第110話「道中」
モロハ村を出発してから暫く経つと雨が降ってきた。最初は小さな雨粒だったそれは次第に大粒の雨へと変わり、今では激しく降り注いでいる。
「降ってきたなあ。まあ、荷馬車の中なら関係ないけど」
雨と土の匂いが混じった独特の空気を吸いながら、俺とユナは御者席に出て雨粒に荒れる広大な湿地帯の風景を楽しんでいた。
「前回来た時に見た荒野がこの湿地帯になってるんですよね?」
「そうですよ。乾燥するとまた元の荒野に戻るんですけどね」
「一日走っても端まで辿り着けない広さだから、スケールのでかい話だよな……」
その後も暫く雨の風景を眺めていたのだが──なんというか、同じ風景で飽きた。
後ろの方では、暇を持て余したティナとサキさんが歌を歌っている。
この二人の歌を聞くのは初めて冒険に出たとき以来だ。ティナの方は相変わらず上手いのだが、前回苦戦していたサキさんは見違えるほど声が良くなっていた。
「サキさんも本調子になったのか?」
「うむ。毎日銭湯で歌っておるからの。この世界の歌もいくつか覚えたわい」
誰もリクエストしてないのにサキさんは一人で勝手に歌い出した。
荷馬車を運転しているエミリアには馴染みがあるのか、サキさんに釣られて鼻歌を刻んでいる。
初めて聞く歌だが懐かしい感じだ。蓄音機時代のようなノスタルジーを感じる……。
「お二人とも歌うのが上手ですね」
エミリアも自分が知っている歌をいくつか披露した。ティナのようにビブラートを利かせた感じではないのだが、普段のだらしない姿からは想像もできないような細くて澄んだ歌声は聞いていて和んだ。
「エミリアの歌は癒されるな。こっちの世界にも色んな歌があることがわかったのは収穫だ。ユナは何か歌えないのか?」
「私ですか? うーん……実は私、歌は苦手なんです。音程どころかリズムが掴めないので……」
ユナにも意外な弱点があったようだ。
散々歌って疲れた俺たちは暫く無言で雨音を聞いていたのだが、右手の方角にポツリポツリと民家が見え始めたことに気付いた。
「ハタ村かな?」
「はい。もう少し走ると村の入り口が見えるはずですよ」
エミリアの言う通り、すぐに村の入り口が見えてきたのだが、村の入り口は木の板で作った簡素なバリケードが張られている。
俺はリトナ村のバリケードを思い出して、エミリアに荷馬車を止めさせた。
「モンスターの襲撃でも受けているのか?」
「確認してくるかの」
サキさんは外套を被ってバリケードの隙間から村の中へ入って行ったが、暫くして何事も無かったかのように戻って来た。
「どうでした?」
「ただの獣除けらしいわい」
「なら良かった。先を急ごう」
その後も俺たちの荷馬車は適度に休憩を挟みながら道を進んだが、本当に湿地帯の風景以外何もないのでいい加減うんざりしていた。
「ドライブインとかパーキングエリア的なものが欲しいわね……」
「全くだな。ユナもサキさんも暇すぎて寝てるし。おいエミリア、荷馬車ごとマラデクの町までテレポート出来ないのか?」
「無茶ですよ。学院長先生でも儀式化が必要なのに……」
「ティナと二人で出来んのかよ?」
「難しいですね。最低もう二人同レベルの魔術師が居れば可能ですが、魔力が十分でないと狙った場所に移動できませんし。ちなみに距離は関係ないですよ」
距離は関係ないのか。どうやら大きさとか質量とか、そっちの方が重要らしい。
「しかし使うとしたら学院長みたいなテレポートがいいな。あれは完全に隠密向きだ」
「ああいうタイプのイメージは難しいんですよ」
「そうなのか。時間は掛かってもあのイメージで習得するべきだと思うけどな」
「私は光のエフェクトがいっぱい出るイメージで練習してるんだけど……」
「それはそれでカッコいいと思うが……」
俺とティナとエミリアの三人でテレポートの話をしていると、辺りはすっかり暗くなってしまった。
薪拾いや水汲みが不要とはいえ、そろそろキャンプの用意をしないとまずい。
エミリアが障壁の魔法で屋根を作ったので、俺はユナとサキさんを起こして調理道具と荷物を外に運んで貰った。
「魔法の屋根に魔法の明かり、魔法の火と水に、魔法で作ったかまど。遮光カーテンも魔法で作って、気が付くと魔法のオールスターになってしまった……ついでだからテーブルも土の魔法で作ってみよう」
「魔術師が三人もいると大抵の事は魔法で解決しますよね」
「魔術学院は遠足とかしないのか? 全員魔法が使えるから面白いことになりそうだな」
「ピクニックではありませんが、学院の導師総出で危険地帯まで薬草を獲りに行く恒例行事ならありますよ。年に一度、一番寒い時期にですけど」
「そういう行事は嫌だな。俺たちを誘ったりするなよ。寒いの苦手なんだ」
「いえいえ、毎日テレポートで現地に通うんです。モンスターと遭遇したら即逃げますよ。研究や教材に使う薬草だけが目的ですからね」
「でもヤバい奴に出くわしたら放置はできんだろ?」
「基本的には放置して報告もしませんよ。徒歩では辿り着けない場所が多いですし……」
場所が多い? 一カ所では済まないのか。何だか大変そうだなあ。
話の合間に何度かテーブルを作ったが、芯材のない石のテーブルではすぐに天板が外れてしまうので、俺は円筒形の塊を出して丸テーブルだと言い張ることにした。
ティナは円筒形の石の塊をテーブルだと解釈してくれたようで、そこへ料理を並べてくれる。今日の夕食は先日話題に上がったチーズフォンデュだ。
