第七十話 戦国商人立志伝、その末に
1598年11月――
京の都は秋の色に染まっていた。
伏見城の喧騒が少し落ち着いた頃だ。
秀吉の死から3ヶ月近くが経ち、天下は五大老の名の下に回り始めていたが、誰もが息を潜めているような、そんな空気だった。
俺は梅五郎の名で伏見城の片隅に身を寄せ、伊与やカンナ、あかりと共に静かに暮らしながら、ひそかに徳川家康や前田利家の手伝いをする役割。
体は日増しに衰え、咳が止まらなくなっていた。
だが、心だけはまだ、秀吉の遺志を繋ぐことに向かっていた。
その日、俺は家康と共に行動していた。
場所は京の都の小さな茶室。
徳川家康が、フランシスコ会の宣教師、ジェロニモ・デ・ジェズスと会う席だという。
家康は秀吉の死後、外国との交易を急いでいた。
南蛮の船がルソン(フィリピン)から来るのを待つより、自分から手を伸ばすつもりらしい。俺は家康の傍らに控え、静かに同席した。
ジェロニモは瘦せた体に黒いローブを纏い、鋭い目で俺たちを値踏みするように見つめていた。ポルトガル人ではあるが、スペインの宣教師と肩書きで、秀吉の時代から日本に通い、キリスト教の布教と交易の橋渡しをやってきた男だ。秀吉の晩年、キリスト教禁教令で追い返されかけた身の上だが、家康はそんな彼を重用するつもりらしい。
家康は畳に座り、低い声で切り出した。
「ジェロニモ殿。この家康は、ルソンとの通交を望む。スペインの王の許しを得て、通商の道を開きたいのだ。船の往来、絹や銀の交易、互いの利益になるであろう」
ジェロニモは通訳を通じて、丁寧に頭を下げた。だが、その目は計算高い。交易は莫大な利益を生むが、キリスト教の布教を条件に付け加えるつもりだ。家康はそれを察知し、穏やかに笑った。
「布教の件は、ゆっくり話し合おうではないか。まずは船の往来だ。ルソンから日本へ、絹や香辛料を。こちらからは刀剣や漆器を。互いの国が豊かになる道を、共に歩まぬか」
そこで俺が口を挟んだ。
家康の視線が俺に向くのを待って、ゆっくりと。
「ジェロニモ殿。俺は山田弥五郎と申す者。日ノ本とマカオで交易を営む商人だ。ルソンとの道は、俺の娘たちがすでに開きかけている。マカオはポルトガルの港で、そこからルソンへは船で数日。俺の紹介状を渡せば、娘たちが全力で通商の仲立ちをする。徳川家との繋がりを、ルソンに伝えておいてくれ。銀の山を積んだ船が、往復する日が来るはずだ」
ジェロニモの目が輝いた。
マカオの名に、交易の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。
彼は通訳に命じて、熱心に頷いた。
「山田どののお力添え、ありがたく存じます。ルソンの総督にも、必ず伝えます。スペインの王も、日本との絆を喜ぶでしょう」
会談は円滑に進み、互いの紹介状を交わして終わった。
俺はその日の昼下がり、娘たちへの手紙を書いた。
『これからは徳川家康が天下の鍵を握る。徳川とマカオ、ルソンの仲介をやってほしい。そして、俺も伊与もカンナも来年にはマカオに戻るつもりだから、大坂に船を手配してほしい。詳しくは七海から話を聞いてくれ』
そして俺は七海に手紙を渡し、マカオに帰らせようと思った。
「そういうわけで、七海。この文を樹に送ってくれ。何度もマカオと日ノ本を往復させてすまないが」
「いいえ、これくらいはお安い御用でございます。それよりも、山田さまは一緒にマカオに戻らないのですか? 来年といわず、いまお戻りになっては……」
「朝鮮にいる兵たちの撤兵が、まだ済んでいないからな。それに秀頼様のことも。隠居することを決めたとはいえ、最低限、そこまでの始末はつけたいんだ」
「かしこまりました。お言葉、ごもっともです。樹さまにも、そのようにお伝えします」
「頼む」
さて翌日の伏見城。
家康は俺を控室に呼ぶと、
「恩に着る、弥五郎どの。ルソンとの道が開ければ、徳川の交易は盤石となる。おぬしの神砲衆の力、改めて頼もしい」
