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ノーブル - 二宮透花

 北高に進学したあたしは、別の中学に行っていたサキちゃんとまた同じ学校になった。今はサキちゃんじゃなくて葉山さんと呼んでいる。葉山さんは、同じ中学だった黒川さんや辻野さんとよく一緒にいる。

 葉山さんはあたしに対していつもキツイ言い方をする。見ていてイライラすると言われる。


 北高には中学の時に一緒だった鳥屋さんもいた。相変わらずあたしは鳥屋さんに嫌われている。鳥屋さんやその友だちに、あたしはよくいじめられている。

 葉山さんはそんな時よくあたしに話しかける。あたしに言いたいことをはっきり言えと怒る。あたしには特に言いたいことがないから、そんなときは黙ることしかできない。それで余計に葉山さんに怒られてしまう。


 あたしは昼休みになると、人の近付かない校舎の裏庭にいることが多い。その日もベンチに座って、趣味で作ったマスコットの仕上げをしていた。


「こんなとこで何してんの?」


 いつの間にか葉山さんが、あたしの座っているベンチの横に立っていた。


「何これ? こんなの学校に持ってきていいの?」

「……ダメかな?」

「没収。……返して欲しかったら、帰りにちょっと付き合いなさい」




 葉山さんに連れられて行ったのは、北高から歩いて15分ほどの距離にあるノーブルという喫茶店だった。隠すような場所に『準備中』の看板が置いてあったけど、葉山さんは気にせず中に入った。

 レジとカウンターの間に置かれた椅子に男の人が座っている。エプロンをつけていたので店員さんかと思ったけど、その人は店に入ったあたしたちに一言も声をかけなかった。


 お客さんは結構入っていて、半分以上の席が埋まっていた。ほとんどが高校生か、歳を取っていても大学生ぐらいに見えた。学校の制服を着ている人には、少し着崩した格好の人が多かった。

 そうやって辺りを見回していたあたしは、店内のあちこちに小物やマスコットが置かれていることに気付いた。あたしはそれに気を取られて、葉山さんたちが窓際の席に座ったことに気付くのが遅れた。

 急いでその席まで行ったあたしは、空いていた葉山さんの隣に座った。そこにも思わず触りたくなるようなクマの人形が飾ってあった。


 少しすると、さっきの男の人がやって来てテーブルの上に水の入ったグラスを並べた。やっぱり店員さんだったようだ。


「ホット」

「あたしも」


 葉山さんと黒川さんが注文をした。テーブルにメニューが見当たらず、どうしようかとあたしが迷っている間に、店員さんは店の奥へ行ってしまった。

 あたしはまたテーブルに置かれた人形に視線を戻した。手に取ってよく見たけど、どこにも商品名やメーカーを示すものはついてなかった。手作りだとすると趣味のレベルを超えている出来だった。、


「……なの?」

「……え? 何?」


 人形に気を取られていたあたしは、葉山さんに話しかけられていたことに気付くのが遅れた。


「こんなのが好きなのかって聞いたのよ!」

「あ……、うん」

「ふ~ん」

「見るのも好きだけど、作るのも好きなの。あっ、あの、預かってもらったやつ。もう少しで完成なの。返してもらえないかな」

「捨てたわよ。校則違反でしょ」

「えっ!? ……そうなんだ。そうだよね」


 あたしがそう言うと、葉山さんはむっとした顔になった。


「そうだよね、じゃないでしょっ。怒んなさいよ!」

「でも、校則違反だから」


 葉山さんは怖い顔になってあたしを見た。目の前のグラスをつかむと、葉山さんは中の水をあたしの頭にかけた。水滴が周りに飛び散った。


 どうすればいいのかあたしが困っていると、いきなり誰かがあたしの腕をつかんで席から立たせた。店員さんだった。

 並ぶとその人は胸があたしの背の高さにあって、あたしの腕をつかんでる手はとても力強かった。見上げると整っているけど怖い感じもする顔があたしを見下ろしていて、その右の頬には大きな傷痕があった。


「何よ!」


 葉山さんの言葉を無視して、店員さんはあたしをカウンターの近くまで引っ張っていった。カウンターの中からタオルを取り出すと、それをあたしに投げ渡した。


「拭け」


 それだけ言うと、店員さんはあたしが座っていた席の所に行った。手には布とモップを持っている。店員さんは無言のまま、まず布で水がかかった座席を丁寧に拭いて、続いてモップで床の水を拭き取った。

