紹介 - 二宮透花
「二宮はいつも楽しそうだな。それだけこの仕事が自分に合ってるってことか」
野菜を切っているあたしの後ろから、店長さんがそう声を掛けた。
「はい、とても楽しいです」
「一生続けてもいいと思うぐらいか?」
そう言われて、あたしの鼓動はちょっと早くなった。もしかして、ここで一生働いて欲しいということだろうか。いやいや、それはやっぱり考えすぎ。
店長さんは、あたしのことを女の子として意識していると言ってくれてた。それからあたしは、店長さんの言葉を自分に都合よく解釈しようとしている。ユキさんの代りとしての立場を超えたくなる。
でも調子に乗って店長さんに呆れられたくない。女の子として意識していることと、女の子として好きだということは違う。あたしは他の女の人と同じスタートラインに並んだだけだから。
「喫茶店の仕事は好きだけど、店長さんと働けるここぐらい楽しいお店はそんなにないと思います」
「二宮はこの店がそんなに好きなのか」
また店長さんにはぐらかされた。自分でもちょっと分かり易過ぎるかなと思う言葉だったのに、店長さんはそれに気付かない振りをした。まだ告白するには早いということだと思う。
あたしは店長さんが心の変化を教えてくれるまで、こんな会話を繰り返すんだろう。
「俺がこの店を閉めると言ったら、二宮はどうする?」
「そんなこと、……考えたこともありません」
いきなり店長さんは、突然あたしが考えたこともないことを言った。だからそのままにしか言えなかった。
「……そうか。だが俺も、いつまでもここを続けれられるわけじゃないからな」
あたしはその言葉にショックを受けた。店長さんがこのお店をやめるかもしれない。そうなったら、あたしはどうしたらいいんだろう。
「……そうなんですか。店長さんはどのくらいお店を続けられそうなんですか?」
「俺には絶対にしなくてはならないことがある。それはそんなに先の話じゃない」
「それは店長さんでないと出来ないことなんですか」
「ああ……いや、そうでもないか。世の中、何が起こるか分からないからな」
「そうなったら、店長さんはずっとこのお店を続けるんですか?」
「……いや、他の誰かに先を超されてもダメなんだ。その時も、俺はもうこの店にはいないだろう」
あたしが顔を曇らせたからだろう。店長さんはあたしを気遣うように言った。
「悪いな、二宮。何のことだか分からないよな」
「いいえ。言い難いことを言わせたみたいで、すみません」
「謝らなくていい」
店長さんの顔は厳しい表情になった。
「二宮。俺は自分のことが一番だと思う人間だ。お前は俺に助けられたと感謝しているが、本当は俺がそうしたかっただけなんだ。お前がどんなに辛い思いをするか分かっていても、俺は自分で決めたことを変えない」
「店長さんは、店長さんのしたいようにしてください。それを辛いと思うのはあたしのわがままです」
店長さんはまだ何か言いたそうだったけど、結局何も言わなかった。あたしの知っている店長さんは、言い方は選んでも言いたいことを黙ったままにはしなかった。初めてそうじゃない店長さんを見て、はっきりした理由もないのにあたしの心に不安が生まれた。
この時の店長さんの言葉はその不安と一緒になって、いつまでもあたしの中から消えなかった。
あたしがその店に入った時、珍しく安西先輩に出会った。珍しいと言ったのはここがノーブルではなく最近話題になったレストランだからだ。
「やあ、二宮さん。二宮さんはいつも1人でこんな店に入るのかな?」
「安西先輩だって1人じゃないですか」
「知り合いがここで働いているんだよ。何度か世話になったんで挨拶も兼ねてね」
「そうなんですか。あたしは料理のことをもっと知りたくなって、勉強のために来たんです」
「それじゃあ一緒のテーブルで食べないか。その方が勉強できる料理の数も増えるだろう」
「安西先輩が良いんでしたら、ぜひお願いします」
あたしがテーブルを挟んで座ると、安西先輩はあたしにメニューを渡してくれた。
「お勧めはこれとかこれだな。ここで人気がある料理だ。喫茶店向きのメニューでもある」
「それじゃあ、こっちにします」
安西先輩はウエイターを呼んでその料理を注文した。
「勉強熱心だな、二宮さん。味を盗みに来たわけか」
「味というより技術です。美味しくなる食材の切り方とか、ちゃんと勉強していないから」
「……技術か。包丁の使い方とか火加減とかなら、教えてあげられる人を知ってるんだけど」
「本当ですか!」
「今は料理教室の手伝いをしてる。市が月に数回のペースで開催していて教えるのは主に家庭料理だけど、本人の腕はプロ並みだよ。頼めば外食向きのテクニックも教えてもらえる……と思う」
ウエイターがテーブルに並べた料理を、色々とコメントしながら食べ終えた後、あたしは安西先輩に連れられてその人がバイトしている店に行った。小さな居酒屋の裏で、その人は食材の下ごしらえをしていた。
「よお。どうだ調子は。少しは客に出すものを任されるようになったか?」
「いや。相変わらずこんな仕事ばっかりだ」
目を安西先輩に向けることなく、その人は包丁を持つ手を動かし続けていた。安西先輩と同じくらいの歳なのに、その手捌きはあたしが感動を覚えるほどだった。
「紹介するよ。小延だ」
「こんにちわ」
あたしの声を聞いて、小延さんは初めて目を上げた。
「彼女は二宮さんだ」
「二宮さん?」
「二宮でかまいません。さん付けは安西先輩の冗談です」
「失礼だけど、高校生なんだよね」