俺は弱く手を振った。
「いやいや。もはや俺としては、すべてを徳川様に頼みたい気持ちです。秀吉の遺志を、泰平の世として繋いでほしい。それだけが俺の最後の望みです」
その言葉に嘘はなかった。
家康は目を細め、茶を一口啜った。
そんな俺の家康接近が、前田利家の耳に入ったのは、数日後のことだ。
利家は伏見城の回廊で俺を待ち伏せ、いつもの軽いノリで、しかし眉をひそめて言った。
「山田。お前が山田でなければ、オレっちは殴り飛ばしたいところだぞ。内府にべったりすぎる。藤吉郎が見たらどう思うか」
利家の顔は疲れていた。
五大老として、家康を牽制しつつ、秀頼の後見に奔走する日々だ。
咳き込む姿を見て、俺は胸が痛んだ。
史実では、来年、利家は病で世を去る。
もう、そんな兆しが見え始めている。
「気持ちは分かるよ、又左。でもな、もはや豊臣は徳川に頼るしか生きる道はない。特に秀頼様は……」
利家はため息をついた。
「徳川の情けにすがれ、と? 天下人の家を、いまなお大老でしかない徳川に託すというのか、山田」
「それ以外に道はないんだ。このままいけば、遅かれ早かれ天下は徳川のものとなる。問題はそのあとだ。俺は秀頼様をはじめとする大坂城の面々を、出来る限り生かしてほしいと思ってる。それくらいの希望なら、徳川は信用できる。大坂の豊臣が無茶さえ言わなければ」
利家は目を伏せ、苦笑した。
「それほど、徳川が甘いかね。……なるほど、内府(家康)の義理堅さはオレっちだって知っているさ。信長公と20年に渡って同盟を堅守したお方だ。しかしな――」
「信用できるさ。ギリギリまで、秀頼様を生かすために努力してくれると信じている。そして――もし、不幸にも、秀頼様の生命が大変なことになった場合――」
俺はゆっくりと息を吐き、続けた。
「――そう、例えばである。今後、何年か何十年かの間に、徳川と豊臣が争ったとして、豊臣が負けたとする。その際、秀頼様にはぜひ、恥も外聞もなく逃げてほしい。……この俺の娘たちが住むマカオまで」
利家は目を丸くし、声を上げて笑った。
だが、その笑いはどこか空虚だ。
「話がいきなり巨大だ。飛び過ぎだ。豊臣と徳川がいくさ? しかも豊臣が負けると? そして秀頼様がマカオに逃げる? お前さんは昔から突飛もないことばかり言うが、今回は特に突飛もないぜ」
「だが、俺の言うことはたいてい、よく当たっただろう?」
利家は黙り込み、遠くを見つめた。
回廊の風が、落ち葉を舞い上げる。
「…………。まあな。お前さんの目は、いつも先を見てるよな。藤吉郎も、それで何度も助けられた」
「又左。伊与たちとも話したが、俺たちは娘のいるマカオに、近いうち、行こうと思う」
利家は驚いた顔をし、俺の肩を叩いた。
力は弱いが、温かかった。
「本気か。秀頼様もまだ幼いのに。……いや、しかし……お前さんは本来、豊臣に対する謀反人だからな。事情を知っているのは、オレっちに、内府に、加藤の虎、おねねさん……それくらいか。長いこと、この伏見にいると、確かにお前さんもどうなるか分からんからな」
「確かにそれもある。俺はどうなろうと構わんが、伊与やカンナやあかりの身の上が心配だ、ということもある。
だが俺の思案はもう少し前向きなのさ。これはマカオに戻り、娘たちとも話して決めたいが――
俺はマカオに戻って南蛮をはじめとする外国と結びつき、通商圏を広めたうえで、外から徳川を見張る。すなわち、神砲衆なくしては徳川家は外国と交易ができない、という段階にまで持っていき、そして、……もしも秀頼様の命を危うくさせたり、あるいは日本のかじ取りを誤るようならば、神砲衆は徳川家と断交し、交易の利益をすべて奪い取り、そして外国船を率いてでも日本に攻め入る。……そういうつもりでいる」
利家は呆れたように口笛を吹き、頭を掻いた。
「外国と結んでも、かよ。お前さん、そりゃあ――まるで南蛮の王様だぜ。だが、そんな脅しで内府が本気になるか?」
