第182話「激臭のトロール」
結局二体のトロールを倒した俺たちは、サキさんの槍で確実に止めを刺してもらってから、その大きな死骸を調べている。
「両方とも擬態しているっていう発想はなかった」
「次からは全部を疑った方がいいかもしれませんね」
しかし奇妙な形だ。たまご型の胴体には長めの腕と、腕に比べると少し短い足が生えている……エミリアは巨人型だと言っていたが、これではお世辞にも人形とは言えないだろう。
しかもこの腕や足は、一体どこに収納されていたんだ? 最初に見たときは、ただの岩にしか見えなかったんだけどな。恐るべき擬態能力だと思う。
近くで観察したからわかったのだが、トロールの岩のような皮膚は、別に岩で出来ている訳ではなさそうだった。強烈な炎で焼かれた皮膚は収縮し、真っ黒に炭化していて、今にも剥がれ落ちそうなくらい脆くなっている。
トロールが水を嫌うのは、水に濡れていると皮膚がふやけて柔らかくなってしまうからではないか? あとでエミリアに聞いてみよう。
それにしても……精霊力感知で確実に倒せたかどうかを調べているのだが、トロールから漂う、むせ返るような土の臭いはあまり嗅いでいたくない類の臭いだ。
焼け焦げているせいだと思うが、とにかく酷い臭いがする。俺が知る臭いの中で最も近いのは、しこたま教室の床を拭いて真っ黒になった雑巾の臭いだと思う。
その雑巾の臭いを強烈にしたような感じで、あまり長く嗅いでいると体調が悪くなりそう……なまじ臭いの発生源が巨大なせいか、辺り一面逃れようのない状態だ。
「……ちゃんと倒せている! とにかくここを離れよう!!」
「うむ。わしも耐えられんわい」
俺たちは一度、元の道に戻ってから採石場のさらに奥を目指す。
「もう少し歩いたら、岩がゴロゴロしている場所に着くわ」
道中にも半ば土に埋まっている岩をいくつも発見したが、なぜか1メートル程度の大きさの岩だと、トロールが擬態していることはないみたいだ。
小さいトロールなら、万一襲ってきてもサキさんが返り討ちにするだろうと踏んだ俺は、水の矢を使わずにひたすらサキさんを岩と格闘させているのだが……。
「トロールには子供の個体がいないのかしら?」
「今のところおらんの」
「そもそも、どうやって発生しているのか、実際まだ良くわかってなさそうだよな」
「…………」
「……ユナ? 大丈夫?」
「ごめんなさい、ちょっと気持ちが悪くて……」
「ああ、さっきのなあ……」
ユナはトロールの焼き焦げた死骸の臭いにあてられたのか、少し青い顔をしている。
いつもなら、あれやこれやと一緒になって喋っているはずなのに、妙に静かだったのはこのせいか。
「少し休もう」
俺は土の精霊石を取り出して、適当に座れそうな石の丸椅子を四つ作った。
今俺たちが居る場所は土の精霊力で満たされているのだが、偽りの指輪で魔法を使っている限り、一旦精霊石を経由しないと魔法が使えないのはやはり不便である。
「サキさんも立ってないで座れば?」
「ミナトよ、グレアフォルツに水掛けてくれんかの? 止めに使うたら臭いが取れん。最悪だわい」
「じゃあ、その辺に立て掛けてくれ。水鉄砲で流したらきれいになるぞ」
「頼むの」
サキさんは魔槍グレアフォルツを適当な岩に立て掛けると、俺が作った石の丸椅子にドカッと座った……が、石に尻を打ち付けたせいで、暫く全身で藻掻きながら下を向いて唸っている。
……痛そうだな。どうして石の上にそんな乱暴に座ったのか全く理解できん。もしカッコ付けでやったんだとしたら相当なバカだ。
俺は水の精霊石を握りしめて、少し離れた位置に立て掛けてあるグレアフォルツに水鉄砲を当てている。イメージとしては、ホースの先端を潰して水に勢いを与えたような感じだ。
どのくらい水で流したら臭いがとれるのか全然わからないのだが、指先から出している水を二本にしたり、水をぐるぐると回転させたり……途中から適当に遊んでいたせいで、そこら中が水浸しになってしまった。
「もういい加減、臭いも取れたろ?」
「そうかも知れんが水浸しではないか……」
サキさんは俺が作った水溜りを避けながら、グレアフォルツを回収しに向かう。
「まったく、冒険者なんてキツい汚い危険を絵に描いたような仕事だよな」
「冒険者は一生できる仕事じゃないですし、今のうちに次の手を考えておきたいですね」
「それはそれで耳が痛い。俺は特技なんて持って無いからなあ」
ティナの膝枕で休んでいたユナだが、ようやく会話に参加できるくらいには持ち直した。
「そろそろみんなの装備に魔法を掛け直すわよ」
「もう効果が切れているのか?」
今朝、ガレージの中でティナが防具に保護と強化の魔法を掛けてくれたが、ここでもう一度掛け直しをするらしい。
魔道具の力で限定的に魔法を使っている俺とは違い、ティナのような本物の魔術師には、精霊力感知に加えて魔力感知の能力も備わっている。
