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ハーム・リダクション






「きゃあーっ!」



悲鳴。

たくさんの人々がいる村町に、それを根こそぎ飲み込まんとする魔物が現れての反応としては当然であり、そして過小すぎる。

悲鳴の中に驚きの感情があれど、そこに命が失われる危惧感が存在しないのだ。そしてその理由が、すぐに到達する。


そして悲鳴は、歓声に変わる。


「おお、おお!彼だ!彼が来てくれた」と。



しゃいん、輝きが駆ける。

ぴしゃり、と雷鳴が轟く。

くろがねの腕に光を纏い、細剣を振るう勇者。

その横に稲妻と共に華麗に舞う白銀の少女。




「…間に合ったようだな。さあ、僕が相手だ。

お前程度に、人々を傷つけさせるものか」



その姿は常よりも更に凛々しく。

そして常のように迅速に魔物を切り刻む。

それの姿はいつだって人民に歓迎される。


魔物が如何に居ようと関係がない。勇者である彼がいる限りは、民は少なくともその魔には命を脅かされない。そういうことが確約されている。


勇者、シエル・ラトロード。

彼は光を操り魔を裂く、真なる英雄となっていた。







……





私は、夜を眠らない。

それでもそれの真似をすることはしていて、その目を閉じて情報や増えすぎた思考を整理することができている。それは必要な時間であるし、そうした方が、ヒトらしいかななんて思っていた。



ぱち、と。目を覚ます。

すると、枕の横にシエルがいない。


寝台の横から、音も無く消えた事に一瞬、びっくりして。それから、きっと私を起こさないように静かに立ち去ったのだと理解して、少しだけ残った痕跡を追ってみる。



他の客もすら寝静まったホール。

ずっと、ずっと馴染んだ『宵の明星亭』の机で、彼は一人で酒を嗜んでいた。いつかは、お酒なんて飲むものかと豪語していた。

今はこうして時たま呷っている。

酔う事を望んでいる時は、こうして悼むように。



ぐ、と目を瞑ってコップを傾けてから、静かにため息をつく。そうして腕の根本に触り、そのまま静かにしていた。




「そろそろサイズを変えないとね」


「!ノア、起こしてしまったか。

いいや、前も変えたばかりだ。だから無理して創ってもらわなくてもひとまずはこのまま…」


「痛み、あるんでしょ。

…一人で隠さないで。約束」


「…ごめん。そうだな、頼むよノア」


「うん、任せて」



そう言って、彼は義手を取り外す。

彼が要求する動作を全て付けて、途轍もない重量になったものだが、シエルはそれを平然と使いこなしている。



「あなたがお酒を飲む時は、いつも何かが痛む時だから。……本当は、お酒なんて嫌いなのに、それでも飲みたいってなる時、だから」


「……まったく、いつまでたっても敵わないよ」



宴会の時、楽しい時、美味しい料理がでた時。

どんな時でも彼は酒は飲まない。

やっぱりお酒は苦手だ、とそう言って。

傷が痛む時、辛い時。

それを酒の微睡みで唯一ぼやかしたい時。

そんな時にしか彼はお酒を飲まない。



「覚えてるもの、私も。

忘れられない。忘れられるはずがない」



そう言って、義手を手に取る。そうして、あの日以降からの、片方の腕が無くなったアンバランスなシエルの姿を見た。




………あの日。

抽象的なこの言葉が、私たちの間ではある一つを示す。


あの日、あの後。

『彼女』は動く死体に何度も、何度も何度も全力で拳を叩きつけられた。眼鏡も割れて、帰り血のかかった服は更に真っ赤に染まり、そして…そして、その端正な顔が人の形をしなくなるまで。

それをしてから、死体もまた止まった。

全ての死操術が、止まった瞬間。

その時の感情を忘れられるはずもない。



あの日に残った傷は二つある。

一つは、切りもぎ取られた片腕。他の傷こそ、この時に目覚めた光の力と、自然の治癒で傷一つ残らず快癒したが、それだけはどうしようもなかった。


だが、その傷は、たいしたことでは無い。

私が、私の最初にいた場所の技術を用いて、彼の為の腕を何度も作った。成長を重ねて身体に馴染まなくなる度に、何度も。そしてシエル自身の天賦の才と生来の努力の効率化、直向きな性格から何度でもそれに適応した。


