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区切り - 二宮透花

 サキちゃんの家から出て、あたしはすぐに店長さんの家へ行った。店長さんが開けたドアから入ったあたしは、そのドアが閉まるのを待って店長さんに両腕を広げた。少し戸惑った顔をしたけど店長さんも両腕を広げてくれた。あたしはその胸に抱き付いた。


「そうか。やったな」


 店長さんはそう言って、あたしの頭を優しくなででくれた。あたしはそれが、サキちゃんと仲直りできたことに負けないぐらい嬉しかった。

 あたしがサキちゃんとのことを話している間、店長さんはずっと笑顔であたしを見ていた。


 店長さんの笑顔はほとんど表情が変わらないから、あたし以外の人には分かり難い。つき合いの長い安西先輩より、あたしには店長さんの笑顔が分かる。店長さんの気持ちが気になるから、あたしは誰より店長さんの顔をよく見ていた。


 帰りは店長さんが家まで送ってくれた。いつもは歩くのが早い店長さんが、あたしに合わせてゆっくり歩いてくれた。あたしは店長さんの顔を見上げながら言った。


「店長さんは背が高いですよね。何センチあるんですか」

「この前測った時は186だった。二宮は150くらいか?」

「151です。店長さんが羨ましいです」

「高い方がいいのか? そう言えばユキも、クラスでは低い方だってことを気にしてたな」

「そうなんですか。店長さんはそんなに高いのに」

「俺が伸びたのは中学に入ってからだった。ユキにもそう言ったんだが、父さん似の俺と違ってあいつは母さん似だったから、あまり信用されなかった」

「あたしもママに似てるから、これからママと同じくらいに伸びますよね」

「そんなに背が低いのが嫌なのか?」

「あたし体重もないし、知らない人から子供扱いされると結構傷つくんですよ」


 悩み事を話していても、あたしはすごく楽しかった。あたしの人生は店長さんに会えたことで変わった。だからあたしも店長さんに何かしてあげたい。そう心から思っている。


 店長さんがあたしに優しくしてくれるのは、あたしにユキさんを重ねて見ているからだ。それは少し寂しいことだけど、あたしにとって恩返しするチャンスでもある。

 ユキさんの代わりなら、ユキさんがしていたことをあたしがすることになる。店長さんがしてくれたことの真似なんてあたしにはできない。でもユキさんにできたことならあたしにもできるかもしれない。


「店長さん。ユキさんのことを聞いてもいいですか?」


 あたしはもっとユキさんのことを知らないといけない。


「……ああ、いいぞ。何を聞きたいんだ」

「どんな人でした?」

「人当たりが良くて大人しいやつだったが、頑固なところもあったな。気持ちが顔に出やすかった。人が悲しんでいることに敏感で、そういうときは何とか相手の気を紛らそうとしていた。友だちは結構多かったんじゃないかな」

「……ユキさんって、あたしと雰囲気が似てたんですよね?」

「他人に見せる顔と自分の兄に見せる顔は違うだろ。俺には弱いところも見せていたよ。まあ、頼られると嬉しい俺の気持ちを読んで、そうしてたのかもしれないが。計算とかじゃなく自然にな」


 店長さんはユキさんに甘えられるのが好きだったんだ。でもあたしは店長さんの役に立つこともしたい。


「母さんが喫茶店の仕事をするのを見たり手伝ったりするのが好きだった。将来は母さんの後を継ぐつもりだったのかもな」


 そこはあたしに似てるんだ。だったらもっと店長さんに喜んでもらえるように、店の仕事を頑張ろう。

 他に何か小さなことでも、あたしがユキさんの代わりにできることがあるだろうか。そう考えていた時、ママと再会する前にあたしが店長さんにしたことを思い出した。あたしは自分の顔が火照っていくのを感じた。


