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 園田弁護士から連絡が入った。

 犯人が近いうちに仮釈放されるかもしれないという連絡だった。


 その言葉を聞いた時、俺の中でスイッチが切り替わった。


 犯人を殺す場所としては、俺の自宅がベストだろう。父親も出所後にあいさつに来させると言っていた。しばらく待っても来ないようなら、そのときに適切な場所を考えればいい。


 父親が付き添ってくるかもしれないが、大した障害にはならない。先に父親を絞め落としておけば犯人もすぐ状況を理解するだろう。親に子供が殺されるところを見せたくないという俺の気持ちもある。


 犯人には今から俺に殺されることを伝えた上で、言いたいことを全て話させる。もしその言葉に俺の意思を変える力があれば犯人は死なずに済む。もしとは言ったが俺にとってその可能性はゼロだ。

 犯人がどれだけ巧みに説得しても、どれだけ哀れに泣き叫んでも、それで考えが変わることなど俺には想像もできない。


 犯人を殺すのは救急車を呼んでからだ。サイレンの音が聞こえた時に、裸絞めで首の血流を完全に止める。3分後に瞳孔の反応で脳死を確認してから、玄関のカギを開けて救急隊員を迎え入れる。

 弁護士の勧めで、犯人は脳死時の臓器提供を認めるドナーカードを取得している。犯人からの臓器移植によって、何人もの人が助かるだろう。


 ただし死因にわずかでも疑問があれば、その体が臓器移植に使われることはない。俺は速やかに裁判を受け、最短で刑を確定する。その後で俺は自殺する。


 逮捕された後は、拘留された場所で全身運動を習慣的にやっておく。いざというときに怪しまれないためだ。全力で続けられる限りの全身運動をしてから、息をするのを止めれば失神する。

 その苦しさに耐えられることと、しばらして自発呼吸が回復することは体験済みだ。その時の動画も撮影してある。自発呼吸は、飲み水か何かで濡らした布が1枚あれば止められる。


 脳死から完全に心臓が止まるまでの十数分の間に、誰かに俺の死を気付かせる必要がある。それ以上時間がかかれば使えない臓器が増えていく。駄目なら駄目でも仕方がないが、俺の体はできるだけ有効活用して欲しい。

 自分で息を止めて死ぬというのは不自然で、死因を疑われるかもしれない。動画はそのために撮影して、すでに動画サイトにはUPしてる。遺書にURLを書いておけば分かるだろう。


 これは俺にとってすでに決定したことだ。俺と犯人が顔を合わせることで、計画は自動的に発動するだろう。迷うどころか、俺の意思を介入させる必要もない。




 だが、あ《・》()()()はまだ始めてさえいなかった。あの遊園地の日から、計画を始めると決めた日から一週間以上経っていた。


 俺が二宮と関わるようになったきっかけは、彼女にユキの面影を見たからだ。だけど今の俺にとって、二宮は二宮以外の何者でもない。俺は二宮を傷つけたくない。

 正確に言えば、二宮を傷つけることで自分が辛い思いをするのが嫌なだけだ。彼女のことを思うなら、一刻も早く計画を始めた方が彼女の心の傷は浅くなるはずだ。


 犯人を殺したことで、二宮が俺に失望して離れて行ってしまうのならいい。でもそうはならないだろう。少しでも俺の力になろうと二宮はできる限りのことをするだろう。それが最悪な形で失敗することを俺は知っている。


 犯人を献体にすることはあきらめよう。俺は犯人を殺した後に警察へ電話をする。そして俺がかっとなって犯人を殺害したことと、その責任を取って自殺することを告げる。二宮が事を知ったときには全ては終わっている。


 それでも、二宮がまだ俺を慕ってくれている間にときに、彼女に俺の死を体験させたくない。あの計画を急いで実行しよう。3年も待ったのだ。あと1ヶ月ぐらい予定を遅らせても問題はないはずだ。




 だが、そうやって最後の時を遅らせようとするのは、本当に二宮のためなのか? 二宮と一緒にいると俺は楽しい。幸せだと言ってもいい。その時間を引き延ばすために、俺は言い訳をしてるんじゃないのか。


 俺が犯人を殺すのは、もちろん俺から家族を奪った犯人が憎いからだ。家族を助けられなかった俺にはその恨みを晴らすことしかできない。

 だが俺には、犯人の危険から他の人たちを守るという目的もある。俺がその危険性を知ったのは家族の犠牲があったからだ。俺がためらっている間に犯人がまた罪を犯したら、俺は家族の死を無駄にしたことになる。


 二宮にとっての『店長さん』の存在を、俺は過大評価していないか。彼女には父親や母親や幼馴染がいる。俺を失ったとしても、彼女はそれほど傷つかずに済むかもしれない。

 だけどそう思えない自分がいる。そう思いたくないだけかもしれない。いずれにせよこの件で俺に冷静な判断ができるとは思えない。


 俺が知っている父さんや母さんやユキなら、俺に二宮を傷つけるような真似はさせない。だけどそれは俺がそう思いたいだけかも知れない。死に際して感じた苦しみや恐怖で、母さんやユキの考えが変わらなかったと言えるだろうか。