 それが終わって店員さんがカウンターの所へ戻ってきた時、あたしはまだタオルを頭に被っていた。


「肩が濡れてる」


 あたしはタオルのまだ湿っていない部分でブラウスの肩を拭いた。クシャクシャになった髪を指ですいて整えてから、タオルを店員さんに返した。


「ありがとうございました」


 お礼を言ったあたしの顔を、店員さんはじっと見つめた。


「あたしの顔、何かついてますか?」

「いや、何でもない」


 そう言うと、店員さんはまたカウンターの中に入り、食器棚からコーヒーカップを取り出した。


「困るよ君たち。この店じゃマナーを守ってもらわないと」

「誰よ、あんた」


 後ろから葉山さんと誰かの会話が聞こえた。振り返ると、あたしたちと同じ北高の制服を着た男子が葉山さんに話しかけていた。制服の学年章が赤だから3年の先輩だった。

 その先輩は腰をかがめると、さっきより小さな声で葉山さんたちに何かを言った。それを聞いた葉山さんは疑うような顔になった。先輩は持っていた小型のタブレットを操作して、それをテーブルの真ん中に置いた。


「あの動画か」


 店員さんがボソッとつぶやいた。タブレットに何が映っているのかここからでは分からない。タブレットを見ていた3人の顔にだんだん怯えるような表情が浮かんできた。


「入れたぞ」


 その声に振り向くと、カウンターの上にコーヒーの入ったカップとミルク入れが置いてあった。あたしが自分を指差すと、店員さんは小さくうなずいた。

 ミルクを入れてコーヒーをすする。正直に言って、飲めなくはないけど美味しくもない。


「ひっ!」


 5分ほど経った時、辻野さんの小さな悲鳴が聞こえた。葉山さん以外はタブレットから目をそむけた。葉山さんはまだ画面を見つめているけど、その顔はこわばっていた。


「この辺でいいかな」


 そう言うと、先輩はテーブルからタブレットを拾い上げた。そして葉山さんに向かって小さく手を上げると、元々いた席の方へと戻っていった。3人は互いに会話もしないで、固まったようにじっとしている。いったい何を見せられたんだろう。


 あたしが時間をかけてコーヒーを半分ほど飲み終わった時も、まだ3人は無言のままだった。時々店員さんの様子をうかがうようにこっちを見て、すぐにその視線を戻してしまう。他の2人はともかく、小さい頃から知ってる葉山さんのこんな態度を見たのは初めてだった。


 お代わりを注文する声が奥の席から聞こえた。店員さんはコーヒーの入ったフラスコを持ってその席へ歩いて行った。すると黒川さんと辻野さんがあわてたように席を立って、入り口の方へ歩き出した。葉山さんは少し迷ってから席を離れてその後を追った。


 それに気付いた店員さんは、急いだようには見えなかったのに3人より早く入り口へ移動した。立ちふさがれる形になった3人の顔からは血の気が抜けていた。

 葉山さんは、明らかにおびえた表情の2人の前に立って、店員さんをにらみつけた。でもその手は震えていて、目は少し涙ぐんでいるように見えた。


「お勘定」


 その言葉を聞いてからしばらく間を置いて、黒川さんが慌ててテーブルに置かれた伝票を取りに行った。葉山さんが財布から千円札を出して店員さんに渡した。


「一緒か?」


 葉山さんがうなずくと、店員さんはレジ台の前からレジの機械に手を伸ばた。ボタンを何度か叩いてから、お釣りとレシートを取って葉山さんに渡す。それを見たあたしが慌てて自分の分のコーヒー代も払おうとすると、店員さんは身振りでそれを止めた。


