私と夫の結婚を美談にしないでください
子爵令嬢ラビリア・シェーンと公爵令息アルカール・ダオスハルトが結ばれた。
この結婚は身分差もさることながら、二人を取り巻くさまざまな事情から、当時から大いに注目され、新聞社もこぞって取り上げ、世間を賑わせた。
まずラビリアは令嬢とはいえ、妾の子であったので、家では露骨に冷遇されていた。
母が亡くなるといよいよわずかな防波堤もなくなり、他の家族から徹底的にいびられるようになる。
その扱いはまさに使用人未満。いや人間未満。あらゆる雑用をやらされ、食事はろくに取らせてもらえず、馬小屋で寝ろと命じられたこともあったという。当然、社交デビューなどさせてもらえるはずもなく、たまに邸宅で夜会が開かれても下働きをさせられる始末。
そんなある日、王都で大きな夜会が開かれ、ラビリアは令嬢としてではなく、給仕係として会場に駆り出されていた。シェーン家としては自分のところの人間を給仕として出すことで、少しでも点数を稼ぎたかったのだろうと言われている。
当時まだ公爵家嫡子だったアルカールはこの夜会に参加していた。当時の彼は勤勉なことで有名で、勉学に励み、自己研鑽に熱中していた。ゆえに社交に興味はなく、舞い込む縁談も全て断ってきたような有様だった。
ラビリアは、たまたま彼にサンドイッチを提供する機会に恵まれる。
アルカールはこれを食べ、目を見開いて感心する。
「へえ、美味しいな。君が作ったのか?」
「はい……」
「ふうん。君と少し話をしたいな」
二人の恋はここから始まった。
色恋にまるで興味のなかったアルカールと、長年虐げられてきたラビリアは瞬く間に恋に落ち、やがて婚約を結ぶ。
アルカールは婚約者を虐げてきたとして、シェーン家の面々を厳しく糾弾。シェーン家はこれ以後、転がり落ちるように没落していくこととなる。
雑用をやらされていたラビリアは事務や家事などさまざまな面で夫を支え、アルカールは万能な妻に支えられ、ついにはダオスハルト家の家督を継ぐ。
二人は誰もが羨む仲睦まじい夫婦として今に至る。
――というのが世間一般に流布されている二人の“物語”である。
この世の底を這い回っていた気の毒な少女が、高貴な男性に拾い上げられる愛の物語として広まり、夫婦は結婚から数年経った今も語り草となっている。
すっかり立派な夫人となったラビリアに、新聞社から依頼が舞い込む。
「夫人に、講演をお願いしたいのですが」
「講演?」
「あなたとダオスハルト公が結婚に至るまでの物語は、今や大人気です。そのことについて語っていただきたいのです」
「分かりました。引き受けましょう」
ラビリアは目を細める。
(いい加減、この結婚を美談扱いされるのも疲れてきたわ。いい機会だし、教えてあげようかしら。真実を……)
***
一週間後、王都のホールにて、ラビリアによる講演会が開かれる。
会場は満員。皆が「ラビリアとアルカールの身分差を越えた可憐で美しきラブストーリー」について、当事者から詳しく聞きたいと、期待に胸を高鳴らせていた。
まもなく壇上にラビリアが登場した。
小豆色のしっとりした髪をシニヨンでまとめ、透き通るような白い肌、ココアブラウンの瞳を持ち、ベージュのドレスで慎ましく身を包む。
とても幼少期に虐げられていたとは思えない、一流の貴族夫人の姿がそこにはあった。
その美しさに男性は目を奪われ、女性は憧れの眼差しを隠さない。
しずしずと歩き、ラビリアは壇上の中央に用意された机の前に立った。
これを確認すると、司会者がラビリアに呼びかける。
「それではダオスハルト公の夫人でいらっしゃるラビリア様、講演をお願いいたします!」
「分かりました」
ラビリアがうなずく。
ホールの構造上、壇上の人間の声は会場に響き渡るようになっているのだが、それを差し引いてもラビリアの声は凛としており、隅々までよく通った。
「まず、最初に謝っておきます。本日の講演はおそらく皆様の期待に沿うものにはならないでしょう」
司会者が、いや聴衆の大半が目を丸くする。
「皆様はおそらく家族にいじめられていた気の毒な少女と、そんな彼女を見初めた貴公子の、甘いラブロマンスを聞きたいことでしょう。ですが、私たちの結婚はそんな甘いものではありませんでした」
