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東京都武蔵野市にある高級な寿司屋で朝風前進は浅野房栄公安調査庁長官と食事をしている。
「急に呼び出して何の用かしら」
浅野房栄が朝風前進に聞く。
「集団誘拐事件が起きているだろう」
「そういえばニュースでやっていたのよ。犯人の要求は暗号が示す場所にあなたを連れてくることだったかしら」
「その犯人についてだが、厄介な名前が捜査線上に浮上した。霜中凛と瀬川左雪。知っているだろう。十一年前何があったのか」
「あら。私はその事件に関与していないのよ。知らないわ」
「法務省職員殺人未遂事件。ここだけの話。あの事件には裏話がある。隠蔽された真実という奴だ」
「噂程度なら。当時は随分と無理をしたそうじゃない」
「仕方ないことだ。仮に集団誘拐事件の背後にあの事件に隠された黒い噂が隠されているとすれば隠蔽したあの事実が浮き彫りになるかもしれない。それでは不都合。どうする。浅野房栄公安調査庁長官」
「無駄よ。この事件を捜査しているのは警視庁捜査一課三係。彼らはどんな不祥事も公にしようとする。本当に厄介なのはその二人ではなく、彼らなのよ」
浅野房栄は湯呑に入れられたお茶を一口飲む。
「警視庁捜査一課三係と深く関わっているあなたから見ても厄介なのか」
「厄介ね。彼らの前で隠蔽工作を実行したら痛い目に遭うからお勧めしないの。政界から姿を消したくなければ、全てを打ち明けなければならないわ。その上で悲劇のヒーローを演じる」
「悲劇のヒーローか」
「悲劇のヒーローを演じたとしても、無傷では済まされないのよ。だから政治家生命が絶たれない程度の傷を負うしか方法がない。それが最善の方法」
「どうやっても傷を負うしかないということか」
「そういうこと。残念ね。死なない程度に悲劇のヒーローを演じることをお勧めするわ。それと食事代はあなたが支払ってね。相談料だと思えば安いでしょう」
「そういえば選挙のキャッチコピーを考えてほしいと相談した時も奢らせたな」
「日本よ。前に進め。中々いいキャッチコピーだと思ったのよ。暇つぶしに次の選挙戦のキャッチコピーを考えてきたから聞いてほしいの」
浅野房栄はポケットからボイスレコーダーを取り出し、再生ボタンを押す。
『日本よ。前に進め。まだだ。まだ前進』
浅野房栄の声で録音された新しいキャッチコピーを聞き朝風前進は目を点にする。
「どうかしら。よかったら使ってほしいの。もっとも次の選挙戦にあなたが出馬できたらの話だけど」
「縁起でもない」
「それくらい厄介な相手なの。警視庁捜査一課三係は。多分あなたは次の選挙戦には出馬できない。本当ならこのキャッチコピーは選挙戦が始まる一か月前に提案しようと思ったけど、警視庁捜査一課三係が捜査する集団誘拐事件にあなたが関わっていると聞いたから、早めに教えたの。こうすれば折角考えたキャッチコピーがお蔵入りしなくて済むでしょう」
「兎に角そのキャッチコピーを使うのかは検討する。そして選挙戦に出馬できるように無傷で政界に帰ってくる」
「その心意気が大切。ということで奢って。相談料だと思って」
それから一分後、二人の元に高級な握り寿司が届けられる。
朝風前進は強引だと思いながらも、昼食代を支払う。




