真意 - 二宮透花
月曜の昼休み。あたしはいつものように裏庭のベンチでお弁当を食べていた。裏庭には近くにある飼育小屋の臭いが届くから、昼休みでもここに来る人はほとんどいない。
でも植込みの陰にあるこのベンチの周りはその臭いがしない。知ってる人は少ないけど、植込みと塀の間は風の通り道になっていて、嫌な臭いを吹き流してしまう。
「すごいの見ちゃったって?」
「うわさは聞いたことあるけど、どんなだった? 教えてよ」
植込みを挟んだ反対側、校舎の方から人の声がした。何人かが裏庭に集まってきているようだった。
「やめてよ。あの人に言われたでしょ。誰にも言うなって」
「だったら江美はついてこなくていいから」
辻野さんと葉山さんの声だった。だとすると黒川さんもいるんだろう。
「あの人って、安西先輩のこと?」
「ちょっと怖いけど、上級生から庇ってもらった子もいるよね」
「怖いの?」
「ほら、ノーブルの常連だから」
「おっかない店長がいるとこだよね。ここんとこに傷のある」
「二宮がバイトしてるんだよな」
声の感じから、集まっているのは10人ぐらいだろうか。
「安西さんに動画を見せられた人って、他にもいるんでしょ」
「内容は教えてくれなかったけど、めっちゃ怖かったって」
「ケンカしてる動画らしいよ。うわさだけど」
「最近、葉山が二宮に近付かなくなったのって、その動画のせいなのか」
葉山さんたちが安西先輩に見せられてた動画のことだろうか。店長さんはあたしに自分がケンカをしている動画だと言って、後でそれを冗談だと言い直した。店長さんじゃなくても、誰かがケンカをしている動画ではあったらしい。
「あれを見たら、誰だって私みたいに関わりたくなくなるわよ。あれはケンカじゃない。壊すっていうのよ」
「やめてってば!」
女の子たちのざわめく声が聞こえた。
「1人で何人も相手にしてた。殴ったり、蹴ったり、動かなくなるまで首を絞めてた」
「一方的に虐めてったってこと?」
「相手からも殴られたり蹴られたりしてた。それこそ音が聞こえるぐらいに、思いっきり。でもその人、ずっと平気な顔だった」
「え~」
「なんだか、○ーミネーターみたい」
「本当にそんな感じ。相手の人たちは、すごく痛そうにしてたのに」
「それでその人たち、大人しくなっちゃったの?」
「ううん。そしたら……」
葉山さんが声を潜めたので、あたしには聞き取れなくなった。
「ええ~! うそっ!」
「そしたら、それを…………反対の……」
葉山さんの声は、所々しか聞き取れない。
「ないない。それはない!」
「何かの映画とか、そういうの見せられたんだよ」
「今ならほら、色々後でいじれるんでしょ。アプリとかあるし」
「あんたたち、見てないから言えるのよ!」
辻野さんが叫ぶように言った。
「何マジになってんの」
「ちょっと。顔色悪いよ」
「江美。もういいからあっち行きなさい。行かないんなら続き話すよ」
「……大丈夫」
「何? この空気。ホント、マジなの?」
「別に信じてもらわなくていいから」
「いいから先、話してよ。それで終わりじゃないんでしょ?」
「別の人が棒を……ゴンって……だって…………折れる音、初めて聞いた。それでこの辺が折れ曲がって」
「……」
「そしたらその手を、こんな風に思い切り振って。それがしがみついてた人に当たって」
聞こえるぐらいまで声が大きくなったけど、言ってる意味はよく分からなかった。
「頭、おかしいんじゃない」
誰かがボソッと言った。葉山さんはまた小さな声で話し始めた。
「それでまた棒を…………抑えた手……流れて……こんな風にサけて、奥歯が」
「いやっ! もういい!」
「何それ、怖過ぎ!」
「ホラーだよ、それじゃ。……わっ! 何?」
「ちょっと、辻野。ホント、なに吐いてんのよ、もう」
「江美。大丈夫?」
「……うん、お昼食べなかったから……」
「見せられた時でも、こんな風にならなかったのに」
「あの時は、かなりパニクってたから、実感なくて。こんな風に聞いてたらはっきり思い出して……」
ざわつきが治まると、しばらく誰もしゃべらなかった。良く聞こえなかったけど、すごく怖い動画だったことはあたしにも伝わってきた。
「……その人って、あの?」
「そうよ。私たちが動画で見てた、あのさけた……がすぐ後ろにいたのよ」
「そんなことして、何で警察に捕まってないの!?」
「あの人だけ重体で、他の人は重症だったから」
「重体? なんで?」
「知らないわよ! でも、ネットの記事だとそういうことになってた」
店長さんは重症だったと言っていた。あの動画に店長さんが映っていたとしても、その怖い人じゃない。
「警察が味方なの?」
「知らない。でも、あの動画が公開されたらさすがに捕まるかも」
「ネットにもあるよね。あの時に撮った動画」
