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戦国商人立志伝 ~転生したのでチートな武器提供や交易の儲けで成り上がる~  作者: 須崎正太郎
第六部 山田俊明編(1582~1623)

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第五十六話 豊臣秀頼の気配

 1592年の初夏である。


 夏の湿気が大坂城の石垣を濡らし、城下の町には瀬戸内海からの潮風が塩と魚の匂いを運んでくる。空は厚い灰色の雲に覆われ、遠くで雷鳴が低く唸る。


 大坂城の奥深く、座敷牢に閉じ込められた3人――堤伊与、蜂楽屋カンナ、石川五右衛門は、沈黙の中にいた。


 秀吉の天下は、朝鮮半島への侵攻を推し進め、まるで怒涛のように流れていたが、彼らにとって時間は凍りついたかのように重く、静かだった。


 しかし大坂城の座敷牢は、牢とは名ばかりの簡素ながら清潔な部屋だった。畳は新しく、かすかに藁の匂いが漂う。小さな格子窓から差し込む陽光が、昼間は部屋を柔らかく照らし、畳の上に細長い影を刻む。


 食事は定期的に運ばれ、木の膳に盛られた味噌汁の湯気や焼き魚の香りが、牢内にほのかな温もりを添えた。時には、数名の女兵の見張り付きだが、別室における湯殿での入浴も許された。湯気の立ち上る木桶の中で、身体を清めるひとときは、束の間の安堵を与えた。


 だが、外部との接触は一切禁じられていた。手紙一通、言葉一言すら許されない。秀吉の意図は明らかだった――伊与、カンナ、五右衛門の結束を断ち切り、孤立させることで、彼女らの反抗心を抑え込むのだ。


 3人を別々の部屋に分け、互いの声を聞くことも、顔を見ることもできないようにしたその策は、まるで心を切り裂く刃のようだった。




 堤伊与は、座敷牢の中央に正座し、背筋を伸ばしていた。

 黒髪が肩に落ち、静かな瞳は虚空を見つめる。彼女の心は、対馬沖で消えた弥五郎の姿を追い続けていた。


(俊明……どこだ。生きているのだろう? お前は、必ず戻ってくるのだろう?)


 と、彼女は心の中でうめく。堅苦しい口調と生真面目な態度は、戦場での猛々しさとは裏腹に、彼女の内なる不安を隠していた。だが、畳に置かれた握りしめた拳は、決して諦めない意志を物語っていた。


「私は待つ。俊明、お前が戻るまで」


 マカオにいる、子供たちや、孫の仁のためにも……。




 蜂楽屋カンナは、窓辺に立ち、格子越しに遠くの景色を眺めていた。


 金髪が陽光に輝き、碧眼には希望と悲しみが交錯する。博多弁の軽快な口調は影を潜め、彼女の心は次郎兵衛の死と弥五郎の喪失に沈んでいた。


「弥五郎……あんた、絶対生きとるよね。戻ってくるよね。これまでだって、ずっとそうやったもんね」


 と、彼女は窓枠を握る手に力を込めた。


「次郎兵衛の分まで、あたしは負けん。弥五郎が帰ってくるまで、絶対に生きてみせる」


 カンナは景色の彼方に視線を投げ、唇を噛みしめた。




 石川五右衛門は座敷牢の中であぐらをかき、壁を睨みながら歯ぎしりをしていた。


 白髪が混じる髪は乱れ、戦場で負った傷跡が残る顔には不敵な笑みが浮かぶ。


「ふん、太閤の野郎。うちらをこんな目に合わせやがって。天下人だかなんだか知らねえが、こんな檻、くそくらえだ……」


 彼女は低くうなる。

 軽やかな口調は消え、怒りと無力感が胸を焦がす。

 だが、その瞳にはまだ炎が宿っていた。


(伊与、カンナ、待ってな。うちは必ず脱出してやる。あんたらを助けてやるぜ)


 彼女は心の中で、仲間との再会を誓った。




 同じころ、名護屋城では、豊臣政権の朝鮮侵攻が本格化していた。


 4月12日、小西行長と加藤清正を中心とした700艘の船団が朝鮮の釜山ぷさんに上陸し、朝鮮半島を北上。驚異的な速さで漢城(現在のソウル)を占領。豊臣軍の勢いは止まらなかった。


 名護屋城は、朝鮮出兵の前線基地として急ピッチで建設が進められていた。木材の匂いと石垣を積む音が響き合い、城下には兵士や職人、商人たちが慌ただしく行き交う。海風が帆を揺らし、港では朝鮮へ向かう船団の第2陣が準備を整えていた。