「あの……、店長さん。この間のことなんですけど、あれはちょっと、勘違いと言うか――」


 あたしのあいまいな言葉に店長さんは考え込むような仕草を見せた。そしてすぐあたしに視線を戻した。


「ああ、あれか? 二宮がいきなり俺の脚の上に座って――」

「ごめんなさい!」

「いや、あれは俺が……、って二宮! 『ごめんなさい』って言えるようになったのか!?」

「あ、はい」

「そうか。……そうか。良かったな、二宮。本当にお母さんと分かり合えたんだな」


 店長さんが嬉しそうに言うから、あたしも一緒に嬉しくなった。


「だったら、二宮が俺の脚に座ったことを謝るのは間違いだ。偶然とはいえあれで二宮のお母さんが本気で怒ったから、その後で素直な気持ちが聞けたんだ」

「そうなんですか? あたしがユキさんの真似をしたこと、店長さんは嫌じゃなかったですか?」

「驚きはしたが嫌だなんて思うわけがない。ユキの代りになって欲しいと言ったのは俺の方だ。俺が心配なのは、二宮が変に気遣って無理したんじゃないかってことだ」

「あたしは大丈夫です」

「本当か?」

「嫌なことなら、しませんから」

「そうか。だったらまだ俺の家族ごっこにつき合ってくれるか」


 そう言った店長さんは笑顔だったけど、あたしには少し寂しげに見えた。あたしがどれほど店長さんに感謝しているかを伝えたい。そういう気持ちがあたしの中で急に強くなった。

 だけどお父さんに言われた通り、それはあたしの自己満足なんだろう。何でもできる店長さんに、あたしがしてあげられることはそんなにない。


 店長さんが望んでいるのは、あたしが自分の妹のように振舞うことだ。あたしは店長さんがしてくれることを素直に喜べばいい。あたしが変に恥ずかしがることは、店長さんの『家族ごっこ』にとってルール違反だ。


 やっぱりあたしは、女の子として店長さんを好きになっている。でもそれを店長さんには言えない。言わなくても店長さんなら気付いていると思うけど、店長さんはそれに気が付かない振りをしている。

 最初はあたしも店長さんが恋愛に鈍いだけかと思っていたけど、店長さんのことを知れば知るほど、こんなに他人の気持ちを読める人はいないと分かってきた。その店長さんがあたしの気持ちにだけ気付かないというのはありえない。


 店長さんがそうしているのは、もちろんあたしを傷つけたくないからだ。あたしを嫌っているわけじゃなくて、単に女の子として興味がないだけだと思う。それは仕方がない。あたしが店の窓ガラスに並んで映っているあたしと店長さんを見ても、とても恋人同士には見えない。

 でも完全に諦めているわけじゃない。あたしがもっと成長して、店長さんがあたしを女の子として意識するようになったら、その時はあたしにもチャンスがあると思ってる。それがいつになるかは、今のところ見当もつかないけど。


 それまでは、あたしは店長さんの望むことだけを考えて行動しようと思う。もっとユキさんになり切るために、あたしはどうしたらいいだろう。


「ユキさんとしてみたかったことってありますか?」

「二宮の気持ちはありがたいが、わざわざ気を使うことはない」

「さっきも言いましたけど、本当に嫌だと思うことならあたしはしません。店長さんにとってユキさんがどんな人だったか知りたいだけです」


 あたしがそう言うと、店長さんはしばらく考えてからあたしに答えた。


「俺の得意なことを教えてやりたかった。運動系は苦手な方だったユキには、あまり喜ばれなかったかもしれないが。泳ぎならまあ得意だったから、友人と潜って感動したあの海は見せてやりたかった」

「感動するほどキレイだったんですか?」

「少なくとも俺はそう感じた」

「あんまり泳げないあたしでも、それは見てみたいと思います」

「海面から下を覗くだけでも楽しいぞ。ダイビングは泳げなくてもできる。慣れた人の腕に捕まっていればいいんだ」


 ユキさんは泳げたんだから、これは泳げないあたしに言ったんだよね? 水着で腕に捕まるのは、嫌というわけじゃないけどちょっと恥ずかしい。兄妹だと思うのなら気にするのはおかしいかな。


「他にも何かありますか?」

「昔、父さんと登った山にも連れて行ってやりたかった。山小屋で一泊したんだが、本当に吸い込まれそうなほど綺麗だった」

「……山小屋が?」

「綺麗だったのは星空だ。外で父さんと一緒の毛布に包まって見たんだ」

「一緒の毛布、ですか?」

「そうだ。小学生だった俺は座った父さんの脚の間に収まって、その上から毛布を首だけ出るように巻きつけてもらったんだ。皮膚が痛くなるほど寒い山頂でも、そうしていればいつまでも星を見ていられた」


