第三十九話 弥五郎のマカオ到着、秀吉の九州平定戦
長崎を出たキュウスケ号は、南へ、南へと向かっていく。
俺は風に乱れる髪を片手で押さえながら、遠くの水平線を見つめていた。
気温が明らかに上がっていく。
とはいえ、季節は冬だ。潮風が冷たいはずだ。
それなのに、俺はじんわりと汗までかきはじめていた。
「緊張しているのかな……」
思わず、独りごちた。
背後では、次郎兵衛が新しく雇用した船員たちに向かって声を張り上げている。
「おう、そこの者! 荷物がちゃんと縛られているか確認しているか? 海が荒れて品物が落ちたらどうする。絹織物など、濡れたら価値がなくなるぞ!」
荒々しくも、どこか愛嬌のある声なので、船員たちは言うことを聞いていたが――
日本語があまり達者でない明国人の船員も、言うことをきちんと聞いているのが不思議だ。
迫力勝ち、かな。
次郎兵衛も百戦錬磨の男だし、渡航経験だってあるからな……。
――そして船はさらに南へと進み、幾日かの航海を経て、マカオの港にたどり着いた。
船が岸に近づく。俺は目を細めてその光景を見た。
……あれがマカオか!
マカオの港に降り立った瞬間、俺の耳に飛び込んできたのは、様々な言語が混じり合った喧騒だった。
明国人の商人たちが甲高い声で値切り合い、朝鮮人の旅人が低い声で仲間と語り合い、ポルトガル人の船乗りたちが陽気に笑いながら酒を手にしていた。
日本人もちらほら見える。刀を腰に差した浪人風の男や、荷物を背負った商人が行き交っていた。市場は色とりどりの布や香辛料、陶器で溢れ、鼻をくすぐる異国の香りが漂っていた。
石畳の道が港から住宅街へと続き、赤い屋根瓦の家々や、ポルトガル風の白壁の建物が立ち並んでいた。空は薄曇りで、湿った風が頬を撫でた。
初めて目の当たりにする、戦国時代の異国の景色だ。
俺は、しばし呆然と立ち尽くした。
「これは……凄いな。賑わいならば堺も相当なものだったが、行き交う人間の種類がまるで異なる」
伊与は目を丸くし、俺の袖をそっと握った。
伊与にしては珍しい行動だった。
すると五右衛門は、ドヤ顔で、
「この賑わいだよ。うちも最初に来たときはそりゃあビビったもんさ。しかし、いいねえ。どうだい、弥五郎、こんな賑やかな場所、初めて見ただろう?」
「そうだな。まったくだ」
無論、賑やかなだけならば未来の東京のほうがはるかに上なのだが、16世紀の異国という迫力が、俺をいっそう緊張させ、かつ感動もさせていた。
「……いいな。津島で商いを始めたときを思い出すぜ。この興奮、この賑わいこそが金になる。俺たちが仕入れてきた商品をここで売れば、大儲けできるはずだ」
「えっへっへ。あたしが前、マカオに来たときに知り合った人もおるけんね。まあ、任せとき」
「おう、頼むぜ、カンナ」
俺たちはキュスウケ号から離れ、市街地に向かうことに決める。
キュウスケ号は樹、牛神丸、次郎兵衛に任せて、俺、伊与、カンナ、五右衛門の4人でマカオを練り歩くことにしたのだ。
見本としてわずかな商品だけを手で持ち歩くことにする。
それにしても、本当にマカオまで来たんだな……。
紅色に塗られた屋根が並ぶ町の中を、歩み続ける。
ここでどんな商いができるだろうか――と思っていたら、黒い肌の男たちがいた。
ポルトガル人に引かれ、力なく歩いているように見える、その姿。俺は思わず顔を曇らせた。
奴隷か……。
よく見ると、どうやら日本人らしい男や女も、ポルトガル人に連れられて歩いている。すべてが奴隷とは限らないが、服装や表情から、そうではないかと俺は推測した。
この時代は、誘拐をされたり、人さらいに売られたりして、世界中に奴隷がいる時代だ。日本人だってそうだ。戦争のさなか、誘拐され、外国商人に売られてしまった人間が数多くいる。