一部の聴衆がざわつき、司会者が「お静かに」と注意する。
「まず、私たちの出会い。ある夜会に、給仕係として駆り出された私は、偶然夫アルカールと出会い、見初められたとされています。ですが、あれは“偶然”などではなかったのです」
子爵令嬢ラビリアは、家族から虐げられる絶望的な状況からどうにか脱出したいと考えていた。働いている時も、毛布にくるまっている時もずっと考えていた。
誰かいい男と出会えれば……。しかし、社交デビューすら許されない彼女が、そんな男と知り合える確率はゼロに等しい。
だが、ラビリアは諦めなかった。自分のような令嬢と結婚しそうな令息はいないか、情報収集に励む。貴族の噂話は街の至るところに転がっており、彼女の立場でもこうした情報の入手手段には困らなかった。
やがて、彼女が目をつけたのがアルカール・ダオスハルトだった。
公爵家の跡取りで、非常に勤勉。ただし、社交にはまるで興味がない。数々の縁談も断り、夜会に顔を出す暇があったら勉強していたい、領地経営のための仕事をしたい、という男だった。
身分と能力は高いが、貴族としては不適格――
これだと思った。自分が取り入るにはこういう男しかないと。
ラビリアはまず、家族に「夜会に給仕係を提供すると評価が上がるらしい」とそれとなく吹き込む。
家族はこれを真に受け、ある大きな夜会にラビリアを給仕として駆り出すことにした。
もちろん、「粗相をしたら三日は食事抜きだ」などと脅されたがかまわなかった。
ラビリアはこの夜会に大げさでなく人生を懸けていた。
ラビリアは、嫌々夜会に出ているアルカールを発見。これも事前のリサーチ通り。
さっそく用意していたとっておきのサンドイッチを食べさせ、自分の価値を認めさせる。私と結婚すれば、軽食には困りませんよ。
ようするに、全てラビリアの計算通りだったのだ。
ここまでをよどみなく話し、ラビリアは一呼吸置く。
「夫も同じことです。彼は、愛し合える伴侶など欲してはいなかった。欲しかったのは、自分に忠実で有能な手足だったのです」
アルカールは先に説明した通り勤勉な男だった。
見た目ばかり派手で、愛だの恋だのにうつつを抜かす令嬢に興味はなかった。身の回りのことを全てやってくれる召使いのような妻を欲した。例えるなら「サンドイッチを用意しろ」と言えば、文句も言わず持ってくるような……。
そんな時、現れてくれたのがラビリアだった。
身分は一応ではあるが子爵令嬢で及第点。彼女の作るサンドイッチは美味しく、話を聞けば、幼い頃からの境遇のためかさまざまな雑用をこなせるそう。
「この女と結婚すれば便利だ」と思った。
この女に恩を売るように結婚すれば、以後この女は忠実で有能な召使いになる。
こうした魂胆から、アルカールは自分から婚約を申し出た。
「ようするに、私はアルカールを利用したかった。同時にアルカールも私を利用したかった。そこに愛などありませんでした」
しかし、アルカールは婚約後、シェーン家を厳しく糾弾している。
我が婚約者を長年虐げた罪は重い、と当主や家族を公然と批判し、没落に追い込んでいる。
これは愛ゆえの行為ではないかと思われたが、真実は残酷だった。
「あれも夫は私に恩を売りたくてやっただけです。それにシェーン家に打撃を与えれば、もし万が一私が逃げたくなっても帰る場所はなくなる。そのために、夫はシェーン家を厳しく追及したのです」
公爵家嫡子からの糾弾を受け、今やシェーン家は風前の灯火である。
これも愛ではなく、打算の上でのものだったとは。
「やがて結婚式を迎えました。彼とキスをするのはこの時が初めてで、私には彼の唇がとても冷たく感じられましたし、夫もきっとそうだったでしょう」
当時持て囃された子爵令嬢と公爵令息の結婚は、互いに利用し合う関係の極めてドライなもので、冷え切っていた。
「ですから、私と夫の結婚を美談などにしないでください。理想的なラブストーリーなどと持ち上げないでください。実情はこれ以上ないほど打算的なものだったのですから」
会場はしんと静まり返る。
多くの人間の夢が壊れた瞬間だろう。
近年稀に見る情熱的な恋愛と思われた令嬢ラビリアと令息アルカールの物語は、互いの「今の境遇から脱出させてくれる夫が欲しい」「自分の手足となる妻が欲しい」という愛の欠片もない動機から始まっていた。
