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加害者

 俺は腹を立てていた。誰も二宮に『お前は悪くない』と言ってやらなかったことにだ。たった4歳の子に罪悪感を植え付けたまま放置した。彼女の心があれほど強くなければ、ずっと前にもっと悪い結果になっていただろう。


 園田弁護士に頼んで、会いに行く相手の情報を調べてもらった。二宮に会わせる前に先ず俺だけで会っておく。俺から見れば、いずれも彼女が許してもらう必要のない相手だ。逆に彼女に許してもらうべき立場だと思うが、世の中には逆恨みをする連中もいる。


 自分を罪人だと思い込んでいる二宮の考えを、彼女が罪悪感を持っている相手から否定してもらう。俺がやろうとしているのはそういうことだ。


 最初に会うのは、事故の加害者である神木茂信だ。事情をよく知らない上級生だった子なら、親のことで逆恨みすることもあるだろう。だが本人が二宮を責めるというのは、まともな人間ならばありえない。

 二宮が溜めこんだ罪悪感を解消していく、その最初の相手としては申し分がないだろう。




 神木は妻と共に、事故当時の自宅から離れた地方都市で暮らしていた。俺は神木に、被害者の姉のことで話があると電話で伝えてから、彼の家を訪れた。娘は10代で結婚して、独立した生活を送っていた。


 横断歩道での死亡事故は軽くない罪だが、過失でいきなり刑務所に入ることはあまりない。園田弁護士からの情報によると、神木茂信には執行猶予がついていた。娘が勘違いをしたのは、裁判の後も神木が自宅に戻らなかったからだ。


 神木は事故によって職を失うことになった。遠く離れた地で新たな職場を見つけた神木は、家族と離れて住み込みで働いた。娘とは会わなかった。電話すらしなかった。そうすることが、神木にとって最もつらいことだったからだ。

 神木は、二宮の家庭が事故の後にどうなったのかを知っていた。そして家族と仲良く暮らす生活が、自分にはふさわしくないと考えた。離婚を切り出された神木の妻は、なんとか夫にその考えを思い止まらせた。娘には、父親は罪を償うために遠くにいると教えた。


 娘が中学に進学する時、神木は妻と娘を自分の住む家に呼び寄せた。彼は七回忌が済んだ後と考えていたが、二宮の父親から一緒に暮らすよう勧められた。神木は毎年、命日の数日前に二宮の父親に会っていた。


「彩花ちゃんにお姉さんがいたことは覚えてますよね」

「はい。……事故の時、妹さんの横で茫然と立ち尽くしている姿は、今も私の頭に焼き付いています」

「彼女は事故の責任が自分にあると思っています」

「……は? それは?」

「妹が飛び出すのを止められなかった自分が悪い。迷惑をかけた貴方やその家族にも謝りたい。彼女は今もそう思っています」

「そんな……、馬鹿な!」

「わたしは、そんな彼女の罪悪感を少しでも軽くしてやりたいと思っています。今日伺ったのは、貴方にその協力をしていただきたいからです」

「私にできることならなんでも」

「次に彼女とこの家に来た時、貴方が事故のことをどう考えているのか、彼女に伝えてください」

「待ってください。そういうことでしたら、私の方からそちらにお伺いします。日時はそちらのご都合に合わせます。今すぐということでもかまいません」

「今すぐは無理ですね。それでは改めてご連絡することにします。場所はおそらく私の店になるでしょうから、簡単な地図をお渡ししておきます」




 俺には神木に会う前に心配していたことがあった。俺の中にある犯人への深い怒りが、同じ交通事故の加害者である神木に向かわないか、ということだ。だがそれは杞憂だった。


 俺のこの怒りは、人の生死を考えない犯人の行動に対するものだ。単に人を死なせたということだけでなく、事故の前の無謀な行動と、事故の後の無責任な行動に対するものだ。

 俺は神木の過去の行動とその言葉から、強い自省の念を感じた。それは彼と比べたときの犯人の悪質さを、俺に再認識させることになった。




 翌週の水曜。休業日で客のいない店内に、神木が女を2人連れて入ってきた。この前に会った彼の妻と、もう1人はもっと若い女だ。


「娘の茜です」


 神木はそう言うと、娘とともに頭を下げた。


「ずいぶんと早いお着きでしたね。二宮が学校からここに来るまで、まだ2時間以上ありますが」

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。いてもたってもいられず――」

「わたしならいくら早く来られても構いません。この通り今日は休業日ですから」

「前にお話しをうかがった時から、一刻も早く私の思いを二宮さんにお伝えしたくて」


 概ね俺の予想通りの展開だ。大丈夫だとは思うが、娘の方にも二宮への気持ちを確認しておく必要があるだろう。


「念のためにお伺しますが、娘さんの二宮に対するわだかまりは、もうありませんよね?」

「ごめんなさい!」


 いきなり神木茜が大きな声を上げた。


「わたしに謝っても意味はありませんよ」

「……」

「娘から二宮さんに何をしたのかを聞きました。謝って許されることではありませんが、この子に何も言わなかった私の責任でもあります」

「あの頃の私は自分のことしか考えていませんでした。二宮さんには本当にひどいことをしました。母親になって、ようやくそのことが分かりました。もし自分の子が突然事故で奪われたら……」