 名護屋城の広間では、秀吉が小西行長と加藤清正から届いた戦勝報告を受けていた。黄金の陣羽織をまとい、胸の傷を包帯で隠した秀吉は、片眉を上げ、宙を見上げると「ほう」と一言つぶやく。


 そして、しばらく黙考していたが、やがて口元にニヤリと笑みを浮かべた。


「虎どもめ、やりおったか。漢城を落としたか。さすがわしの家臣よ!」


 と、秀吉は上機嫌に声を上げた。


「うむ、うむ、ならばよし! それではこのわしも、そろそろ朝鮮に向かうとしようか!」


 その声は広間に響き、近侍たちの間に活気を呼び起こした。


 だが、そばに控える前田利家と徳川家康は、複雑な表情で秀吉を見つめた。対馬沖海戦の後に、諸大名は続々と名護屋に集合し、やがて朝鮮へと渡っていったのだが、政権の重鎮たる利家と家康は名護屋に残ったのだ。


 その家康が、秀吉に向かって言った。


「殿下。朝鮮の人心はいまだ定かならず。いま向かうはあぶのうございまする」


 家康の進言は慎重だった。

 その落ち着いた声は、広間の熱気を冷ますようだった。


「小西殿や加藤殿が道を開いたとはいえ、戦は始まったばかり。殿下がみずから動くのは時期尚早かと」


「左様でござる、殿下。徳川殿の言う通り……」


 利家はさらに踏み込むと、秀吉の双眸をじっと見据えてから、やがて耳元に口を近付けた。


「藤吉郎。お前さん、みずから山田を探すつもりだろう」


「……又左、なにを言う……」


「いや、オレっちには分かる。なにせお前さんとも山田とも、ウン十年の付き合いなんだからな。藤吉郎は壱岐や対馬に寄って、しまいには朝鮮に渡ってでも山田を探すつもりなんだろう。危ういぜ、それは」


 秀吉は苦笑いを浮かべ、首を振る。


「又左――それは――それは違う。わしは虎たちに指示をしたいだけじゃ。戦の采配をな」


「本当か? ……なあ、藤吉郎。前々から思っていたんだが、お前さん、そもそもどうして唐入りを始めたんだ? 明や朝鮮が欲しいだけか? キリシタンどもをけん制するためか? それにしてはお前さんの今回のやり方は、お前さんらしくもなくずいぶん荒っぽいぜ。山田まで謀反しちまうし――」


「言うな、又左。いまさら言っても仕方のないことよ」


 秀吉の言葉には力がなかった。

 利家は、かつて秀吉を照らしていた後光のような輝きが消えつつあるのを感じ取っていた。


「藤吉郎」


 と、利家は低くうめく。


「堤や蜂楽屋を、殺さなかったんだろう?」


「うむ」


 と、秀吉は短く答える。


「それもやはり、お前さん、山田が帰ってくるのを待ってるからだ。そうじゃねえのか?」


「…………」


 秀吉は答えず、目を細めて遠くを見つめた。

 利家はさらに続ける。


「堤たちを殺すなよ。あいつらは山田の魂だ。殺したら、山田の心も一緒に殺すことになるぜ」


「わかっておるわ。じゃから殺しておらん……」


 と、秀吉は小さくつぶやき、視線を落とした。


「弥五郎が戻ってきたときに、伊与もカンナもおりません、では――洒落にもなるまいが……」


 ――秀吉の母、なかが危篤という知らせが聚楽第の豊臣秀次から届いたのは、それから2か月近く経ってからのことだった。「おふくろさまが危篤じゃと!? 孫七郎(秀次)の馬鹿め、なぜもっとはやく言わんのか!」


 秀吉の怒声が広間に響き、近侍たちが息を呑む。

 秀吉は、名護屋のことを利家と家康に任せ、すぐに上方へと舞い戻ることにした。


「又左、ここのことは任せる。徳川どのと仲ようせいよ。ではな!」


「おお、任された」


「任せたぞ」


 秀吉は名護屋を出立したが、その背中を見送った利家は、なぜだか秀吉の背中がひどく小さく見えた。


 そして、秀吉は、母の死に間に合わなかった。

 秀吉が名護屋を出立したその日に、母親のなかは亡くなっていた。

 秀吉は大坂城に到着したとき、その訃報を知らされ、その場で気絶した。




 大坂城下の町は、朝鮮出兵の準備で異様な活気に満ちていた。

 港から瀬戸内海へと続く道には、兵糧や武器、弾薬を積んだ荷車が列をなし、馬のいななきと荷役の叫び声が響き合う。町屋の軒先には、刀や甲冑を売る商人が客を呼び、魚市場では新鮮な鯖や鰯が山積みにされていた。