なので、武器や防具に掛けてある魔法の効果が切れたかどうかも、魔術師なら瞬時に見極めることが可能だ。
ティナは石の丸椅子に座ったままの状態で、器用に全員分の装備品に保護と強化の魔法を掛け直す。今回は武器のほうにも、刃こぼれ防止に保護の魔法を掛けたようだ。
暫く休憩したらユナの体調も良くなったので、俺たちは調査……いや、討伐を再開する。
「次から体調が悪くなるほど無理なときは、我慢せずに申告するようにしよう」
「すみません……」
「早速でスマン、立ちションしてくるわい」
「そんなのは休憩の…………まあいい」
丘の影まで小走りするサキさんを横目にしながら、俺は水の矢を3本作って、それぞれのホルダーにセットした。
ユナには先程渡して結局使わなかった水の矢が残っているので、今作った3本は、俺とティナとサキさんの分だ。
「ミナトさん以外のホルダーにはもう1本取り付けられますけど、作らないんですか?」
「現場を見てから判断する。エミリアとカルカスのおっさんは、討伐したトロールの死骸を王都に持ち帰る気でいるから、炎の矢を使ってあの臭いになるのは防ぎたい」
「…………」
「確かにそうね。炎以外で有効な精霊力はないのかしら?」
「余裕があったら試してみるしかないだろうな」
俺は自分のホルダーを空けるため、炎の矢を1本引き抜いて、火の精霊力を自然にかえした。
「……済ませてきたわい」
「うん。じゃあ水出すから手を洗ってくれ」
「うむ」
立ちションから戻って手を洗ったサキさんは、上着の袖やズボンの膝上をこねくり回して濡れた手を拭いている。
……何とかして鎧の隙間から見えている布の部分で手を拭こうとしているのだろう。全身鎧の下にチェインメイルまで着込んでいるから大変そうだ。
「だめよサキさん、ちゃんとハンカチを使いなさい」
「手を拭くのは昔から服にねたくって終わりなんであるが……」
サキさんは渋々と、ティナが差し出した可愛らしいハンカチを使って手を拭いている。
そういえば俺も服で手を拭いて終わりなタイプだ。幸いまだティナにはバレていない。怒られる前に適当なハンカチを買っておいた方がよさそうだな。
歩き出して早々、出鼻をくじかれる感じになってしまったが、立ちションから戻ってきたサキさんを先頭にして、再び俺たちは歩き始めた。
ティナが休憩前に言っていた通り、少し歩くと岩がゴロゴロしている場所に辿り着く。
場所的には採石場の突き当りだ。石というか、岩を掘り返している場所だから、山の地形は段々畑のようになっている。
岩のゴロゴロ具合だが……正直、数が多すぎて手に負えないと思った。
「明らかにトロールじゃない大きさの岩は無視してください。仮に小さいトロールを見逃していたとしても、その程度で王都の兵隊が負けるとは思えません」
「確かに。毎日厳しい訓練をしているだろうから、本来なら下手な冒険者よりも強いはずなんだよな」
まあ、どちらかと言えば兵隊は対人戦闘がメインだろうから、化け物退治が専門の冒険者とは住み分けができているのかもしれんけど。
「して、どうするのだ?」
「山の側面が採掘作業で段々に削られているから……怪しい大きさの岩があるのは、上の段に二つ、真ん中の段に一つ、下の段に三つ、地面に転がっているのが五つ。まずは一番近くにある、地面の岩から片付けよう」
「水の矢でいいんですよね?」
「うん、水の矢はユナとサキさんで分担して欲しい。水浴びしたトロールがこっちに向かってきたら、俺とティナの魔法で足止めする。王都に持ち帰る個体が必要みたいだから、なるべく焼かないようにして倒したい」
「トロールが一体なら誘導してくれえ。わしが何とかするわい」
「わかった」
俺は追加で水の矢を4本作って、ユナとサキさんに渡す。ホルダーの空きに1本、もう1本はこの場で使えば邪魔にならんだろう。
「わしから撃たせて貰うわい」
「どうぞどうぞ」
サキさんは力いっぱい大きな弓を引いて、地面に転がっている2メートル級の岩に向けて矢を放つ。
「わー……」
水の矢が岩に当たった瞬間、その岩の裏側で派手な水しぶきが巻き起こった。
なんで岩の裏側で水しぶきが舞うんだ? 水の矢が命中した岩には傷一つ付いていないように見える。
「……失敗かしら?」
「何が起こったのか良くわからんかったな。狙う岩を変えて、もう一度撃ってみよう」
「今度は私が射ちますね」
ユナが放った矢は、少し奥にある岩に命中して、今度は岩の表側に豪快な水しぶきを散らした。
「派手に散ったわねー!」
「いやあ、いかんだろうこれは。毎回違う効果だと扱いにくい。水の矢はダメかも……」
「あ……隣の岩が動き始めましたよ!」
「ミナト、今こそわしが叩く! もう我慢できんわい!!」
「よし、暴れてこい!」
自分のカスタムロングボウを放り投げたサキさんは、地面に転がしている魔槍グレアフォルツを足の爪先で蹴り上げると、器用に掴んで突撃を始めた。




