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戦国商人立志伝 ~転生したのでチートな武器提供や交易の儲けで成り上がる~  作者: 須崎正太郎
第六部 山田俊明編(1582~1623)

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第七十八話 堤伊与の往生

 マカオの港近くに建てられた神砲衆屋敷。

 その庭は熱帯の陽光に照らされ、潮風が心地よく吹き抜けていた。


 1600年の秋である。

 遠く日本では、徳川家康が石田三成らの西軍を関ヶ原で破り、天下の覇権を握った年だったが、そんな激動の報せは、海を越えてこのマカオの庭に届くまで、まだ時を要していた。


 堤伊与は孫の仁と向かい合い、竹を縦に割って束ねた稽古道具を手にしていた。いわゆる竹刀に近いものだ。


 かつて山田俊明が「剣の稽古は木刀よりもこうしたほうがいい」と提案したやり方を、伊与はいまも守っていた。彼女の黒髪は白髪交じりになり、年齢の重みが刻まれていたが、動きはまだ鋭く、武士としての気概を失っていなかった。


「集中せよ、仁。剣は心だ。迷いがあれば、斬られるぞ」


 伊与の声は凛としている。


 仁は大きな瞳を見開き、竹刀を構え、祖母に向かって打ち込んだ。


 得物が風を切り裂くも、伊与の竹刀に受け止められる。


 音が、庭に響く。


「いい筋だ。私に似ているな」


 伊与は孫の剣を軽く払い、仁の姿勢を正した。


 仁は汗を拭いながら、息を荒げた。


「ありがとうございます、おばあ様。でも、おばあ様はまだ、本気を出していないように見受けられます」


 伊与は目を細め、孫の顔をじっと見つめた。


「仁。本気を出していないのはお前だ。腰が引けている。老体に遠慮をしているなら無用だ。本気で打ってこい」


「よろしいのですか?」


「おくれは取らぬ」


「では。……」


 仁は再び構えを取った。


「失礼します!」


 仁の竹刀が素早く動き、伊与の竹刀に激しくぶつかる。伊与は孫の力を受け止めると、


「上出来だ。だが、まだ甘い。……敵がこう来たら、どうする。――」


 ぎろり――


 と。


 伊与の視線が、仁の胸に突き刺さった。


「う……」


 仁は指先ひとつ動かせなくなった。


 伊与の眼は、獣のように。


 いや、あるいは伝説の生き物、龍のように鋭く、激しい。蛇に睨まれた蛙、という表現が実に正しい。仁は冷や汗を二筋、三筋と垂らす。まったく、身動きが取れない。


「これで一本」


 伊与は、そっと竹刀の先端で仁の胸を突いた。


「戦場ならば、お前は死んでいる」


「おばあ様。いまのは、いったい」


「殺気を叩きつけただけだ」


「気。……そんなものが、本当に」


「ある。……あったのだ。……あの乱世、あの場所には、確かにな」


 伊与は天を仰いだ。


「おばあ様は、私よりも幼い時分で戦場に立たれていたとうかがいました」


「違いない。あのころは必死だった。……仁」


「はい」


「私の剣は堤流だ。堤三介という方がかつて、おられた。その方が私の師であり、父であった。私は自分が功名することで、その方の名前もまた上がると信じていた。……その夢が叶ったかどうか、実のところ、自分でもあまり自信がないが」


「叶ったと存じます。堤伊与の武名は日ノ本に天高く鳴り響いていると七海から聞き及びました」


「そう願いたい。……仁。……お前は俊明の財と意思を受け継いだが、同時に堤の剣をお前が受け継いでくれると嬉しい」


 伊与の言葉に、仁は目を輝かせた。


 堤三介――伊与の師匠であり、義父。かつて旅する兵法家として伊与に剣を教えた男の名は、伊与の人生に深く刻まれていた。仁は竹刀を下ろし、祖母に頭を下げた。


「わかりました。もっと稽古を積みます」


「励め。お前は筋がいい。五年も稽古を積めば私よりも上手になる」


 伊与は孫の肩を叩くと、庭の椅子に腰かけた。


 遠くの海がきらめき、マカオの賑わいが聞こえてくる。

 彼女は孫を見て、静かに思った。


(俊明も神砲衆も私自身も、ずいぶん遠いところまで来たが……堤様)


 師を、思う。


(堤の家名と武名を、多少はあげることができたと自負しております。……そして後を継ぐ者も、ようやく)


 夕暮れが近づき、伊与たちは自宅に戻った。


 マカオの家は、ポルトガル風の白い壁と明国風の瓦屋根が混在する、異国情緒あふれる建物だ。


 邸宅内の一室で、カンナが待っていた。

 カンナは笑顔で伊与を迎えた。


「伊与。仁に剣を教えとったんやね。庭でやってるんを見たよ。あの子、ますますたくましくなってきたねえ」


「そうだな。仁の剣は上達している。私に似て、筋がいい」


「仁も大きくなったもんよ。あたしたちの孫やもんね。……ところで、伊与。日ノ本から報せが来たよ」


「ほう。……」


 伊与の表情がわずかに引き締まった。

 カンナは文を広げると、声を低くした。


「内府――徳川家康が、あの石田三成の軍を関ヶ原で破ったらしいんよ。徳川家が天下を握るんは、もう時間の問題やね。全部、弥五郎の言う通りになりよる。秀頼様の立場は危ういけれど……弥五郎の言葉通り、家康はいまのところ、秀頼様を生かそうとしとるみたい」


