第183話
体育祭が近づくにつれ、学内の賑わいはますます増していく。
そんなある日の放課後、私――加賀志保は、アリーナ棟1階の体育館にあるバスケットコートで懸命に足を動かしていた。
ボールが弾む音、バッシュが刻むグリップ音、ゴールリングのネットが擦れる音、タイマーが鳴らすブザー音、短いホイッスルの音。
パスを求める声、シュート成功を讃える声、仲間を鼓舞する掛け声――夏へ向けて熱気がこもる体育館には、様々な音が飛び交っていた。
私を含む女子バスケットボール部のメンバーたちは、一見すれば誰もが真面目にプレーしているように思える……だけれど、それはあくまで表面上の話。
大半は、真剣味よりは楽しむ気持ちの方が強い。うちの学内では、冗談めかして『エンジョイ勢』なんて言われている。
かくいう自分も、少し前まではそうだった。
ただ皆と楽しくバスケができればそれで良くて、部活は青春の思い出作りのひとつにすぎなくて。プロバスケットボール選手になりたい、そんな願望はお決まりの冗談で。
けれど、あの日――昨年の大晦日。
駒沢オリンピック競技場のスタンドで青いタオルを翻したその瞬間、この胸に熱が宿った。それ以来、私はバスケでちゃんと『勝ち負け』を競いたくなってしまった。
だって、仕方ないじゃない。好きな人の……兎和くんのあんな凄いプレーを、本当に素敵な姿を見てしまったんだから。
季節が巡り、学年がひとつ上になった今でも脳裏に焼き付いて離れない――緑映えるピッチに注ぐ大歓声、瞬きすら惜しくなるような激闘。その中で彼は、誰よりも鮮烈な光を放ってみせた。
涙が出るほど憧れた。
どうしようもなく心惹かれた。
そのせいで私も、少し部活を頑張ってみたくなった。何を今さら、とか思われるかもしれないけれど、この胸に宿った熱が一向に冷めてくれないの。
もちろん、プロを目指すなんて言うつもりはない。ただ公式戦で、本気で勝ち負けを競えたらそれでいい。
でもね、数回の対外試合を経て思い知らされた……スポーツでは、一定以上の実力がなければ真剣勝負なんて成立しないってことを。
「ナイスシュート! ゴール下、しっかりポジション取ろう! オフェンスリバウンド大事だよ!」
だから私は練習中、こうして誰よりも声を出すようになった。どんなトレーニングメニューだって手を抜かず、可能なかぎり自分の肉体を追い込むようにもなった。
最近は家で筋トレだってしているし、食事にも気をつけている。
兎和くんの受け売りじゃないけど、自分にできることをコツコツと積み上げている。そのおかげか、今のところ2年生で唯一スタメン入りできている。
でも、それだけじゃぜんぜん足りない。
バスケはチームスポーツ。どんなに頑張っても、私一人では限界がある。だったらこの胸の熱を部の皆にも伝えて、一緒にステップアップしよう――そんな風にやる気を燃やしていた。
特に、同級生を中心に呼びかけた。夏で引退する先輩たちを強引に巻き込むのも躊躇われたし、せっかくなら距離の近いメンバーたちと思い出を共有したかったから。
だけど、現実はぜんぜん思うようにいかない。
本日予定されていた全メニューを消化した後、私はいつものように声をかけた。
「みんなお疲れ様! よかったら、残ってもう少し練習していかない? スクリーンの形をもっと詰めたいし、スリーポイントの成功率を上げないとやっぱり試合で勝てないと思うの」
「あのさ、志保……前にも言ったけどさ、練習は決められた時間だけで十分でしょ。そもそもうちの部は、ゆるく楽しむスタイルだったじゃん。じゃあ、私たちは帰るから――みんな今日はどこでご飯たべよっか?」
同級生の部員たちは、どこでご飯を食べるか相談しつつ更衣室へ向かう。他にもコスメや恋愛など、バスケとは無縁の話題で大盛り上がり。
その背を見送りながら、私は小さくため息をつく……最初は何人か居残り練習に付き合ってくれていたけど、今では全員が明確に拒否感を示すようになった。
「またやってるよ。いい加減ウザいって」
「ね。空気よめないのかな?」
「急にやる気出して意味わかんない。一人でお好きにって感じだよね」
とりわけ関係が悪化した一部のメンバーたちには、今みたいにわざとらしく聞こえるように陰口を叩かれている。
結局、コートに残ったのは私だけ。
また一人で居残り、スリーポイントシュートの練習をする。
悔しい、もどかしい、ムカつく、でも仕方ない――ゴールリングを外れたボールの弾む音を聞く度に、ごちゃごちゃまぜになった感情が腹の奥底から込み上げてくる。
もちろん、皆が悪くないことはわかっている。別に部活をサボっているわけじゃないし、時間の使い方は自由だ。
けれど、私だって悪くないはず。試合に勝つためもっと練習しよう、と誘うのがダメだとはどうしたって思えない。
正直、キツイ。
前みたいに笑顔で、部活はただの思い出作りと割り切れたらどんなに楽か……それなのに、この胸の熱がどうしても冷めてくれないの。
一生懸命はちょっと照れくさい。でも、最高にカッコいい――あの日、兎和くんにそう気付かされてしまったから。
だからといって、心ない言葉に傷つかないわけもなく。何より辛いのは、このギスギス感が学内での関係にまで影響を及ぼしていること……わかりやすく言えば、仲が良かったメンバーたちに軽く避けられていた。
結局のところ、私の心は案外柔らかく出来ていたみたい。
それこそ、兎和くんとは大違い。
周囲から『じゃない方の白石くん』などと見下されながらも、彼はひたむきにサッカーに打ち込んだ。そして才能を開花させ、くだらない評判をひっくり返してしまった。
これも今さらだけど、謝って仲良くなりたいと思っている女子がたくさんいるって私は知っているよ。
ポン、ポン、とボールが弾む――たった一人だけの居残り練習を終え、鉛みたいな重い気持ちを引きずりつつ体育館を後にする。それから下駄箱を出たところで、ポツリ。冷たい雫が頬を濡らす。
「あ、雨……」
手の平で雨粒の感触を確かめながら、黒い雲に蓋をされた夜空を見上げる。
このまま体育祭なんて潰れちゃえばいいのに――ふと八つ当たりめいた考えが頭を過ぎり、私は思わず苦笑いを浮かべてしまうのだった。
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