「これがインターネットの画像でしか見たことがないチーズフォンデュか……サキさんは食ったことあるか?」
「無い。冷蔵庫にあったピザ用チーズを融かそうとして親に怒られたきりよの」
ユナは一度食べたことがあるようだが、ティナも作り方を知っているだけで実際に食べたことは無いらしい。
俺たちは異世界のキャンプで自分たちの世界にあった未知の食べ物を目の前にするという、何とも言い難い状況を楽しんだ。
「む? パンが鍋に沈んで行きよったわい……」
「サキさん、こうやって斜めにして引き上げるんです。ドボンさせて真上に引くと棒から抜けますよ」
「本場のパーティーだと鍋にパンを落とした人は、ワインを一気飲みする罰ゲームがあるらしいわね」
「ほう……よかろう」
「ホントかなあ……」
サキさんはエミリアが持ってきた高級白ワインを一気飲みにした。勿体ないやつめ。
「超高カロリーだった気もするけど満足した。風呂はどうしようか? なんか食べ過ぎたし昨日ろくに寝てないから、今から湯沸かす気力が残ってないんだよな」
「そうね……エミリア、ここからマラデクの町までは遠いの?」
「ハタ村からかなり移動しましたからね。明日のお昼過ぎには到着すると思いますよ」
「明日の宿で良いのではないかの?」
「私もそれでいいと思います。雨も降ってますし……」
俺たちは食事の片付けと寝る準備をして、今日は早めに寝ることにした。
荷馬車の中では、今日もエミリア、サキさん、俺、ティナ、ユナの順に並んでいる。
「あの、私も一応女の子なんですが、ミナトさんとの間にサキさんが挟まっているせいで物凄く女の子扱いされていないような気がするんです」
「え? 気のせいだろ。あまり細かいことを気にすると美容に悪いぞ?」
「そうですよ。端っこの方が気兼ね無く寝れますから高待遇です」
「むしろわしの待遇をもう少し良くして貰いたいものだわい」
俺たち三人に良くわからない説得をされたエミリアはそれで納得した。
サキさんには寝ている間にエミリアが暴れ始めたら、荷馬車の端っこに押さえつけておくよう頼んである。いわゆる「壁役」だ。
サキさんが待遇改善を要求するのは、女に挟まれているだけの問題ではないのだ。
翌朝、激しい雨音で目が覚めた俺たちは、朝の準備をして軽い朝食をとった。あまりにも雨が激しいので、呑気に朝食を作っている場合ではなかった。
「このまま雨が続くようだと湿地帯の水が氾濫するかもしれません」
「何それ。早いところ移動しよう」
俺とサキさんは急いで荷物を荷馬車に積み込んで、ティナは石のテーブルとかまどを土に戻し、まだ薄暗い朝の道を進み始めた。
それにしても凄い雨だ。雨が入り込むので荷馬車の後ろはシートで閉じてある。この調子だと雨漏りが心配になってくるな。
御者席の前方は障壁の魔法で雨を防いでいるが、この激しさでは馬が可哀想だ。
遠くの方でゴロゴロ鳴っていた雷も、今では腹まで響くような轟音に変わりつつある。
「凄い音ね。このくらいになると確実に停電してるわ」
「停電恐れるに足らん。木の電信柱が燃えてからが本番よの」
「お前ら一体何処に住んでたんだよ?」
腰に抱き付いているユナを引き寄せながら、俺は二人に突っ込んだ。
昨日と比べると明らかに水位の増した湿地帯をようやく超えて、雨はまだ弱まってはいないものの、ようやく街道まで到着した。
本当ならこのまま西へ向かって王都に帰りたい所だが、俺は予定通りに東に進路を取ってマラデクの町を目指す。
雲が流れる方向に移動しているので、一向に雨がやみそうにない……。
「マラデクの町の入り口が見えてきた。前回テレポートしてきた場所はこの辺りだろう」
俺たちは無事にマラデクの町に到着した。
流石にこの雨では通行人は殆ど屋内に退避しているようだが、行商人の一団はこれから王都へ向かうべく出発の準備をしていたりとせわしなく雨の中を動いている。
「下町風情のあるカナンの町と違って、ここは都会的だな」
「雨のせいか商人くらいしか外に出ていませんね」
「早く宿に行きましょう」
「そうだった。宿まではエミリアが動かしてくれ」
「わかりました」
御者席に出てきたエミリアは、行商人の荷馬車を避けながら町の宿へと向かって行く。
「ここですよ」
「デカい建物だなあ」
エミリアに案内された宿は、カナンの町で泊まった高級宿よりも一回り大きくてきれいな外装の宿だ。三階建ての屋上にはテントで覆われた屋根も見える。
俺は外套を被って御者席を降りると、一人で宿のカウンターに向かった。
カウンターにはパリッとしたタキシード姿の男が立っている。受け付けがむさ苦しいオッサンでないのは、ここが冒険者の宿ではないからだ。
「シングルを二部屋、ダブルの大部屋を一部屋借りたいが空いてるかな?」
「もちろん空いてございます」
「それから、四頭引きの荷馬車がある。荷馬車の管理と馬の世話も頼みたい」
「かしこまりました」
「二泊三日で頼む。食事は必要なときに別で注文する」
「それでは合計で銀貨920枚となります」
俺は金貨18枚と銀貨20枚を払って鍵を三つ受け取った。
無事に部屋が取れたので外套を被り直して外で待つエミリアたちに報告しようとしたのだが、既に荷馬車は宿の裏側へと移動を始めている。
どうやら宿の人が荷馬車の誘導をしてくれているようだ。流石、高級なだけはある。




