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仕事

 日曜の午後2時。ようやく注文が途切れて、二宮は食洗器から取り出した食器を改めて磨いている。二宮が言うには、食洗器で洗うだけとは輝きが違うそうだ。

 俺もかなり几帳面で掃除のときに拭き残しがあるのは許せない性質だが、二宮ほど楽しそうに働いてはいないだろう。


 今日は珍しく子供連れの家族客が来たが、食事を終えた頃に子供がぐずり出して親がそれをたしなめている。


「何か困っているようだな。話を聞いてこよう」

「子供は苦手だったんじゃ――」

「まかせろ。俺には北高で見せた笑顔がある」

「オレが聞いてきます」


 その声を後に残す勢いで、安西は客席の方へ駆けて行った。残念ながら俺の笑顔への安西の評価は低いままのようだ。


「子供がテーブルに置いてある人形を欲しがってるんですよ。親から買い取れないかと聞かれました」

「う~ん」

「駄目ですか?」

「あれは俺の母親の手作りなんだ。今となっては形見みたいなものだからな。絶対に駄目というわけじゃないが――」

「あの人形、そうだったんですか!?」


 二宮が驚いたような声で、俺たちの会話に割って入った。


「ああ。母さんが生きていた頃ならレジの横に並べてある分は売り物で、今は外してるが値札もつけていた」

「ちょっと待ってください」


 二宮は磨いていた皿を食器棚に置くと、小走りに倉庫の方へ入って行った。ちなみに倉庫には鍵を付けて、着替え用のスペースや手荷物を置く場所も設えてある。

 すぐに戻ってきた二宮の手には幾つかの人形が握られていた。二宮はカウンターの横を抜けると家族客のところへ行って話しかけた。


「その人形は、ここの店長さんの亡くなったお母さんが作ったものだから、売ることはできないんです。あたしが真似をして作った物ならあるんですけど、これではダメですか?」

「いいんですか?」

「はい。気に入ってもらえたら」


 子供は嬉しそうな顔で、すぐにその小さな人形の一つを受け取った。


「おいくらですか?」

「練習で作ったものだからお売りできません。ですからプレゼントします。乱暴にすると縫い目が破れちゃうかもしれないから、優しくしてあげてね」


 二宮は途中から直接子供に話しかけ、言われた子供は勢いよくうなづいた。支払いを済ませて店を出るとき、その子は二宮に人形を持った手を振りながら出て行った。


「二宮、ありがとう。助かったよ」

「お役に立てて良かったです」

「それにしても上手いもんだな。ちょっと見せてくれ」

「えっ、……はい」


 何故か心配顔になった二ノ宮から、俺は人形を受け取った。俺にとっては見慣れた人形が、ぱっとは見分けられないレベルで再現されていた。


「二宮はこういうのを作るのも好きなんだな。そっくりだ」


 二ノ宮の顔に一瞬笑顔が浮かんだが、またすぐに消えてしまった。


「どうした? 俺が何か変なことを言ったか?」

「似てるのは形だけなんです。店長さんのお母さんが作った人形は、丈夫だけど縫うのが難しい布を使ってて、糸も太いのを使っていて、それでも縫い目の処理とかはあたしよりずっと上手なんです。元の人形と比べたら、あたしのはゲームの景品みたいなものです」

「景品っていうのは、クレーンゲームとかのやつか?」

「はい」


 俺は改めて二宮の作った人形を見てみたが、彼女の言葉にはうなずけなかった。


「そんなことはないだろ。技術的なことは分からないが、この人形が気持ちを込めて作ってあることは俺にも分かる。仕事で作られた大量生産品より、俺の母さんが作った人形にずっと近い」


 俺の言葉を聞いた二宮は、最近よく見せる人懐っこい笑顔になった。したたかな部分も感じたユキの笑顔と違い、二宮の笑顔は俺にいつも子犬を連想させる。無条件でもっと喜ばせたい気持ちになる。


「あたし、仕事に戻ります」

「『仕事に戻る』じゃなくて『仕事を続ける』だ。さっきのは接客の仕事として上出来だった」

「はい。それじゃあ仕事を続けます」

「少し休んでもいいぞ」

「お皿を拭き終わってもお客さんが来なかったらそうします」

「この人形なんだが、また欲しがる子供がいたら渡してもいいか」

「それは店長さんにあげます。好きなように使ってください」


 そう言って二宮は厨房に向かった。俺が人形をレジの横にある棚に並べていると、安西が声をかけてきた。


「いい笑顔を見せるようになりましたね。二宮さんは」

「そうだな」

「ずいぶん可愛くなったと思いませんか? 彼女がフロアに出てくると最近は客席から注目されてますよ」


 確かにそれは少し気になっていた。常連客ならそんなことはしないが、初見の客だと二宮になれなれしく声を掛ける男もいる。俺は二宮を困らせないために接客の仕事を減らすようにしている。これには二宮を料理に専念させるという効果もある。


「湊河さんも二宮の方をよく見てますよね。それは以前からですが」

「そうだな。一所懸命な人間を見ているのが俺は好きなんだ」

「一所懸命ですか? 前と比べると二宮は落ち着いて仕事をしてるように見えますよ」

「それは無駄な動きが減ったからだ。二宮は体だけじゃなく頭もしっかり使って仕事をしている」

「仕事に慣れてきたってことですか」

「慣れるだけじゃなく、より良くなる方法をいつも考えて……おい、皿が落ちるぞ」

「あ、はい! すみません」


 二宮の指が十分に皿をつかんでいないことに気付いて、俺は声をかけた。


「やっぱり疲れているんだろ。少し休んだらどうだ」

「もう少しですから。終わったら休憩します」

「疲れよりも、湊河さんの声が聞こえたからだと思いますよ」


 なるほど。自分の名前が聞こえたから、何を話しているのか気になって注意がそがれたのか。


「悪かったな、二宮。だが注意することがあるなら直接お前に言うぞ。俺が他人に二宮の悪口を言うことは無いから気にするな」

「……分かりました」


 俺は二宮から安西に視線を戻した。二宮が誤解しないよう彼女に十分聞こえる声で話すことにする。


「より良くなる方法を考えて、それを実践しているんだ」

「何の話でしたっけ?」

「二宮は頭を働かせて仕事をしているという話だ。例えば今日だけでも、形が揃うように野菜の切り方を工夫したり、オーブンが冷めないように料理の手順を変えたり、グリルの温度を加熱中に変えて調理時間を短くしてる」

