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朝。
霞む視界。
朝日は遮光カーテンに遮られ部屋は暗く、空気は澄んでいて冷たい。
昨日のことで思考がバグった頭にはちょうどいい。
あのあと冬乃は泣き止んだものの、寝るまでの間に会話はなかった。
それでも背中に張り付き、俺の寝巻きの袖をずっと掴んで着いてくる。
隣で眠っている今でも離さないでいた。
悪い夢を見ているのか、時折苦悶した顔を覗かせる。
彼女が目を覚ますまで傍に居てあげたいと思うのだが、大学にバイト、それに冬乃の母親――透子さんの様子も気になる。
彼女が起きないように服だけを脱いでからベッドに降り着替えた。
「行ってきます」
※
大学の講義の合間に食事を済ませるが、学食には一人では行かなくなった。
刑事裁判に発展するかもしれないと聞いていたとはいえ高橋遊の話しは終わっている。
けれど、この場所にも爪痕は残った。
風俗嬢と付き合ってる哀れな男という新しい噂が流れているようだ。
足を伸ばして繁華街。
ここならば群衆に埋まり一個人の個性が埋没される。
値段以上に量が多く味も保証されている定食屋に一人腰掛ける。
注文したもの待っている間、隣のテーブルに着く二人のサラリーマンの話題が気になって、聞き耳を立てた。
「風俗嬢に本気になるなんて君もまだ若いねぇ~」
上司であろう四十過ぎの小太りの男。
目の前に座る部下にそう言って笑い飛ばしている。
言われた方の男は『あはは……。結構貢いだんだけどな』と取り繕った顔で笑う。
どうやら、風俗嬢に恋した話。
「いい勉強になったじゃないか」
「忘れられないっすよ。中々……」
「そんなにいいコなのかい、そのりおちゃんというの」
「そうなんっすよね、こうっすよ。こう」
ボディランゲージで胸を盛る動き。
何が言いたいのかよくわかった。
「それに性格も良さそうなんですよね。時間一杯までサービスしてくれて」
「風俗嬢に性格もなにもないと思うけどねぇ、けど君がそこまで言うなら次指名しようかね」
「やめてくださいよ、りおちゃんは俺のなんっすから」
「もう彼氏気取りかい、本番でもさせてもらった?」
「いえ。それとなくやりたいって言っても断られましたね」
「本番を許さない子は一定数いるからね。そういう娘はすぐ辞めちゃうけど」
「彼氏といえば、最近りおちゃん見た目変わっちゃったんですよね。彼氏いるんですかね」
「どうだろうねぇ、居ないと仮定して付き合えるとしたらどうするね?」
おじさんは少し真剣な表情に変わった。
先程まで馬鹿みたいに笑っていたのに。
「どうって、毎日やりまくりですよ」
「それだけかい? 彼女に思うところはないのかい? 風俗嬢を彼女にするんだ。さっきワタシが指名しようとしたら嫌がったじゃないか」
「……流石に知り合いはきついっす」
「そういうこともあるがお水の女の子だよ」
「じゃ仕事辞めさせます」
「養うってこと?」
「はい」
「我々の収入よりあの子たちは稼いでるのに? 金のために身体を売っているんだ、我々が与えられるのは雀の涙にもならんよ」
「でも気持ちが通じてれば」
「気持ちでなんとかなるのは学生まで。高い勉強代として受け取って現実に生きな」
「課長もそういう経験あるんっすか?」
「あはは、若気の至りだよ」
部下にねだられて、おっさんはぽつりぽつりと懐かしむような顔で話始めた。
「ちょうど君ぐらいの年齢の頃だったか……」
唐突におじさんの一人語り。
一人の新人風俗嬢と出会い、意気投合したことから始まった。
何度か通い連絡先を交換しプラベートでも遊ぶようになったと。
しばらくしてから付き合い始めると同時に彼女は人気嬢となり会える機会も減り、同棲をし始めたらしい。
これは俺も似たような状況だからわかる。
同棲し始めは盛ったように毎晩のようにしていたけれど、数週間を過ぎたあたりから頻度がガクッとさがった。
毎日疲れた彼女が自宅に帰ってくるなり死んだようにソファで寝息を立てることもしばしばあった。
部屋に運ぶために彼女を抱き上げるが、タバコの臭いや自宅にはないボディソープの匂い。
耐えられないほどではないにせよ、メンタルにくるものがある。
ちょうど、このおじさんも同様で似たようなことを言っている。
『そういう仕事だから仕方ないよね』
「そういう仕事だからどうしようもないよね」
そう言い聞かせることで己を保つことが出来る。
それから周りが結婚したり、子供が生まれたりという話を聞くようになって。
風俗嬢と結婚・出産を考えると不安が募る。
自分の奥さんはこんな奴でいいのかと。
勿論周りにも打ち明けることも出来ず、もやもやとした日々を送ったそうだ。
自宅では彼女の愚痴はお客のことばかりで気持ちが醒めていき、そのまま喧嘩別れ。
3ヶ月という短い交際を終えた。
俺とは違う環境だけど、それでも共感する部分が多かった。
結婚と出産は考えていなかった。
順調に冬乃との交際が続けば考えなきゃいけない事柄。
おじさん達が店を後にするまで考えを巡らせるものの答えは出なかった。




