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友人

 二宮がここで働き出してから3週間ほどになる。食事を出すようになってから店の仕事は忙しくなった。料理の手間が増えただけじゃなく、新しい客が店に来るようになった。


 黒川の予言は当たった。客として来る北高の生徒があの日からどんどん増えていった。最初は単に客が増えたと思っていただけだったが、ほとんどが北高の生徒だと安西が俺に教えてくれた。

 私服だったため気づかなかったが、校則では下校中に飲食店に入ることを禁止しているそうだ。


「安西は最近まで制服を着てたよな?」

「その辺の校則は無実化してましたから。守ってるのは真面目な生徒だけです」

「じゃあ安西は真面目になったわけか?」

「ここに来る生徒が増えたんで、教師が時々見に来るようになったんです」


 明らかに高校生じゃない客も増えた。今では昼食時や夕食時になると常連客以外で半数を超えるようになった。理由として大きいのは、開店後に『営業中』の看板を出すようになったことだろう。コーヒーしか出せなかった頃は出さなかった看板だ。


 常連客というのは余所者が増えるのを嫌うものだと思っていたが、この店ではむしろ反対だ。特に安西のグループは俺でも変だと思うくらい店の営業に協力的だ。

 最近では客が増える時間帯になると、パーティションで囲まれた奥のテーブルに引き込んでいる。自分たちの雰囲気が集客のじゃまになるのを嫌ったからだ。全員が奥のテーブルに収まらないときは、普段は着崩している格好を整えた上でカウンター席に座っている。


「俺は客に気を遣わせるのは嫌いなんだ」

「でも湊河さん。オレたちだけで集まってないと口調が接客モードになるでしょう」


 普通の客を入れるようになって、俺は接客中の口調を丁寧なものに変えた。前にも変えようとしたことがあったが、その時は常連客にひどく嫌がられた。だから俺は、安西たちがいるパーティションの中とカウンターでは以前の口調で話している。




 店が忙しくて接客が間に合わない時、安西は俺が何も言わなくても店員として手伝ってくれるようになった。俺がその好意に甘えていると、それほど忙しくない時まで接客をするようになった。ただしどんな客でもというわけじゃない。


 その日も、気が付くと安西はエプロンを着けていた。客席を確認すると、空いていたテーブルに新しい客が座っていた。すでに水の入ったグラスが置かれている。


「気遣ってくれるのは有難いが――」

「女の子の1人客なら任せてくださいって言ったでしょう」

「ああ、そういうことか」


 忙しくなくても安西が接客をするのは、年齢の近い女の子が1人で来店している時だ。俺はその客を安西に任せることにした。


「あんなに積極的に声をかけなくても、安西ならいくらでも彼女はできると思うんだが」

「違いますよ?」


 その声に振り返ると、いつの間にか葉山がカウンター席に座っていた。


「何が違うんだ?」

「安西さんがお客さんの相手をするのはユッカのためです」

「二宮の?」 

「北高の女の子でも何人か一緒に来る場合は、たいてい店長さんとユッカのファンなんですよ。あの事件のせいで2人を理想化してるんです」

「……なるほど」

「分かってないでしょう? ……まあいいです」

「1人の客だと違うんだな」

「全員ってわけじゃないですけど、視線を追えばユッカに興味のないことは分かります」

「つまり安西は、そういう客に二宮の良さを教えているわけだな」

「……」

「……と言うのは冗談だ。それなら二宮の良さを一番良く知っている俺の出番だからな」


 反省を生かせず余計なことを言った俺は、それをごまかそうとしてまた余計なことを言った。葉山の反応を見るとやはり失敗だったようだ。


「……ユッカ。あんたが本当に幸せなのか分からなくなってきた」

「サキちゃんが思ってるよりずっと幸せだから大丈夫」

 

 相変わらず俺には理解できない会話だが、二宮が幸せだと言うのなら問題はない。そこへ注文を聞きに行った安西が、こわばった笑顔で戻ってきて一言いった。


「死ね」


 意外な言葉を聞いたが、俺の聞き間違いだろうか。


「どうしたんですか?」

「聞いてくれ葉山。オレに『受け』かと聞きやがった」

「……それは酷いマナー違反ですね」

「ふざけんな、ったく」

「それはほら、あれが原因ですよ」


 いつのまにか来ていた黒川が安西に話しかけた。俺が店内を見回すと思った通り辻野もいた。 


「あれって?」

「この前、学校で店長さんが二宮さんを助けたときですよ。あの後、安西さんたちは店長さんの話で盛り上がってたでしょう」

「ああ。でもそんなことで――」

「その時に『やっぱり湊河さんはすごい。惚れ直した』って言いませんでしたか?」

「……それはオレが言ったんじゃない」

「でも同意してたんですよね。江美が3年の先輩から聞いたって言ってました。ダメですよ。女子の前で美形の男子がそんなことしたら」


 すると今度は辻野が安西に話しかけた。


「安西さん。違うんです。あんなのは間違った人です」

「え? ああ、いたのか辻野」

「あたしのはもっと、こう、プラトニックなんです」

「二次とかならともかく、リアルで口に出すのはないよね」


 黒川も辻野に同意した。安西から怒りが消えて困惑した顔になっていた。


「注文は何だったんだ? 失礼な客なら俺が持っていこうか?」


 俺がそう言うと、安西たちは顔を見合わせた。


「わたしが行ってきます」


 葉山はそう言うと、何も持たずにその客の席に行った。そもそも注文が何だったのかさえ聞いていない。葉山が客の耳に何かをささやくと、その子は急に立ち上がって店を出て行った。戻ってきた葉山は満足気な顔をしていた。