 言葉を詰まらせた神木茜は、目に涙を浮かべていた。


「二宮が来る前に少しお話しておいた方がよさそうですね。わたしとしてはあなた方に、二宮に会ってすぐに謝るのは止めて欲しいんです」


 俺のその言葉を聞いて、神木たちは怪訝な顔をした。


「……どうしてでしょうか?」

「それでは二宮に伝わらないからです。前にも言いましたが、二宮は本心から自分に責任があったと思っています。二宮がしたいのは貴方たちに謝ることです」

「そんな必要はありません」

「今の彼女はずっとそう思い続けてきたんです。あなた方の悲しそうな顔や苦しそうな顔は、二宮の罪悪感を高めるだけです。いきなり自分の考えと全く反対のことを言われても、人はそれを受け入れられません」

「だったらどうすれば」

「二宮がもう謝る必要はないと思うぐらい幸せそうにしていてください。彼女の謝罪を受けてから、その必要がないことを冷静に時間をかけて説明してください。二宮があなた方の気持ちに納得した後なら、謝っていただいてもかまいません」

「……本当にそれでいいんでしょうか」


 神木は納得しきれない表情でそう言った。


「神木さんに対する二宮の罪悪感は、彼女が背負ったものの一部です。二宮の罪悪感にあえて順番を点けるとしたら、まず第一に妹、その次が妹を失った両親です」

「……」

「死んでしまった妹には永遠に謝れません。両親に対して彼女は負い目しかありません。ただ罪に耐えるしかない。二宮はずっとそうしてきました。あなたの言葉に彼女の10年を覆せる力があると思いますか」

「……難しいだろうと思います」

「でも彼女が同じ罪を分け合っていると思う神木さんになら、二宮は自分から関係を良くするために動くことができる。それに成功したと実感すれば、彼女がさらに踏み出すための力になる。わたしはそれを、彼女が次に両親と向き合い、最後には自分自身と向き合うための第一歩としたいんです」




 予定より少し早く二宮は店に入ってきた。俺は二宮と神木たちを互いに紹介した。神木たちは俺が頼んだ通り、二宮が自分の思いを伝え終えるまで、おだやかな顔で聞いていた。


「二宮さん。お話はよく分かりました。貴方が誠実な方であることも伝わりました」

「ありがとうございます」

「でも、私には貴方を許すことができません」

「……」

「貴方が私に何か悪いことをしたとは思ってないからです」

「思ってない? でも、あたしは……」


 二宮は何かを言いかけてから、口ごもった。どう話せばいいか彼女なりに考えを巡らせているようだ。もう俺がいなくても、当事者同士が互いの気持ちを伝え損ねることはないだろう。タイミングをみてこの席から抜けるつもりだった俺は、電話が入ったふりをしてその場を離れた。


 スマホを耳に当てて通話中のふりをしながら、カウンターから二宮たちの様子をうかがった。神木茂信が二宮に何かを話し続けている。聞いている二宮の表情は真剣で、ネガティブな感情はなさそうだ。ときどき神木茜も会話に参加しているようだ。

 神木たちの話が終わると、また二宮が神木たちに話し始めた。その表情にはときどき笑みが浮かんでいる。俺はお替りの分のコーヒーを淹れ始めることにした。


 神木茂信が俺の方を見ながら何かを言った。


「違います!」


 二宮の声が大きくなったので、その言葉だけは聞こえた。神木たちの表情は明るいままで、二宮も怒っているわけではなさそうだ。何か雑談でもしていたのだろう。

 俺はトレーに並べたカップへコーヒーを注ぐと、二宮たちの席へ近づいて行った。二宮は神木茜と、かなり打ち解けた様子で会話をしていた。俺がすぐそばまで来たのに、気付いた様子はない。


「たしかにいい人なんでしょうけど、見返りを求めてないって決め込んだら、ちょっと彼が可哀そうよ」

「店長さんはあたしに、ユキさんのためにって、そう言ったんです。だからあんなに親切に」

「あなたのためにっていうのは、自分のことは気にしないでいいって意味じゃないわよ」

「こっちじゃなくて、店長さんのユキさんなんです」


 いつの間にか、話題が俺の話になっていた。先に俺に気付いたのは神木茜で、彼女の視線を追った二宮も俺に気付いた。


「店長さん! ……どこから聞いてました?」

「俺のお節介は、全てユキのためだってところから」

「そうですよね?」

「まあ、そうだな」

「ほら!」


 二宮が神木茜に、どうだというような顔で言った。


「なんだかよく分からなくなってきたわ。でも、二宮さんと二宮さんの『店長さん』がそれでいいなら、私がどうこういうことじゃないわね」


 俺にも状況がよく呑み込めていなかったが、どうやら少し歳は離れているものの、二宮に友人と呼べる相手ができたようだ。二宮と神木茜がメアドを交換してから、神木一家は穏やかな笑顔で帰っていった。

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