 伊与は目を細め、文を覗き込んだ。

 関ヶ原の戦いは史実通り、家康の勝利だった。

 豊臣宗家は存続するが、徳川の影が強まる。


「俊明の読み通りだ。家康は信長公の盟友だけあって、優しさはある。だが、豊臣の家臣たちの不満が爆発すれば、どうなるか」


「樹と牛神丸が、徳川家と文をやり取りして、交易の橋渡しをしとるんよ。あとはあの子たちの仕事かな。あたしも、もちろん死ぬまで頑張るつもりやけど、でもねえ、いよいよ、お払い箱が近いかもしれん」


 カンナは笑ったが、その笑みは少し寂しげだった。次の世代に志を渡せた喜びと、自身の役割が終わりに近づく感慨が混じっていた。


「そうだな。私も仁に剣を教えることができた。今生における私たちの役目は、いよいよ終わり始めた」


 伊与は顔を上げる。

 部屋の隅に、山田俊明の遺髪が飾られていた。


 小さな、祭壇のような場所に安置されている。

 伊与は立ち上がり、遺髪の前に座った。

 カンナも隣に座り、二人で静かに手を合わせた。


「たまに夢を見る。弥五郎がまだ山田俊明でなかったころだ」


 伊与の声は静かだった。

 俊明が前世の記憶を覚醒させたのは満年齢で12歳、数えで13歳のときだった。


 それまでの山田俊明には前世の記憶などない。

 ただの戦国時代の少年、弥五郎だったのだ。

 カンナは首をかしげ、尋ねた。


「弥五郎が未来のことを思い出してないときって、どんな感じやったん? そういえばあんまり聞いたことなかったね」


 伊与は目を細め、遠い記憶を辿った。


「可愛い顔をしていた」


「なんよ、それは」


 カンナが笑った。伊与は続けた。


「笑顔が可愛かったのだ。それに私とよく相撲をしたり、取っ組み合いをしていた。それに私と、野山の中になっていた柿を食べた。……むっつのときだったな。……渋柿でな。……しぶくて、しぶくて」


 伊与は遠い目をした。


「俊明ではない、あのころの弥五郎は、私をどう見ていたのかな」


「気になるねえ。山田俊明じゃない弥五郎、かあ」


「うむ。……」


 そのとき伊与は心の中で思った。


(その弥五郎を知っているのも、もはやこの世に私ひとり、か)


 50年以上前の大樹村にて。

 実の両親を亡くし、寂しさのあまりに泣いていた自分の頭を撫でてくれた弥五郎を、伊与は思い出す。そのとき伊与は怒ったのだ。


 ――撫でるな。赤ん坊みたいにするな。私のほうがお姉さんなんだぞ。


 すると弥五郎は、怒って、こう言ったのだ。


「1日だけだろ、威張るなよ……」


「ん? なんが? 伊与」


 カンナの声で、伊与は我に返った。


「いや。……昔を、思い出しただけだ」


 カンナは優しく微笑んだ。


「弥五郎には、きっとまた会えるよ」


「そう信じている」


 そのとき、七海が部屋に入ってきた。夕食の時間だった。彼女は伊与とカンナに頭を下げ、言った。


「お食事の準備ができました。仁様も待っておられます」


「うん、いまいく」


 カンナは立ち上がり、部屋を出た。

 伊与も続こうとしたが、そのときである。

 誰かに呼ばれた気がして、伊与は俊明の遺髪のほうへと振り向いた。


「俊明。……弥五郎」


「伊与? どうしたん」


 カンナが振り返り、怪訝そうに尋ねた。

 伊与は一歩、二歩と遺髪に向かって歩みを進め、静かに言った。


「……来てくれたんだな。とし、や、弥五郎」


「伊与、なにを……」


「私を迎えに」


 伊与の声は穏やかだった。

 彼女は遺髪の前に立つと、目を細めた。


「仁に剣を教えた。あとはもうそちらに行くだけだ」


「伊与、あんた――」


 カンナの声が鋭くなった。

 伊与はゆっくりと手を伸ばし、遺髪に触れた。


 部屋の空気が静まり返る。

 伊与は遺髪に触れたまま、ぴくりとも動かない。

 そのまま、一分、二分と経った。カンナは伊与の肩を掴んだ。


 伊与の体は。

 もう、動かなかった。


「伊与!」


 カンナは息を飲んだ。

 伊与の目は開いたままだったが、息は止まっていた。


 立ち往生だ。

 彼女の顔には、穏やかな微笑みが浮かんでいた。

 懐かしい誰かに会ったかのように。


「伊与……どうして……あんたまで……」


「カンナ様? なにか――」


 七海が部屋に入り、状況を察知して、ああ、と声を上げた。

 仁が、さらに樹と牛神丸までもが駆けつけ、そして凍りついた。


 マカオの夕陽が。

 部屋を、赤く、ただ赤く染めていた。


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