傍観 - 黒川つぐみ
たまたま乗った電車の中で顔を合わせたのは、すでに転校届けを出した鳥屋だった。
「珍しいわね。今日は葉山さんのお守りじゃないの?」
「鳥屋はあいかわらずだね。早希はああ見えて頼りになるんだよ。あの動画を見たときも、ブルってたあたしを庇ってあの店長さんに立ち塞がったんだから」
聞きたくない名前を聞いたせいか、鳥屋はその眉を潜めた。
「さすがに鳥屋でもアレは怖かったよね。さっさと転校を決めたところはさすがだと思ったけど」
「……あの人を呼んだのもあなた?」
「まさか。安西先輩だよ。あたしだってあの時までは関わりたくない人だったんだから」
「今は違うのね」
「まあね。鳥屋には悪いけど、当事者以外にとってはあれはホントにスペクタクルって感じだったから。店長さんへのあたしの印象も変わったよ。二宮を抱き上げた時なんてあたしもすごく感動した」
「当事者じゃないの? 二宮さんが危なかったのに」
「あたしが大切なのは早希だから。早希ほど二宮に思い入れはなかったよ」
「そう言われればそうね。あなたには何度か邪魔をされたけど、私が葉山さんに何かしようとした時だけだった」
鳥屋から、今までのピリピリした感じがなくなっていた。
「これから何か用事がある?」
「ないわけじゃないけど、特に急ぐわけでもないわね」
「じゃあ、ちょっと電車を降りない? 1度くらいゆっくり話をしてみたいな」
「いいわ。あなたなら面倒な話はしないでしょう」
あたしたちは電車を降りると、駅ビルの喫茶店に移動した。
「それで? 話というのは何かしら」
「どうして二宮をいじめてたのかな」
「ずいぶんとストレートね。もちろん、彼女が気に食わなかったからよ」
「ストレートなのはお互い様だね。二宮に何か恨みでもあったの?」
「いいえ。私が二宮さんのような人を嫌いなだけ。理由があるのは私の方ね」
「聞いてもいい?」
あたしがそう言うと、鳥屋は少し考える様子をしてから話し始めた。
「私、小さい頃は良くいじめられていたの。その頃から可愛かったからみんなが僻んだのね」
「性格の問題もあったんじゃない?」
「結構深刻に悩んだのよ。それでいじめる方になったわけ。私としては自己防衛のためにに仕方がないことだと思ってた」
「それでイジメに動じない二宮が目に障ったわけか」
「彼女の行動だけならそれほどでもなかったのよ。泣き虫の船橋くんが二宮さんを崇めて真似をしだしたのを見たら、彼女の泣き顔が見たくなったの。どうしても」
鳥屋はふざけているわけじゃなく、真剣な顔でそう言った。
「船橋が気になってたわけじゃないよね」
「小学の頃から知ってるけど、あの子って他人の影響でコロコロ自分が変わるのよ。それが二宮さんと少し話しただけで、あたしの言葉を聞かなくなった」
「それが気に食わなかった?」
「こうやって考えてみると、二宮さんが船橋くんに与えた影響を、あたしが覆せなかったことが許せなかったのね。ライバル心みたいなものかしら?」
「嫌なライバルだね。二宮もいい迷惑だよ」
反発を予想して言ったあたしの言葉に、鳥屋は反発しなかった。
「今は目が覚めたわ」
「怖い目にあってあきらめたがついた?」
「お芝居じゃあるまいし、自分が恐怖で気を失うような人間だとは思っていなかったわ。意外と小心者だったのね」
「気絶はしなくても、あの時に顔色の悪かった人は結構いたね」
ほとんどが二宮さんをいじめたことのある子たちだった。
「噂で聞いたけど、お店の方は大忙しなんですってね」
「鳥屋のおかげで人気者だよ、店長さん」
「ああ、そう」
「ほら。不良が子犬を拾う系のギャップってあるでしょ。店長さんの場合は、前評判とやったこととの両方が半端じゃないから、そういうのが来る子にはドカンと来たみたい」
「黒川さんはどうなの?」
「そうね。あたしも結構来たかな? 不良と子犬だったら、ああ犬好きなんだで終わるんだけど」
「それじゃあ、二宮さんも大変ね」
「それはどうかな。あれはヒロインも込みでのイベントだったから、大抵の子は2人のじゃまをしないと思うよ。店長さんの演説を聴いてなかった鳥屋さんには、実感できないと思うけど」
「……」
いやみ交じりの言葉を聞いて、鳥屋はあたしをにらみつけた。あたしはそれに気付かない振りをして、少し冷めた紅茶をすすった。
鳥屋は小さなため息をつくと、少し遠い目になってつぶやくように言った。
「でもあの人があたしを睨みつけた時、本当に殺されるんじゃないかと思った」
