第571話「男湯と女湯」
海の怪物騒ぎで少しばかり残念な食事になったが、ミラルダの町と言えば温泉だろう。
俺たちが泊っている温泉宿の浴場の湯は、その成分が薄まることを知らない。
山から流れてくる源泉を、最短距離で取り込める立地に宿があるおかげだ。
この宿を外観だけで判断してはいけない。
ミラルダの町では間違いなく最高の温泉浴場を備えた宿だ。
しかし、今の時期は行商人や物好きな旅人が訪れることもない最北の町。
そのおかげもあってか、閑散とした浴場は俺たちの貸し切り状態になっている。
「相変わらず、ヌメヌメして気持ちがいいお湯ね」
ミラルダの温泉の特徴は、お湯がヌメヌメしていることだ。
お湯自体がローションのように滑るわけではないのだが、肌に触れるとヌメヌメとした感触が楽しめる。
前回はユナがドハマりしてはしゃいでいたが、今回は俺とティナの二人しか居ないので静か──。
「ちょっと待て。レレ、どこ行った?」
「サキさんと一緒に男湯に行ったわ。あまりにも自然すぎて止めなかったけど」
ティナは笑いながらも、想像を持て余したのか顔を赤らめた。
常軌を逸したレレの行動だが、仮に誰かが浴場に来てもテレポートで逃げれば問題なしという、魔術師ならではの思考なのだろう。
エミリアが自由すぎて霞んでしまうが、レレも結構ヤバい感じがする。
「風の精霊は……無理か。よし、聞き耳を立ててやろう」
「ちょっと、やめなさいよ」
小声になりつつも、男湯の仕切りにやってくるティナ。
『……………………』
何かの声にも聞こえるし、何かをしているようにも聞こえるし──。
これは、仕切りから離れた場所にいるな……。
この世界の浴場は、特に宿の浴場の場合、女湯よりも男湯の方が広く作られている。
町から町へと渡り歩き、宿泊施設を利用するのは圧倒的に男性客の方が多いからだ。
「よくわからないわね……」
しかしこの、何をしているのかわからない状況は、無駄に想像をかきたてる。
すっぴんで導師のローブを纏った普段のレレは中性的な印象を与えてしまうが、まともな恰好さえしていれば、本来のレレは紛れもなく美女の類だ。
あれだけ拗らせていたサキさんをあっさり陥落させるくらいだから、考えようによっては恐ろしい女だな。
「向こうもヌメヌメしてるのかなあ……」
ティナと肩を寄せ合って聞き耳を立てていたが、何の事件も起こりそうにない。
期待外れの気持ちと同時に、サキさんだけ抜け駆けした感じがして寂しい気分にもなる。
このまま貴族に婿入りしたら、流石に今まで通りとは行かないよな……。
「あの二人なら大丈夫だと思うわ」
俺の不安を察したのか、ティナは包み込むように俺を抱いてくれた。
温かくて、信じられないほど柔らかくて、透き通るほど白くて絹よりもつるつるとしたティナの肌──。
俺はティナのやさしさに甘えて、絡めとるように自分の全てを密着させる。
「もっとくっ付いてもいいのよ」
「うん……」
温泉のヌメヌメとした気持ちのいい感触が、今の俺には鬱陶しく感じる。
いつも目で追うきれいな髪の毛から、小さな足のつま先まで、今日はティナの全部に触れた気がした。
サキさんみたいになってからでは遅い。もう、誰よりも先に伝えておこう──。
「俺は……ティナが好き……」
「ありがとうミナト……もう一度、今度は女の子の言葉で聞かせてちょうだい」
は?
「ちゃんと女の子の言葉で聞かせて欲しいの」
ティナは俺から一歩二歩と離れて、俺の目の前に幻影の魔法で鏡を出した。
「………………」
鏡に映った俺の姿は、いつも見慣れた女の子の体。
それだけじゃない。
赤らんだ頬に、少しうるんだ眼の顔……。
気恥ずかしさに襲われても、その仕草と表情すら、完全に女の子のそれだった。
「ね?」
うん。まあ、俺がここまで女らしくなっているとは思わなかった。
流石に今の自分を見た後では、もう不自然に強がったり、変な方向に意地を張らなくてもいいよね? そんな気分になってしまう……。
「ティナ……」
「なあに?」
「わたし……ティナのことが好き。大好きなの!」
「私も可愛いミナトが大好きよ。いつかミナトが本当の恋をするまで、ずっと一緒にいてあげる……」
そのあと俺とティナの二人は、心配したレレが様子を見に来るまで温泉に浸かっていた。