そうだ。大した無いんだ。

こっちの、傷は。




「命日でしょう。今日」


「うん」


「…シエル。私にもコップ」


「ん。……僕の分は残してくれよ」


「ふふー」


「おい!」



返事を曖昧な笑みで誤魔化しながら、彼の横に座り、乱雑に酒を流し込む。

今日は、命日。

この、宵の明星亭の前主人。常連。

そして、それらを成した大罪人の。

また私たちの思考は被害者ではなく、その大罪人の方に、それのみに向いていってしまう。


フィリア=クローディア。その女性に。



「……僕ももう子供じゃないんだ。

この世の全ての人を救える訳じゃ無い。

そんなことはわかってる。

こう想って何になる訳ではないとわかってる。

分かってる、筈なんだ」



ぽつり、ぽつりと紅潮した頬を動かし語る。

酒が口を緩ませてくれた、という言い訳を作る。



「そして僕はあの人が間違ってたと断言する。今でも出来る。何があっても、それでもだ。だけれど…」



あの後、彼女の部屋を物色した。

中に、魔王の残滓があった。

つまりはフィリアが道を踏み外したのは魔王のせい。

……そう、短絡的になれたならよかった。だけれど既にわかってしまったことからは眼を逸らせない。


私たちが出逢ったフィリア=クローディアという女性は、とうの昔に道を踏み外した後だったということ。

そんな彼女を、それでも私たちは尊敬してしまったのだ、ということ。



「だけれど、なんだろう。

僕は、彼女の最期の顔が忘れられない。

救えなかった人のことを忘れられない」


「……」



愛し人に殺される情景。

いや、そもそも、あの死体は本当にそれだったのか。

最期に遺した言葉は、また、残り続ける。

あの、半分の笑み。涙を流しての一言。

見られたくなかった最期のシーンを見られて。

彼女はその人生を悔やみ、そしてそれを見てしまった私たちにも、呪いを残した。


彼女が最期に逃げた目的は、生き延びるためでもなければ足掻くためでもない。

人知れず、顔を潰して、死んで。

行方不明の状態になることだったんだ。

それが全部無駄になったが為に、貴女は涙を流した。ただ、陰惨に殺されるだけとなった自分より、それを私たちに見せて、私たちに残る彼女の記憶をまで血みどろの、ひき肉になってしまったことを。

私たちが、彼女の心にとどめをさした。



酷いことだ。丸切り、あの親切が全部嘘だったなら、よかったのに。ただ利用する為にだったら、どれほどよかったのだろうか。

許されない大罪人が、それでも本当に私たちに情を移して。本当に私たちと心を通じ合わせていた。最期にその死に様を汚く邪悪で、そして手を下さなくてもよいようにしようと思ってくれるほどに。


そしてその情をも捨て去るほどに、彼女が背負っていた罪は重かった。




「シエルが救えなかったわけじゃない」


「…そうだよな。

僕なら、全部を救える。

そんなふうに自惚れるのはもうやめたんだ。

やめたんだけど、なあ……」



ぐい、と更に酒を呑む。

消えない、消えない傷がもう一つ。

その傷は常に血を出すわけではない。

だけれど時たまこうして、膿んで悪くなる。

酒で洗い流さなければならないほどに。



あの日以降、考える事がある。

そう、無い腕の根本を抑えて吐き散らす。



「もしも、僕が君を失って、ああはならないか。大切な人を失った時、僕はああして狂ってしまわないだろうか。…断言ができない。僕の迷いがそうさせる」


「ならばこの感情は、良くないのだろうか。僕はこんな、こんな思いは、もう…持つべきでは」



「そんなことは無い。そうしんじたいな。

それだけじゃだめ?」



彼の肩にことん、と首を置き、体温と重みを任せた私。それを、哀しむような目で彼は見た。苦しむような、蓋をするような、そんな自らを罰するように。




「………そうだな。

僕もそうあってほしいよ」



下手くそな作り笑いが痛々しくて、私はただ何も言えずに眉間を狭めてぐっと目を瞑る。


フィリア。貴女を、呪う。

貴女が彼につけた傷は、ひどく深い。

貴女がつけた傷は、彼に人を愛せなくしてしまった。




「…大人になったね、シエル」


「君は、いつまでも変わらないな。ノア」




彼の体温を、感じる。

私の、冷たさを保持している肌にそれでも。


そうだ、私は人では無い。

だから、大人になったあなたの横で、ずっとずっと、不変の少女のままでいる。初めこそ、それを疎んだ。


だけも、今はそれに期待をしている。

シエルは、傷によって『人』を愛さなくなった。だからいつかは、この人ではない私を、それならば愛してくれるのではないかと。そんな儚くて馬鹿馬鹿しい願い。



「…ん。お酒も無くなったことだし寝よう」


「ああ…あれ!?さっきまでまだ七割くらい残ってたぞ!?なんでもう無いんだ!」


「おいしかったよ」


「お前、お前…!まったく、これだから酒なんて飲む気がなくなるんだ」


「ふふ、それなら良かった」





……




おやすみ、と彼の横の寝床の中。

目を瞑って思考の整理を進める。



心音。体温。彼の存在しない片腕。

この温かさは、有限だ。



…そしてまた、私は気付いている。

私は人ではなく、彼はまた人だ。

人でないからこそ、人を愛せずともいつかは、という浮かれきった思考のさらにその奥にある冷たいリアリズム。不変に近しい私と変ずる彼の存在は、つまり避け得ない別離が確約されている、といこと。


いつかその先で、失われる未来がある。

いつになるだろう。いつかまた彼は、腕を無くすかもしれない。大怪我をしてそれがきっかけで命を失うかもしれない。四肢をくろがねにしても、彼は止まりはしないだろう。それを、私は止めることもできるのか。


そしてその先で動かなくなったあと。

私は。



(…あなたにとってシエルくんは、大事?)


(うん。私の一番大事な人だよ)


(そっか、なら、楽しみにしてる。

もしも──)



『少年が喪われた時に、どうするか』。



フィリアの遺した言葉が、思い浮かぶ。

言葉が去来する。

答えることが出来る時が来るのか。

その先で、私は地獄で彼女の笑顔と賛同を得てしまう時もあるのだろうか。



地獄。

非合理的で非現実的思想だ。

そこまで考えて、私はその思考を止めた。



フィリアは、変わった人だった。

時たま時たま、シエルを主人公、主役だと口走り、私をヒロインだと口にしていた。

演劇が好きなのかと言ったら、いつもの数倍口早に語って、笑ってしまったこともある。


ヒロインか、ヒロイン。

ヒロインであるのならば、ヒロイン、らしく。


私は主役の傷に、なりたいわけではない。

私は彼をただ、ささえていたいだけだから。



だから、後になって。

なりたいわけではなかったのだと、泣き言を言わないように。そう努めよう。




ただそれだけを、考えた。


おわり

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