「それくらい言って脅す、ということさ。……実際にそこまではできなくてもな。
基本的には、交易を仲介する、外国との橋渡し役を務める、外国の情報を徳川家優先に渡す。だから日ノ本の未来と秀頼様を頼む、という路線でいくつもりさ。ただ、脅すくらいの覚悟で言わないと、徳川家も家康も本気になってはくれまいと思っただけさ」
利家は深く息を吐き、俺の目を見据えた。
「そこまでするのか。……お前さん、あくまでも、あいつとの――藤吉郎との誓いを守るつもりなんだな」
「そう。天下の泰平と秀頼様の命。俺はそのふたつを守る。それができたときにこそ、俺の立志伝は完結する。藤吉郎と大樹村で交わした約束――天下泰平を共に成す。あいつは武で、俺は商いで。道は違えど、王道を歩むんだ」
利家は静かに頷き、目を細めた。
「お前さんの気持ちと覚悟は分かった。……だがオレっちとしては、そうも日ノ本の未来が徳川家に委ねられるとお前さんが確信しているのが、いまいち気に入らねえ。まだこのオレっちや前田家もあるんだからな」
「それもそうだな、すまない」
謝りはしたが、利家の寿命が残り少ないことは俺が一番よく知っている。
来年、病で倒れる彼の姿を想像するだけで、心が痛んだ。
「オレっちはオレっちのやり方で、命の限り、秀頼様と豊臣のために尽くすさ。なんでも徳川の思うがままにはさせねえ。オレっちだって、藤吉郎の親友だったつもりだからな」
「藤吉郎は、いい友をもったよ」
「いい妻もな。おねねさんはよくできた女房だぜ。秀頼様の面倒も、よく見てくれている」
「確かに」
例え世間や歴史がどう言おうとも、北政所や、そして俺と又左にとって、藤吉郎は、友情を尽くすに足る相手だったのだ。あの猿顔の男は、天下人として輝きながらも、いつも人間くさく、弱さを隠さなかった。
それが、俺たちの絆を強くした。
そんな会話を交わした頃、名護屋城からの報せが届いた。
12月6日、島津軍が壱岐島に戻ったことで、朝鮮からの撤兵が完了した、と。
慶長の役は、秀吉の死を機にようやく終わりを告げた。
泥沼の戦いが終わり、数万の兵が日本に帰還する。
カンナが手配した船団が、どれだけ役立ったか。
博多の港は、疲れ果てた兵で溢れ、商人たちの手によって、ようやく息を吹き返し始めていた。
そしてそのころ、マカオから手紙が届いた。
娘の樹からのものだ。
『無事ならもっとはやく連絡がほしかった』
という、もっともな叱りの言葉が並ぶ。
だが、その後に続くのは優しさだった。
『2月には日本の大坂に船を出せる。ただし、冬の海はおそろしく冷たい。波も高い。父上の容態を考えれば、4月ごろにそちらに迎えに行く、というのはどうでしょうか。そのころになれば大型船も送れます。大型の船ならば、船室の中で横になれますし、揺れも少ない。このほうがよろしいかと存じます。そして孫も、父上とお会いしたいと申しております』
4月とは少し先になるが、確かに真冬に船旅をするのはいまの俺では危険かもしれない。体が言うことを聞かなくなっている。
「冬の間は温泉にでも入って、4月の迎えを待ったらどうだ」
伊与が、控室で俺の背をさすりながら言った。
「そうだな……」
俺はうなずいた。
春の旅のほうがいいというのもあるし、それに、
「思えば来年の春には又左が亡くなる。それを待ってからマカオに行くのが、きっと、ちょうどいいだろう」
伊与の目が、少し曇った。
「そうだな。私もそう思う」
秀吉に、信長公。
五右衛門、次郎兵衛。
内蔵助(佐々成政)に久助(滝川一益)、和田さん、蜂須賀さん、松下嘉兵衛さん――若いころからの友人が次々と世を去っていくなか、俺にとって最後の仲間が前田利家だ。その最期を見届けたい。あの軽いノリの傾奇者が、こんなにも大切な存在になるとは、若い頃の俺は想像もできなかった。
これで俺の動きはほぼ決まった。
だが最後に――
俺は又左に依頼して、秀頼様と淀殿と、直接、対面することにした。
秀頼様を生かすために、最後のひと動きをしなければならない。