 だが、その賑わいの裏では、増税に苦しむ農民の噂が囁かれていた。出兵のための財源確保は、都市部の商人や富裕層には好景気をもたらしたが、農村では貧困が広がりつつあった。


 大坂城では――

 秀吉は母の訃報を受け取った瞬間、気絶したが、やがて意識が戻ると、嘆き、怒り狂った。


「孫七郎め、なぜもっと早く知らせん! この大馬鹿者め! だいたい、あいつは昔から気がきかんのだ。親じゃぞ、母親じゃぞ、命がつながっている親子のことを、やつめ、自分にちゃんとした親がおり子がおるからと言って、いばり腐っておるのではないか! それでも関白か、ええい口惜しい、歯がゆい――」


 秀吉が、秀次を罵る声が城内に響き、近侍たちは恐縮して頭を下げる。

 出兵の多忙さと相まって、大坂城は騒然とした空気に包まれた――




 その混乱を、石川五右衛門は見逃さなかった。


 世界が暗くなりはじめたころ、五右衛門は立ち上がってキョロキョロすると、


(なにかあったな。城内の気配が違う。……脱出するなら、いましかない)


 盗賊の勘が囁く。


 そのとき牢番の女兵が、律儀にも「今日は湯浴みの日だよ」と、格子の鍵を外した。


 その瞬間だ。


「悪い!」


 五右衛門は動いた。女兵に素早く当て身を食らわせ、音もなく気絶させる。その動きは、まるで夜の影が滑るように静かで、かつ鋭敏だった。


「よし。……おっと、いけねえ」


 と、五右衛門は女兵の脇差を手に取る。

 そして五右衛門は、この数か月でしっかりと伸びた長い髪をざっくりと切り落とし、畳の上に投げ捨てた。


 続けて、指先を軽く切り、血で壁に文字を書く。


『もはやこのよにみれんなし うちはしぬ おさらば おごう』


(これでよし。髪は遺髪のようにもなるし、この文字でうちは死んだことにできる)


 さらに、気絶した女兵の衣服にも血文字を残した。


『ごえもんはじがいということにしておくべし すまぬ わびる おごう』


「本当に悪いな。そういうことで頼む。悪いついでに、この脇差もいただいていくぜ」


 五右衛門は気絶している女兵にささやくと、脇差を腰に差して牢の外へ飛び出した。


 大坂城の廊下は、まるで迷路のように長い。冷たい感触が足裏に響く。

 遠くで兵士の足音が響く。五右衛門は泥棒の身軽さで廊下を駆け、伊与とカンナの座敷牢を探すのだが、


「ちっ、本当にでかすぎるぜ、この城。どこにいるんだ、伊与、カンナ」


 舌打ちしながら角を曲がるが、仲間を見つけることはできなかった。


「仕方ねえ、一時撤退だ」


 五右衛門は城の外へ脱出することにした。

 石垣をよじ登り、闇に紛れて城を抜け出して、やがて城下の町へと滑り込んだ。


 大坂の町は、夜になってもなお賑わっていた。提灯の明かりが軒先に揺れ、酒場からは酔客の笑い声が漏れる。だが、路地裏では、増税に耐えかねた民が物乞いのようにうずくまっている姿も見えた。


「ふざけやがって……」


 と、五右衛門はつぶやく。


「民の苦しみが目に入らなくなっているなら、藤吉郎さんよ、あんたの天下も長くはないね」


 五右衛門は脇差を武具屋に売り、得た銭で飯屋に入る。粗末な膳に盛られた麦飯と漬物を口に運びながら、考える。


「さて、どうするか。なんとか伊与たちを助けたかったが――いったんマカオに戻るか? だが、この銭じゃ船代にも足りないね……」


 食事を終えて、銭を払い、外に出る。


 そのとき、港から一艘の船が瀬戸内海へ向けて出航する姿が目に入った。船の帆が月光を浴び、静かに波を切る。


 なぜかその光景に心を引かれた五右衛門は、


「なんだ、あの船……」


 とつぶやいた。


 どういうわけか――

 あの船に、奇妙な気配を感じたのだ。

 よくある船だというのに。


「……まあ、いいか。伊与たちを助けるんだ。うちにはそれしかねえ」


 五右衛門は、こうして、大坂の町の闇に溶け込んだ。




 それからしばらくして、秀吉に新たな報せが届いた。

 側室の淀殿に懐妊の兆しがあるという。


 秀吉は広間で飛び上がり、まるで少年のように喜びを爆発させた。


「まことか! まことに我が子か! わしの子が生まれるぞ! ハハハ、弥五郎、見たか! わしの未来はここにある! ははは、ははは……


 ハハハハハハハ……!!」





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