「マナー違反にはマナー違反です。幻想を打ち砕いてやりました」

「何を言ったんだ?」


 葉山は安西を横目で見た。その頬が少し赤くなっていた。


「それは聞かないのがマナーです」




 スマホを見てぶつぶつと言う客が増えた。それだけなら俺も気にしない。気になるのはその声が俺が見ていない客からだけ聞こえることだ。

 俺が声の方を振り向くと聞こえなくなる。1度や2度ならともかく、毎日そんな客がいるとさすがに俺も気になってきた。


「ぱっと見は別人だけど、部品で見ると同じなのよね」

「ちょっといじったら、全然良くなるのに」

「わざとかな? あれ」


 聞こえるのはそんな言葉だ。どうも俺の見た目に問題を感じているようだ。俺にその手のセンスがないことは自覚しているが、見ているスマホと何の関係があるのかよく分からない。




「何だ、葉山。お前もか」

「何がです?」

「スマホを見ていただろ」

「スマホ禁止なんですか? この店」

「いや、そういうわけでは……。すまない。最近スマホを見ている客が多くて気になっていたんだ」

「ああ、そういうことですか」


 葉山は店内を見回してから俺に言った。


「確かにスマホと店長さんと見比べている人がいますね」

「比べる? 俺と何を?」

「たぶんユッカが好きな人の写真でしょうね」


 そう言えば、二宮に相談されたことがあった。彼女は好きな男がいると言っていた。恋愛感情があるのかと尋ねて答えに迷っていたから、それに近い気持ちを持っているのは間違いないだろう。


「……そうか。みんなその写真を持っているのか?」

「話題の的でしたから」


 その二宮のことを、俺は全校生徒の前で大切な人だと宣言した。二宮とその彼のことを生徒たちが知っているなら、三角関係だと思われても仕方がない。話題の的か。なるほど……まずいな。


 いくら恋愛関係に疎い俺でも、この状況を放置してはいけないことは分かる。二宮がその彼に誤解されるかもしれないし、二宮が男を手玉に取っているというような根も葉もないうわさが立つかもしれない。

 まず葉山から話を聞いて、それから安西に対策について相談しよう。安西のことだからすでに動いているのかもしれない。恋愛の話で俺が勝手に判断するのは厳禁だ。


「どうしてそんな写真が出回っているんだ」

「店長さんが学校に来た日に、あっというまに拡散しましたよ。みんな店長さんとユッカの話ばかりしてたから、当然といえば当然ですね」

「そのことで二宮は困ってないのか?」

「ユッカが? ……写真のことは知らないんじゃないかな。みんなのリストとかに入ってないから」


 葉山は二宮にとって一番の友だちだ。二宮が好きな男について、何か相談されているかもしれない。


「葉山。お前は二宮が好きだと言ってる男のことを知っているのか」

「……え~と。店長さん? 何か――」

「俺は二宮から、その男について相談されたことがあるんだ。勘違いをして傷つけたことを後悔してると聞いている」

「あ……。そうなんですか」


 葉山の顔が曇った。やはり何か知っているようだ。


「もし今、二宮がその彼と上手くいっているのなら、俺が二宮を大切な人だと言ったことはどう考えてもまずいだろう」

「違います。ユッカはその人とは何でもないんです」


 葉山は焦ったようにそう言った。


「何でもないってことはないだろう。悩んでいたのは最近の話だ」

「……あたしが言っていいことなのか分からないけど。……ユッカも店長さんに誤解されるのは嫌だろうから。その人、ユッカのことを覚えてなかったんです。ユッカはすごくショックを受けてたから、その人とは会っもいないはずです」

「そうなのか。……葉山、言い難いことを言わせてすまなかった」


 いつ二宮はそのことを知ったのだろう。俺が相談を受けてから二宮はいつも明るかった。俺が自分の思うままに二宮を引っ張りまわしても、彼女はそれを素直に喜んでくれた。傷ついていた二宮に俺は全く気付けなかった。


 俺は二宮に恋愛関係では役に立てないと言った。俺に気付かせないために二宮は無理をしていたのだろう。その気遣いは嬉しかったが、俺は同時に寂しさも感じていた。我ながら勝手な話だ。

 頼って欲しかったのなら、二宮の気遣いを見抜くべきだった。それができなかった俺を、彼女はまだ信頼してくれている。過ぎたことを後悔するのではなく、反省して次に生かすことを考えるべきだ。

 俺にそれが出来ると二宮に思わせることができれば、二宮は1度は胸にしまったその思いを俺に打ち明けてくれるだろう。俺だけでは無理なことでも、安西や葉山に協力してもらえばなんとかなる。

 二宮の思いは叶わないかもしれないが、会わずに諦めてしまっては彼女の心に悔いを残すことになる。

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