 店長さんに変な気持ちがないのは分かってる……、けど、さすがにそれは恥ずかしい。そう思うのはあたしがユキさんになり切れていないからだろうか。

 恥ずかしささえ横に置いておけば、一緒に見上げる星空というのはすごく素敵だと思う。その気持ちを、あたしの中でもっと大きくしていけばいいんだろうか。


 とはいっても、2人だけで一泊するのはお父さんが許してくれない。お父さんも含めた3人でないとダメだけど、いつも忙しいお父さんにそんなことは頼めない。


 ……サキちゃんに頼んだら、サキちゃん家に泊まったことにしてくれるだろうか?




 あたしには好きな人が2人いる。店長さんとサンズイさんだ。あたしはサンズイさんを好きなまま、店長さんを好きになった。そして今では店長さんの方をもっと好きになっている。

 あたしは浮気な人間なんだろうか。サンズイさんにはあんなに感謝して、あんなに謝りたいと思っていたのに。身近にいてあたしを助けてくれる人が現れたら、その人を好きになってしまった。


 だけど、店長さんがあたしにしてくれてことを考えたら、好きになるのは仕方がないとも思ってる。ここまでしてもらっても好きにならないほど、人の優しさが分からない人間にはなりたくない。

 もしかすると、これは恋とは違う好きなんだろうか。あたしにはそれがよく分からない。店長さんへの気持ちが恋じゃないなら、サンズイさんへの気持ちも恋じゃない。


 これが恋なら、あたしは自分の気持ちをはっきりさせないといけない。サンズイさんへの思いを残したまま、たとえ一方的でも店長さんを好きになるのは、あたしにとって正しくないことだと思う。

 あたしはまだ、あたしがサンズイさんにしたことを謝っていない。それはあたしがサンズイさんのことを忘れられない大きな理由なんだろう。だからあたしはまずサンズイさんに会って謝らないといけない。


 サンズイさんの友だちだった人なら、サンズイさんが何処にいるかを知っているかもしれない。あたしをいじめていた子のお兄さんが、1度はケンカしたけどサンズイさんの友だちだった。

 あたしにその子の連絡先は分からないけど、友だちの多かったサキちゃんなら分かるかもしれない。あたしはそう思って、理由を説明してからサキちゃんにお願いした。サキちゃんもサンズイさんのことは覚えていた。


「ユッカにお願いされたのって初めてじゃない? いいわ、任せて」




 お願いをしてから3日後、サキちゃんの様子がおかしくなった。


「どうしたの、サキちゃん。もしかしてサンズイさんのこと?」


 あたしにはそれ以外思いつかなかった。サキちゃんはしばらく迷ってから、あたしの質問に答えてくれた。


「……ユッカ。あたしあの子のお兄さんと会って、サンズイさんにユッカのことを伝えてもらうように頼んだの。もちろんユッカの名前じゃなくて、サンズイさんにマエジマって呼ばれていた子が会いたがってるって」

「そんなことまでしてくれたんだ。サキちゃん。ありがとう」

「でも……」

「何処にいるのか分からなかったの?」

「ううん。その人はサンズイさんに電話してくれたの。だけど……サンズイさんは覚えてないって」

「覚えてない? 何を?」

「3年だったマエジマって子のことは覚えてないって」


 あたしは言葉を失った。サンズイさんが自分でつけたあだ名を忘れるわけがない。サンズイさんはあたしに会いたくなくてそう言ったんだと思った。本当に忘れられたとは思いたくなかった。


「あんな風にユッカのことで発表までしたのに、忘れたなんておかしいでしょう。あたしがそう言ったら、その人は昔のことも教えてくれたの。サンズイさんが忘れたのはユッカだけじゃなかった」

「どうして……」

「高校を辞める前に病気になって、それで色んなことを忘れてしまったんだって。中学からの友だちがお見舞いに行ったときも、サンズイさんは分からなかったって」


 その話が本当なのかどうかは分からなかった。でもあたしがサンズイさんの心の中にもういないということだけは分かった。あたしにとってそれはとても辛いことだった。

 でも店長さんへの思いがあたしを支えてくれた。あたしには店長さんがいた。あたしは自分の中で1つの区切りがついたことを感じていた。

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