運よく、優しい主人に巡り合えば、家族同然に扱われたり、働き次第で自由の身になったりもできたようだが……。
けっきょくは、主人の気持ち次第なわけだ。
俺は、不幸な身の奴隷階級の人がいれば、できれば助けたいと思ったが、そんな余裕がいまの自分にないことも承知していた。うっかり判断をしくじれば、俺も、家族も、仲間も、その不幸な世界に突入してしまうのだから。
「稼がないとな……」
俺は自分を奮い立たせ、市場の奥へと足を進めた。
市場におもむき、さてとりあえずはと俺たちは現地の日本商人を探した。
市場を行き交う人の注目が、微妙に俺たちへと集まっている。
無理もない。新顔の俺、女ながらに刀を差している伊与、金髪碧眼でありながら和服姿のカンナ、脚をむきだしにしている男勝りの五右衛門。
改めて考えるに、これで目立つなというほうが無理だな……。
すると、俺たちのところへ浅黒い顔の男が近づいてきた。
男は腰に短刀を差し、鋭い目で俺を見据える。
「お前さん、日ノ本の者と見たが、いったいどこの者だ? いきなり市場に来てなにを始めようってんだ?」
その声には猜疑心が滲んでいる。
俺は落ち着いて、男の目を見返した。
さて、どう返したものか。一瞬悩んだが、こういうときは素直に用件を言うのが一番だ。経験上、分かる。
「俺は大坂からやってきた、山田弥五郎という。これは博多商人の末次久四郎から助言を受けて、長崎で仕入れてきた品なんだが、見てくれないか?」
末次の名を出した途端、男の目が明らかに光った。
「末次どののお知り合いか」
「そちらよりは、博多商人の神屋さんや島井さんのほうが少し親しいがね。そして堺や京、尾張の津島にも、もっと友がいるが……まあ人脈自慢はさておき、そうだな、例えばこの絹織物を見てくれないか? こいつは滑らかで光沢がある。日ノ本でもマカオでも、高値で取引できるはずだぜ」
俺は絹織物の見本を、男に見せた。
「俺は本気で、この町で商いがしたいと思っているんだ」
「ふうむ」
男は品物を手に取り、指で布を擦り、目を細めて確認した。
「ほぉ、これは確かに良い絹だ。染めの色も柄も間違いねぇ。……お前さん、なかなかの商人と見た。よし、ちょっと待ってろ。皆に紹介してやる」
男はそう言って、どこかに消えてしまったが、……さて、どうなるか。
「いまの人は、あたし、知らんね。……知っとる人がおったらいいんやけど」
カンナが小声で言った。
俺は、うなずいた。
一時間後、俺たちは日本人商人の集まりに招かれた。
港近くの小さな家に集まった十数人の商人たちは、藁葺きの屋根の下に、すっぱい臭いを漂わせた酒を持ってきて、酒を酌み交わしていた。部屋には魚の干物と酒の匂いが漂い、壁には刀傷のような跡が残っている。
商人たちは最初、突然現れた俺たちを冷ややかに見つめた。
「大坂から来たって? いくら良い品を持ってきたとしても、お前らが信用できるかどうかは別だ」
一人がそう吐き捨てると、他の者もうなずいた。
ずいぶん喋り方が荒っぽいな。あるいは末次さんのような老紳士が出てくるかと思ったが……。ま、外国に来てまで商売をやろうなんて男が、温厚なはずもないか。
「俊明。織田と豊臣の商人司だったという、神砲衆頭目としての名を出したらどうだ。異国とはいえ、知っている者もいるだろう」
伊与が後ろから小声で言ってきた。
「それも考えたが、なにしろ過去の栄光だからな。俺としては新しい山田弥五郎で勝負したい。……よし」
俺は荷物の中から銀を取り出し、床の上にずらりと並べた。鈍い光を放つ銀の延べ棒が、商人たちの目を引いた。
