもうガマンできないほどじゃなかった。




 あたしは店長さんを死なせないために、その方法を必死になって考えた。あたしが店長さんの意思を変えることはできない。まだ店長さんを裏切っていなかったあたしにさえ、店長さんはそうはっきり言った。


 店長さんが自ら命を絶とうとすれば、それを止めることは誰にもできない。今までそうしなかったのは、小延さんが生きているから。あたしは、店長さんに小延さんを殺させない方法を考えないといけない。


 もしかすると今にも店長さんがこの部屋に入ってくるかもしれない。そのことに気付いたあたしは、恐怖に駆られて部屋のドアに鍵をかけた。


「そんなに慌てなくても、湊河は君を傷つけたりしないよ」


 あたしの背後から小延さんがそう声をかけてきた。


「こんなところで、……店長さんにあなたを殺させない」

「……ああ、そういうことか。ここだとすぐに捕まってしまうか。まず場所を選んでからだな」


 安西先輩から話を聞いているときの小延さんは、魂が抜けたような様子だった。でも安西先輩の最後の言葉を聞いて、小延さんの顔に表情が戻った。今は自嘲するような淡い笑みさえ浮かべている。


 小延さんは店長さんが自分を殺すつもりだと知って、自分を責める辛さから救われたようだった。もしここに店長さんが現れたら何も抵抗せずに殺されてしまうだろう。でもあたしが絶対にそうさせない。


 店長さんの手が届かない場所へ小延さんを連れて行く方法はないだろうか。例えば小延さんの手に刃物を握らせて、それであたしの胸を突く。仮釈放中に人を殺したら、もしかすると無期懲役にだってなるかもしれない。

 いや、それはダメだ。人を殺した小延さんは自殺してしまうかもしれない。もっとよく考えないと。絶対に失敗はできないんだから。


『他の誰かに先を超されたらダメなんだ。その時も、俺はもうこの店にはいないだろう』


 その手で小延さんを殺せなければ、店長さんは自分を許せないままだ。あたしがが小延さんを殺したら、店長さんならその理由を考えて自分の罪にしてしまうだろう。


 小延さんとあたしが駆け落ちをしたことにする、というのはどうだろう。遺体さえ見つからなければ、店長さんは小延さんが死んでいるとは思わないはず。これなら上手くいきそうな気がする。

 もちろん小延さんを死なせるあたしも生きているわけにはいかない。だけど小延さんと同じで、万が一にもあたしの死を店長さんに知られてはいけない。そんなに上手く自分の死体を隠せるだろうか。


 店長さんは、どんなことをしてでもあたし達を探そうとするはずだ。屋上に突然現れるような神出鬼没と言っていい店長さんをだまし切る。そんなことがあたしにできるだろうか?

 あたしが考えないといけないのは、そんな店長さんでも思いつかないような方法だ。だからあたしもすぐには思いつけない。どうしても時間が必要になる。


 あたしはサキちゃんに頼んで、店長さんの様子を見に店まで行ってもらった。サキちゃんは何も言わずにあたしの頼みを聞いてくれた。店長さんは安西先輩と一緒にまだ店にいだ。店の入り口には準備中の札が掛けてあった。


 店長さんの元気のない様子を聞いたとき、あたしの胸は痛みで悲鳴を上げた。でもそんなことを気にしている場合じゃない。安西先輩もいるなら、すぐ小延さんを殺しには来ないだろう。


 隠れられるような場所があるか、あたしは小延さんに聞いた。小延さんは亡くなったおじいさんの家がまだ残っていると教えてくれた。あたしはタクシーを呼んで小延さんをその家まで送った。


「ここなら誰にも見られないな。死んでたってすぐには見つからない」


 小延さんは自分の死に場所としてここに来たつもりみたいだけど、あたしにはそうさせるつもりはない。家から出ないようにと小延さんに言って、あたしも自分の家に帰った。




 あたしはインターネットで色々なことを調べてみた。日本では、警察に届けのあった行方不明者が毎年8万人以上いる。そして死者も含めてその内の95パーセントほどは発見されている。