 いくら繰り返しても、堂々巡りになって結論が出ない考えだった。俺は本人たちに直接聞いてみたかった。父さんなら、母さんなら、ユキなら、どうして欲しいと言うだろうか。その時にふと、酔った父さんが俺に言った話を思い出した。


「お前が生まれた時、俺と母さんはお前のためにメッセージビデオを撮ったんだ。お前が大人になったら見せてやるよ」




 それらしいと思った場所からは見つからず、俺は家中を探し回った。物置を探すと、僕が幼い頃に使っていた色々な物が整理されて入っている箱が見つかった。その中に見覚えのない頑丈な紙の小箱があった。箱の中身は8ミリのビデオテープで、ラベルに『貴弘へ』と書いてあった。


 僕はレンタルで8ミリのビデオデッキを借りた。




 デッキにテープを入れると、ビデオの再生が始まった。病室らしき場所に置かれたベットに、写真でしか見たことのない若い母さんが座っていた。その腕には産着に包まれた小さな赤ん坊が抱かれている。


「こんにちは、貴弘。あなたのお母さんです。あ、もしかすると、こんばんわ、かな?」

「お母さん? ママじゃないんだ?」

「このビデオを見てるのは、大人になった貴弘でしょ」


 そう言いながら、腕の中の赤ん坊を見た。


「今の気持ちをどうしてもあなたに伝えたくて、和貴さんにビデオカメラを持ってきてもらいました」


 母さんは視線をカメラに戻した。


「わたしは今、言葉で説明できないくらい幸せです。何年か前のわたしなら想像もできなかったくらい。……貴弘にお願いがあります。幸せになってください。幸せになろうと努力する人になってください。そして出来れば誰かを幸せにしてください。あなたのお父さんがお母さんにしてくれたように」


 そう言うと母さんの視線が少しだけカメラからそれた。たぶんカメラを持った父さんを見たんだろう。


「あっ! 後、それと、絶対にお母さんより長生きしてください。そしてお母さんに最後の言葉として『ありがとう』って言わせてください。あなたがこうやってお母さんのところに来てくれたことを、どれほど感謝しているか伝えさせてください。……じゃあ、次はお父さんから」

「えっ、俺? 俺も母さんに負けず幸せだぞ。お前は俺たちの子なんだから同じように幸せじゃないとな。それが俺にとって一番の願いだ」


 ここでカメラの映像が切り替わった。ほとんど同じ構図だが、母さんの隣に父さんが座っている。


「まあ、ベタベタと甘やかすつもりはないから、苦しいことや悲しいことが無いとはいわない。だがそれはあくまで人生の味付けとしてだ」


 そこで父さんは真剣な顔になった。


「もし、万が一、これを見てるお前が本当に幸せじゃないなら、そのことをバカで鈍い俺に教えてやってくれ。他のことが全て上手くいってたとしても、家族の誰かが不幸になったらそれは俺にとってダメな人生だ。言い難くかったら、このビデオを俺に見せてやってくれ。それだけでいい」


 父さんは小さく咳ばらいをした。


「おいっ! これを見てる俺! 何やってんだ! この子が生まれた時に自分に誓ったことを忘れたのか? 子どもがチャンスをくれたんだ。今ならまだ間に合うぞ」





 唐突に映像は終わった。まだ若い母さんと父さんは2人とも言葉通り幸せそうだった。


『タ……カ……、あ……が――』


 母さんが最後に何を言ったのかが分かった。俺に『ありがとう』と言っていたのだ。悲しい気持ちだけで死んだわけじゃなかった。

 あの事故をきっかけに俺の中から消えていた幾つかの感情が、ゆっくりと甦ってきた。2人とも俺に幸せになってくれと言っていた。


 だけど俺の心に期待していたような変化はなかった。ビデオを見た後も俺の犯人を殺すという意思は少しも変わらなかった。僕が俺になった時に生まれたこの感情と意思は、心の他の部分とは違っていた。

 どれだけ時間が経っても全く風化しない。二宮を大切に思う俺はこの意思の表面で育った存在に過ぎない。だから俺は母さんが言うようには幸せになれない。


「無理だよ……、そんなの無理だ」


 気が付くと俺の頬は涙で濡れていた。あの事故から、初めて流した涙だった。




 時間が経ち、ようやく冷静になった俺は今後の事を考えた。せめて二宮のために時間を稼ぐことだけはしたい。いくら犯人でも出所後すぐに事件は起こさないだろう。俺はそのことを直接会って確認する。


 ただしそれは犯人が出所した後の話だ。その前に始めなければいけないことがある。明日から俺は、二宮の心が俺から離れるような言動を繰り返さなければならない。それは俺にとってひどく辛いものになるだろう。

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