「博多商人の神屋さんから仕入れたものだ。日ノ本の銀は、高値なんだろう? ……」
さらに、十個、十五個、二十個――
商人たちの顔色が少しずつ変わっていく。
「船に戻れば、もっとある。商品もだ。……これが俺たちの本気だ。品を売り、銭を儲ける。……だから、これから以後、あなた方の仲間に加えてもらえるとありがたい。……」
するとカンナが前に出て、博多弁でまくしたてた。
「ほら見てみんしゃい、この銀! あたしら、本気で商売しに来たとよ。やけん――」
「ありゃ、あんた、もしかして藤次郎の言っていた、蜂楽屋カンナじゃないか?」
奥のほうにいた男のひとりが出てきて、目を丸くした。
「あら、あんた、藤次郎さんを知っとるとね?」
「カンナ、誰だよ、藤次郎って」
「肥前の商人だよ。前にマカオに来たときに知り合ったんだ」
五右衛門が言った。
すると、出てきた男が笑って、
「いや、藤次郎から聞いていたんだ。金色髪をした博多訛りの女商人がいて、蜂楽屋のカンナというんだって。いまの博多弁ではっときたんだよ。そうかあ、あんたがうわさのカンナさんかあ」
「どう、うわさになっとるんやろ……恥ずかしかぁ……。……と、とにかく弥五郎、あたしの知っとる人、ちゃんとおったやろ? こら縁やね、えへへ……。ね、藤次郎さんはどこよ? 岡兵衛さんに虎三郎さんは!?」
「知らない名前が次々と出てきた……」
「そりゃ、あんたの知らないやつぐらいいるだろ。……よかったな、どうやら、マカオでもなんとかなりそうだぜ」
五右衛門が、にやにやと笑う。
場の緊張した空気が一気に解け、商人たちは杯を手に弥五郎たちを迎え入れた。先ほど、市場で出会った男も、いよいよ笑顔になり、「大坂の話を詳しく聞かせてくれ」と言いだした。
俺はうなずき、伊与は控えめに微笑み、カンナは得意げに胸を張り、五右衛門も笑い出すのであった。
同じころ。
豊臣秀吉は20万の大軍を率いて九州平定に乗り出していた。標的は薩摩の島津氏だ。島津義久とその弟義弘は、九州南部を拠点に勢力を拡大し、豊臣の支配に抗っていた。
そんな中、小一郎こと豊臣秀長はある策を講じていた。
秀長は、軍資金を補うため、兵糧を豊臣傘下の大名たちに高値で売り渡そうとしたのだ。
「米俵一俵は相場の倍で譲れ。味噌も干し魚も高く売るのだ。よいな!」
大和大納言(秀長)は、あまりにも阿漕ではないか――
そん噂が、一瞬で大名たちの間に広まった。
豊臣陣営に不穏な空気が漂った。
秀吉はそれを知ると、小一郎を呼びつけ、
「小一郎、なんだこの商いは!」
天幕で弟を叱責した。
「人心が離れれば戦も勝てん。金より信頼が大事だ。それが分からんか!」
「は……しかし……」
秀長は瘦せた顔を上げ、冷静に答えた。
「兄者、島津を倒すには金が要る。金でまた火縄銃を揃えて、あるいは連装銃を製造すれば、薩摩まで一気に押し切れる!」
「なにを言うか! 汝ァ、心得違いぞ! 人心を失えば天下も終わりだ! 汝は商いの才があるが、心が足りん!」
秀吉は立ち上がり、戦場の風に目をやった。
遠くで島津軍の声が響き、戦煙が空を覆う。
秀吉の胸には苛立ちと焦りが渦巻いていた。
秀吉は歯噛みした。
島津の抵抗は予想以上に激しい。
秀長の策が裏目に出ていたのだ。
噂が広まり、大名たちの不満が戦意を削いだ。前線の士気が落ちていたのだ。
「弥五郎やカンナがおれば、こんなまずい商いはせんかったろうに……」
秀吉がつぶやくと、秀長は耳を尖らせた。
「兄者、いまなんと――」
「なんでもないわ!」
秀吉は戦場を見渡し、遠くに思いを馳せた。
「弥五郎、汝はこの戦をどう見ておる……」
秀吉はまだ、弥五郎がマカオに渡海したことを知らなかったのである。