「……よく見てますね」

「見てないと、上手くいったときに二宮を褒められないだろ。褒めるのが楽しくなる奴なんだよ」

「楽しいんですか。まあ、その気持ちは分からなくもないですが」


 そう言いながら、安西は二宮の方を見た。


「安西さんは客が何を注文するか迷ってると、遠慮なくお勧めの料理を言いますよね。もしかしてあれも二宮さんのためですか?」


 俺に合わせたのか、安西もより大きな声で話すようになった。


「工夫するには試行錯誤する機会が必要だからな」

「客商売として、それでいいんですか?」

「二宮は不合格だと思えばすぐ作り直すから、客に待ち時間以外の迷惑はかけない。そもそも二宮は客に出す料理で無茶はしない」

「信頼してるんですね。二宮さんを」

「俺が信頼したというより二宮が信頼させたんだ。二宮がそう思わせる行動を積み重ねてきたからだ」


 その時、ガシャンという音がして二宮が小さな悲鳴を上げた。


「どうした?」

「すみません。お皿をぶつけてしまって。……割れたりはしてません」

「やっぱり疲れてるんだろ。続きは休んでからにしろ」

「分かりました。少し休憩します」


 二宮が奥に下がるのを確認してから、俺は安西に視線を戻した。安西は口元だけに笑みを浮かべて俺を見ていた。


「何だ?」

「疲れているから、ですか?」

「何が言いたいんだ?」

「何って。さっきの会話、わざと聞こえるように言ってましたよね」

「そうだ」

「真面目な子なんだから、からかい過ぎたら駄目ですよ」


 事実を言い並べただけなのに、どうして二宮をからかったことになるのか? 俺には理解できなかったが、おそらく安西の言うような話し方だったのだろう。俺はあの事故から他人の心の細やかな部分を理解できないが、それを実感すること増えたのは最近だ。


「客が来たら呼んでくれ」


 俺は安西にそう頼むと、二宮の様子を見に行った。二宮が傷ついているようなら謝らなくてはならない。。


「店長さんも休憩ですか?」


 二宮は俺の顔を見るといつもの笑顔で話しかけてきた。いつも以上の笑顔だと言ってもいいくらいだ。俺のさっきの言葉で彼女が嫌な思いをしたわけではなさそうだ。


 座っているのは母さんがよく使っていたマッサージチェアだ。マッサージ機能は使っていないが、脚を高くした姿勢は立ちっぱなしによる脚のむくみを取る効果がある。調理時の腕への負担には肘や手首へのアイシングが効くようだ。


「ちゃんと水分も取ってるか?」


 (うち)の厨房は、汗で濡れた姿を客に見せないように乾燥した空気を流している。そのため、気付かない間に体内から多量の水分が失われていることもある。二宮には、休憩ごとに体重を量って体重が減った分だけ給水するように言ってある。


「店長さん」

「何だ」

「こんなに気を使ってもらって……その……」

「気になることがあれば遠慮なく言ってくれ」

「……あたしにちょっと過保護じゃないでしょうか? 普通の飲食店だと従業員にこんなことしてませんよね」

「普通の飲食店は、経験の浅い人間に店のメニューを一任したりしないだろ」


 それを聞いた二宮から笑顔が消えた。


「すみません。あたしもっと頑張って――」

「頑張らなくていい。これ以上は頑張りすぎだ。さっき言ったのは俺が二宮に無理をさせてるってことだ」

「無理なんてしてません。あたし、仕事なのにこんなに楽しくていいのかなと思ってるぐらいなんです」

「それぐらいでいいんだ。スポーツなら本人がヘトヘトになるまで頑張っても良いが、二宮の料理には食べるお客さんがいる」

「あ……」

「いきなりプロと同じように働けると思うのはプロに対して失礼だ。俺の助けを素直に受け入れろ。俺と二宮の2人でようやく半人前なんだ。二宮が作ることを楽しめる出来じゃないと客には出せないと思え」

「そうですね。あたしと店長さんとで作ってる料理なんですよね――」

「俺も二宮と同じくらい楽しんでいるつもりだぞ」


 二宮は俺には上手く読めない表情を見せた。喜んでいるように見えるが、感傷的になっているようにも見える。半人前といったのは少し言い過ぎだったかもしれない。


「半人前と言ったのはお前にまだ経験が足りないからだ。才能はあるんだから、いずれ一人で何でも出来るようになる」

「……ありがとうございます」


 今度は明らかに嬉しそうじゃない表情で二宮は俺に礼を言った。これは何がまずかったんだ? 俺はその疑問を口には出さなかった。聞くと二宮が返事に困るような気がした。


「オムライス入ります!」


 いきなり店の方から安西の声が聞こえた。俺と二宮が急いで店に出ると、エプロンをつけた安西がトレイに置いたカップにコーヒーを注いでいた。


「3番のお客さん。オムライスです」


 客席を確認すると、他にも新しい客が座っているテーブルがあった。俺は安西の気遣いに感謝しながら仕事に戻った。

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