「はい。よくもっと幼く見られます。……お願いがあるんです。あたしに料理を教えていただけませんか」
小延さんは安西先輩の方を見た。
「あのことは話したのか?」
「いや。他人が勝手に話していい事じゃないだろ」
「最初に言っとくけど、僕はまだ仮釈放中の身なんだ。人を死なせてね。少し前まで刑務所に入っていた」
「おい! いきなり初対面の女の子に言う話じゃないだろ。刑務所といっても車の事故でなんだよ」
「……驚かないんだな。二宮さんは」
「さん付けはやめてください。小延さん」
車の事故と聞いたのに、あたしの心は思ったほど動揺していなかった。店長さんに会う前だったら、こうはいかなかっただろう。
「あたしも、自分の不注意で妹を死なせてしまったことがあるんです。車の事故でした」
「……そうか」
「もう一度お願いします。あたしに料理を教えてください」
「僕ももう一度言うけど、3人殺したんだよ。未成年なのに交通事故で刑務所に入るってことは、それだけ悪質だってことなんだ」
「でも、罪は償ったんですよね」
「少年法だと更生の余地があるという理由で刑期が短くなる。刑務所に3年間いただけでは死んだ人間は納得できないだろう。僕には死んだ3人への負債がまだまだ残っている」
小延さんがそう言った時、安西先輩の小延さんを見る目が厳しくなった……ような気がした。でもあたしの視線に気付いてこちらを見た安西先輩は、いつもの安西先輩だった。
「そんな訳で、小延は罪滅ぼしに人の役に立つことをしたがってるんだ。ささやかな礼金で料理教室の手伝いをしてるのもそのためだ。だったら可愛い後輩のために、手を貸してもらってもいいだろうと思ってね」
「教えるのは構わないが、それには場所も道具も材料もいる。心当たりはあるのか?」
「二宮さんの家はどうかな。2人暮らしで家事を任されているのなら台所を使っても問題は無いだろう?」
「家にある料理の道具は本当に最小限の物しかなくて、とても小延さんに使ってもらえるような物じゃありません」
「そうか。二宮さんに料理教室に参加してもらう……というのも難しいな。月に数回しか開催されないし、他の人と違う料理を勝手に作るのは問題だ」
安西先輩はそう言うと、あたしに問いかけるような視線を送ってきた。
「あの……、あたしが勝手に決められることじゃないんですけど、店長さんのお店に来てもらって、そこで料理を作ってもらうことはできますか?」
「店長さんのお店?」
「あたしが働かせてもらっている喫茶店なんです」
いい考えだ、というように安西先輩が相づちを打った。
「じゃあ、二宮さんは小延の料理を客にも出すつもりなんだな? だったらバイト扱いってことになるんじゃないか」
「そうですね。でも、今はお店も忙しいから、店長さんだって助かるんじゃないでしょうか」
あたしの提案を聞いた小延さんは、少し難しい顔をした。
「言っておくけど、その店の人に会ったら僕が仮釈放中だってことはすぐに伝えるよ。それを言わずに働く気はないんだ」
「大丈夫です。店長さんですから」
「その言葉だけだと意味が分からないけど、二宮さんがそれだけ信頼している人なんだね」
「はい。あ、でも、やっぱり店長さんの都合はちゃんと聞いておかないとダメですよね。一度お話をした後で、またお願いをしに来ます」
あたしはそう言って2人と別れた。まだお店に入る時刻までには時間がある。
小延さんには悪いけど、あたしには今回の話を利用して知りたいことがあった。もし店長さんがすぐにでも店を閉めるつもりなら、あたしが頼んでも小延さんを雇うとは言わないだろう。
「二宮さん。ちょっといいかな」
いきなり後ろから安西先輩が話しかけてきた。走ってきたようで、少し息を切らしている。
「なんでしょうか?」
「いいのかな、二宮さん。せっかく湊河さんと2人っきりの職場なのに、余計な人を入れちゃって」
「……もう、からかうためにわざわざ追って来たんですか?」
「いや。湊河さんに話す前にちょっと忠告しておこうと思ってね」
「忠告ですか?」
「湊河さんが事故で家族を亡くしたってことは知ってるよね」
「あ……はい」
「それに対して、小延はその逆の立場なわけだ。もし湊河さんが『事故で人を死なせたヤツなんか雇うことはできない』って言ったら、二宮はどうする?」
その言葉は、あたしの心に深く突き刺さった。事故で人を死なせたということでは、あたしも同じ罪を背負っているからだ。
「大丈夫です。店長さんなら」
あたしは思わずそう言い返してしまった。
「店長さんは事故の話になると、自分のことばかり責めていました。事故を起こした相手のことは、悪口どころかその人の話を聞いたことさえありません」
「そうなんだ。だったら大丈夫かな」
「大丈夫です!」
「そんなにむきにならなくてもいいよ。忠告の続きだけど、小延のことは湊河さんに詳しく言わないようにね」
「どうしてですか?」
「湊河さんは、他人に先入観を持たされるのが嫌なんだ。だから二宮が小延を売り込もうとすると、逆の効果になりかねない」
「え……だったらどうやって店長さんに説明したら――」
「働きたがってる人がいる、ってぐらいの話でいいよ。雇ってもいい状況なら、会って相手を確認したいって言うだろうから」
「分かりました。そうしてみます」
店長さんが小延さんのことを受け入れてくれるなら、あたしのことも大丈夫だと思える。あたしは店長さんに彩花のこと話せるようになる。
自分のことを情けないと思う。店長さんはあたしが勇気を出せるように色々なことをしてくれた。それなのに、店長さんのことだとあたしの心はとても弱くなってしまう。




