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意識

 俺は久しぶりにアルバムを開いてみた。これは家族4人で北海道に行った時の写真だ。父さんは家族で旅行に行くと、その時デジカメで撮った写真をこうやって本の形にしていた。

 事故の直後は開けようと思っただけで苦しくなったアルバムだが、今は穏やかな気持ちで見ることができた。


「ご家族のアルバムですか?」


 二宮が俺の後ろから声をかけた。


「ああ。北海道へスキーに行った時の写真だ」


 そう言って、家族で写っている写真を二宮に見せた。


「これが店長さん……ですよね?」

「そうだ。……そんなに変わったか?」

「ええっと。それで、この人がお父さんですね。お母さんと……、この子は?」

「弟だよ」

「弟さん?」

「ユキだよ。二宮に似てるって言ってた」

「ユキさんって! ……弟さんだったんですか!?」


 二宮が心底驚いたという様子でそう言った。


「兄弟って言ってなかったか?」

「……確かに……、でも、妹でも兄妹(きょうだい)って言いますよね」

「ああ、そうか」

「……弟。……男? あっ、だから店長さんは海とか山とか……」


 二ノ宮の狼狽している様子は俺が驚くほどだった。声をかけてもまともに反応せず、錯乱していると言ってもいいほどだった。

 似ていると言った相手が男だった、というのはそんなにまずいことだったのか。ユキはまだ小学生でしかも母親似だったから、二宮との男女の違いはあまり意識していなかった。


「あたし! 店長さんに言わないといけないことが」


 突然、真剣な顔で二宮が言った。俺は彼女がその続きを言うのを待ったが、言い難いようで口を開きかけてはまた閉じてしまう。やがて意を決したように、二宮は大きく深呼吸した後で俺にこう言った。


「あたし、弟さんに似てるけど……、本当は女なんです!」


 ……よく知ってる。


 やはり錯乱していたようだ。俺が二宮のことを男だと思ってる? 何故そう思った? この店にも女子の制服で通ってるのに。彼女を男扱いしたことは一度もないはずだ。……ないよな?

 二宮はこんな真剣な顔で冗談を言うやつじゃない。他のやつが言ったのなら皮肉だと思うところだが、彼女に関してそれはないだろう。男に似ていると言われたことが、それほどショックだったのか。


「落ち着け、二宮。俺の話を聞け」

「え? ……あ、あたし、今――」


 どうやら二宮の耳に俺の声が届くようになったようだ。俺は二宮を女だと思っている。そのことははっきりと伝えておこう。


「二宮のような可愛い男がいるか。目も、眉も、口も、鼻も、耳も、女の子らしい造りをしてるじゃないか。もちろん、アゴとか顔の形もだ」


 それを聞いた二宮は、しばらく戸惑った顔をしていたが、急に自分の手で顔を覆ってしまった。


「その指だって、女の子らしいキレイな指だ。細い腕とか、なだらかな肩とか、すらっとした体のラインとかも、女の子にしかみえないぞ」


 俺がそう言うと、二宮は膝に顔が着きそうなほど頭を下げ、自分の身を隠すように体を小さく丸めた。まるで俺の言葉を否定しているかのようだ。


「そんなこと……ないです」


 言葉でもはっきりと否定された。最近の二ノ宮は、俺に対して素直過ぎて心配になるほどだ。その二宮を知っている俺はこの反応に自分でも意外に思うほどうろたえた。

 自分では気付かないまま、俺は何か重大なミスをしてしまったのだろうか。


「その声だって、女の子としか聞こえない耳触りのいい声だ。動きだってそうだ。指使いとか、歩き方とか、振り向くときとか、物を取るときとか、ちょっとした仕草だって女の子らしい」


 このくらい言えば、俺が二宮を女だと思っていたことは分かるはずだ。


「似てるとは言ったが、ユキはまだ小6だった。男女の違いなんてそれほどない歳だ」

「……あたし……、チビで子供っぽいから」


 ああ、そっちの方だったか! 確か子供に見られるのが嫌だと言っていた。その悩みを話した相手に、二宮は小学生男子に似ていると言われたのだ。無神経にもほどがある。


「そんなことはない。確かに身長は低めだが、体つきが子供っぽいってことはない。十分に女らしいぞ」


 返事がない。いかにも言い訳に聞こえる言葉だったか。


「すらっとしてるとは言ったが、必要な所にはボリュームがあるし、そうでないところは引き締まっている」


 二宮からの反応は全くなかった。こんな漠然とした説明ではなく、もっと具体的な言葉でないとだめか。


「二宮は肌がキレイだ。顔もそうだけど、首筋とか、肘から手にかけてとか、膝の上下とか、見える部分はどこもすごく柔らかそうで、触るとどんな感じか確かめたくなる。髪の毛も滑らかで指先ですいてみたくなる」


 自分で言っておいて何だが、これは女らしさの説明になってるのか? 二宮を女だと感じたのはどんなときだった? 俺は彼女と会ってからの記憶を、できるだけ細かく思い起こしてみた。