聴衆は落胆の顔を隠さない。ラビリアもこれを見て「これでいい」とさえ思っている。
しばらく会場は時が止まったような有様だったが、司会者が我に返り、問う。
「で、では……夫人とダオスハルト公……アルカール様の間には“愛はない”と申し上げてよろしいのでしょうか」
残酷なことだが、ラビリアは躊躇なくうなずくだろう。誰もがそう思った。
ところが――
「え? 愛はありますよ。私は夫を愛しています」
ラビリアはきょとんとした顔で言った。
自分が矛盾したことを言っていることにまるで気づいていないという表情だ。
司会者は当然指摘する。
「しかし、あなた方は愛のないまま結婚したんでしょう? 先ほどまでのお話と矛盾していますが……」
「なにも矛盾はしていませんよ。今の私はあの方を愛していますから。あの方もきっとそうだと信じています」
「へ……」
話を飲み込めず、司会者は呆然とする。
「結婚して数年、同じ家で暮らしていれば色々ありますわよ。一緒に食事をし、一緒に仕事をし、時には談笑もしますし、時には衝突もしました。公爵夫人としての暮らしは私にとっては“こんなはずじゃなかった”の連続でしたし、夫も私に“こんなはずじゃなかった”と幾度も思ったはずです」
ラビリアは苦しい生活から脱却できたものの公爵家の暮らしには想像以上の窮屈さや煩わしさがあった。アルカールもまたラビリアが芯の強い扱いにくい女性だと分かり、当てが外れた部分が大きかった。
「でも、いつからか私はあの人を心から愛するようになっていました」
ラビリアは表情も変えずに言う。
「この世に夫アルカールほどの男はいない。そう断言できるほどに」
そのまま天を仰ぐ。
「もし、神が今この場に降りてきて『私はお前の夫に神罰を下す。もしそれを防ぎたくば自らの命を絶て』と刃を渡されたら、私は迷わず自分の喉元に刃を突き刺すでしょうね」
その眼差しは、紛れもなく本気だった。微塵も冗談ではない。
「それにあの人も結構可愛いところもあるんですよ。つい先日、私が少し体調を崩して、あの人に夜食を作ったのですけど、その夜食の味から夫はすぐに私の不調を見破り『体調が悪いんじゃないか? きちんと休みなさい』と言ってくれたんです。私が言う通りベッドで横になっていると、しょっちゅう様子を見に来て……私が『自分の仕事に集中して』と言うと、ちょっとしょんぼりしてましたね」
ここにきて初めてラビリアが笑みを浮かべた。
しかし、すぐに毅然とした顔立ちに戻る。
「……というわけです。私と夫の結婚は決して美しいものではなかった。皆様が美談にするようなものでは決してありません。今日はそれをはっきりさせておきたかったのです。そして、この機会をくださった新聞社様には大変感謝しております」
ラビリアが頭を下げると、司会者も慌てて頭を下げる。
「では失礼いたします」
しゃんとした姿勢で、優雅にしずしずと退場する。
「あ、ありがとうございましたー!」
司会者の声を合図とするかのように、盛大な拍手が沸いた。
***
一週間後、ラビリアは夫とともに王都の大通りを歩いていた。
夫アルカールはダークブロンドの髪を整髪油で整え、精悍な顔立ちの男であった。
紺色のスーツがよく似合い、まだ二十代前半という若さながら、年配の貴族にも伍する風格を兼ね備えている。
そんなアルカールが、今日はどこか照れくさそうな顔をしていた。
「……ラビリア」
「なに?」
「君はこの間の講演で、我々の結婚が世間が想像しているようなロマンスに満ちたものではないと説明してくれたんだよな?」
「そうよ。あなたもそのことを気にしていたし、真実を話したわ」
アルカールは目を左右に動かす。
「そのわりには周囲の我々を見る目が、その……以前より熱を帯びているというか、微笑ましいカップルを見るような目なんだが……」
「さあ? 私は真実を話しただけだから」
「そうか……ならいいんだけど」
ラビリアは夫の顔を見上げて、ささやいた。
「そんなことより、せっかくのデートだし腕でも組まない?」
アルカールは顔を赤らめつつ、そっと左肘を差し出した。
「う、うん……」
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