そう言いながら、鳥屋の顔は微笑んでいた。
「鳥屋。その顔でそのセリフを言うのは危ない人だよ」
「あら、どうして?」
「自覚がないの? 笑ってたよ、今」
「……そうなの。……笑ってたのね、私は」
そう言った鳥屋は、あたしが見たことのない顔を見せた。
「おかげですっきりしたわ。あなたと話せてよかった。二宮さんによろしく言っておいて。もう会うことはないだろうから」
「北高の客は大体メンバーが落ち着いてきたけど、その代わりに他の学校の生徒が増えたみたいね」
早希が言うように、あたしの知らない顔の客が結構増えていた。4百人からいる女子生徒の顔を全て知ってるわけじゃないけど、なんとなく見覚えがあるというくらいには分かる。
「女子に比べて男子の客は少ないよね。ああいうパフォーマンスは男子の方が惹かれるんじゃないかと思ってたんだけど」
「パフォーマンス?」
あたしの言い方が安西先輩の気に障ったようだ。
「店に来ても、俺たちと新規客じゃ湊河さんの話し方が全く違うからな。俺たちには気さくに話しかけている湊河さんが、自分には客対応の言葉で話しかけてくる。そこに壁を感じて居づらいんだろう」
「安西先輩の身内はもう増やさないの?」
「この店のキャパ的に、時間的な入れ替えを考えても今の人数で限界だろう」
確かにパーティション内の席は、あたしが来ている時にはいつもほぼ満員だ。
「店にはたまにしか来ないだけで、俺の仲間は他にもいる。そこに入りたがってる奴は増えてるよ。湊河さんの影響だろうな」
「準メンバーってとこ?」
「俺たちの仲間にそういった上下関係はない」
「数が増えるとそうもいかないんじゃない?」
「だけどそれが原則だ。それを理解できないなら出て行ってもらう」
「意見が分かれたらどうするんですか?」
早希が質問した。それはあたしも気になった。
「それぞれが別れて行動する。意見の違うものを従わせる必要はない。普段話すのも話したい相手とだけだよ」
「安西さんの意見が通らないこともあるんですか? さっき言ってた、この店にいつ来るかを割り振ってるのって安西さんですよね。それぞれが自分の都合を言い出したら、まとめるのは大変じゃないんですか?」
「それはオレが1人で決めてる。全員の人間関係を把握してるのはオレしかいないから。不満が出ないように配慮はしていたけど、考えてみれば1度も文句が出てないのは不自然なくらいだな」
「安西先輩のカリスマじゃないんですか?」
「オレにそんなものはないよ。あるとしたら湊河さんだ」
「店長さんのカリスマってどんなところ? ケンカがすごく強いってこと?」
「強さというより闘い方だな。最初は確かにそうだった。だけど湊河さんとの付き合いが長くなると他の面も見えてくる。今オレが湊河さんに惹かれてこの店にいるのは、ケンカ以外の理由のほうが強いだろうな」
「他の面って?」
あたしの質問に、安西先輩はしばらく考えてからこう答えた。
「まず、湊河さんは自分の損得を考えない。金銭のことだけじゃない。手間だとか感情的なものだとかも含めてだ。先入観なしに他人の言動を受け止める。そしてやるべきだと思ったことはためらわない」
「……そんな人が実在するんだ。何ていうんだろう。自由な人って感じ?」
「いいことを言ったな。確かに湊河さんはオレたちが縛られている色々なモノから自由な人だ。もちろん湊河さんにも、オレたちとは違うこだわりがあるんだろう」
あたしはスマホの写真を見てから、目の前にいる店長さんの横顔を見た。傷の見えない方の顔だ。これだと怖さはあまり感じない。眉が険しいことを除けばかなり整った顔だと思う。
店長さんは今、客に出す料理が出来上がるのを待っている。だから厨房の方を見ているのは当然なんだけど、その姿からは待っているというより見守っているという雰囲気を感じる。
店長さんがカウンターの奥に入ると、同時に厨房から料理の皿を持った二宮が出てきた。その笑顔には二宮の店長さんに対する信頼感が溢れている。気の優しい大きな獣に小動物がじゃれているようで、見ているとなんだか心が和む。
このシーンを見て癒されたくなる気持ちは分かる。人によっては二宮の代わりにあの場所に立ちたいと思うだろう。その気持ちもまあ分からなくはない。だけどそういう子が多いと早希が苦労しそうだ。
またあたしの出番が来ることはあるんだろうか。あの事件の時とは違って、今なら二宮のためにでも動いていいと思ってる。