「最初に店で着替えてもらった時、たまたま下着の胸が見えたが、大き過ぎず、小さ過ぎずで、雑誌のグラビアに載ってるようなキレイな形だった。体をひねったときに、まとわりつく服ごしに分かる腰のラインも女らしいな。チラッとだが見えた太腿も、雑誌モデルとかの細すぎる脚よりずっといい」


 他に何かなかったか? 二宮が妹の死を思い出して錯乱した時、しばらく彼女を抱きしめていた。彼女から感謝の気持ちで抱きついてきたこともあった。その時のことを思い出して話してみた。


「抱きしめたらふわっと柔らかくて、触れている俺の胸と腕には硬いものを何も感じない。顔を寄せて息を吸うと、甘いような懐かしいような匂いがする」


 これだとただの感想だ。一言追加しておこう。


「俺には十分女だと感じられたぞ」


 少しでも反応してくれたらそれを糸口にできるんだが、二宮はやはり凍ったかのように動かない。これは2人の関係にとって危機といえる状況だ。それを乗り越える方法が今の俺には思い当たらない。

 助けを求めて周りを見ると、カウンターの所に安西の姿があった。


 ……こんな冷たい目で見られたのは初めてだ。


「何やってんですか、湊河さん。従業員にセクハラですか?」

「セクハラ? いや、そんなつもりは」


 予想外の言葉に俺は困惑した。安西は従業員エリアにツカツカと入ってきて、二宮に声を掛けた。


「大丈夫か、二宮。立てるか?」


 二宮はゆっくりと首を横に振った。


「やりすぎですよ、湊河さん。つい、からかってみたくなったんでしょうが、限度があります」

「いや、本当にそんなつもりは――」

「そんなつもりがなくても、女の子は傷つくんです。オレだって女の子の扱いには慣れてませんが、あれは完全に犯罪レベルです。訴えられたら負けますよ」


 俺は安西を押しのけるようにして二宮の前に立った。


「ちょっと、湊河さん!」

「二宮。本当にそんなつもりはなかったんだ。俺の顔を見てくれ。そうすればお前にも、俺にそんな気持ちが無いことは分かるはずだ」


 二宮は顔を上げなかった。思わずつかんだ二宮の肩は、意外なほど熱くなっていた。二宮の顔の下にある床に、水滴が幾つか落ちていた。俺にもそれが涙だと分かった。

 今度は安西が俺を押しのけた。俺は抵抗できずに2、3歩後に下がった。背中が壁に当たり、そこで座り込みたくなった気持ちに俺は耐えた。


「二宮が落ち着くまで、しばらく離れていてもらえませんか」


 このまま出て行ってしまったら、二宮に誤解されたままになる。もう以前の関係に戻れなくなるかもしれない。そう思っても俺にはこの場に留まることができなかった。


「安西……、頼む」


 俺はそれだけを言って、いつものレジ横の椅子に座った。




 十数分後、制服に着替えた二宮が奥から出てきた。そして俺と顔を合わせないまま店の外へ出て行った。少しだけ見えた顔は赤く染まり、目の周りは腫れてるようだった。


 気が付くと、俺の横に安西が立っていた。何故だか気まずそうな顔をしている。二宮を1人で帰してしまったからだろうか。


「あー、その。大丈夫だと思いますよ。……すみません」


 そう言われても、俺の気持ちは全く晴れなかった。




 次の日。俺の不安をよそに、二宮はいつも通り店に現れた。

 いつもは真っ直ぐに俺を見る二宮が、今日は視線を合わせなかった。昨日のことを考えたら仕方がない。


 働いている時の二宮に落ち込んでいる様子はなく、むしろいつもより機嫌が良さそうにさえ見えた。しばらくすると、普段通りの会話を俺ともするようになった。いい子だから、俺に気遣って無理をしているのかもしれない。

 感情を抑えているように感じたり、目線が微妙に俺から逸れていたりしたが、今はこれで十分だ。その日の最後の挨拶の時は、大きく深呼吸をした後に、俺に笑顔を見せてくれた。




「湊河さん。あさっての休業日は休日ですけど、何かご予定は?」


 二宮が帰った後、安西が俺に声をかけた。


「特に用事はないが」

無料(ただ)のチケットを貰ったんです。杵巳の遊園地ですけど、行きませんか?」

「俺とお前の2人でか?」

「まさか。葉山たちも一緒ですよ。葉山は二宮も誘うと言ってました」


 さすがの俺でも、これは安西が気を利かせてくれたのだと分かった。俺はその話を受けることにした。


 二宮を傷つけ俺にも少なくないダメージがあった今回の騒動は、俺の二宮に対する配慮のなさが原因だ。自分の感覚には問題があると分かっているのに、いい加減な対応をしていたからだ。


 俺も以前よりは、二宮を女の子として意識するようになってきた。恋に傷ついたばかりの彼女に気を使ったつもりで、俺はそれを二宮に見せないようにしていた。その結果、彼女を余計に傷つけることになった。

 意識するといっても、二宮が不愉快に思うようなことは考えていない。せっかくの機会だ。遊園地ではもっと二宮を女性として扱うことにしよう。

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