「あれじゃ何が起こってるのかわかんない。見たのは奥歯まではっきり映ってたのよ」
またしばらく声が途絶えた。
「これ、知ってたらマズイ話じゃん」
「誰にも言うなって、そういうこと?」
「……」
「言っちゃダメなら、何でそんなもん他人に見せるんだよ」
「よくノーブルの常連には関わるなっていうでしょ。私たちが動画を見せられたのは、たぶん警告みたいな――」
「二宮をイジメてたからか?」
「だから私たちはもう関わらない。二宮がイジメられて、それが誰かって私たちに聞いてきたら、言っとくけど庇わないよ。あんなもの見せられたんだから」
「何だよ! チクんのかよ!」
「二宮に関わんなきゃいいのよ。迷惑なのはこっちよ」
「シカトされたって二宮がチクッたらどうすんのよ」
「知らないわよ。普段から話をしてないなら、一々そんなこと言わないでしょ。わざとらしく無視しなきゃいいのよ」
「葉山さんたちが知らなければ、問題はないってことかしら」
鳥屋さんの声だった。
「知らないことは言わないわよ。これから物がなくなったとか、使えなくされてたとか、変なうわさが立ったとかして、誰がしたのか聞かれたらあたしは知らないって言う」
「それはそうよね」
「でも知ってることなら言うからね。二宮が今までと同じようなことをされて、誰がそんなことをしてたのかって聞かれたら。どうせあたしが言わなくても、知ってる人はいっぱいいるんだから」
「……」
「待てよ。やってもやらなくてもチクられるってことかよ」
「二宮に何もなかったら、そんな事わざわざ聞いてこないよ。だから余計なことはしないでって言ってるの」
「そう。言いたいことは分かったわ。二宮さんには何もしない。他の人たちにもそう言っておく。それでいいのね?」
「そういうこと」
「二宮さんが何かされて、それを誰がしたのか分かっている時は、別の人の名前を言ったりしないわよね」
「するわけないでしょ」
「分かったわ。みんなもそれでいいわね」
ざわざわとした声はしばらく聞こえていたけど、やがて小さくなっていった。その声が聞こえなくなった頃に葉山さんの声が聞こえた。
「ごめんね。巻き込んじゃって」
「いいよ。これで早希の気が済んだんなら」
「……ごめん、ガマンできずに吐いちゃって」
「いや、あれで話の信憑性が増したと思うよ」
「そうね」
葉山さんは、あたしが最近聞いたことがないような穏やかな声で話していた。
「それじゃあ、ユッカに会ってくるわね。何処に呼び出したの?」
葉山さん……サキちゃんは、まだ仲が良かったころ、あたしをユッカと呼んでいた。呼び出したっていうのは何のことだろう。あたしは黒川さんに声を掛けられた覚えがなかった。
「あー、それだけど、あたしが行くからいいよ。別の用ができたって言えばいいよね」
「自分で行くわよ」
「早希が二宮さんに会ってるところ、今は誰かに見られない方がいいよ。せっかくあいつらに、二宮には関わらない方がいいって思わせたんだから」
「そうか。じゃあ、お願い」
全て理解できたわけじゃないけど、サキちゃんがあたしのために何かをしてくれた、そのことは分かった。
「なあ」
「何?」
「本当にまかせて大丈夫なのか? あの動画を見たあたしには、近寄りたくない人だけど」
「安西さんに聞いてみたの。どんな人か。よっぽどの理由がないと、自分から他人を傷つける人じゃない。保証するって」
「安西先輩の保証なら大丈夫?」
「……何よ? わたしはそう思ってる」
「じゃあ、二宮さんのことも安西先輩に頼めば?」
「それは……他人に頼むことじゃない」
「だったら自分から謝ろうよ。事故のことをみんなに話しちゃったこと。一番の友達だと思ってたのに会ってもらえなくて、それがくやしくてつい言っちゃったって。二宮さん、いい子だから許してくれるよ。10年も前の話なんだから」
なんとなくだけど小学生のあたしにもそのことは分かっていた。電話で会えないって言った時、サキちゃんは悲しそうだった。でもその時のあたしはサキちゃんに甘えたくなる自分が許せなかった。
「それじゃあ、どうしてユッカはまだ自分を責めてるの? 10年以上も前のことなのに」
サキちゃんは苦しそうな声で言った。
「子供だったからって、そんな理由じゃ許されない。何も終わってない」
「でもあたしは、許してくれるんじゃないかって期待してるけどね。今すぐでなくても」
黒川さんの最後の言葉は、あたしに向かって言っているように思えた。
3人の声が聞こえなくなっても、あたしはその場を動けなかった。これからどうしたらいいのかを考え続けていた。
すぐにサキちゃんと仲直りしたかった。でもサキちゃんが言った通り、あたしは綾香のことでまだ自分を許せていない。どうすれば許せるようになるのかも分からなかった。