 運に頼らなければいけないようじゃ、お話にもならない。確実に見つからない方法があたしには必要なんだ。やっぱりあたしの考えは甘すぎるんだろうか。


 行方不明になったままの人について調べていると、違法な臓器移植の話が見つかった。多額の借金を負った人が内蔵を売ってお金を返すことになり、手術のために海外へ行ってそのまま行方不明になったという話だった。

 その記事を読んだ時、昔お父さんのPCで見た資料の内容が、あたしの頭に甦った。その一つに臓器密売についての情報があった。確か内蔵を売る時のための連絡用メールアドレスもあったはずだ。


 あたしがあのメールを知っていることは、お父さんだって気付いていない。


 いま思いついたのはとんでもなく馬鹿げた方法だ。昨日までのあたしなら考える気にもならなかっただろう。だからこそ、店長さんでもあたしが姿を消した方法に気付けない。




 あたしは小延さんを待っていた。店長さんの手が届かない所に彼を逃すことのできる、いい方法を思いつくことが出来た。ここは小延さんと最初に会った飲食店の裏口だ。

 その裏口から小延さんが出てきた。あたしが声を掛ける前に、横から大きな人影が現れて小延さんにぶつかった。ぶつかられた小延さんは、人形のように力なく倒れた。そしてその周りに血だまりが広がっていった。


 ぶつかったのは店長さんだった。手には血の付いたナイフを握っていた。そしてそのナイフを自分の首に当てた。


 あたしは頭がおかしくなりそうなほどの恐怖に襲われた。

 店長さんの体にしがみついた。

 死なないでと叫んだ。

 どんなことでもするからと必死に頼んだ。


 大量の血が降り注いで、あたしとその周りを真っ赤に染めた。




 あたしはベッドの上で目を覚ました。いつの間にか眠ってしまっていた。水をかぶったような汗でびっしょりと濡れていた。体の震えはいつまでも止まらなかった。あたしには時間が無いことを、心の底から実感した。


 仮病で学校を休んでお父さんのPCを調べたあたしは、必要な情報を見つけることができた。そしてその連絡先に、説明の通りにメールを書いて送った。返信はすぐには来なかった。


 あたしは他にもできることが無いかと考えた。あたしがいなくなっても、店長さんにまだ生きていると確信させる方法がないだろうか。死んだ後に、お父さんへメールや手紙を送れないだろうか。


 調べてみると、送っておいた手紙を指定した日に出してくれる、そんなサービスが幾つも見つかった。料金もあたしがもらったお給料の残りで十分だった。

 ただし過去に送った手紙だということがはっきり分かるサービスが多かった。あたしはネットで質問して、あたしの目的に合うところを見つけた。

 手紙を出すのは、半年後、1年後、2年後、3年後、そして5年後だ。消印を同じ場所にしないように、それぞれ別のサービスに分けて頼むことにした。


 次の日に臓器売買のメールに対する返信があった。携帯のアドレスを連絡しろと書かれていたので、あたしはその指示に従った。するとスマホに時刻と場所だけが書かれたメールが来た。


 あたしはPCのメールをすべて削除した。PCのゴミ箱からも削除した。そしてお父さんと、ママと、サキちゃんに、駆け落ちをするという手紙を書いた。

 発送サービスの会社にも、一回り大きな会社宛の封筒に入れたお父さん宛ての手紙を送った。


 準備ができて、あたしは小延さんに電話をした。


「二宮。余計な説明はいらない。覚悟ならできている」


 小延さんはそう言った。あたしはメールに書いてあった場所と時刻を小延さんに伝えた。念のためメールより1時間早い時刻にした。最後に、身元の分かるものは持って来ないようにと伝えて電話を切った。

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