「注文はされてない。俺が勝手に入れた」


 財布にお釣りをしまった葉山さんが、あたしに声をかけた。


「二宮さん。帰るわよ」

「こいつはまだ飲み終わってない」


 遮るように言った店員さんを、葉山さんはまだ緊張の抜けていない顔でにらみつけた。そしてあたしの方をしばらく見てから、他の2人を追って店を出て行った。


「あの……、悪い人じゃないんです」


 あたしがそう言うと、店員さんはまたあたしの顔をじっと見た。


「向こうは頭に血が上ってた。放っておくともっと面倒なことになっただろう」

「ありがとうございます」

「水が染み込む前に、椅子を拭いておきたかっただけだ」


 そう言うと、店員さんはカウンターの方へ戻っていった。あたしもその後を追ってコーヒーカップが置かれた席に戻った。


 飲みかけのコーヒーを飲もうと手を伸ばした時、その手に当たってミルク入れが倒れた。中のミルクがテーブルの上にこぼれた。あたしが焦っている間に、店員さんが素早くミルク入れを持ってテーブルを拭いてくれた。

 『ごめんなさい』と言おうとしたけど、やっぱり言えなかった。店員さんはあたしの顔をじっと見つめていた。


「二宮、だったな。お前は『ごめんさない』が言えないのか?」


 店員さんからその言葉を聞いて、あたしはなおさら声を出せなくなった。


「ちょっと立ってみろ」


 あたしは急いで席から立ち上がった。


「姿勢が悪い。もっと背を伸ばしてあごを引け。手は体の前で組む。そして背中を伸ばしたまま頭を下げる」


 言われた通りにした。


「いいだろう。口で言えないなら体で示せばいい。言葉を使わない分だけ丁寧な動きを心掛けるんだ。少し丁寧過ぎると思われるぐらいでいいが、ミルクをこぼしたくらいでそこまで深い角度のお辞儀はいらないな」


 その言葉にあたしは店員さんの優しさを感じた。今日初めて会った人とは思えないほど暖かくて懐かしい気持ちになった。

 だからあたしは店員さんの言葉を素直に受け取ることができた。こんな風に謝っても良かったのか。そう思うと、今まであたしを縛っていた失敗への恐れが軽くなった気がした。


「コーヒーは好きか?」

「あ、はい」

「何でまずいのか、あんたに分かるか?」

「まずい……ですか?」

「淹れ方だよ。まとめて作り置きするのが良くないのは分かってる。でもそれだけじゃないようだ。あんたにそれが分かるか?」


 店員さんはあたしの目をまっすぐに見て言った。言われたあたしは驚いた。


「どうしてあたしに?」

「さっきコーヒーを口にした時、何か言いたそうな顔になったからだ。こんなモノでも気にならないやつはいるんだが」


 まさか喫茶店の店員さんにコーヒーの淹れ方を聞かれるとは思わなかった。あたしが学校で頼まれるのはみんながするのを嫌がることだけだ。こんな風に頼まれたのは久しぶりであたしは少し嬉しくなった。


「淹れるところを見せてもらっていいですか?」


 あたしがそう言うと、店員さんは残り少ないフラスコのコーヒーを別のカップに移した。そして改めてコーヒーを淹れ始めた。

 ロート内のコーヒーがフラスコに移り終わったところで、店員さんがあたしに尋ねた。


「どうだ? 遠慮なく言ってくれ」

「気になったのは、ですね」


 あたしは店員さんの手つきを頭の中で再現した。


「まず、ロートをセットしたときにまだ十分沸騰していません」

「そうか」

「それから、上がってきたお湯と粉をへらで混ぜるとき、ちょっと混ぜすぎています」

「なるほど」

「火を落とした後に、またへらで軽く混ぜた方が良いと思います」


 それを聞いた店員さんは、もう一つのフラスコに入っていたコーヒーを全てポットに移した。


「手本を見せてくれないか」

「いいんですか? あの、調理師免許とか持ってませんけど」

「俺も持ってないよ。飲食店には食品衛生責任者が1人いればいいんだ」


 今までのあたしだったら断っていただろう。でも謝り方を教えてもらって、久しぶりに積極的に何かをしたい気分だった。あたしはいつも家でやる通りに、サイフォンを使ってコーヒーを淹れた。


 いつもより大きなサイフォンだったので、ちょっと勝手が違ったけど、粉はきれいなドームになった。店員さんはまず自分で淹れたコーヒーを一口飲んだ。それからあたしが淹れたコーヒーを口にした。


「旨いな。比べる必要もなかった」


 傷のない方の顔だけで少し笑みを見せて店員さんはそう言った。あたしはその言葉が自分でも不思議に思うほど嬉しかった。

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